第104話 闇の色
「微かに闇魔法の色が感じられるなぁ……」
石の森に足を踏み入れた瞬間、ココはこめかみを押さえながらそう言った。
修馬とココとシャンディは、ジュノーの村から山道を辿り、石の森と呼ばれる奇岩群地帯にやってきていた。この付近は小動物はおろか草木も生えないとシャンディが言っていたのだが、実際には細々と雑草が生えており、目を凝らすと昆虫やトカゲのような爬虫類も確認することができた。荒地ではあるが、全くの死の大地というほどではないようだ。
「闇魔法の色?」
修馬が聞くと、ココは「うん」と頷く。
「感じるのは、石の森全体を覆う霧のように薄っすらとした闇の気配。かつてこの地で何があったのか、想像に難しくないかも」
そう言うと、ココは腕を下しスタスタと歩いていく。
修馬はその後ろ姿を捕らえつつ、全体の景色を眺めた。荒れた砂の大地に、墓標のようにそびえる無数の柱状の岩。死の大地ではないにしろ、そこに進入するのは少しだけ躊躇われる思いがする。
ふと横に目をやると、シャンディもまた同じように立ち止まっていた。ジュノーの村にいた時にも思ったことだが、彼女はこの場所に対し大きな脅威のようなものを感じているようだ。
「聞きたいのだが、君は魔導師なのか?」
心なしか震えた声でシャンディが尋ねる。振り返ったココは、時間をかけてにっこりと微笑んだ。
「少し闇魔法の影響が残っているようだけど、僕が思うに人間の体に害が及ぶ程度ではないようだよ」
己が大魔導師と呼ばれていることは明かさず、ただ淡々とそう説明するココ。それはシャンディにとってみれば子供の戯言に聞こえたかもしれないが、彼女は存外素直に受け止め、ココの後に続いて進んでいった。ただ顔には大量の汗が流れている。
「闇魔法って、そんなにやばいの?」
後を追う修馬が何となく聞いた。闇魔法と言えばココの妹のララが使っていた術だが、それはオミノスを封じるために使ったもので、それほど凶悪なものだという認識はまるでなかった。
だが汗を垂らすシャンディが、睨むように振り返ってくる。
「闇魔法など、人間のする所業ではない。人の道を踏み外した、外道の術……」
鬼気迫る表情でそう言われ、修馬は思わず口をつぐむ。そこでココが助けるようにこう続けた。
「まあ、使い方次第ではあるけどねぇ。だけど極めて純粋な闇魔法は、多くの生き物を死に至らしめるものだよ。もしかするとかつてこの地では、そんな純粋なる闇が発生したんじゃないのかなぁ?」
3人は改めて周りの景色に目を移した。奇怪な形状の岩が乱立する広大な景色。SF映画に出てくる砂漠の惑星のような地形だが、異世界というのはもしかすると、地球ではない別の星の世界なのだろうか?
「しかし、白い塔とやらはないようだな……」
咎めるようにシャンディが言う。確かに広く見渡せる大地の中に、白い塔は確認出来ない。だがココはそんなことは気にもしていないように歩を進めていった。修馬もシャンディも仕方ないといった具合にその後を追う。
平素軍人らしい態度のシャンディは、緊張した表情を浮かべているものの、背筋を伸ばし行進でもするように黙々と奇岩の間を歩いていく。会話が途切れると、どことなく重たい空気が辺りにのしかかってくる。
「そういえば、隣町にいた動く死体は、今、ライゼンと一緒にいるんだよね?」
沈黙を破るように、そう話しかける修馬。ここに至るまでの間にシャンディから聞いていたのだが、動く死体は元々、ランシスの町の近くの浜辺に打ち上げられていた水死体で、それを見つけた町の人たちがどこの墓地に持っていくか話し合っている途中に、どういうわけか息を吹き返したように動き出したのだそうだ。
「ああ。奴が奪っていったのだから、そのはずだ。私は動く死体になど興味はないが、あの魔物もまた闇の魔法を使いこなすとランシスの町長が言っていた。その時、町人たちは嘔吐するものが続出して大変な目に合ったそうだ。近くにあった漁具や農具で、どうにか叩きのめして、念のためにその亡骸を古砦の地下牢に叩き込んだそうだが、翌日にはまた蘇りギャー、ギャーとわめいていたらしい。やはり闇魔法など使う者は人外の生き物なのだな」
反吐でも吐くかのように、苦々しく口にするシャンディ。だがそれを聞き、修馬は一つ思うことがあった。
待てよ。それってもしかして、伊集院のことではないだろうか?
殺されても翌日生き返ることや、魔法を使いこなすこと。それと伊集院はセントルルージュ号に乗船していたので、修馬と同じように一度海で溺死していた可能性がある。最初の発見が水死体として浜辺に打ち上げられていたというところも、それと符合する。
動く死体として捕らえられた伊集院。そしてその古砦の地下牢に現れた、フードを被った帝国の諜報員と思われる男。動く死体の正体が伊集院だというならば、諜報員の目的は伊集院の解放だろうが、その後現れたライゼンが伊集院をさらっていく理由は一体何なのか?
「むっ!!」
その時、シャンディが警戒の声を上げた。同時に腰の辺りからキンッと鋭い音が鳴る。剣を抜いた時の音だ。
考え事をしていた修馬が慌てて顔を上げると、目の届く範囲の細い奇岩の陰から大きな生き物の影が現れた。直立してはいるが人間の体格を遥かに超えている。恐らく魔物の類だろう。
「戦鬼と……、あいつはまさか?」シャンディは言う。
魔物の他にも何か居るのか? そう思い目を凝らす修馬。するとその細い奇岩の反対側に、人間らしきシルエットがあることに気づいた。布のフードを被った人間のシルエット。あれはまさか話に聞いていた、帝国の諜報員ではないだろうか?