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この異世界はラノベよりも奇なり  作者: 折笠かおる
―――第3章―――
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第9話 滝口の小さな集落

 あの恐ろしい崖の道を抜け、修馬たちはようやく小さな集落に辿り着いた。滝口の近くに造られたその集落の名は『アルコの村』。緑が多く生い茂る、スイスの田舎町を思わせる集落だ。

 修馬たちはその集落に入ってすぐにある食堂兼売店のような店に入り、早速食事を頂いていた。


「お兄さん、葡萄酒はいかが?」

 修馬が堅い丸型のライ麦パンをかじっていると、花瓶のように大きなガラスの器を持った若い女店主が、テーブルにやってきた。

 修馬のグラスに注がれた葡萄酒は、まだ一口も口をつけていなかったため、女店主の目は必然的にサッシャのグラスに向けられてくる。


「この村の葡萄酒は、格別に美味しいですね」

 サッシャは笑みを湛えそう言うと、グラスの中身を一気に飲み干し、おかわりを注いで貰った。相変わらずこの銀髪はイケメンだ。


「あなたは葡萄酒がお嫌い?」

 女店主は修馬に聞いてくる。

「すみません。お酒が得意じゃなくて」

 当然だ。俺はまだ17歳の高校2年生である。というか、目の前の銀髪の男はこれから山登りするっていうのに、酒なんて飲んで大丈夫なのだろうか?


「あら、そうだったのね。じゃあ、代わりに桃でもどうぞ」

 大きめの白桃をテーブルの上に置き去って行く女店主。その白桃の薄らとしたピンクは、女主人の頬の色によく似ていた。

 いや、桃じゃなくて水が欲しいのだが……。修馬はそんな思いで一息つき、皿の上の大きな腸詰めにナイフを入れた。その断面から、油と肉汁が惜しみなく溢れ出す。


「この葡萄酒は飲みやすくて本当に美味しいですよ。一口だけでもいかがですか?」

 サッシャはそう言って、持っていたグラスを置いた。修馬は一口かぁと思いながら、カットした腸詰めをフォークで刺し、口に運んだ。腸詰めの皮が口の中で弾け、燻製独特の芳醇な香りが鼻の奥から抜けていく。やはりこの腸詰め、旨い。すでに半分くらい食べた後だったが、それでも最初の一口目のような感動がその度ごとに押し寄せてくる。


 頬を緩めながら、腸詰めの中の荒挽き肉をゆっくり咀嚼する。油と肉の旨みが溶けて混ざり合った状態で、修馬はおもむろに葡萄酒を口に含んだ。


「あっ、旨い!」

 思わぬ結論が出た。葡萄酒のスパイシーさが腸詰めのアクセントになり、飲み終わりの渋い口当たりは脂っこくなった口の中をすっきりと洗い流してくれる。生まれて初めて飲んだのだが、正直葡萄酒がこんなに旨いものだとは思いもしなかった。


「美味しい? その葡萄酒はこの村の名物なのよ。沢山飲んでいってね」

 女店主は満足そうに笑みを浮かべると、更にもう1つの白桃を修馬に手渡してきた。さっきから何なんだ、この桃は?


「この辺りの土地は火山性の土壌で日当たりも良く、醸造に適した葡萄ができるらしいですよ」

 そう言ってサッシャは2杯目の葡萄酒に口をつける。とりあえず異世界にも葡萄と桃があることはわかった。しかしこの桃、どうしようか? 困った修馬はとりあえず自身の麻袋の中に2つの白桃をしまった。桃は嫌いじゃない。道中のおやつにでもしよう。


「今年は桃が沢山採れたんだけど、お客さんが来ないから余ってるのよ」

 桃色の頬をした女店主が話しかけてくる。店内を見渡すと、我々の他には老夫婦が1組いるだけだった。確かに空いている。


「最近は戦争が始まりそうなので、旅行者も減っているようですね」

 サッシャが言うと、女店主は大きく頷いた。

「戦争もそうね。けど、この村に旅人が来ない最大の理由は、聖地だったアルコの大滝がけがれてしまったことにあると思うの」

「確かにそうですね。穢れた聖地には行きたいと思わないです」


 聖地が穢れた?

 何のことだろうと思い、サッシャの顔を見る修馬。彼の説明によれば、マナと呼ばれる自然のエネルギーが大量に溢れるスポットだったアルコの大滝が、黒髪の巫女が身投げしてしまったことで穢れてしまい、マナが枯渇してしまったというのだ。


 だがそれに対し、女店主は反論する。彼女が言うには、マナが枯渇したのは黒髪の巫女が身投げする前の話で、アルコの大滝が穢れてしまったのは、魔物が何か良からぬことをしたからなのだという。

「私、見ちゃったの。背中から鳥のような翼が生えた魔物が村の上空を飛び回っているところを……」


 鳥の魔物と聞き、ハーピー的なやつを想像する修馬。可愛い容姿で連想してしまったが、リアルハーピーは恐ろしい魔物なのだろうか? 真剣な表情で話す女店主の顔を見ながら、修馬はライ麦パンを大きく頬張る。


「やだ、私ったら、変なこと言っちゃった。魔物が出るなんて言ったら、村に来てくれるお客さんが今以上に減っちゃうわ」

 そう言って女店主は店の奥に戻っていく。魔物のことが気になる修馬は、葡萄酒に少しだけ口をつけサッシャの方に顔を向けた。


「どうかしましたか、シューマ?」

「俺、昨日、土蜘蛛って呼ばれている魔物を見たんだけど、ああいう魔物って結構頻繁に出るものなの?」


 サッシャはカットした腸詰めの最後のひと欠けを口にし、それをじっくりと噛みしめた。

「そうですね。過去の戦争を振り返っても、戦局が荒れ始めると何故か魔物の行動が活発化してしまうようです。これから戦争が始まれば、少しづつですが魔物たちはこの世に広がっていくでしょう。人間には住みにくい世界になっていくかもしれないですねぇ」


 その言葉には納得がいかない修馬。何故、人間にとって住みにくい世界になるとわかっていながら、戦争などしなければいけないのだろう?

「その戦争は止めることができないの?」


 残った葡萄酒を綺麗に飲み干し、サッシャは席を立ち上がる。

「人間の歴史は言わば戦争の歴史。波のうねりと同じよう、時代のうねりをどうやって防ぐことができるのですか?」

 彼はそう言うと、女店主から蜂蜜酒と田舎パンを購入し、そして店を出た。


 胸の奥に少しだけわだかまりが残ったが、気持ちを切り替えよう。修馬はその場でしゃがみ込むと、緩んでしまったブーツの紐をきつく結び直した。


「ここからバンフォンまではしばらく山道になりますので、ここで水でも汲んでいきましょうか」

 サッシャは前の道を越えると、その先の坂を下っていった。見ると、店の前には綺麗な小川が流れている。サッシャはそこに掛けられた小さな桟橋の上にしゃがみ込み、革の袋の中に水を入れた。あの巴型の革袋は修馬も持たされていたものだ。その時になって、ようやくあれが水筒だということに気付いた。


 岸を下りた修馬は、麻袋から革水筒を取り出し桟橋の上で膝を屈めた。透明なせせらぎの中に、メダカのような小魚が沢山泳いでいる。きっと美味しい水に違いない。

 満たんになった革水筒を見て満足すると、修馬は真っすぐに立ち上がった。これで準備は万端。この先はいよいよ山登りだ。


「日が暮れるまでには山を越えたい。ここからは少し急ぎ足で参りましょう」

 サッシャは言葉の通り早足で小川に掛かった石橋を越えていく。そこから先の道は、白い砂利道が続くだけで目立ったものは何もない。2人は魔霞み山に続くと思われるその道を、黙々と進んでいった。


「あっ、そういえばこれから向かう魔霞み山の山頂には、大魔導師として名高いココ・モンティクレール氏が住んでいるのですが、彼のことは御存じですか?」

 しばらく歩いたその時、サッシャは急に思い出したかのようにそう言ってきた。


「大魔導師? いや、聞いたことないけど」

 勿論、修馬がそれを知るはずもない。しかし大魔導師というワードには若干の興味がある。


「御存じではないですか。ただ、そのココ氏ならもしかすると、修馬が流水の剣を操ることができた理由がわかるかもしれないですよ」

「ホントに!? 超、会いたい!」

 いきなり高いテンションでそう答えたが、当のサッシャは眉間に皺を寄せて、「あー」と唸り声を上げた。


「申し訳ありません。今日は山頂までは登らないルートで山を越えるので、ココ氏のところには行けません」

「えー、会いたかったなぁ、大魔導師」

 我が儘を言う修馬。しかし優しいサッシャも、これだけは譲れないのか首を縦に振らない。


「残念ながら、今の状態で魔霞み山の山頂を目指すのは、死にに行くようなものです。もしココ氏に会いに行きたいのであれば、バンフォンの手前にある麓の町で装備を整えてから、傭兵でも雇って登った方が良いでしょう」

「傭兵っ!?」驚く修馬。


「そうですね。山頂付近には凶悪な魔物が多数出現するとの話ですから、傭兵5、6人は雇った方がいいですよ」

「そういうレベルっ!?」

 修馬の背中に冷たい汗が流れる。

 いかん。完全に舐めていた。やばそうな名前の山だとは思っていたが、そんなに危険なのか?


 思考の停止する修馬。ついでに足も止まってしまったので、先行くサッシャがこちらに振り返った。

「私はバンフォンに着いたら、次は帝都レイグラードに向かおうと思っています。シューマが魔霞み山の山頂を目指すならバンフォンの手前にある麓の町でお別れですが、もしもレイグラードに行くのであればそこまで御一緒にいかがですか?」


「帝都、レイグラード?」

 そこは、サッシャが会ったという謎の日本人が向かった場所だったはず。修馬はようやく頭が回りだすと、執拗に何度も頷いた。


「行く、レイグラード行きます! 宜しくお願いします!!」

 もしも心の中を覗き見ることができるなら、すでに修馬の中に大魔導師の文字はひと欠片もなく、ただ「私を帝都に連れてって!」という文字が太字のフォントで描かれていることだろう。

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