最終章
俺たちは立ちつくした。
扉の前に立つ二人の影に、俺と難波は驚き、嶋中は恐れるような顔つきで見ている。
「啓二部長……」
「さっきの話はどういうことだ、おい」
啓二は殺すような視線で嶋中を見る。
「……な、なんで。なんであんたがここにいんだよ?」
「私が呼んだのよ」
店内の奥から出てきた人影は、難波と持田の間からすっと姿を現す。
「霧崎……」
「お見事な推理ね、天宮君」
「お前、最初から見てたのかよ」
「ええ」
「タチの悪いやつだな」
霧崎は軽く微笑んだ後、俺から視線を外し、結凪を見る。
「結凪さんは野球部部長と知り合いなのよ。昨日女子バスケット部員を尾行する前、天宮君が出た後に少し保健室にお邪魔させてもらったわ。そこで二人が話していたものだから、ちょうどいいと思って私は、天宮君と幸人には内緒で、今まで起こった事情を話したのよ」
「明花……そんなのいつのまに」
「うふふ、ごめんなさいね」
「……」
いつも通りのミステリアスな雰囲気を漂わせる霧崎に反して、結凪は黙ってこっちを見ている。
それが誰を見ているのかは分からない。
「な、なんでだよ……」
嶋中は完全に動揺していた。もう俺達の存在など忘れているように。
啓二はどっしりとした足を動かす。一歩、二歩、三歩、嶋中へとゆっくり近づいていた。
そして。
唸るような轟音と共に、嶋中が殴られ、テーブルへ激突する。机上にあったコーヒーカップは下に落ち、机の折れる音と共に砕け散る。
「嶋中、お前自分が何したか分かっとるのか」
「……ぁ、ぅぅ」
腹を抑え、今にも吐き出しそうな嶋中の苦渋に歪んだ顔が俺の目に映る。
先ほどの悪魔のような顔をした嶋中は何処にもおらず、ただただ目の前の物に怯える兵士のそれにしか見えなかった。
嶋中はグルルとうめき声を発する。
「うぅぅ……んだよ……んなんだよ」
「言いたい事があるなら、はっきりいえや」
「……っっ!」
突然、嶋中は起き上がり、啓二にイノシシのごとく突進する。
「っざっけんなぁぁぁぁぁぁ!」
イノシシの如く、啓二に対して恐ろしい勢いで突っ込んでいく。
「踏み込みが甘いわバカタレ!」
しかし、啓二はいとも簡単に嶋中の突進をかわし、足を掴んでその場に転ばせる。
「ぐっ……」
「なんじゃ今の走りは。お前は亀か。あんなもんヒットの一つや二つ打ったところで一塁にすら間にあわんぞ」
「っぜぇなおい……こんな所まで野球の話……もちだしてんじゃ……ねぇよ!」
嶋中は転んだ状態からさっと起き上がり、啓二の顔面向かって拳を放つ。
啓二は何事もなくその攻撃を止めた。
「お前、全然成長しとらんな。腕力弱すぎだボケ」
「……るせー」
「だいたい、お前の素ぶりは見ていて反吐が出るわ。いつもいつもふぬけた素ぶりしおって。目でみりゃ一発でわかるわ。……こんなバカげた事しでかすくらいだからの」
「……説教たれてんじゃねえぇよ!」
しかし啓二は容赦なく、嶋中の顔面に拳を放つ。嶋中の体はのけぞりかえり、その場に朽ちた。
「ええ加減にせえや! このバカタレがぁ!」
地響きがするような啓二の声が店に轟く。聞いている俺まで鳥肌が立つほどの迫力を感じた。
「お前は人様に迷惑かけんと、自分がやってることの意味も分からんのか! あぁ!?」
啓二はさらに嶋中へ近づく。
「辞めて下さい!」
そこで、一人の人影が入り込む。するとすかさず啓二の手をしばり上げるように掴んだ。
メイド服姿の店員の涼代である。
「これ以上店内で暴れられるようなら、容赦はしませんよ」
「っ……お前、相変わらず加減しなさすぎじゃ。もう離せ」
「本当にしませんね?」
「ああ」
「暴力は禁止です」
「分かったから! はよ離せ!」
涼代はゆっくりとその手をほどく。啓二は涼代から一歩後ろに引き、一呼吸置いてから嶋中に目を見やった。
「っ…………っっっっ……」
しばらくの沈黙が流れる。
そして、嶋中がゆっくりと口をうごかした。
「……もう、うるせーんだよ。イラつくんだよ。どいつもこいつも。こんなクソったれな世界もよ。だから、めちゃくちゃにしちまいたかったんだよ。俺が見てる世界全部……。なんで……なんでやりたいことやらせてくれねーんだよ……! なんで俺の気持ちは優先されねぇんだよ! なんで俺が報われずに、他のやつが楽しそうにしてんだよ! 怒りくらいぶつけさせろよ! なぁ……! なんで、なんで何もさせてくれねえんだよぉぉぉぉ! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
泥にまみれた鬱憤を吐き、濁音のような声を上げる。嶋中は今まで溜めこんできたものを目の前の大男にぶつける。
だが。
「いつまで現実から逃げ取るんじゃボケ!」
「っ!!」
嶋中の心に鉄球をぶつけるように啓二の言葉が響いた。
「お前の中学の時の話は散々に聞いたわ。俺もよう知っとる。妹からよく聞かされたしの。でもな、だからってなぁ。自分の気持ちに嘘つき続けて、こんな下らん事したってどうにもならんだろうが!」
嶋中はうなだれるようにその場に座り込む。
「……っ……っ」
それ以上、嶋中は何も言わなかった。
「……このバカモンが。なんで溜めこむんじゃ、どアホ」
下唇を噛みしめる啓二は悔しそうに言葉を吐き捨てた。
沈黙していた結凪は啓二の隣を通り過ぎ、持田のところへ向かう。
「……っ」
持田は悲壮に顔を歪めた後、ふつふつと謝罪の言葉を述べ始める。
「……ごめんなさい、ごめん……なさい! もともとは……そいつの言う通り、嫉妬していた私が原因で……でも、そいつの計画に乗ったのは、強制なんかじゃなくて……自分から乗って……でも、こんな、こんなつもりは……」
持田の言霊が一つ一つ飛び交う度、彼女の目には涙がポロポロとこぼれおちる。
結凪はしばらくそれを黙ってみていた。
「そうだ……よね……こんな、まずい事して許されるなんてことない……でも……ごめん……結凪さん……」
しかし。
結凪は持田を思いっきり抱きしめた。
「……ごめんね、気づかなくて」
「えっ?」
持田を抱きしめた結凪の横顔には、透けた滴が流れていた。
「今まで……私は何にも気づかなかった……持田さんがそんな風に思ってるなんて……。私も最低だね。あっという間に学校中に噂が広がるのも分かる気がするよ。……私の方こそ、ごめん」
「……っ。っっっっ!」
最後の線が切れたかのように、持田は溢れんばかりに泣きだす。
結凪もそれに吊られてか、持田の涙に促されるように、ゆっくりと嗚咽を漏らし始めた。
うなだれる嶋中、泣き崩れる持田。
憤怒と嫉妬が渦巻いて、また渦巻いて、結局その渦の色は、黒から白へと変わり、時間と共に沈んでいった。
それから数分。
喫茶店内が落ち着きつつ、しばらくが経つ。
「天宮君だったか?」
啓二が俺に野太い声をかけてくる。
「ウチの嶋中が迷惑をかけた。すまん」
大きな図体でぐいっと腰を曲げる。勇敢な勇者にはプライドなど存在しないと聞いたことがあるが、この人はまさにそれだった。
「お前さんがウチの野球部を訪れた時から、嫌な予感はしていた。昨日のこいつはやけに調子がよかったからの」
そういって啓二は顔を下げている嶋中を横目に見る。
「そんで、ウチの妹から結凪ちゃんのこと聞いて、保健室に話をしにいったんじゃ」
「妹」
そういうと、霧崎の後ろでちょこんと影をひそめていた涼代が出てくる。
「私のことです」
「……そうなのか?」
「彼は私の兄で、涼代啓二といいます」
俺は涼代と啓二部長を見比べる。全然似てないというか絶対に聞かないと分からないレベルだ。
「まぁ聞いたところ、こいつのやりそうなことだと直感で思ったわ。……まだまだこいつには教える事が多い」
沈黙している嶋中を見ながら、啓二はそういった。それは家出少年を見る親の目とと似ているような気がした。
どうやら、これで万事解決のようだ。
「さてさて、どうやら余興も終わったようね」
ずっと黙っていた霧崎はようやく声を上げる。
「そうだね……」
難波は嶋中や持田の様子を見て、ふと呟く。
「では、始めさせてもらうわ」
「そうだね……。えっ?」
ふいっと難波は霧崎を見る。
その言葉に俺も反応していた。
「……そういえばお前、一人だけ先にこっちに来ていたよな。……何考えている?」
「それは今から見ればわかることよ……フフフ」
パッ。
突然、辺りが暗くなる。
一同は混乱し辺りを見回している様子であった。
おいおい、何のつもりだあいつ……。
しかし本当に何も見えない。
よくよく考えれば、最初ここに来た時、異様に異和感があった。
やけに店の照明が明るく、机や椅子もその色に染められていた。……窓の外の光が入ってきてなかったからだ。
なぜ窓を閉めた状態だったのか、それはこれからわかるらしい。
俺には大方、予想がついていた。それを体験したことがあるからな。
しかし、それは俺の斜め上をいったものであった。
ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!
至るところから二重三重に声が聞こえ始める。
店内にいる全ての人間を巻き込むかのように、女性の断末魔が広がる。
その数秒後、部屋に無数の光が見えた。
いや、正確には光ではない。
目である。
部屋中のあちこちに張り巡らされた眼が、まるで自分達の心を見ているかのようにギロリと大きく開けている。
そう、心の膜を抉り取るように、眼は俺を見ていた。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「うわぁぁぁぁぁん!」
嶋中の謝罪が聞こえた後に、大きな声で泣く持田の声。
さらに難波や結凪と思われる怯え声が聞こえ始め、店内は一気に恐怖の渦と化した。
「うぅっ……」
恐ろしいくらいに体が震え、吐き気がする。
心の中を覗くな。
そういっても覗かれる。無理やりにでも覗かれる。そんな嫌悪感である。
怖い。怖い。怖い。
俺ははっきりとそう思った。
「はい、終了」
パン、と手を叩く音が聞こえたと同時に、無数の目と女性の断末魔は聞こえなくなる。
部屋の明かりが元に戻り、赤と茶の温かい色が目に入り込んできた。
「なかなかいい恐怖力を見させてもらったわよ……。素晴らしい不可思議現象を起こせたわ……ふふ、ふふふふ」
待っていたのは霧崎の連なるような高笑いの連続。
その声を聞いた途端、俺はぐでーっと横になる。
「おい、霧崎……」
「ん? 何かしら?」
「お前まさか、これがしたかっただけだったとか、言うんじゃないだろうな」
「流石は名探偵天宮君ね。正解よ」
「め、明花……。今回はいつも以上にアウトだと思うよ……」
冗談を交えていう難波もぐったり倒れこんでいた。どこかしら老けているようにも見えたりした。
「しかし、見事にかかったわね……。今回は新しい課題でチャレンジしてみたのだけれど、成功だわ」
「おい、なんだその新しい課題というのは?」
「天宮君なら理解できそうだと思うけど……」
「分からんから聞いているんだ」
「そうね……。嘘の仮面を剥がす実験、と言えばいいかしら?」
「嘘の仮面?」
俺は言葉と言葉が結びつかない脳を捻りながらも、霧崎に聞き返す。
「どういうことだ」
「人は目を見るだけで嘘をついているかどうかわかる、という事を聞いた事があるかしら? 動作や表情によって当人が嘘をついているかどうか心理学的な目線から判断できる。それを拡大したものが今回の不可思議現象。今回はここを使わせてもらったわ。毎回学校を使っていては効果が薄れると思って。それに人も多いし」
霧崎はそう言って、俺や他の人の顔を見回す。この様子を見る限り、たぶん俺が合コン部に入る前から、喫茶店を使う計画はしていたんだろう。それがたまたま事件と被っただけで。まったく、なんてやつだ。
「やり方は簡単。まずは遮光カーテンでしっかりと窓からの光を遮断した後、あとは畜光用のペンキ……要は、暗い時に光を発する塗料のことね。それを壁に塗るだけ。なかなかいい眼の形をしていたでしょう? 私としては人の本心を抉れるような眼を描いたつもりよ。……そして今度は喫茶店の中に設置されている放送用の機器。これに私の持っている携帯の絶叫ボイスを流し、さらに実験の密度を高めた。ここまで準備してきた甲斐があったわ」
「そこまでしていたのかい……」
難波は呆れを通り越した顔で溜め息をついた。
「現に、貴方達は今、私の描いた『眼』に怯えて、自分の本心をさらけだしていたわ」
「……ようは、手作りの嘘発見機ってことか? わざわざ喫茶店まるまる借りてまでするなんて、とんでもない奴だな」
「言い方が雑ね。天宮君。これは『人の本心』を主軸にして起こした現象よ。手作りなんて生易しいものじゃないわ。人が嫌いだから適当にやり過ごす人、上辺だけで付き合う人、嫉妬心を表に出さずに普段のままでいる人、人の嫌な所から目を背けようと必死な人、哀しそうな所を見せたくなくて常に笑顔でいる人、誰もが嘘の仮面を被っているからこそできる不可思議現象よ。……まぁ、例外な人もいるようだけれど」
霧崎はとある二人に注目する。
「ん、なんだ、おい。ジロジロと」
「どうかされましたか?」
啓二と涼代は、うんともすんとも言わない顔でこちらを見ていた。
「怖くなかったのかしら?」
「あんなもんただの子供だましだろうがい」
「私は特にありませんが……」
「ふふ。どうやら嘘の仮面なんて持参していない人もいるみたいね」
「……そういうことかよ」
「あら? 意味がわかったかしら?」
「恐怖は嘘をつかない、だろ? お前が前に言ってたろ」
「よく分かっているじゃない」
霧崎はふと目を別の方向に向ける。視界の先にいたのはおびえる嶋中の姿だった。
「ふふっ……」
そのあと霧崎はふわりとした足なみで俺達の前を通り過ぎる。
「人は誰だって口を使えば嘘をつけるわ。裏切ったり欺いたりすることだってできる。でも、怖い気持ちというのは完全に騙しきれないわ。殺傷性の高いものを向けられたり、命の危険がある動物と対峙したり、もう死んでしまうのではないかと思うくらい怖い現象に遭遇したり。そういう時って嘘の仮面を被っていることを忘れてしまう。それどころではなくなる」
そしてくるっと一回転して、俺たちの方を振り向いた。
「でも、それだけで充分。心のない人間は嘘をつかないし怖がらない。嘘でも笑ったり泣いたりできないもの。良くても、悪くても、どんな人でもね」
霧崎は、今までに見せた事のない温かそうな笑みを浮かべていた。
◆
事件からしばらくが経過した。
嶋中は懺悔の心をあらわにし、自らの罪を学校に名乗り出て、停学処分を受ける。持田はあくまで協力者だったが後悔の念を噛んで反省文だけとなった。
嶋中が流した写真は消え、合コン部のことを言う人間はだんだんと少なくなり、はやりすたりが消えるように、自然消滅していった。文字通りの平和が訪れたのだった。
そして俺は。
「覚悟はいい?」
放課後のけだるさが消えうせる中、俺は職員室にて再テストの結果を聞きに来ていた。どくりどくりと心臓が鳴りだし、血液の流れが敏感に感じ取れる。
クッキーをほおばる加瀬先生は引き出しからテスト用紙を取りだす。紙は裏返されていて点数は分からない。
「これで一つでも赤点……つまり、三十点以下があったら、アウト」
「……」
事件が一段落してから、俺は結凪の再テスト勉強教育を受けていた。教え方も優しくすんなりと頭に入っていくばかりでつぐつぐ彼女の才能に驚かされた。現代文、数学、日本史、英語とまんべんなく教えてもらい、おかげで準備は万全で臨むことができた。テスト当時は大丈夫か心配だったがいざ再テストを受けてみれば百発的中、結凪の抑えている所や解き方で解決できるものだった。
しかしこうやってテストを眼前に返されると、不安は消えないものである。これでもし赤点だったらと思うと、どうしようもなく怖い。霧崎の不可思議現象並の怖さがそこにある。
ぱらり。
加瀬先生はさっそく、一枚目の紙をめくった。
現代文、六十点。
つづいて加瀬先生はさらに捲る。
数学、五十五点。
日本史、五十点。
さらにぺらりぺらりと俺に見せるも、三十点以下のものはなかった。
俺は両手を思いっきりに握りしめて、歓喜の宴をあげる。
「勝った……」
「おめでとう。でも、次からは気を付けるように。これからもテストはある。というか学校にはテストがつきもの」
加瀬先生の注意は耳からすっぽ抜け、俺は喜びに浸っていた。
「先生。どうですか? やり遂げましたよ、俺は」
「結凪さんに教えてもらってたんでしょ」
「ぐ……なぜ知っているんですか?」
「そして、その代わりに合コン部の入部を条件にされて……」
「殆ど筒抜け状態じゃないですか……」
「だってあの時の会話、こっちによく聞こえてたし」
加瀬先生は何事もなかったかのようにクッキーをほおばる。
というか、この人いつもクッキー食べてるよな、今更だけど。
「クッキー、気になるの?」
「勝手に心読まないでください」
「食べる?」
「いや、別に」
「私の店、特製よ」
「特製って。先生、教師の仕事と掛け持ちかなんかしてるんですか……」
「私の店だから問題ない。校長や教頭にも了承はもらってる。それに私の店に入っていたじゃない」
「いや知りませんよ」
「この前、行ってたでしょ」
「だから行ってないですよ」
「皆で仲良く、霧崎さんのドッキリ引っかかってたじゃない」
「……」
まさかこの人。
「もしかしてあそこの店長とか?」
「そう。今更過ぎ」
「あの時いたんですか……」
「酷い……」
「あ、なんかすいません」
「霧崎さんの実験に付き合った感想はどう?」
加瀬先生は何事もなかったかのように感想を聞きだす。
「最悪でしたよ。って……なるほど。電気を真っ暗にしたのは先生でしたか。あの時は霧崎も涼代もいたから、てっきり誰が消したのかなと思って。……ていうかどこに居たんですか」
「店の奥。事務室」
「なんでまたそんな所に。その時、かなり一大事だったと思うんですが……」
「寝てた」
「……」
一応あんた、合コン部の顧問だろ……。
「それで霧崎さんに実験はじまるって言われて、やった」
「……そうですか」
この人、ホントに教師なんだろうか。またクッキー食べてるし。
「食べる?」
「だから要らないですって」
「残念」
◆
職員室から抜けた後、俺は自分の勝利を散々に噛みしめて廊下を歩く。こんないい気分の時は静かな場所へ行こう。
そう思い、真っ先に浮かんできた図書室に行くことにする。
廊下のタイルを踏んで踏んでしばらく歩き、大きな角を曲がったところで、正面に図書室の看板と扉が見えた。
俺はガラリと開けて入る。
最近は日光が酷く照らしてくる。じめじめとした廊下の温度が、図書室に入った事によって掻き消され、クーラーの音と共に涼しげな風が横を通り過ぎる。
いやぁ最高だな。やっと俺に平和が訪れたところか。あとは……。
と思った所で、ふと奥の方をみやる。
複数の長テーブルのうちの一つに、知った奴らを見つけた。
「難波君。違う違う、それそれ」
「えっと、これだっけ? 結凪さん」
「そうそう。『モてる人間の心理学』。これ結構いい本なのよ」
「なんか嘘臭そうな本に見えるけど」
「こら! 難波君! 今は『嘘発言禁止週間!』」
「うっ、結凪さんに怒られるのもなんか新鮮……慣れないなぁ」
「はいはいもうそれいいからー。じゃあ難波君、これ読んで次の合コンは女子十人と仲良くなりなさい!」
「えー」
最近、難波に対しての結凪の扱い方が酷くなったと聞いたことがあるが、これはこれで悪くないようにも見える。
あれから結凪は怒るようになったり、またさらに明るくなった。結凪自身、周りに対しての殻が破れたということなのかもしれない。
結凪は嫌われた事が無かった。というより、自分を嫌った人を見たことなかったから、人前で厳しい事を言って嫌われるのが怖かったのかもしれない。昔の、明るく俺に接してた結凪のように。
それも今回の事件で、しっかり吹っ切れたようだ。
自分が被害者だという局面で、自分の心の殻も破ってしまうだなんてすごいものだ。だから人が集まるのかもしれないが。
「ちょっと、あたし達はガン無視?」
「わ、私も……」
難波と結凪がお互い横で言い合っていると、反対側の席で二人の人物が声を上げる。
女子バスケ部長の持田と、喫茶店のアルバイト兼文芸部の涼代である。
あれから彼女達は暇なときがあれば部の手伝いをしてくれるようになった。やはりそこは結凪の人の良さが光ったからなのか。あの一件で色々なことが吹っ切れたからなのか。それとも本人たちの興味思考なのか。
「あ! いいのよ二人共! 入ったばかりなんだし!」
「しかし、何もしないのは……」
「んー……あ! じゃあ二人共、難波君を逆ナンしてみてよ!」
「ちょ! は、はぁ!?」
「逆ナン……?」
結凪の突飛な指示を聞くと、持田は顔を赤くして立ちあがり、ちらっと難波を見る。
「う……」
それに応じるように難波は持田と眼を合わせた後、恥ずかしそうにちらっと背けた。
しかし涼代はそもそも言葉の意味を分かっておらず頭に『?』を浮かべている。
「持田さん照れ過ぎー! つか難波君もウブそうにしない! あ、涼代ちゃん、逆ナンってのはいわゆる男の人に話しかけるっていう意味で……」
「そ、そうなのですか」
「そんでもって体のあちこちを触ったりー」
「ちょっと! なに涼代に吹き込んでんのよ!」
「そそそそうだよ結凪さん!」
「まぁーまぁー。あと……難波君、君はうぶすぎ。さっきから照れまくりだよ?」
結凪に指摘された難波はさらに顔を赤くする。あの時の持田の嫉妬心発言がホンモノなら確かにやりづらい部分があるのかもしれない。
どっちにしろ、合コンの時に見た、難波に対しての持田の照れた気持ちは本物だったということだ。
「とりあえず、もっと女子に絡んでいきなさい! そんなことじゃ持田さん並の美人さんを振り向かせることなんてできないよ! イケメンのくせに大人しいんだから! ダメだよ! そんなことじゃ!」
「ちょちょちょ、結凪! なに言ってんの! 別にあたしはそういうつもりは……」
「お前ら、あんまし図書室で暴れ過ぎんなよ」
俺はふらっと彼女達に声をかける。
「あれ? おーしげちゃん! 再テストどうだった?」
「フッ。おかげさまで合格だぜ」
俺の報告を聞いた瞬間にぶわっと歓声があがる。
「合格したのかい!?」
「赤点は見事に一個もなかった。自分でもびっくりだ……」
正直な話、結凪の再テスト勉強のおかげであるが、俺の事情を知ってか皆も便乗してきた。俺は一度断ったのだが、結局そのまま皆でテスト勉強会をしたりと、そんな日もあった。
「あぁ……やっと解き放たれた」
「つかさ、あんなテストで苦戦するほうが珍しいでしょ」
机に肘をついてる持田から、刺さるような一言が飛び出る。
「成績優秀な人と一緒にしないでくれるか」
「はーん……。あんた、そこは素直に認めるのね」
「私も天宮さんの意見に同感でございます……。全教科九十点以上は並大抵ではとれません……持田さんほどの優秀さを持っておられる方はそうそうおられないと……」
「な、なによ涼代まで。あんだだって……ば、ばか力のくせに!」
それ反撃になってないぞ。
「えっ……? あ、ありがとうございます……」
「褒めてないっての!」
持田は机をバーンと叩く。ただのキャバ娘かと思えば、とんだツッコミ気質の女のようだ、違う意味で騒がしい奴が増えたな。
「喫茶店での涼代さん、すごいパワーだったね……。おまけにそのお兄さんもすごく強いし……。僕も間近で見ててびっくりしたよ」
「あの時は、お兄さんが店内を暴れるものでしたから……つい。もう少し話しあいを心がけてほしいものです」
涼代啓二。涼代玲の兄である。
代々家は空手の一家で、そのためか異様に体が強いことと、涼代妹と違って顔付きがすごく怖いことで有名らしい。嶋中でも充分パワーはありそうなのに、あんな軽々と投げ飛ばしたり殴ったりしたら、それはもう怪力レベル。熊に勝てるんじゃないの?
「ところで、天宮君はどうしてここに?」
「ああ、もちろん。勝利の余韻を味わうためだ……。なので図書室で過ごそうと思っていたが、お前達がいるようでは場所を変える必要があるな」
「別にいればいいじゃーん。んー、茂ちゃんもまだまだウブだねー。よし、今度からは徹底的に指導ね! うん!」
「あのな……」
一応、お前との約束は果たし終わったんだぞ、といいたかったが俺はそこで口を閉じた。
「まぁいいや。じゃ、仲良くな」
「また放課後ねー!」
再テストが終わったのに、結凪はいつもと変わらず俺に声をかける。もう約束を忘れているんじゃないかと思うくらいだ。いや、確実にそうだろ。
俺は心の中で溜め息を吐いて、図書室を出た。
◆
朝日を浴びた屋上はまるで新月の光のようで、明るいにもかかわらず白いタイルがズラリと綺麗な輝きを見せた。
空は真っ青で曇り下のない空が広がっている。そのまま俺は屋上の隅っこまで歩いた。
人気は無く、一人でこの勝利の喝采を味わうのには最適である。
ふと、屋上の網越し、野球部が使っているグラウンドから声が聞こえた。見てみれば、土臭い地面のもとで、二人の男が向かい合っている。
『行くぞおらぁ!』
カキーン。
軽くボールを手から浮かせた後、啓二は豪快な腕力でバットを振った。
ボールの行った先には、久しぶりに姿を見せた嶋中がいた。
他の野球部部員はまばらと部室に入っていきは、二人の姿を横目に見ている。二人だけの一対一の特訓……といったところだろうか。
「あいつ、停学期間が終わったのか」
見れば嶋中の姿は、俺の知ってるものではなかった。
泥のついた野球服に、深めに帽子を被った野球男児。あのちゃらい嶋中が何処にも見当たらなかった。まるで別人だ。
啓二がノックしたボールが恐ろしい勢いで嶋中のお腹に当たる。
嶋中は膝を落とすも、全身に力を入れて立ちあがる。
『んなことでヘコたれてんじゃねぇぞおい! 次! 行くぞ!』
『うるせぇ……! 来い……。こぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉい!』
嶋中の大きな声がビリビリとこちらまで届く。
「彼、見違えるほどに変わったわね」
「うぉっ! ……ってお前かよ」
いつの間にか隣に来ていた霧崎は、なおも達観した様子だった。
「毎度思うけど、気配がないよな……」
「恐怖を司る者だからこそできる技よ」
「技なのかよ……」
フッ、とほほ笑んだ後、霧崎は嶋中に視線を戻す。
「涼代のお兄さん……啓二さんから聞いた話なのだけれど、彼、中学も野球部には行っていたそうで、三年の最後に怪我をして……スタメンから外されたらしいのよ。当時は妹が同じクラスだったそうだから、それで話をよく聞いていたみたい」
「そうか……」
「高校に上がってからは、嶋中さんは野球を自分のステータスにして、女子との交流を図ろうとしていたみたいね。あくまでスポーツはステータス。そんなもの真面目にやったって仕方がないと思っていたんでしょう。でもその時に合コン部のことを聞いた。その心中は以前に嶋中さん本人が話していたわね。そして同じく嫉妬している持田さんを見つけ、モヤモヤしていた気持ちが針のような鋭さを纏い、事件を起こしてしまったのでしょうね」
霧崎は優しい目で嶋中を見る。
「今の嶋中さんは魅力的ね」
「嶋中を褒めるか」
「怖い心は本当の気持ち。あの時、喫茶店の中で嶋中さんは必死に謝罪の言葉を述べていた。それは自分の気持ちに嘘がつけない証拠。彼には謝罪の気持ちは少なからずあったのでしょうね」
「…お前、まさか最初からそれが狙いで」
「さぁ? どうかしら?」
ニヤつく霧崎はいつも以上に相手を舐めているようだった。俺はふつふつとした気持ちを抑えつつも、グラウンドにいる嶋中を見やった。
……よくよく考えれば、嶋中だって俺と同じだったのかもしれない。
何かが不満だったから、自分の思い通りにいかなかったから、嘘を使って自分を満たした。
自分に嘘をついて自分を満たすのは、俺も対して変わらない。
合コン部だって元々は留年回避するために、平和に満足したいから入っただけのことだ。
俺もあいつも、根元は変わらないのかもしれない。
「でも、今の貴方も魅力的よ」
「……どういう風の吹きまわしだ」
霧崎らしくないことを言われて、少しドキっとしてしまった。
「貴方、本当に変わったわね」
なぜだろうか。霧崎のミステリアスな笑顔が、クソみたいに眩しくてドキリとしてしまった。
余計なお世話だ、と言いたかったが、そんな言葉も出てこない状態だ。
ああ、そういえば、さっきも言葉が出なかったな。
俺は図書室で結凪たちと会った時に、合コン部の退部のことを言おうかと思っていた。約束は果たされたし、平和が訪れたのだから。
でも、それを俺自身が拒んだ。
退部するのが嫌な俺が、いつのまにか居たようだ。
むしろ、それが自分の本心なのかもしれない。
「ところで天宮君」
「なんだよ」
「再テストはどうなったのかしら?」
「あ、ああ……。合格したよ」
「そう。それは良かったじゃない」
「どうも」
「ということは、結凪さんとの約束も果たされた、ということね」
「そ、そういうことになるな……」
「これからどうするの?」
霧崎は、こちらを見ずに問いかける。
『次ィ! 行くぞオラァァァァ!』
『こいやぁぁぁぁぁぁぁあああ!』
二人の男の本気の怒号が、学校中に響き渡る。
どうやら、俺の中でそこそこの答えが出来ていたようだった。
「まだ残る」
「あら? そこは『俺……実は前々から合コン部が好きだったんだ』みたいな事を言う所ではなくて?」
「なんで告白なんだよ!」
部活に告白してどうするんだよ。
「で、まだ残るというのは、どういう意味かしら?」
「……来月にもテストはあるしな。その、結凪の力がまた必要になるかもしれないし」
「でもそれって結局、卒業するまでずっと、ということにならないかしら? 学校にテストはつきものよ」
「……同じことを先生にも言われたな」
俺はグラウンドから目を逸らし、一人屋上の出口へと歩いていく。
「……まぁ、あの空間は嫌いというわけではない。居ても嫌な気分にはならないからな」
「ふふ」
「何がおかしい」
「やっと貴方の本音が聞けたような気がしたわ」
「黙れ」
「恐怖を司る者に命令とはいい度胸ね」
「なんでそこだけ女王様キャラなんだ。というかお前最近キャラがブレてないか? この前だって持田や涼代と遊びに行ってたりしてたろ」
「なっ……そ、それとこれとは関係ないわ」
「焦る時点で見え見えだ」
「天宮君のくせに生意気ね……。そうね。今度はとびっきりの不可思議現象を見せてあげるわ」
「はっはっは。上等だ。お前の不可思議現象など、この俺が全て解きあかしてやる。この俺に解けない問題などない! オカルトの匂いがするならなおさらだ! この世にありもしない現象なんてないのだからなぁ!」
「あら、今の感じ、どこかの名探偵らしい台詞ね……。これは私も何か対抗して言葉を創らないと……ふふ、楽しくなってきたわ」
どうやら変な火をつけてしまったようだ。
「……はぁ」
俺は青空に向かって大きく溜め息を吐いた。
人は嘘をつく生き物だ。
だから俺は人が嫌いだし、人との交流が嫌いだ。
だが人というのは、思っていたより複雑らしい。
嘘をつくから嫌いだというのは、なんだか早計な気がしてきたと、最近思うようになった俺がいた。
「青空に溜め息とは……名探偵とそのアクションはマッチングしないと思うけど」
「だから黙ってろお前は」
「恐怖を司る者はそう簡単には黙らない」
「ただ迷惑なだけじゃねえか……」
正直、俺がこの先人を好きになるかどうかなんて考えた事もない。
でも、結凪、難波、持田や涼代や野球部の二人、そして霧崎を見ていたら、俺の中で『人』がよく分からなくなってきた。
それは一体なんなのか。俺にもよく分からない。
まぁ、とりあえず哲学的な事はあとにしよう。
嘘をつかないのも、案外悪くないかもしれない。
そう思いながら、俺はゆっくりと屋上の出口へと足を向けた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
同じサークル仲間だったBLACK氏に推理もの作ってみろよと言われ作ってみたものの、結局青春ものになってしまいました。
執筆したのが今から二年前ほどです。
テーマは「恐怖」です。ホラーではありませんが。
どちらにしよ推理小説は難しかったです…。
今回はお時間を割いていただき、ありがとうございました。
ご意見やご感想もお待ちしております。