第三章
「……今日はここまで」
小さな身長には見合ってない加瀬先生の大きい胸が揺れたと同時にチャイム音が鳴る。
生徒達は一斉に立ちあがり、それぞれ談話を始める。
『なー、終わったらカラオケいかね?』
『あ、いいよー。オレ、暇だし』
『あたしも混ぜてー』
ガヤガヤとしだす教室。いつもの喧騒。こればかりは毎度変わらない。
だが、加瀬先生が教室から出たことを皮きりに、一気に場の色が変化した。
「……」
周囲は黙り切った後、ヒソヒソと話を始め、ときたま俺の方を見ていた。
悲惨そうな顔、気持ち悪そうに見ている顔、時折汚い笑い顔。
やはり、何かおかしい。
別に他人どう思っていようがどうでもいい。例えいじめだろうが勝手にやってろといいたいくらいだ。
だが朝の玄関での出来事といい、どうも気になる……。
そう、今の状況を例えるなら、まるで舞台のエキストラが何かについて『噂』しているような感じにそっくりだった。
俺は机につっ伏せる。
今することは情報収集。
何処で行うかと言うと、もちろんここである。このクラスのざわめきだ。会話の中にこそ証拠あり。疑問に思うことにはとことん突っ込んでいくのが俺のやり方だ。なのでしばらく聞き耳を立ててみる。
『あいつって……コン部の……』
『知ってる。あのが……ことでしょ?』
『あれはないよなぁ』
一文字一文字がミクロ単位の情報量となって入ってくる。
……部活の話? まさか合コン部か?
そこでガラリと扉が開く。
「あ、天宮君」
俺を呼ぶ声がしたので、教室の出口へと目を向けてみる。
教室の扉を開いた先には難波が立っていた。あまり気分のよくなさそうな表情で、金髪には昨日のようなメルヘンオーラがないように見える。俺はスタスタと視線をかいくぐって廊下に出た。
「どうした?」
俺が訊くと、難波は辺りを見回して一言俺に告げる。
「場所、変えていいかな?」
難波はそういって俺を手招きする。
俺はそれにのって、難波についていった。
◆
白銀のような雲が太陽を覆い、屋上に照らしていた日光は姿をくらましていた。
難波は着いた後、周りを一瞥してから俺に話しかける。
感情を押し殺すような難波の顔がうつる。
「これを見てくれ……」
ふと難波が渡していたのは、一つのスマートフォン。
外見はグレー色を帯びたカラーで、液晶画面には一つの画像付きのメールが映っていた。
「……」
俺は一瞬眼を見開いた。
それは、結凪が映し出されている画像だった。週刊誌にでも乗ったかのように眼のところがすっと太線で黒く塗りつぶされ、画面上に点在する文字は結凪に対しての醜悪さを醸し出すような、辛辣で下品な発言ばかりだった。
「これが突然僕のところに届いたんだ。送り主は分からない。でも……この件名……」
俺は難波に言われてメールの宛先の下にある欄を覗く。
『淫乱部活のみなさんへ♪』
俺はメールを見た後、難波にそのまま返す。
「他の人に訊いたんだけど……これが学校の生徒に殆ど送られているんだ。でも誰がやったのか分からない……」
「……」
俺は今朝の出来事を思い出す。
登校道でこちらを見ていた女子生徒達、そして玄関での俺と霧崎に対しての目線。やっと胸の違和感に納得がいった。
「ひどいものだよ……。誰がこんなことを……」
「……結凪は?」
俺はぽつりと呟く。
「結凪さんは保健室よ」
背後から声がした。
俺はすぐさま振り向き、また難波もサッと後ろを見た。
屋上から出てきたのは霧崎だった。目には何かが迫るような真剣みを感じる。
先ほどの発言からするに、多分結凪の様子を見に行っていたのだろう。
「話は幸人から聞いたわ。結凪さん、顔には出していなかったけれど相当ショック受けていた様子だった」
結凪が保健室にいる。あまり訊き慣れない現状で少し心配だったが、今の俺は別の方面に対して興味を向けていた。
「そうか」
霧崎の返答を聞いた俺は、一呼吸置いてから人差し指をおでこに当てる。
「どうしたんだい?」
一間置いて、不思議に思った難波が俺を尋ねるも、それを無視した。
それから数秒後。
「難波」
「ん?」
俺は頭に浮かんだ推測を難波に告げる。
「多分、これを撮ったのは昨日来てた奴らだ」
「えっ」
「どういうことかしら?」
難波の反応の後、すかさず霧崎が問いただしてくる。
「まず写真だ」
「写真?」
俺の合図と同時に、霧崎は横から難波のスマホを覗きこむ。
「まずその写真は、合コン部室内でとられたものだ。でかい文字ばかり眼に映るから分かりにくいが、結凪の後ろに決定的なものが映っている。この時計が見えるか?」
「この時計は……本当だ。確かにこれは部室の時計だけど、でも、これだけじゃ昨日かどうかわからないんじゃない?」
難波は俺に異を唱えるように首を傾げる。この時計は確実に合コン部で見かけたものであるのは間違いない。場所は特定された。
しかし時間に関しても、確たる証拠はあった。
「映っている丸テーブルをよく見てみろ。黄色い液体が散乱しているだろ」
「黄色い液体?」
すると、霧崎がなにかに気づいたように意見を述べた。
「……もしかしてオレンジジュース?」
「そう。これは昨日、嶋中がこぼしたものだろう。写真を見ると、結凪の左側にぼやけて映っているが、たぶんこれは嶋中が結凪に謝っているところだろうな。昨日かなりうるさかったから覚えてるんだ。霧崎もそうだろ?」
「ええ……。それに、嶋中さんが来たのは昨日が初めてだった。つまりこの写真の日時は昨日だと特定できるわね」
記憶を確認した霧崎の横で、難波は沈黙したまま顔をしかめて写真を眺める。
「じゃあこれは……」
「まだ犯人は分からないし、特定はできない。だが」
俺は息を飲む。
「昨日、合コン部に来ていた誰か、その可能性はあるな……」
これは合コン部のためではないことを、俺は自分の心に対して再確認しながら、息を吸った。
それはどこか、使命感というものより、自分の欲望を満たしてくれるような、そんなものを見つけた時の緊張感とよく似ていた。
◆
放課後、俺は一人合コン部の部室に来ていた。
部屋には丸テーブルが並んでおり、昨日の状態から何も触っていない状況だった。
俺は壁の隅へ移動する。ポケットからスマホを取り出した。
開いたのは、先ほど難波からもらった結凪の画像。俺は神妙な目つきでそれを睨む。
「何をしているの?」
ドアがゆっくりと開かれたと同時に現れたのは、霧崎だった。
「調べてるんだ」
「もしかして、例の画像の事?」
「ああ……。どうも気になってな。多分昨日撮ったのは間違いない。けど、その方法が分からないんでな」
俺が証拠探しに辺りを見回していると、霧崎が疑問を抱くような音色を上げる。
「犯人探しを頼んでもいないのにするなんて、どうして?」
「別に。結凪の調子が悪いと、俺の留年に影響が出るってだけだ」
「あら、あなた留年するの?」
「まだ決まったわけじゃない。でも留年を回避するにはどうしても結凪の力が必要なんだ。それだけだ」
「へぇ。犯人探しに興味があるのね?」
「誰もそんなこと言ってはいない」
「そんな顔をしているように私には見えるのだけれど」
霧崎はふぅと短く溜め息をつく。
「私達合コン部以外だと昨日来ていたのは、麻美さんがいる女子バスケ部、嶋中さんがいる野球部、あと数人と文芸部の男女、合わせて二十人程度よ」
「なんだ、突然」
「犯人探しに協力してあげるわ。見ているだけではつまらないもの」
「お前、意外にアグレッシブなこと言うんだな」
「嗜好の問題よ」
霧崎の声を耳に流し、俺は昨日の、ここでの風景を思い出す。まだ記憶は劣化してはいなかった。
丸テーブルは6つ。それぞれ文芸部、女子バスケ部、野球部が来て談笑していた。
部屋に入って左側には、OOOをはじめとした文芸部のメンバー複数に、難波と持田。部屋の奥は女子バスケ部が、そして中央には野球部、あと嶋中と結凪がいた。
俺は写真を思い出す。時計は部屋に入ってきて手前側の壁にかかっているので、必然的にこれは、手前側の壁にいた俺と霧崎を除いた全員、+写真に映っている人間……結凪と嶋中は自然に犯人の対象外となる。
「……やはり対象は広いな。調べるには女子バスケ部に野球部、文芸部数人にあたらないといけない」
『僕も協力していいかい?』
そこに、部室から一人の人物が現れる。金髪を綺麗にたずさえた難波の姿がそこにあった。
「あら、幸人」
「やぁ。……僕もそれに加わっていいかな?」
イケメンスマイルはいつものことだが、昨日見せていた爽やかな表情とは違っていた。
「いいのか?」
「……うん」
難波は歯切れの悪い返事をした。どことなくショックを受けている様子だが俺には関係ない。これで捜査の時間を省ける。
正直なところ、確実な情報を掴むために本当は一人で捜査をしたいところだが、あいにくそうも言ってられない状況だ。一番の理由は、俺の留年に関わってくる結凪の失墜を避けたいところである。そうなるとテスト勉強どころではない。
霧崎と難波は自分達の部活のために行動するという最もらしい理由も備えている。駒としては充分だ。
それに、自分も狙われているとなれば、平和を望む自分の身を守るに越したことない。誰かにどう言われようが知ったことではないが、後跡のことを考えると面倒くさいことにもなりかねるので、きっちりカタをつける必要もある。
それから俺は霧崎と難波と共に会議をはじめる。しばらく話しあって数十分が経過した。
霧崎は涼代のいる文芸部に、難波は持田のいる女子バスケ部に、そして俺は野球部に当たることになった。
少なからず俺は嶋中と話しているので、多少なりと顔はきくはず。ここは難波に言ってもらっても良かったが、女子バスケ部に俺は行きづらいし、どっちも行ってもらうのは効率的じゃない。
明日の放課後、それぞれが調べた経緯を報告する約束を交わしたと同時に、俺たちは今日の部室を出た。
◆
翌日の朝、俺は調査のため、野球部の部室へと向かっていた。野球部は毎度の如く朝練習をこなしている。今まで全国を勝ち進んできたほどの強豪チームらしく近年は優勝候補として挙げられているとか。結凪といい野球部といい、ウチの学校はハイパーな人が多いものだ。
しかし、全国区の野球部だろうとなんだろうと関係ない。俺の平和を取り戻すために遠慮なくお邪魔させてもらう……。
校舎を通り過ぎ、グラウンドの側面を通り抜ける。しばらく行くと古びた部室が見えてきた。コンクリートで埋め立てられた壁にポカリと『野球部』のネームが垂れ下がった看板があり、その下に扉があった。
俺はガチャリとあける。
「たのも……」
しかし目の前に飛び込んできたのは俺の心臓を脅かせる群れがいた。
ギラリと眼光を鋭くした坊主頭の集団が俺を見ている。虎をも怖気づかせるような迫力に足が引き下がる。
「だれだ、お前は」
坊主頭の一人が重い腰を上げてこちらへ歩いてくる。
「あ、え、ちっす」
ブルブルと震えだした頭を制御することが出来ない俺は無意識にリア充用に用意していた挨拶が口からこぼれでる。これじゃチキンなモブキャラじゃないか。まぁ間違ってないんだけど。
「みねーかおだな? どこの部のもんだ? ああ?」
背の高くごつい体をしたヤクザ風味の部員は上から見下ろしてくる。めちゃくちゃ怖い。こ、腰が抜けそうだ……。どこのもんって、もうヤクザじゃないですか。
『あれ? もしかして天宮君!?』
ヤクザ声とは対照的な、もう比べるとすごくホストくさい声が部室奥から響いた。
「んだ? 嶋中、お前の知り合いか?」
「あ、あー。部長! スイマセンスイマセン!」
事を察したのか嶋中は俺と坊主頭の部長さんの間に割り込んでくる。この人部長なのかよ。
「い、いやぁ。どうしたのこんなところまで?」
「ちょっと話したいことがある。時間とれるか?」
「あ。じゃあ場所かえるか。ここじゃなんだし」
俺は素直に嶋中の提案に乗る。そりゃこんな怖い部長さんの前で話なんてできるか。
「おい! 嶋中ぁ!」
「スンマセーン! ちょいと話してくるだけッス!」
そういって嶋中は俺を引きつれて、部室から少し離れたところに移動する。
しばらく歩いた後、嶋中はふと部室の方向を見やった。
「あー、うっぜー」
舌打ちした嶋中は土に向かってつばをはく。あの部長とは上手く行っていないんだろうか、いかにも嫌がっている様子だった。
だが俺にとってはどうでもいい、事情聴取が優先だ。
「で? 話って?」
「昨日のことだ」
「昨日の話? 何かあったん?」
疑問に思った嶋中に向けて、俺は送られてきた写真を携帯ごとかざした。
「な、なんすか……それ? って、俺も映ってるじゃんか……」
嶋中は、見てはいけないものを見てしまったかのように、後ろに下がって土砂をこする。
俺は言及する嶋中に素直に答える。
「一昨日の合コンで取られた写真なんだ。それでその犯人探しをしている」
「そ、そうだったんスか……。いやぁ、こりゃまずいものみちゃったなぁ」
あまりにも見たくなさそうな表情をしているので少し罪悪感が出てしまった。まぁ誰だってこういうストーキングな写真は見たくないものかもしれないな。
「この写真に心当たりはあるか?」
「い、いやぁ心当たりって言われても……。全然ないなぁ。つか、それ被害被ってるの結凪さんっしょ? ……ひでぇなぁ」
「なにか変わったことはあったか? 例えば誰かの様子はおかしかったとか」
「俺たち野球部は特になかったし、そん時はほとんど結凪ちゃんと話していたから、他の部活の連中のことはよくわからねーし……ううむ」
写真の中身は結凪のターゲットにしている内容だ。だが嶋中は二次災害を被る形で、それに移りこんだ状態で入っている。ターゲットに近い人間は無関係だが、証拠になるものを捉えているかまたは感じている場合がある。ターゲットには気づかない、それでいて周りの変わった様子に気づける存在だ。
「そうか」
だが、嶋中の唸る姿を見て、俺は手に持っていた携帯をポケットにしまう。嶋中はあまりそう言った繊細な変化には気づかない性格なのだろう。神経質な人なら常に警戒心を尖らせている傾向が強いため、周囲に対してアンテナをはっている。だが、テーブルから盛大にこぼしたにも関わらず周囲の目はそっちのけで大きな声で謝っていた嶋中ほどのアンテナの低さを見ると、とてもじゃないが有用な情報は掴めなさそうだ。
「解らないなら仕方がない。邪魔したな」
「いやいやー」
俺は嶋中の元から立ち去った。
◆
放課後になってからしばらくが経過する。
嶋中から聞いた後、俺は再び屋上へ戻る。まだ難波と霧崎は来ていなかったため、しばらく空を眺めて待機していた。
曇っているような、晴れているような、訳のわからない空。お前は何が言いたいんだと思うくらい、空はまどろっこしかった。
「……なにやってるんだろうか」
そもそも結凪のテスト勉強がモノになるから、合コン部に入っただけのこと。正直、誰が何をしたのかなんてどうでもいい。今回捜査をすることにしたのは、自分のためだ。
結凪がいなければ留年。それだけのこと。今、結凪に鬱になっては困るからだ。それに推理果汁100%な俺としては、こういった謎のある出来事は嫌いじゃない。
どちらにしろ、さっさと犯人を見つけてしまいたいものだ。
俺は乱れた雲を格下の存在下のように見返す。雲は笑う事も泣く事もなく、ただただ浮いている。この空模様こそ人の心そのものだ。人間はみな上辺だけで生きている。心の中なんてあんな空景色と同じだ。晴れているのか曇っているのか自分でも分からないくらい嘘で塗り固めている。
それが人間だ。
「天宮君……」
そこに難波がやってくる。文芸部への聞き込みが終わったようだ。
「情報は聴けたか?」
さっそく聞き返す俺に、難波はばつが悪そうな顔を浮かべた。
「うん……」
「? どうした?」
「えっと……」
それを言うのを拒みもうとせんくらい、今の難波は焦燥しきっているように見えた。
「その……昨日来ていた女子バスケ部の一人に聞いてみたんだけど、そのうちの二人、山浪さんと川島さんという人が、どこか挙動不審そうにしていたって言ってたんだ。あと、持田さんも……」
「不審? たまたまそう見えただけじゃないのか? あの時は顔を赤くしてお前と話していたろ。その女子バスケ部員はほかに何か知らないのか?」
「……その子がいうには、周りに対して反応が妙に敏感だったと言っていたんだ。僕は全然気がつかなかったんだけど……。写真を見たらすごく驚いていたよ。でもそれに関して心当たりはないみたい」
「敏感か……」
あまりそういう風に見えた様子はなかった。持田は大半の時間を難波と過ごしていた。機嫌が悪そうだったのは覚えているが、不審がっている様子は見えない。
しかし、自分の知らない所で何かが起こっている事実も多い。文芸部から見た目線もあるんだろう。
文芸部に犯行をしたものがいる、という線も考えたには考えた。だが、涼代率いるあの文芸部の中に、結凪に対して嫌悪感を抱いている者がいるとは到底考えにくい。文芸部のほとんどは涼代を尊敬している、というかファンのような人間ばかりだった。涼代さんの様子を見る限り、とても嘘をついているような素振りは見えない。というよりはあまり事情は知らなさそうな顔をしていた。
今は出てきた情報を元に動いたほうよさそうだ。
それにしても。
俺は一番気になる事を難波に告げた。
「なぜそこまで焦った顔をする? せっかくの情報を手に入れたんだ。まぁ文芸部が嘘をついている可能性もありえなくはない……情報がなければ動けないしな。持田の性格を考えれば嘘をついている可能性は否定できない」
「天宮君……。君は」
「ん?」
難波の声音が強くなる。
「君は、持田さんを疑うのかい?」
「……どういうことだ? 疑う予知はあるだろ。その話が嘘でなければだがな」
「そうじゃなくて」
「何が言いたい?」
「なぜ君は、簡単に人を疑えるのさ」
「……は?」
俺は一瞬、難波の言っている事が理解できなかった。
「持田さんは確かにガサツだけど、ああ見えて優しいところがあるんだ。中学でも女子バスケ部のキャプテンとして、皆から信頼されていた。厳しいけど、部員からはすごく頼りにされてる。僕も中学はバスケ部だったから、よく体育館で持田さんが部員を引っ張っている姿を見かけていたよ。それは今でも変わらずに――」
「おいおい、だからなんだ?」
「……っ!」
難波の顔がゆがむ。
「過去を知ってるからなんだという話だ。お前はバカか。なぜ疑わないんだ」
「そんなの……信じてるからに決まってるじゃないか」
「じゃあ結凪のことはどうする? 合コン部は? もしこのまま犯人探しを辞めたら、それこそ廃部の危機を迎える。相手の思う壺だ」
「そうだけど……。でも……人を信用しなさすぎるよ。君は……」
「……なんだと?」
難波の言葉に無意識に体が動いた。
「まさか、人を疑った事が無いなどとバカげたことを言うんじゃないだろうな」
「……そうだよ。疑ったことなんてない。だから、なんなのさ?」
「はっ! 呆れるレベルだな。お前は嘘で塗り固められた生き物が好きなのか?」
「……どういう意味だい」
「いいか、俺は人間が嫌いだ。必ずと言っていいほど嘘をつくからな。物ごころついた時からそう思っていた。周囲の人間は皆、嘘つき狼ばかりで人の本心など知った事がない奴らばかりだ。利益、得、金、幸福、優越。他人を欺き、嘘をつき、例え相手を傷つけようとも、自分の欲望に忠実になり、嘘の仮面をかぶる。正直な話、まだ純情な犬や猫のほうが人間よりマシだ。どうせなら食物連鎖に負けた生き物でも、俺は人間以外に生まれたかった。そう思ってる」
「僕は人が好きだよ。嘘をついてたら、怒ったり泣いたり笑ったり、楽しそうな顔なんてしないよ」
「それが嘘の仮面だというのが分からんか? ……あぁ、なるほど。そんな頭してるから持田の妙な反応にも気づかなかった、ということか」
「僕は君と違って彼女をずっと信じているからね。それに君みたいな表情のない人間の方が、嘘を被るのが得意そうに、見えるけど」
「……」
俺と難波は互いに睨みあう。
なんだこいつ。
今までにないくらい、いらつきが込みあがってくる。
人を心から信じているだと? お前は赤子か。
そんなのはテレビの中のキャラクターやヒーローくらいだろ。こいつは本気で人が好きなのか?
反吐が出る。
「呪ってやるぅ……」
「っ!?」
突然、低い声が聞こえた。
ストーリーを進めている途中、勝手にソフトを抜き取られてデータが消えたように、俺の頭も真っ白になった。
それは難波も同様で、目を見開き、恐怖に怯えたような表情になる。
しかし。
「中々良い反応を示すじゃない。二人共」
霧崎の声が聞こえたと共に、俺たちは大きな溜め息をついた。
「フフフ……その溜め息は中々いいわね。今まさしく恐怖から解放されたような状態を味わった反応ね……。フフ。少しばかり恐怖力を抽出させてもらったわよ」
「明花……。もう」
まるで世界第一位のお化け屋敷を味わったような声を難波はあげる。
どうやら先ほどの凍るような声は、こいつの仕業らしい。全く恐ろしい声だ。というか全く気配がなかったんだけど。
「『なんでこんなに近くにいるのに気がつかなかった』といった顔をしてるわね、天宮君」
「変な所に鋭いやつだな……」
「フフフ。簡単な話よ。人の集中力は一点にしか向かない。そこを付いたやり方、といったところかしら」
「一点にしかむかないって……あぁ」
そうだ。さっきまで俺は、難波と言い争っていた。
今となってはもう冷めてしまったが。なるほどそういうことか。
「案外、人は警戒していないと、周囲が分からない生き物よ。感情が高ぶれば高ぶるだけ、周りが見えなくなる。普段全く怒る事がない人が怒れば、なおさらよ」
霧崎は勝ち誇った武将のように笑う。どこまでもナメた態度をとるやつだ……。さっきまでのイラつきがいつの間にかどこかに吹っ飛んでいた。
「ていうか……明花。いつから居たの?」
「いつからって、貴方達がヒートアップしていた時よ」
「またすごいタイミングに来たね……」
難波は小さく息を吐くと俺の方を見やるが、すぐに踵を返した。
霧崎は、しっとりとした顔付きで俺と難波を交互にみやる。
「……まぁ、そうね」
そこで、何を思ったのかゆっくりとつぶやいた。
「人は、嘘をつく事もあれば、泣く事もあるわね……」
「お前の意見は聞いていないぞ」
「でも……」
「は?」
「怖い気持ちに、嘘はつけないわ」
霧崎の言葉に口がとまった。
「怖いのは本能的な部分。嘘をついている人ほど、怖い気持ちを隠したがる。そのクセはついている人ほど、怖い気持ちという顔に嘘の仮面は着せられないと思うのだけれど」
「……別に、それはそれだろ」
「そうかしらね。……と、そうだったわ。先ほど文芸部のところへ行って来たわ」
霧崎に言われて思い出す。さっきまで色々な事がありすぎて、本題が頭から抜けていた。俺としたことが……。
「いつも通り、涼代さん達は普通そうにしていたわ。写真のことについて聞いてみたけど、特に心あたりはないそうよ」
霧崎はすかした顔で両手をへの字に上げる。
「そうか……」
となると、証拠があるのは持田と、その山浪と川島とかいう部員か……。
どうする? 持田に直接聞くか? しかし……。
「ねぇ、二人共。今から保健室へ行かないかしら?」
霧崎から突飛な提案が飛び出る。
「なんだよ藪から棒に……。今どうやって探るか考えているというのに」
「一旦、頭を冷やすのも手だと思うけれど。結凪さんの様子も気になるから……」
「そう、だね……」
「……」
なぜか、言葉が詰まった。
いや、そこは断れよ俺。
結凪の体調がどうだなんて、関係ないだろ……。
そうやって口で言いたいのに、なぜか言おうとしない。どうした? 俺の意思と反して、口が開かない。正体不明の抵抗心だ。
……まぁ、今すぐに鬱病になられても困るしな。様子を見ておく必要はあるか。
「分かった、同行する」
難波が少し驚いた顔をしてこちらを見た。俺はさっさと足を動かす。
「あら、中々積極的じゃない」
「うるさい」
俺の後に、霧崎と難波も続き、俺たちは屋上を去った。
屋上に出る前に、空をみあげる。
その時の雲は、何かを言いたそうな、そうでもないような、よく分からない景色をしていた。
◆
屋上を離れた俺たちは、一階まで降り、保健室へ向かっていた。無機質な廊下をしばらく歩くと、保健室の表札が見えるところまで辿り着く。
俺はゆっくりと扉を開く。真っ白なカーテンとふんわりとした白いベッドが並び、先生用の机が一つ置いてある。
二つあるベッドの一つ、窓側に設置されていたところに結凪は居た。起き上がって状態でいつもの生意気そうな表情で携帯をつついている。
そこで物音に気付いたのか、耳のたったうさぎのように俺たちの方を見やる。
「皆、来てくれたんだ~! あはは……なんかゴメンね」
パァっと明るい表情になるも、申し訳なさそうに頭を掻く。
「結凪さんが謝る必要はないわ」
「明花に同感だよ。もう体のほうは大丈夫かい?」
難波が心配そうな表情で結凪に歩み寄る。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
結凪は心配させまいといった様子で、えっへんと腰に腕をあてる。
俺はその様子を、難波と霧崎の後ろから眺める。
今の結凪は大丈夫じゃない。
腐れ縁が続いてきたせいか、なんとなくそんな気がしていた。
結凪は昔から、誰に対しても笑顔だった。どんな時でも笑顔だったし、周りの皆にはその甲斐あってか好かれる存在になった。自分が嫌な時でも笑顔だった。
でも、そんな作り笑いは一発で分かってしまう。
よく見た笑顔だからこそ、嫌でもわかるのだ。
だから、酷い事を言われた時も、酷い目にあった時も、哀しい表情は見せなかった。俺は、そんな結凪が――。
……なんでこんな事を思い出してるんだろうか。
誰がどんな思いしていようが俺には関係ない。
今は自分のためだろ。
俺は思い出を振り切るつもりで頭を振るが、同時に刺されるような胸の痛みを、結凪を見て感じていた。
「茂ちゃーん、何一人でたそがれてんのー?」
「そんなつもりはない」
不思議に思う霧崎と、顔色一つ変えずにこちらを見る難波。
俺は結凪のベッドへ近づいた。
白いベッドの上に、一つの庭園ができているかのような錯覚を感じた。結凪の腕や足が白い輝きを放ち、潤う瞳は真っ直ぐと俺を捉えている。
一瞬、長い時を感じた、そんな気がした。
「何をぼーっとしてるんだい? 天宮君?」
「は? いや別に普通だろ」
「君の常識では、それを普通というんだね」
「お前、喧嘩うってるのか?」
「それは残念。僕にはそんなつもりはないのに、君には喧嘩を売っているように聞こえてしまうんだね。……可哀相に」
「おいおい、随分と化けの皮がハガれたな。さっきまでの態度とは全然違うじゃないか」
「……僕はいつも通りだけどな」
俺と難波のバチバチとしたつば競り合いが続く。
「あ、えーと、君たち何かあったの?」
ポカンとした結凪が、焼け石に水を注ぐように聞いてくる。
「なんでもないよ、結凪さん」
難波は笑顔で結凪に答える。この野郎、仮面被りまくりじゃねえか、何が嘘をつかないだ。
「霧崎さん、何かあったの、この二人……?」
「全く……」
そこで、はぁと溜め息を出した霧崎が、コホンと咳き込みをした。
「あのね……結凪さん」
「んー?」
「実はこの二人、付き合っているのよ」
突然、霧崎がとんでもないことを言いだした。
「んー、んー……んー? へ?」
「はぁっ!?」
「ええっ!?」
結凪のトボケたリアクションの後、かぶせるように俺と難波の大声が炸裂する。
「め、明花……? な、何をいってるんだい?」
「いい加減にしろよホラー女……訳のわからん事をほざ――」
「さっき保健室に来る前、二人が屋上で愛し合っているのを見てしまったのよ……。私は最初、何かの言い争いをしているように見えたから、すこし驚かそうと思ったのだけれど……。まさか愛の告白タイムだなんて、思いもしなかったわ」
「え、え、え、えっ!? そ、そうなの!? キャー! それって男同士で付き合ってるってこと!? もうー! そういうことは早く言ってよー!」
「霧崎の言葉を信じるな! こいつの言ってることは嘘だ! 嘘だらけだ! おい霧崎! この野郎……」
「私は、恐怖を司る者として末長く彼らを応援したいと思ってるわ……」
「め、明花! いくらなんでもその冗談は酷過ぎるよ!」
「そ、そ、そっかー! もしかしてさっきのは、所謂カップルの口ゲンカってやつね! 告白早々そんなところまで行っているなんてレベル高すぎるよー! 君たちー!」
結凪は腕をブンブンとまるで北●百裂拳に匹敵するレベルの速さで振り回す。どんだけ興奮してんだよ。というかお前BLとか好みなのかよ。それともこの世の女子全員がそういうの好きなのか? 考えるだけで鳥肌が立つ。
「しかし、これ以上の悪化も良くないから、少し二人を離して落ち着かせることにするわ。ほら、幸人。保健室から出るわよ」
「え!? ちょ、明花! ひ、引っ張らないでー!」
そのままズルズルと死体のように引っ張られた難波は、霧崎に連れられた外に出る。
保健室には、俺と結凪だけが残った。
「あのホラー女、なんのつもりだ」
「ふふっ」
結凪の穏やかな笑いが耳に届く。彼女の瞳は綺麗に細まり、閉まった保健室の扉を眺めていた。
そしてその目は、俺の方へ向けられる。
「なんだ?」
「なーんかいつのまにか、随分仲良くなってるじゃん」
「何が言いたいのかよくわからんな。誰が誰とだ」
「茂ちゃんがー、難波君や霧崎ちゃんと、だよ。私、二人のはしゃいでるところ、見るのはじめてだったもん。難波君はあんな風に天宮君と接した所なんて見たことなかったし、霧崎さんもすごい冗談言うんだもの」
「なんだ、嘘だと気づいていたのか?」
「なんとなーくね。でも、それ以上にびっくりしたことと言えば」
結凪の表情が、天使のそれと重なる。
「茂ちゃんの楽しそうな姿、かなー」
「俺が?」
「だって茂ちゃん、今まであんな風に人と話したことなかったじゃん」
「……別に今も変わらん。俺は俺だ。誰とも仲良くなった覚えなどない。もちろん、お前の事など別に……」
そう言いかけた時、言葉が止まってしまう。
なんでだ。なんで動かん。
「……お前とは、ただの腐れ縁だ。いいか、友達なんかじゃないからな。あとテスト勉強。絶対に約束忘れるなよ」
俺は無意識に別の言葉に切り替えていた。
「あー、そんなのあったねー」
結凪は思い出したように指を顎に当てるが、どこか棒読みである。
「あったねー、じゃねえよ……。俺の留年がかかってるんだ。お前が今その……う、鬱にでもなったら誰が俺の留年を助けてくれるんだ。いいな。絶対に忘れるなよ」
「わかってるよー。そんなに心配しなくても大丈夫だから。ちゃーんとテス勉してあげるって」
「そ、それならいい」
無意識に動悸が早くなる。
別にどもるようなところでもなんでもないだろ。なんで今日はいつにもまして話すのがつらいのか。
俺は頭を振り、そそくさに結凪のベッドから離れる。
「じゃ、俺はもう行くからな。……いいか? 絶対に約束を守れよ。そのために合コン部に入ったんだからな。お前は覚えて無くても、俺は覚えているからな」
「はいはーい。来てくれてありがとねー」
「……っ。じゃあな」
俺は扉をさっと開けてバタリと扉を締める。
おいおいなんだこれ……。なんでこんなに緊張してるんだよ俺……。
ふと脳裏に過ったのは、結凪の無垢な笑顔だった。
そればかりが頭から離れない。
「これ以上結凪の事を考えるのはやめるか。とりあえず元気そうだし、あれなら約束を守ってくれそうだ。さて……」
そして俺は、保健室に行くまでに考えていた事を思い出す。
とりあえず……霧崎と、あと難波も連れて行こう。難波の考え方には全く持って納得できない。なら連れて行って、無理にでも証拠を見させるしかない。
そして、犯人を暴き、合コン部に平穏を戻し、俺は無事に結凪のテス勉を受けて、再テストに合格……それで……。
その後出てきたのは、なぜか合コン部のメンバーの霧崎と難波、そして結凪と部室で喋ってる姿だった。
「……なぜあいつらの顔が出てくる。それに結凪も……」
俺は思いっきり頭をブンブンと振り、余計な雑念を取り払う。
「とにかく、今は行動するのみだ。まずは霧崎と難波を呼ぶか。ったくどこ行きやがった……」
◆
天宮が保健室を去ってすぐ。
結凪はふぅ。と溜め息をついて、窓の外を見る。
白いカーテン、その向こうの窓は開け放たれており、カーテンの向こうからは鮮麗な景色が見える。
特に、空は綺麗だった。
「全く、茂ちゃんも素直じゃないなー。……もう」
拗ねた台詞を言った結凪の顔はぷくーっと膨れる。
それからゆっくりと空を見上げる。
「……綺麗だなぁ」
戸をコンコンと叩く音とは別に、満天の青い空景色は、結凪は穏やかに笑いかけた。