99. 餞
99 餞
テナの目の前までくると跪き、笑顔をつくってから顔を上げる。
「テナ様、ご無沙汰しております。商人のリョウでございます」
俺の渾身の挨拶に対し、テナは澄ました顔のまま無言で見下ろすだけだった。仕方ないので、そのまま用意した木箱を差し出し続ける。
「本日はテナ様の婚礼にあたり、砂国から翡翠と金のブレスレットを仕入れてきました。かの国で翡翠は高貴さを、金は美しさの象徴といわれております。まさに、テナ様に相応しい逸品でございましょう。どうか、お受け取りください」
そこまで言うと、テナはようやくにっこりと微笑み、口を開いた。
「これは素敵な品をありがとうございます、リョウ様。でも……」
テナは護衛に立っていた戦士に向け、しばらく席を空けるよう手を払って見せる。その後一息つき、キッと目つきを鋭くした。
「その言葉遣いと作り笑顔、今更すぎてとっても気持ち悪いわ」
普段通りの口調に戻ったテナをみて、俺も遠目にはわからない程度に表情を崩す。
「なんだ。これ以上ないくらい澄ました顔で座っているから、こういう挨拶をお望みかと思ったが、違ったのか」
「澄まし顔なのは仕方ないでしょ。私の婚礼を祝う席なんだから、気を抜くわけにはいかないわ。でも別にあなたなら今更よ。最初から普段通り声をかけてきなさいよ」
「さすがにこんなに着飾っている美女に対して、ため口もどうかと思ってな」
テナは艶やかな民族衣装の他にも、宝貝のネックレスや真珠の腕輪、それにサンゴのかんざしなどで色鮮やかに着飾っている。普段見慣れているのラフな格好と違って、随分と美しい装いだ。
「あら、そう思うならまずはちゃんと褒めてくれないのかしら」
「まさに馬子にも衣装というやつだな」
「どういう意味よ」
「衣装もよく似合っていて、とても美しいですねって意味だ」
「……それ、違う意味でしょう。なんとなくわかるわ」
適当なことを言ったらばれてしまった。なぜわかったのか。なかなか鋭いやつだ。
「まあそんなことより、ガギルダから大体事情は聞いた。とりあえず、婚礼おめでとう」
「えぇ。ありがとう。でも、お祝いを言うためだけに来たわけじゃないでしょう?」
「そうだな。お前がどんな顔で嫁入りするのか興味があってな」
「悪趣味ね」
テナはむっとして唇を尖らせたので、慌てて取り繕う。
「冗談だ。本当はエリン族の跡取り様に会いにきたんだよ」
「なに、気になるの?」
「そりゃあな。今後の商売相手になるかもしれない。お前というコネもできるわけだし、できれば挨拶しておきたい」
「……そうね。あなたはそういう人だったわね」
はぁとため息をつくテナだったが、すぐに気を取り直し、細い指で髪を梳かしながらいう。
「今日、彼はいないわ。というかこの式典自体、イスタ族とその近い部族に対するお披露目会みたいなものだから」
「なんだ。そうなのか」
「本番の式は後日、エリンで行われるはずよ」
「それじゃあ、またその時に挨拶しに行くことにしよう」
「えぇ。それがいいでしょうね」
テナは頷くと同時に、寂しげな様子で息を吐いた。先ほどサルドが言っていたように、あまり元気がないのは確かのようだ。というよりは、つまらなそうに見える。
「お前、さっきから面白くなさそうな顔をしているな」
「面白くなさそう……か。それはそうでしょうね」
テナは再びため息をつき、頬に手を当てる。
「最初は綺麗な恰好ができて、みんなにもちやほやされるから悪くない気分だったけど、今後のことを考えるとどうしても、ね。でもまあこれもイスタ族長の娘として生まれた者の務めだから仕方ないけど」
「何か気になることでも?」
「そうね。そこに神獣核があるでしょう?」
そう言ってテナが指差す先に目をやると、人の頭ほどの大きさの蒼い珠が飾られていた。リヴァイアサンの神獣核だ。
「私、あれの代わりにエリン族に嫁に行くことになったの」
「代わり?」
「えぇ。最初はエリン族の連中、その神獣核を要求してきたらしいの。この地域の支配者である証明として持つにふさわしいのは自分たちだってね。それを兄様たちが断ったら、代わりにリヴァイアサンの生贄だった私をよこすように要求してきたそうよ。それで私が嫁に行くことになったわけ」
「なんだ、それじゃあ魔核の代わりなんかが嫌だから拗ねているのか」
「別に、それだけじゃないわ。私が嫁入りする相手、すでに3人も妻がいるそうなの。つまり私は第4夫人。ただでさえ気が乗らないのに、他の部族から嫁に来ている女性達と付き合っていくのかと考えると、憂鬱になるわ」
おそらく他の嫁も、このレバ海において力を持つ部族の娘たちなのだろう。そんな女達と化けの皮を剥がし合う日々というのは、確かにあまり気が休まりそうにないな。
「あなたの奴隷達みたいに、喧嘩せずに仲良くできる雰囲気ならいいのだけど、まあ無理でしょうね」
「まあ、そこまで気を落とすなよ。生贄に捧げられたときと違って、別に死ぬわけじゃあないんだ。楽しいこともあるだろう」
「どうかしらね。あぁ、こんなことならフィズさんの誘い、受けてればよかったなぁ」
少し伸びをしながらテナがそんなこと言う。フィズの誘い? なんのことだ。
「フィズに何か言われたのか?」
「えぇ。前に新しくギルドを作るつもりだから、それに加入してくれないかって誘われたの。私みたいな人魚族の戦士が、暗黒大陸って場所に行くために必要だそうよ。魔法の腕についてもとても評価してくれていて、一緒に冒険しないかってね」
三大魔域の一つである暗黒大陸へは、西方諸国のさらに西に広がる外洋を超えなければならない。人魚族のテナが居れば、確かに外洋で出てくる海の魔物にも対抗できるだろう。そのために勧誘をしていたとは、フィズの奴もなかなか手が早いな。
「でもカルサ島での仕事があったし、そもそもカルサ島を離れることになれば兄様との約束も破ることになるから断ったのよね」
「約束?」
「えぇ。本当は私、テルテナ島を出ることができなかったの。でも命の恩人であるあなたに恩返しをするという建前で。カルサ島にだけは行くことを許してもらった。もちろんカルサ島を出ないことを条件にね」
そんな約束をしていたのか。何度か買い物やら探索やらでカルサ島を離れていた気がするが、護衛業務の範囲内なのだろうか。まあ、細かいことは気にしないでおこう。
「だから護衛として雇ってくれるように言ってきたわけだ」
「そうね。本当はもっといろんな島を巡りたかったのよ。でもカルサ島で過ごしているだけでも十分に刺激的で楽しかったし、いろんな人にも出会えた。島から抜け出して買い物もできたし、護衛の仕事も楽しかったわ。そういえば例のクー国商人との取引の日に立ち会えなくなっちゃったけど、貴方と奴隷の子たちだけで大丈夫?」
「お陰様で扉を開く島は見つかったからな。まあなんとかなるだろ」
「そう。まあ、貴方は頼りないけど、アーシュ達が居ればきっと大丈夫ね。レン、あなたもしっかり働いて、ご主人様を守るのよ」
「はい、テナ様……どうか、どうかお幸せに」
テナが後ろに控えていたレンに声をかける。その返事は少し鼻声だった。気づかなかったが、レンの奴は後ろで必死に涙を堪えていたようだ。どうやらテナと別れるのが寂しいらしい。昔からテナには世話になっていたそうだからな。
「そういえば、レン以外の子たちも来ているの?」
「あぁ。あそこで待ってる」
指を差した場所にリース達の姿を見つけたテナが手を振ると、彼女達もみな笑顔で手を振り返していた。
テナはしばらく嬉しそうに笑顔でリース達の姿を見ていたが、やがてはっとした様子で口を手でふさいだ。
「どうした?」
「……いえ、なんでもないわ」
何やら気になる表情だ。忘れものでも思い出したのだろうか。まあ、それなら普通に言ってくると思うが。
「この後もアスタを見て回るのでしょう? どこに行く予定なの?」
「大通りは大体見終わったから、次は沿岸の方に行ってみるつもりだ」
「そう。まあみんなで楽しんでいくといいわ。今日は出店も多いでしょうから。レン、色んなものをねだって、たくさんお土産を買ってもらいなさい。遠慮なんてしないのよ」
「え、えっと……」
困惑するレンの前に立ち、しっしっと手を裏にして振る。
「俺の奴隷に変なことを吹き込まないでくれ」
「ふふっ。それじゃあね、リョウ。また会いましょう」
にこりと明るい笑顔で言うテナは、なにやら少し晴れ晴れとした雰囲気だった。
「あぁ、元気でな。テナ」