97. 婚礼
97 婚礼
海に入っていた奴隷達が身支度を整えるのを待ってからカルサ島に戻ると、浜辺に人が集まっていた。波止場には見慣れない船が数隻接岸されており、その船の前で腕組みをしたテナが、人魚族の男たちと何やら言い争いをしていた。
「というわけだ。サルドは出来るだけ早く来いと言っている」
「まったく、急な話ね。父様に話は通っているの?」
「もちろんだ」
「そう……わかったわ。ちょっと待ってて」
テナはため息をついた後、周囲を見渡して俺の姿を見つけ、こちらにやってきた。
「リョウ。突然で悪いのだけど、あなたの護衛の仕事をやめさせてもらえるかしら」
「それは構わないが、事情ぐらい教えてもらえるんだろうな」
「どうも私の結婚相手が決まったらしいの。婚礼のために、兄様がアスタまで急いで来いってさ」
そう言うテナの表情は、あまり嬉しそうではなかった。だが縁談ならめでたい話だろう。
「それはおめでとう。だが、意外だったな。結婚相手をサルドに決められるなんて。こんな島に一人で来ているくらいだから、もっと自由な立場だと思っていた」
「そうね。いつか父様か兄様が勝手に決めるだろうとは思っていたけど、まさかもう相手が決まるとはね。成人してまだ半年も経っていないのに」
人魚族は成人すると、親が結婚相手を探してくることがよくあるらしい。ただ普通は数年かかるもので、それまでは今のテナのように自由な立場でほかの島を巡ったりできるそうだ。というか、その間に結婚相手を自分で見つけてしまうことも多いらしい。
「まあ、お前はイスタ族の長の娘なんだ。さっさと相手が決まっても仕方ないだろう」
「それはそうなのだけど。ただ、相手がエリン族の跡取りみたいなのよね」
「エリン族?」
「えぇ。レバ海の北にある沿岸都市エリンを支配する大部族。本来ならイスタ族なんかよりはるかに格上なはずよ」
「なるほど。そういうことか」
イスタ族は今、リヴァイアサンを倒した英雄サルドに率いられ勢力を拡大している。多くの部族はイスタ族に従い始めているそうだが、エリン族とやらのように簡単には従わない部族もあるのだろう。
それを懐柔するためにテナが嫁入りする、平たく言えば政略結婚というわけだ。まあ話し振りから察するに、テナ自身もそのことは理解しているようだが。
「それじゃあ仕方ないな。仕事は気にするな。給金も今月分までくれてやる。リース、すぐに用意してくれ」
「かしこまりました」
お辞儀をして去るリースを見送ると、テナは眉をひそめてこちらを睨みつけていることに気がついた。
「なんだ、不満があるのか?」
「いいえ。ただ、あっさりしてるなって思っただけよ。少しくらい引き留めてくれないの?」
「そりゃあな。お前は俺の家族でもなければ恋人でもない。ただの護衛だからな。急に仕事をやめられるのは少し困るが、まあ何とかなるだろう。それよりもヴィエタ夫妻や大工衆にも、挨拶しておいたほうがいいんじゃないか」
「……えぇ。そうさせてもらうわ」
テナはぷいっと顔を背け、不機嫌そうに去っていった。まあ兄からの命令とはいえ、いきなり島を去ることに納得できないのだろう。色々な場所から来ているカルサ島の住人たちとも仲が良かったわけだし。
結局テナはその日のうちに、迎えに来たイスタ族の連中と一緒にアスタへと出発していった。
◆
「式典は三日後だ。俺もこれからアスタに戻るつもりだが、お前はどうするんだ? まあ例の扉を使えば、当日やってくればいいだけだろうが」
後日。商談後のガギルダがそんなことを言ってきた。一瞬何のことが分からなかずキョトンとしてしまったが、すぐにテナのことだと思いだした。
「あぁ、テナとエリン族の跡取りの婚礼のことですね。アスタで式典が開かれるのですか。知りませんでした」
「それはまた薄情な言い口だな。テナには世話になったんじゃあないのか?」
「もちろんですが、すでに給金も払い終えておりますし、あまり気にしていませんでした。気になるとすれば、イスタ族とエリン族が繋がることで起きるレバ海の情勢変化の方でしょう。できればその辺りのことを一度詳しくお聞きしておきたいのですが」
今回のテナの婚礼は政略結婚だ。それはすぐにわかったが、この政略結婚によってどのような情勢変化が起きるのか、部外者の俺にはあまりわかっていない。レバ海を股にかける商人のガギルダならその辺りにも詳しいだろうから、ちょうどよいので聞いておこう。
ガギルダは少し呆れた表情を見せた後、こほんと咳払いしてから質問に答えてきた。
「エリン族という連中は、レバ海で最も影響力を持つ部族だ。アスタと並ぶ沿岸都市であるエリンを支配している。部族を構成する人数も多いし、関係を持つ部族もまた多い。ただ俺に言わせれば、あそこは組合の傀儡部族だな」
「クー国の組合、ですか」
「そうだ。エリン族は組合の力を使って繫栄してきた連中だ。縁類の部族以外からは疎まれているし、現在レバ海から組合を排除しようとしているイスタ族とは真っ向から敵対している」
「なぜテナがそんなところの跡取りと結婚させられるのでしょう。今の説明だと、あまり益のある話とは思えませんが」
「これまでの体制を維持してほしい保守的な部族が、沿岸部を中心にまだまだ多いんだ。そいつらはイスタ族の拡大によって、これまで通りクー国と取引できなくなると考えている。サルドも説得して回ってはいるが、なかなか考えを変えようとしない」
変革を嫌う連中というのは、いつの世も多いということか。まあ甘い汁を吸ってきた連中の立場なら、抵抗するのは当たり前だが。
「ではテナが嫁入りすることで、保守的な層を取り込もうということでしょうか」
「いや。狙いは保守的な連中よりも、まだ態度を決めていない中立派の連中だな。疎まれているとはいえ、別にエリン族をはじめとした組合派の部族連中に明らかな非があるわけでもない。だからその他の中立派の連中はどちらにつくか様子見している。今はそんな情勢だ」
しかし時間をかければ、レバ海の支配者であったリヴァイアサンを倒し勢いに乗るイスタ族が、クー国の影響も排除して覇権を握るだろう。それはガギルダも間違いないと思っているらしい。そのための一手として、中立派を味方につけようとしているそうだ。
「サルドは実妹をエリン族に嫁入りさせることで、レバ海の部族たちに融和を示すつもりだ。人魚族やレバ海周辺の人々と戦うつもりはなく、クー国人の連中だけを排除するのだと喧伝するつもりだろう。そうすることで中立派の支持を得て、エリン族を押しのけレバ海の最大勢力となる。その後ゆっくりとクー国の影響を排除していくという筋書きだ」
「それではテナの嫁入りは、イスタ族がレバ海を支配するための布石ですか」
「あぁ。それにイスタ族とエリン族による正面衝突を避ける意味もある。今の勢力が拮抗した状態でぶつかれば、双方に大きな被害が出てしまう。サルドはテナを嫁入りさせた後は各部族の説得をして味方を増やし、十分な勢力差を作ってからエリン族を滅ぼすつもりだろう」
いま双方が本気で争うと、レバ海の勢力を二つに割る争いになってしまう。だからテナを使って一度和解し、裏工作を行ってからもう一度挑むつもりらしい。どうせ早かれ遅かれ戦うのであれば大して変わらない気もするが、まあ言い分はわからないでもない。
とりあえずサルドの狙いはわかった、がどうやらテナは貧乏くじを引かされたようだ。敵対する部族に嫁入りしたところであまり歓迎されないだろうし、ひどい目にあわされるとまではいかなくても、冷や飯くらいは食わされそうだ。
「なるほど。情勢は大体理解しました。しかしテナは嫁入りしても、あまりエリン族に歓迎されそうにはありませんね」
「まあな。ただあいつもイスタ族の娘だ。覚悟はしていただろうよ」
たしかにテナと最後に話した時も、諦めたような雰囲気で話していた。これからどういう理由で嫁入りするのか、そしてその後どういう扱いが待っているのか、大体は理解していたのだろう。
まあ同情はするが、俺には関係のない話だ。
「それでどうする。式典にはテナもいる。しばらく会うことはできないだろうし、最後に餞の言葉くらいかけにいってやったらどうだ」
「そうですね……一つ確認しておきたいのですが、その式典に人族の私が参加しても大丈夫なのでしょうか。話を聞く限り人魚族の部族同士の婚礼ですが」
「もちろんだ。沿岸部に住む人族くらいいくらでもいる。ただいちゃもんをつけられるのが嫌なら、人魚族のお供くらいはつけたほうがいいかもしれないな。当てがないなら俺が紹介してやってもいいが?」
「それならば最近奴隷となったレンという人魚族がいます。彼女を案内に立てましょう」
「それなら全く問題ない。式典といってもアスタの連中にとっては祭みたいなもんだ。露店も開かれるだろうし、楽しめばいいさ」
「わかりました。それなら当日、アスタに参ります」