91. 気圧
91 気圧
案内された洞窟は、ほかの巨人族が住んでいるものと同じく巨大だったが、普通の人間サイズの椅子や寝床などが用意された来客用のものだった。適当に休んだのち、宴会が始まるというので広場にやってくると、その席でラキリスが村を出ることが皆に伝えられた。
「ラキリスは今日、このリョウ殿のもとに嫁ぐことになった。皆、祝って送り出そう」
ヴィルハルが大声で宣言すると、参加者がやんやと声を上げる。皆見上げるほどの巨人だらけで、正直息苦しさが半端ない。それに別に嫁ぐといっても夫婦になるわけではなく、身分は奴隷だ。巨人族の女にとって村を出るイコール別の村の長の嫁になるということらしいし、本人と保護者であるヴィルハルにはほかの奴隷たちと同様に扱ってもいいと言われているので問題ないとは思うが。
少し警戒しながら宴を楽しんでいたが、巨人族の若者たちによる豪快な舞や歌を楽しんでいると、あっという間に時間が過ぎてしまった。出てくる料理もこの時期によく採れるという山菜のスープや、熊肉に塩をつけただけのような簡単なものだったが、どれも美味しかった。特に熊肉は固くて獣臭いイメージがあったが、やはり素材が良いと違うのだろう。
「ヴィルハル殿。少し巨人族のことで聞きたいことがあるのですが」
宴も終わりに近づき、皆が思い思いに歓談する最中、宴の中心に座るヴィルハルに声をかけた。豪快に骨つき肉を頬張るヴィルハルが、巨体を畳んで向き直る。
「おう。なんだ?」
「実はウードの奴隷商人から、巨人族はヨトゥン山脈でしか生きられないと聞きました。帝都まで連れて行くと死んでしまうという話です。ラキリスにはこの村との交易以外にも仕事をさせようと思っているのですが、実際のところ巨人族とはどのあたりまで行っても大丈夫なのか、ご存知でしょうか」
「ヨトゥンを離れられないか、そうだな」
ヴィルハルは巨大な石の杯に注がれたワインを口に含み、思案顔で髭を撫でる。
「俺たち巨人族は狩りで山脈の北部へ行く。そこには人里も無く獲物も豊富にいるのだが、さらに北に行くと崖の遥か彼方に平原を見降ろせるんだ。その平原に行ってみようと山をくだると、平原にたどり着く前に死んでしまうと言われている。だから巨人族の間では、その場所は死の平原と呼ばれている」
ヨトゥン山脈の北は平原なのか。緯度的にどうだろう、よく知らないがツンドラ地帯というやつだろうか。
「だが今のお前さんの話によれば、別に死の平原に向かわなくても、巨人族はヨトゥンを離れれば死んでしまうというわけだな」
「そのようです。死の平原とやらに近づくと、具体的にはどのようになってしまうのでしょう」
「大して急いでもないのにどんどん息苦しくなっていき、最後には動けなくなってしまうそうだ。そしてそのまま動かずにいると、やがて発狂して死んでしまうと言われている」
奴隷商人のザリッヒから聞いた話と大体同じだ。ということはやはり、巨人族には必要不可欠で、しかもヨトゥン山脈にしかない何かが不足してしまうということなのか。
「そういえば昔、酔狂な男が何度息苦しくなっても懲りずに平原を目指していたら、日ごとに平原に近づけたという話を聞いたことがある。ただそいつも結局は魔物に大怪我を負わされて以来、懲りてしまったそうだが」
「慣れがあるということですか」
「そうかもしれない。ただ平原まで行けたわけではないぞ。中腹までだ」
どちらにせよ、慣れで克服できるのだとすれば、時間をかけて訓練すればヨトゥンを離れられる可能性もある。試してみる価値はあるだろう。
「わかりました。貴重な話を聞かせていただき、ありがとうございます」
「……あまり無茶をさせて死なせるようなことはさせないでくれよ。薪集めもできないくらい出来は悪いが、あれでも娘だからな」
すこし神妙な顔で言ってくるヴィルハルに、こちらも姿勢を正す。
「はい、もちろんです。こちらもヴィルハル殿との交易は、末永く続けていきたいと考えております。どうかよろしくお願いいたしします」
「おう」
ヴィルハルが差し出してきた巨大な杯に、コップ程度の小さな杯を合わせ、互いに酒を飲みほした後、その日の宴はお開きとなった。
◆
巨人族の村を後にし、ウードの屋敷に戻ってきた。ラキリスが契約通り、10日に一度程度の頻度でヴィルハルの村に交易に向かえるよう、注文品を早めに用意しておくようにリースに命令する。その後、ドワーフのアンを呼び出してラキリスを紹介した。
「アン、正式に奴隷となったラキリスだ。こいつはお前の班に加える」
「……かしこまりました」
「それとちょっと試したいことがあるから付き合ってくれ」
「……はい」
「ラキリス、ちょっとここに寝転がれ」
「えっと? わかりました」
唐突な命令に困惑しながらも、ラキリスが2mはある身体を床に寝転がせる。
「ちょっと二人で持ち上げられるか試す。アン、お前は脚の間に入って背負いあげてくれ……そうだ。よっと」
「あわわ……」
アンがラキリスの足の間に入り両足を背負い、俺はラキリスの後ろから体を抱える。ラキリスは見た目の大きさの割に細身の体をしており、思ったより重くはなかった。アンも小柄に見えて結構力持ちだし、どうやら問題ないようだ。
「なんとか運べそうだな。それじゃあまずは第一段階だ」
ラキリスを降ろし、アンと三人でやってきたのは屋敷の小部屋の一つだ。雪国ウードの建物らしく、隙間風の少ないしっかりとした造りをしているので丁度いい。
「さて、アン。窓を開けてくれ」
「……はい」
アンがガタガタと木枠の窓を開けている間、部屋の端に印を設置し、ブルーレンの倉庫へとつながる最小の扉を開いた。気圧差からすぐに暖かい風が勢いよく部屋に流れ込んでくる。
「それじゃあ、これからラキリスを使って実験をする。下手したら命に関わるかもしれないから、二人とも真剣に取り組むように」
「……はい」
「は、はい!」
注意した後、しばらく待ってみるが、特にラキリスの様子に変化は無い。どうやら扉をつないでブルーレンの空気を吸っただけでは体調が悪くなることはないようだ。
「巨人族はヨトゥンを離れられないと言われている。だが俺の奴隷となった以上それでは困る。手伝ってもらう仕事は各地にあるからな。いまこの扉はブルーレンという街の拠点に繋がっている。ウードからは歩いて数十日かかる距離だ。ラキリス、そこの扉に入れ」
「わ、わかりました」
俺は先に扉を通り、ブルーレン側からラキリスを待つ。彼女はおずおずと扉に頭を突っ込み移動してきた。しかし体が通り切る前に、ラキリスははっと息をのむ。
「な、なんだか胸が苦しいです。息が……あれ?」
口を大きく開けるものの、パクパクと動かすだけ。どうやら息ができないらしい。なんとかしようと必死な表情を見せるが、ほとんど意味がないようだ。
「あ……頭が、目の前がクラクラして」
「アン、引っ張り出せ」
扉に身体半分だけ入っていたラキリスを、アンと2人でウードの屋敷側へ引っ張り出す。俺も扉をくぐり、すぐに扉を閉じた。
「はあ……はあ……」
「落ち着いたか」
「はい……申し訳ございません。御主人様、アン姉様」
「気にするな。無理をさせているのはこっちだからな。それよりアン、ラキリスの症状、どう思う?」
無表情にラキリスを見つめていたアンに話を振ってみると、彼女はゆっくりと言葉を選びながら答えてくる。
「……ブルーレンの空気に、巨人族の毒になるものが混じっているのでしょうか」
「いや、それなら吹き込む風に当たった時点で体調が悪くなるはずだ」
「では逆に、ヨトゥンの空気が巨人族に必須であり、扉を抜けるとそれが完全になくなったために起きた症状かと」
「そうだな。間違いじゃあ無いと思うが、俺はブルーレンには空気がありすぎるんだと思う」
「……ありすぎる、ですか」
「あぁ。さっき繋げた時に風が吹き込んできていただろう。あれはここよりブルーレンの方が空気が濃いから吹いていたんだ」
「……気圧というものですね」
「そうだ。よく知っているな」
「先日、ノーラから聞きました。御主人様から教えてもらったと。空気に重さがあるという話はとても興味深いです」
「そうか、それなら話は早い。俺が思うに、巨人族は気圧の変化に弱いんじゃあないかと思う」
先ほどの症状も、見た感じはただ単に息をするのが難しくなっただけだ。巨人族は身体こそ大きいくせに、普通の種族より呼吸器官が弱いのかもしれない。普通の人間だって高い山に登ると息苦しくなるなんてよくあることだし、巨人族は逆に高すぎる気圧が身体に合わないということもあるだろう。
「……よくわかりませんが、そうなのかもしれません」
「まあ実際のところよくわからん。ただもし巨人族が気圧の変化に弱いといっても、訓練して順応すれば克服できる可能性はある」
言いながら再び壁の印を設置しブルーレンへの扉を開く。バタバタと音を立てて流れ出る暖かい風を受けながら、ラキリスとアンに向け言う。
「この扉はこのまま開いておく。見たところ今みたいに窓を開けておけばラキリスの調子は悪くならないようだから、窓の開き具合を調節して気圧を調整してみよう。アンはしばらくこの部屋でラキリスと一緒に過ごして、窓の開き具合の管理しながらラキリスの様子を観察してくれ。無理をさせない程度でな」
「……かしこまりました」
「というわけだラキリス。これからしばらくこの部屋で、この扉を抜けられるように頑張ってみてくれ。どうしてもきついようなら、遠慮せずに言え」
「わかりました。頑張ります」
ラキリスはぐっと両手を握りしめ頷いてきた。どれほど時間がかかるかわからないが、なんとか順応してくれるといいんだがな。