89. 集落
89 集落
数日後、山に入る準備を整えたのち、ラキリスを先頭にウードの街を出発した。護衛にはアーシュとロルを連れてきている。同じ護衛班である人魚族のレンは、ウードの屋敷に移動した時点であまりの寒さに悲鳴を上げたので、カルサ島で留守番だ。
天気がよさそうな日を選び、日が昇る前に出発したので、昼頃には特に問題なく北東の森を抜けることができた。途中に魔物も出てきたが、たいした強さではなかったのでアーシュとロルによって素早く撃退されている。ラキリスもあまり積極的とはいえなかったが戦闘に参加してくれた。
やがて凍りかけた小さな湖に辿り着き、そこに流れ込む川をさかのぼって斜面を登っていくと、夕方前には巨人族の村に辿り着くことができた。村は周囲を崖に囲まれた険しい地形にあり、壁面には無数の横穴が見える。また木材と石材を組み合わせた巨大な住居がいくつもあり、入り口から見た感じ岸壁に囲まれた鉱山町のようだ。
村の入り口に立っていた見張りらしき男が、先導していたラキリスの姿を見つけて駆け寄ってきた。
「おい、ラキリスじゃあないか」
「あ、ロジお兄ちゃん」
ロジと呼ばれた巨人族が、目の前までやってきた。身長はラキリスの倍近くだろう。森に生える針葉樹のような細長い身体に、毛皮の服と巨大な大斧を身に付けた大男は、俺の姿を見下ろして眉をひそめた。
「無事に戻ってきてよかったが、なぜ人族と一緒なんだ?」
「あの、ロジ兄ちゃん。じつは私、この人に助けられてここまできたの」
「本当か」
ロジに体を向け、丁寧に礼をして答える。
「人族のリョウと申します。先日こちらのラキリスが奴隷商人によって売り出されているのを見つけ、このままでは帝都かどこかに売り出されてしまうと思いまして、慌てて買い上げました。村に帰りたいと言いましたので、ここまで送ってきた次第です」
「そうなの。助けてもらった恩人なの」
ラキリスがうんうんと頷きながら付け加える。ここに来るまでに決めていた作り話だが、大まかには間違っていない。
俺とラキリスの言葉に、ロジは顔をほころばせて両手を開いた。
「そうかそうか。それなら歓迎しないとな。リョウ殿。ようこそヴィルハルへ。爺様のところへ案内しよう」
「え、爺様、いるの?」
ラキリスがうへぇと舌を出してみせると、ロジはその腕をつかみあげる。
「当たり前だ。お前が居なくなってから、毎日のように人を出して探していたんだぞ。さっさと謝りにいけ」
「うう。ご主……じゃなくて、リョウ様ぁ」
こちらを見られてもどうしようもない。俺としてはこの村の主である爺様とやらに会いたかったので好都合だ。黙って案内されよう。
「それでは、私も一緒にお会いしてもよろしいでしょうか」
「あぁ。案内するといっただろう。ついて来てくれ」
しばらく村の中を歩いて、爺様とやらがいる洞穴に案内された。その道中、巨人族の村を見て歩くことができたのだが、巨大な建物がいくつもあった。構造的には石と木材を積み上げ、動物の骨や毛皮で隙間を埋めた簡単なものだ。
少し気になったものといえば、いたるところで目に付く氷柱だろう。地面から伸びるようにはえており、明らかに自然にできたものではない。つららというにはあまりにも太く、数も多かった。何か意味でもあるのだろうか。
しばらく歩いてから、入り口がひと際立派な牙と水晶によって飾りつけられた洞穴に辿り着いた。もちろん中も広く、洞窟とは思えないほどの天井の高さに思わず圧倒されてしまう。
「爺様。ラキリスが戻ったぞ!」
ロジが呼びかけると、洞穴の中で大きな影がゆらりと動いた。それはまさに巨人と呼ぶにふさわしい、巨大な体躯を持った壮年の男だった。男はラキリスの姿を見つけるなり、鼓膜が破れそうなほどの大声を上げる。
「ラキリスか!」
「爺様! ただいま戻りました」
ロジよりもさらに巨大なひげ面の男が、地面を揺らすほどの勢いでどかどかと駆けてきた。ラキリスが両手を開き、感動の再会に瞳を潤ませる。
「この、ばかもんが!」
「うべ!」
子供一人分はありそうな平手をまともに食らったラキリスが、ゴロゴロと転がって壁に激突する。どがんという結構な轟音が、洞窟内に鳴り響いた。
「今までどこをほっつき歩いておったんだ! 心配をかけおって」
「う、うう。爺様、ひどい。せっかく帰ってきたのに……」
「うるさい! お前はすぐに泣く。そんなんじゃあ立派な戦士になれんぞ」
「ラキリスは女です。戦士になど、なりたくありません」
「黙らんかい!」
爺様とやらが再び大声で恫喝した。腹の底から響いてくる大声に、ラキリスは涙目となり唇をかみしめた。
予想外のやり取りにぽかんとしていると、二人の間にロジが落ち着いた言葉で間に入る。
「まあまあ、爺様。無事でよかったじゃあないか」
「無事なのは当たり前だ。だが、戻ってくるまでにこんなに日がかかるとは、まったく情けない……それで、この連中はなんだ」
爺様と呼ばれる巨人がこちらに向き直った。先ほどの迫力満点のやり取りのあとでは、はっきり言って生きた心地がしない。しかし何とか平静を装う。
「私は人族の行商人、リョウと申します。今回はウードの街で奴隷として売り出されていたラキリス殿を買い上げ、こちらの村まで送り届けに来た次第です」
「それじゃあ恩人じゃねえか。ラキリス、本当なのか?」
「え、えっと。うん。買ってもらうまでは手枷をつけられて怖かったけど、リョウ様に買われてからはそんなことはなかったし、美味しいものも食べさせてもらったよ。それに、村にも戻ってもいいって」
「ほう。それじゃあ、礼を言わねえとな。俺はヴィルハル、この村の長だ。ラキリスを救ってくれて感謝する。見たところ人族のようだが、帝国の出身か?」
「いえ、私はブルーレンという街からやってきました。帝国にも拠点は持っていますが、生まれも違いますので帝国民ではございません」
「そうか。まあとにかく歓迎しよう。何もないところだが、まあ座れ」
座れと言われて、煌々と燃える焚き火の前を指さされる。燃えているのは幹のような大きさの薪だ。炎が大きすぎて、正直かなり怖い。
「さて、リョウとか言ったな。なんの用事があってここまで来た。まさか善意でラキリスを送り届けにわけでもあるまい」
ヴィルハルはあぐらをかき、掌で顎を支えながら聞いてきた。さすがに村の長と名乗るだけはある。訪問者に対する警戒心も普通に持っているようだ。
「私は交易を営んでおりまして、珍しい交易品を求め、ヨトゥン山脈を登ってきました。ウードの街では主に毛皮を仕入れることができそうですが、もっと別のものは手に入らないかと探していたところ、昔は巨人族との交易が行われ、珍しい交易品を得ていたと聞きました。今回は是非、巨人族の村との交易ルートが作り出せればと考えたのです」
「……そうか。貴様は商人か」
交易の話を切り出すとヴィルハルの声色が変わった。軽い調子から一気にトーンが下がったのだ。よくわからんが、商人が嫌いな類の相手なのかもしれない。もし問答無用で襲いかかってくるようなら、地面に扉を開いて即エスケープする必要がある。
護衛について来ているアーシュ達とは、他人と交渉中に万が一攻撃された場合を想定して、扉を使って逃げ出す訓練は何度もしている。合図をして扉を開けば、すぐに飛び込む手はずだ。
とりあえず座っている地面に印を設置し、すぐにでも扉を開けるよう準備をしておいた。