73. 経過報告
73 経過報告
「ご無沙汰しております、ネフェル殿」
「こちらこそ。ようこそお越しくださいました」
ネフェルは砂国に住む猫獣族の商人で、砂糖や綿織物の取引を続けている男だ。今回はしばらくリースとナスタに任せっきりだった取引の経過と、現在の砂国の情勢を聞きに来ていた。
早速ネフェルから話を聞くと、砂糖を使った王侯貴族の取り込みは順調らしく、この半年でネフェル率いるヒエル商会は大きく力をつけたらしい。またそれとは別に頼んでおいた宝石産業についても、徐々に勢力を拡大しているようだ。
「先月買収した北東部の鉱山街カーンにある金加工施設が、ようやく稼働し始めました。これによりリョウ殿からいただく金貨を鋳潰して、希少な金細工に加工することに成功しています。宝石鉱山と砂金地帯の買収は進めている最中ですが、ニクスがいない今それほど難しくはないでしょう」
「他の商会からの妨害は大丈夫ですか?」
ネフェルは元々この砂国では綿織物を主力としていた中堅の商人だ。しかし俺が融通する砂糖と西方諸国の金貨により、他の勢力からは唐突に力をつけているように見えるだろう。それを厄介に思う連中からの妨害は日常茶飯事のはずだ。
「そうですね。結構な頻度で受けております。しかし傭兵団に大金を支払っていることもあり、大事には至っていません。そちらはどうですか?」
「私自身、実はあまり砂国にいないもので。ナスタ、なにかあったか?」
砂国での取引の多くを任せている猫獣族のナスタに聞くが、彼女は首を横に振った。
「いえ。屋敷周辺と取引時には傭兵団『砂兎』の方々に護衛をお願いしていますので、特に問題は起きていません」
傭兵団とは西方諸国でいう冒険者ギルドのようなもので、金を払えば護衛や討伐など色々な荒事をやってくれる連中のことだ。そして砂兎は傭兵団としてはあまり有名ではないが、堅実な仕事ぶりが信頼できるとネフェルから紹介されたところである。頭領が女性であるところも気に入って、今は専属契約を交わして砂国の屋敷周辺を警備してもらっている。
「となると、やはりヒエル商会のほうに警戒が集中しているようですね」
「それは想定内ですので、お気になさらず」
そう言って忠告を軽く流してきた。どうやら対策には自信があるらしい。ネフェルを最初見たときは、平凡な街商人としか思えなかった。しかし今はどこか余裕があり、風格のようなものを感じる。修羅場を経験しているのかなと勘ぐってしまう。
その後も一通り情勢を聞き終えると、ネフェルが本題を切り出してきた。
「実は今回はシクルについてお願いがあり、わざわざリョウ殿にお越しいただいたのです。もう少し量を融通していただきませんか?」
「シクルをですか」
それは難しい要求だ。なぜならばシクル――要するに砂糖はシクル島から輸入しているが、これは過去に別の商会が輸入していたものを横取りしているにすぎない。つまり根本的な生産量は変わっていないわけだ。しかし一方で西方諸国と砂国の両方に供給しているため、出荷量は増えてしまっている。
ネフェルの場合は王侯貴族に取り入るために、さらに多くの砂糖を欲しているのだろう。要求に応えるには西方諸国への供給を減らすか、砂糖自体の供給を増やすしかない。長期的に考えれば、消耗品である砂糖の供給は多いほうがいい。丁度考えていたこともあるし、この後シクル島に行ってみるか。
「わかりました。すぐには無理かもしれませんが、シクル島に行き交渉してみましょう」
「ぜひ、お願いします」
「その代わりといっては何ですが、綿織物の供給をこれまで以上に増やしていただけないでしょうか」
いまブルーレンでは綿織物の需要がとんでもないことになっている。今までも結構な量を卸してもらっているが、できる限り買い占めておきたいところだ。
「わかりました。何とかしてみましょう」
「よろしくお願いします」
その後は長い時間をかけて、砂国の上流階級や他の有力商人の話を散々聞いた後、綿織物の契約は後日詰めることにして屋敷に戻った。後半は愚痴に近い内容だったのでほとんど覚えていないが、ネフェルもなかなか苦労していることだけは理解できた。
◆
次の日には早速、シクル島に行くことにした。正午前にカルサ島から砂国の屋敷を経由し、シクル島で借りている小屋に移動すると、ダークエルフの奴隷であるラピスが出迎えてくれた。
ラピスはいつも着ている粗末な麻のチュニックではなく、外行き用に買い与えていた綿のドレスを身につけていた。砂国のドレスは日差しを避けるために露出が少ない。しかし白と朱色に染め上げられたドレスは、ラピスの褐色の肌と美しい銀髪によく似合っていた。
「ラピス。村長のカルには話しておいてくれたか」
「昨日のうちに、今日の午前中に伺う旨を伝えてあります」
「そうか。それじゃあさっそく向かおう」
「はい」
ラピスを連れて小屋の外に出ると、ラピスとは別のダークエルフの女が、三人の少女を連れて待っていた。全員どこかで見たことある顔だったが、いまいち思い出せない。
「リョウ様。本日案内させていただくセイラです。以前も案内させていただいたのですが、覚えていらっしゃいますか?」
あぁ。そういえばいた気がするな。初めて島を訪れた時に案内してくれた女か。
「あの時の方でしたか」
「はい。ようこそお越しくださいました。本日はゆっくりしていってください」
「宜しくお願いします。こちらのラピスはご存知ですよね」
「もちろん。とても仲良くさせていただいております」
「へぇ。そうなのかラピス」
「はい。一応……」
「なんで一応なのよ、ラピス。というか、なにその服。ご主人様の前だとそんなにおめかしするんだ?」
突然ぎろりと目を細め、言葉遣いが荒くなったセイラを見て、ラピスが慌てて指摘する。
「セ、セイラ……」
「あ、失礼しました。リョウ様」
すぐに取り繕い、笑顔をみせるセイラ。どうやら猫をかぶっているようだ。こっちも三重くらいにかぶっているから全然構わんが。
「それで、そっちの三人は?」
「こちらは以前ニクスの屋敷で保護した三人です。今はシクル島の島民として暮らしております」
あぁ、そういえばいたな、そんな奴らも。シクル島に送るのもその後の処置も、全てリースに任せていたから忘れていた。いまはどうも、三人ともセイラの家に預けられて生活しているそうだ。
「シクル島はどうだ」
三人に聞いてみると、そのうちの一人、腕に鱗をもつ蜥蜴族の少女が答えてくれた。
「セイラさんやラピスさんをはじめ、皆良い人ばかりでございます。男がいないというのも、我々としては嬉しかったです」
彼女たちは砂国の宝石商人であったニクスに性奴隷として飼われていた。ニクス邸での顛末を目撃されてしまったので、しかたなくこのカルサ島に送っておいたのだが、どうやら上手くなじんでくれたようだ。島流しにしたようなものなので、恨まれていてもおかしくなかったので安心した。
その後仕事に戻るという元奴隷の三人と別れ、ラピスとセイラに案内されて村へと向かった。
◆
「リョウ殿。ご無沙汰しております」
「おひさしぶりです、カル殿」
村長であるカルの家は以前と比べ、俺がラピスを通じて卸している綿織物や工芸品、それと酒瓶によって華やかになっていた。本人も相変わらず80歳を超えているとは思えない艶やかな肌をしたダークエルフである。
「今日は本人が来られると聞いて、少し驚きました。いつもは取引もラピスを通してでしたから」
「そうですね。ラピスはうまくやっていますか」
後ろに立つラピスに視線を送りながら、聞いてみる。
「えぇ。ずいぶんと村に馴染んでおりますよ。素直でよく働く良い娘です」
「そうですか。それは良かった」
実際のところ、ラピスはこのシクル島で過ごすことが多いため、他の奴隷と比べて直接俺の手伝いをすることは少ない。シクル島を出るのは基本的には全員集まることにしている夕食時と、数日に一度学校に通うときのみ。それ以外では特別な用事があるときか、たまに伽に呼び出すくらいだ。
しかし先ほどのセイラとの関係を見ても、しっかりとシクル島の住人との信頼関係を築けているようだ。ラピスの真面目な性格のおかげだろう。
「それで、今日の用件はなんでしょう」
「はい。実は島に残っているであろうシクルを、全て私に融通していただけるようお願いにきたのです」
現在はシクル島で得られる砂糖のうち、半分ほどを融通してもらっている。これは俺以外の買い付けにも対応したいというカルの考えだ。これまでは強くは要求してこなかったが、今回はネフェルの要望に応えるために全て買い取っておきたい。
「残っている全てですか」
「事情があり、シクルが大量に必要となったのです。とりあえず残っているシクルをいただければ、当面はしのげるでしょう。欲しいものがあれば何なりと申し付けください」
「欲しいものですか、あるにはあるのですが」
カルは続きを言いよどみ、顔に手を当てて考え込んだ。しばらく待っても迷っているようだったので、先を促す。
「なんでしょうか」
「実は、男の奴隷を仕入れていただきたいのです」
「奴隷ですか?」
少し意外な答えが返って来た。確かになんでも仕入れるといったが、奴隷か。
これまでいろいろな交易品を扱ってきたが、奴隷だけは仕入れたことが無かった。理由はいろいろあるが、もっとも面倒なのは扉を使いづらい点だ。例えば砂国で奴隷を買って、西方諸国で売ろうとすると、どう取り繕っても奴隷に扉のことがばれてしまう。目隠しをして扉を通しても、奴隷本人が砂国から来たと買主にしゃべってしまえばお終いだろう。こういう面倒がほかにもいくらでも思いつくため、これまでは避けてきた商品が奴隷だ。
しかしシクル島に仕入れるのであれば、少し事情が変わる。ここは非常に特殊な島なのだから。
「たしかに、これまで通り本土からやって来る男と取引するためにシクルを残しています。正直なところリョウ殿に売ったほうが良いものを得られるのですが、この島特有の問題があるので仕方ない処置でした」
「ローレライですか」
「はい」
このシクル島には、子供がすべて女になるという異常な性質がある。島の奥に住まうというローレライの呪いのせいと言われている。そのうえたまに来る男も長居をしてしまえばローレライが連れ去ってしまうため、この村には男が一切存在しない。
そのため外からきた男から子種を貰う必要があるのだが、海峡にいる白鯨という魔物のせいで、シクル島に来る男は砂糖を買い付けにくる奴隷だけだった。
残っている砂糖を全て俺に売るということは、砂糖の買い付けに来る男に対価が払えず、長期的にみると島に男が訪れなくなることを意味する。それによる子種の不足を避けるために、奴隷の男を仕入れたいということだろう。
「しかし奴隷の男を買ったとしても、やはりローレライとやらに連れていかれてしまうのでは?」
「はい。だからこれまで注文していなかったのです。しかしシクルを全てあなたに卸してしまうのでしたら、仕方がありません。まあ3日くらいならローレライにも見つからないでしょうから。その間にことを済ませればよいだけです」
もしも奴隷の男を買ってくれば、その男はここで三日三晩、島中の女に種を吐き出され続けた後、ローレライに連れ去られて殺されるようだ。軽く言ってくれるが、男としてはゾッとする話である。ある意味、夢のような話かもしれないが。
「なるほど。しかし男の奴隷にしてみれば、なかなかにひどい話ですな」
「そうかもしれません。しかし最近、本土から訪れる男が明らかに減りました。あなたにシクルを卸していることと無関係ではないでしょう」
ネフェルが随分と王侯貴族に砂糖を売りさばいているようなので、これまで砂糖を扱っていた連中は大打撃を受けている。その為に砂糖の買い付けも少なくなっていると。なるほど、そう言われると確かに俺のせいとも言える。
カルの要求通り男の奴隷を買ってくるというのは難しくない。以前ラピス達を買った商人に相談すれば、ホル・アハ宝貨を100枚で3人ほど買えるだろう。それらを扉を使って移動させるだけの簡単なお仕事だ。
だが、今回はやめておこう。要するに男を用意してほしいのならば、もともと考えていた話を実行すれば解決するはずだ。
「わかりました。しかし奴隷を買って来るよりも、いい方法があります」
「ほう」
カルは興味深そうにうなずき、無言で先を促してきた。一呼吸した後、話を切り出す。
「カル殿、別の島に移住する気はありませんか?」