70. 魔石
70. 魔石
西方諸国最大の国であるガロン帝国は、俺自身あまり縁のない国だ。帝都には拠点を持っているし、各地区に設置した扉からは継続的にポイントも得られているが、ほとんど街を出歩くことはない。理由はなにがきっかけで『扉の管理者』の術者であることがばれるか分からないので、警戒してのことだ。
しかしそんな帝都にも知り合いがいる。それは原野キャラバンで知り合った研究者のヴィエタである。以前、彼とは契約を交わして資金援助を行うことになった。その契約事項の一つである半年に一度の成果報告のため、帝都の拠点の応接間でヴィエタと向き合っていた。
「ご無沙汰しております、リョウ殿」
「こちらこそ。お久しぶりです」
「そちらのアン殿とは何度か顔を合わせているのですが、リョウ殿はお忙しいようですな」
隣に座るドワーフのアンを指差して、ヴィエタはそんなことを言ってきた。アンには以前買い取った衝撃を吸収する立方体を使い、製品を作るよう命令していたのだが、その後も何度かヴィエタに会いにいく許可を求められていた。特に断る理由もなかったので、連絡がてら通わせていたのだが、どうも立方体の改良を行っていたらしい。
そして最近アンがその成果を報告してきたのだが、それはまた別の機会に使う予定だ。
「申し訳ございません。最近は帝都を留守にすることが多くて。それよりどうでしょう、研究に進展はありましたか?」
そう聞くとヴィエタはにこりと顔をほころばせた。
「潤沢な資金をいただきましたからな。アン殿にお渡ししている改良品とは別に、全く新しい魔核や素材を試すこともできました。色々な事が分かってきたのですが、どうしましょう。最初から説明したほうがよろしいですか?」
明らかに話が長くなりそうだったので、全部は遠慮しておいた。
「いえ、おそらく聞いてもあまり理解できないので、成果だけ教えてください」
「わかりました。まずは以前お渡しした例の立方体ですが、魔核や混ぜ合わせる素材を変えることで他にも様々な現象が起きることが判明してきました。そこでこれらの物質を総称して、魔石と呼ぶことにしました」
「魔石、ですか」
「はい。まだ性質が良く分からなかったり、量が少なすぎて使用に耐えなかったりするのですが、その中でも形になったものがあります。こちらをご覧ください」
そう言って取り出したのは、鳶色をした板だった。ぱっと見の印象は錆びたまな板のようだ。
「これは?」
「ワイバーンの魔核を主材料にしている魔石です」
「ワイバーン? よくそんな魔核が手に入りましたね」
ワイバーンといえば竜の巣に生息する強力な魔物である。この辺りで強力な魔物として知られているゲルルグ原野の魔物よりもランクが高く、値段も相応に高いはずだ。
「えぇ。以前帝都の冒険者ギルドでたまたま出会ったランク5の冒険者がまとまった数を持っていらしたので、お願いして買い取らせていただいたのです」
まとまった数のワイバーンの魔核を持ったランク5の冒険者か、なんか聞いたことがあるな。
「ランク5の冒険者ですか……もしやその方、金髪の犬獣族では?」
「おぉ。その通りです。確かフィズと名乗っておられました。お知り合いでしたか」
やはりか。おそらく俺の依頼で竜の巣を調査した際に得た魔核を、帝都まで売りにやってきたのだろう。世間は狭いな。
「えぇ、以前タタールでお世話になりました。彼女は優秀な冒険者です」
「ギルドと売値でもめているようだったので、私が声をかけると喜んで売ってくれました。そのワイバーンの魔核について性質を調べると同時に、この板状の魔石を作ってみたのです」
「それではこの板にも、以前の衝撃を貯めこむ魔石のような性質があるわけですね」
「はい。この魔石の板は炎を貯めこむことができます」
そう言ってヴィエタはたいまつを取り出し、火をつけると、それを鳶色の板に押して付けた。すると炎はみるからに小さくなり、さらによく見るに板に引き付けられているようにも見えた。
「このように炎を近づけると、この板に引き付けられて小さくなります。しかしこれは消えているわけではなく、板に蓄えられているのです」
「では、貯めこんだ炎を放出もできるのでしょうか」
「それなのですが、実はまだ方法が見つかっていません。以前の魔石と同じ材質では、うまく放出する現象を再現できませんでした。現状では時間経過とともに熱が放出されるだけです」
以前のラージアントから作られた振動を貯める魔石は、貯めた振動を自由に放出することができた。今回も同じような素材で作っているならばできるかと思ったが、だめらしい。
「では、どれほどの量を貯めこめるのでしょう」
「それが、分からないのです」
「分からない?」
「えぇ。とりあえず三日三晩暖炉に投げ込んでいたのですが、延々と炎を吸収し続けていました。触ってみるととても熱くなっていたので、どうやら吸収量と放出量が釣り合ってしまっていたようです」
炎を吸収するのに、熱として放出するのか。結構違いがある気がするが、よくわからんな。興味深い現象には間違いないが。
「なるほど。とても興味深いですね」
「そうでしょう。今日はこちらをお渡ししようと思います。ただ、できれば貯めこめる限界量が知りたいので、もしも炎をあびすぎて壊れるようなことがあれば教えてください」
「わかりました」
鳶色の板を受け取り、後ろにいたアンに手渡すと、受け取った板をじっと見つめていた。こいつはいつも無表情だが、心なしか高揚しているようにみえる。
「アン」
「……あ、申し訳ございません」
アンが慌てて板を脇に置き、代わりに金貨袋を取り出した。
「まずはこちら、追加資金として金貨200枚を用意しました。お使いください」
「おお……感謝いたします」
机に金貨袋を置く。しかしその手を離さず、ゆっくりと告げた。
「お渡しする前にひとつ、ヴィエタさんにお聞きしたいことがあります」
「なんでしょうか」
「単刀直入に聞きましょう。魔法に興味はありますか?」
魔法という言葉に一瞬意外そうな顔をしたヴィエタだったが、すぐに頷いてみせた。
「魔法ですか。えぇ、もちろん興味はあります」
「実はある場所で魔法使いを雇うことができました。もしもヴィエタさんに覚悟があるならば、紹介したいと思うのですが」
「それはぜひ! ぜひお願いしたい」
食い気味に言ってきた。どうやらかなり興味があるらしい。
「しかし、覚悟とは?」
「二度と帝都に戻らない覚悟です」
「なっ!?」
予想外な答えだったのだろう。ヴィエタは驚いて椅子から少し飛び上がってしまっていた。
「もしその覚悟があるならば、あなたを魔法使いのいる場所に案内いたしましょう。ヴィエタさんにはその場所でこの魔石に関する研究を続けてもらうと同時に、魔法についても調べていただきたい。もちろん必要なものがあれば、いくらでも用意しましょう」
「それはつまり、あなたに仕えろということですか?」
そういう意味ではないのだが、確かに条件だけ聞くとそう聞こえるな。
「そこまでは求めません。今までと同じように、魔核についての研究を行いつつ成果を見せていただければ、あとは好きにしていただいて構いません。ただ案内する場所がはるか遠方にあることと、ある事情のために帝都に戻ることが難しくなるという話です」
「それならば構いません。どうせ素材の買い付け以外では屋敷に引きこもっておりますし、帝都に未練などありませんから。ただ一人だけ、連れて行きたい人間がいるのですが」
「その方も帝都に戻れない覚悟があるならば構いませんよ」
「それは大丈夫です。妻ですので」
既婚者だったのか。失礼ながらちょっと意外だな。
「奥さんがいらしたのですね」
「えぇ。ある意味で私よりもとんでもない女ですが」
「反対されるのでは?」
「あり得ませんな。魔法使いに会えるとなればなおさらです」
あっさり否定された。魔法使いに会えるのなら帝都での生活を捨てられる女性らしい。どうやらそうとう癖がありそうな人物のようだ。
「でしたら、この金貨は手付金として差し上げますので、準備を整えていただけるでしょうか」
「旅の準備ですね。わかりました」
「いえ、そうではなく。当面の研究に必要な素材や魔核の購入、それと奥さん以外の人間への手切れ金に使用してください」
「旅の準備はいらないということですか?」
「まあ、すぐにわかります。3日後にヴィエタさんの屋敷に伺いますので、それまでに準備を終えておいてください」
不思議そうな顔をするヴィエタだったが、とにかく言われたとおりにするように注意して、その日は帰らせた。