68. 交渉
68 交渉
「ご無沙汰しております、バフトットさん」
「こちらこそ、リョウ殿。しばらく見ないうちに、随分と肌の色が変わりましたな」
ここのところしばらく南国で海水浴をしていたために、日焼けして小麦色の肌になってしまっていた。そのことを指摘され、すこし恥ずかしくなってしまう。
「えぇ。強い日差しを浴びるとこうなってしまう体質なのです」
「なるほど。順調に旅を進めているということですか」
「まあ、そうですね」
「それは良かった。それで、今日はどうしてわざわざ正門からお越しに?」
ランカスター商店に来るときは、いつもなら拠点の地下とここの倉庫を結ぶ扉を利用していた。しかし今回は徒歩だ。理由はいろいろあったが、一番興味があったのはある商品の市場価格だ。
「えぇ。ちょっと市場を見てきました。実際に相場を確認しておきたい商品がありまして」
「なるほど。ご目当ての物はありましたか?」
「えぇ。これです」
差し出したのは、小袋に入った黒コショウだ。削られてはおらず、水分が抜けてからからになった真っ黒な実がぎっしりと詰まっていた。
「これだけで金貨2枚もしました」
「相変わらず、コショウは高級品ですな」
「はい。一年ほど前はほぼ同じ量を金貨1枚程度だったので、価値が上がっているのかと思いました。しかしどうも、それほど単純な話ではなさそうですね」
「事情があってブルーレンは現在、物価が上昇しておりますからな」
「やはりそうですか」
確かに市場で見て回った商品は、そのことごとくが昔ブルーレンに来た頃の記憶とくらべて高かった。どうやら全体的な物価が上がってしまっているようだ。
「この物価の上昇のために貧民の数も増えており、治安の面で少し問題も起きているようです」
「あぁ、確かに貧民を多く見かけましたが、そういうことでしたか」
どうやら貧民が増えている理由は物価の上昇が原因らしい。ということは元をたどれば俺にも責任の一端がありそうだ。まあどうでもいいが。それよりも今日は例のブツを売りに来たのだ。
「黒コショウを試し買いしてきたということは、ついにたどり着いたわけですね」
バフトットが待ちきれないといった表情で声を弾ませた。お察しのとおり、今日持ってきたものはテルテナ島で買い付けたコショウだ。
「はい。今回はコショウを仕入れて参りました。こちらを」
手を挙げると、リースが小樽に入った黒コショウを机に置いた。テルテナ島で仕入れた一部だ。バフトットが中の実を一つつまみ、顔に近づける。
「……まさしくこれは黒コショウ、しかも信じられないほどに質が良いですな」
「はい。白コショウも多少ありますが、主にはここにある黒コショウとなります」
「どれほどの量を仕入れられたのでしょう」
「大樽5つ分です」
そういうとバフトットは唸りながら猫髭に手をやった。先ほど試し買いした黒コショウの値段を、そのままこの小樽1個に換算すると金貨20枚程度だ。大樽は小樽の30倍ほどの容量を持つから、単純に換算すれば大樽5つで金貨3000枚になる。さて、バフトットはいくら提示してくるか。
「申し分ない量です。この分だと品質も良さそうだ。全部売っていただけるのであれば、金貨1000枚まで用意しましょう」
「1000枚ですか」
市場価格の3分の1だ。まあ、そんなもんといえばそんなものか。
これだけのコショウを仕入れるために必要だった品を西方諸国で揃えようとすれば、金貨10枚もあれば十分だ。それが1000枚で売れるというなら利益率は十分だろう。ただやはり市場価格と比べると差額が大きい。
「悪くありませんね。しかしもう少し高くなりませんかね」
「これから先も、おそらくまとまった量の香辛料を卸していただけるのですよね」
「えぇ。もちろん」
「そうなると、やはりこの値段で売っていただきたい」
無言で眉をひそめて抗議すると、バフトットが猫髭を触りながら説明してきた。
「ブルーレンにはいま、通常の交易品だけでなく綿織物や砂糖といった不思議な商品が流通しています。それらはもちろん我々が流しているのですが、今回はこのことが香辛料の値段を下げる方向に作用すると思われます」
「どういう意味でしょう」
「香辛料は確かに貴重な品ですが、今回は購入を見送る客が多いということです。多くの金持ち達は今、綿織物や砂糖に夢中です。競うように求め、値段が吊り上がった結果、彼らの財布には金貨が残っていない」
「財布の中身は有限ということですか」
「えぇ。この世で無限の財力を持つものは、貨幣発行国であるコーカサス国の国王かガロン帝国の皇帝くらいでしょう。それでも実際は有限ですが」
要するに現在流行中の綿織物と砂糖によって、金持ち達の財布が軒並み悲しいことになっているから、香辛料はあまり売れないだろうという話だ。金がない連中相手では、さすがのバフトットも売りさばくことができないらしい。
バフトットの言い分もわからんでもないが、うまく煙に巻かれている気がする。まあそれでも十分な利益になっているから、問題ないといえば問題ないが。
しかたない。価格を妥協する代わりに今後の買い取りを保証してもらおうか
「わかりました。次に持ち込む黒コショウについても、同じ値段以上で買い取っていただけるのならば、その値段で構いません」
「それでは50樽までなら 1樽につき金貨200枚を保証しましょう」
「いいでしょう。その条件でお売りします」
「ありがとうございます。それではさっそく、証書を作りましょう」
「お願いします。ところで今回は大金ですので、公証人を利用したいと考えております。どなたか紹介していただけませんか」
公証人とは、取引の証書を作成したり証明したりする連中のことだ。交易が盛んなブルーレンでは、公証人という制度自体はわりとしっかりしている。しかしこれまでバフトットとの取引では、お互いで証書を作成して確認するだけで公証人は用いていなかった。これは取引自体を秘匿していた為だが、この後のことを考えると今回の取引は公証人を通しておいたほうがいいだろう。
「それは構いませんが、少し意外ですね。公証人を使うということは、リョウ殿が私と取引をしているというが、ある程度の人にばれてしまうことになりますが」
「はい。しかしそろそろ扱う金額がとんでもないことになってきましたから。それにこの後、これとは別の提案もありますので」
「ほう。また儲け話ですかな」
「さぁ、それはバフトットさん。あなた次第でしょうな」
そう言うとバフトットはニヤリと笑った。俺の言葉を挑戦とでも受け取ったのだろう。興味津々といった様子で身を乗り出す。
「ぜひお聞かせ願いたい」
「もちろんです。しかしまずはコショウ取引の証書を作り終えて、契約を確認してからにしましょう」
「わかりました」
バフトットが自ら羊皮紙に羽根ペンを走らせていく。すらすらと迷いなく契約が記されていく様に、感心してため息がでる。
「……確かに。リース、確認しておけ」
「かしこまりました」
受け取った証書を確認し、リースにも手渡して確認させる。あとでバフトットと共に公証人のところへ行き、契約成立だ。
「それでは、話をお聞かせください」
バフトットは瞳を輝かせて向き直ってきた。相変わらずこの手の話には子供のように食いついてくるな。
「そうですね……ここに来る際にブルーレンを見て回ったのですが、随分と雰囲気が変わっていました」
「そうでしょう。見た目にも中身にも、今ブルーレンは大きく変化していますから」
「その中でも驚いた話が、ランカスターの若旦那がブルーレンの長となったという噂です。このことについて、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか」
先ほど市場でうろつく最中、結構な人が話題に上げる話があった。それは飛ぶ鳥落とす勢いのランカスター商店の若旦那が、ついにブルーレンの長にまで上り詰めたのだというものだ。
ランカスター商店の若旦那とは、もちろん目の前にいるバフトットのことだろう。噂話は信用できないが、本人に聞いてみれば間違いない。そう考えて質問してみたのだが、バフトットは興味なさそうに淡々と答えた。
「えぇ。ご存知の通り十二委員会の過半数を味方につけたというだけでございます」
ご存知と言われても、そもそもそんな組織聞いたことがない。
「失礼。十二委員会とは」
「ブルーレンの統治機構の一つです。ブルーレンの法律を定める場所で、委員長によって選抜された11人の商人と委員長本人の12人によって構成されています」
どうもかなり偉そうな組織のようだ。確かにブルーレンは自治都市だから立法機関があるはずだが、それが十二委員会ということか。
「委員長には長年カルロ商会の当主がついておりました。しかし現在、カルロ商会は我々ランカスター商会の攻勢によって売り上げが落ち込んでいます。さらに綿織物と砂糖の融通によって支持商会を切り崩し、先日過半数の支持をこちらに取り込むことができました。現委員長の任期満了に伴い、一か月後から私が委員長に就任する予定です」
なにやら色々とまくし立ててきたが、要するにブルーレンを牛耳ることができたということらしい。砂国から砂糖や綿織物を輸入し始めて半年も経っていないのに、それらの商品を使って権力者を追い落としたようだ。恐ろしい男だな。
「驚きましたね」
「これもリョウ殿のお陰でございます。大変感謝しております」
「いえ、お役に立ててうれしく思います」
しかしそうなると、やはりバフトットはかなりの権限を持つということか。それは好都合だな。
「私のことよりもリョウ殿、話の続きをお聞かせください」
「はい。実はこれからバフトットさんに会わせたい方がいるのですが、お時間を貰えますか」
「えぇ。構いませんよ」
「それでは参りましょう」