64. 英雄
64 英雄
ガギルダとともにアスタの倉庫を経由して、テルテナ島へと戻ってきた。最小の扉をくぐる際、大柄なガギルダは少し窮屈そうにしていたが、島に出ると周囲を見渡して驚いてみせた。
「本当にテルテナ島なのか? アスタではないことは確かだが」
「えぇ。あれを見ればすぐにわかるでしょう。こちらへどうぞ」
歩いてすぐ、入り江を見渡せる丘にたどり着いた。観戦していたアーシュたちが、俺が戻ったことに気が付いて頭を下げてくる。
「戦況はどうだ」
「はい。あのあと海水はすぐに大半が排出され、リヴァイアサンも事態に気づきました。しかし逃げるのではなく、逆に激高した様子で攻撃を強めています。テナ様はなんとかそれをいなしているところです」
見ると入り江内の海水はほとんどなくなっており、あらわとなったリヴァイアサンの巨体の周囲にだけ少量の海水が浮遊していた。テナの魔法とおもわれる水柱も残っていたが、随分と小さくなっている。
「リヴァイアサンに逃走する気はなさそうだな」
「というより、もはや身動きが取れないのでしょう。何度か魔法と思われる現象によって海水を呼び寄せていましたが、排出量のほうが圧倒的に多かったので無駄に終わりました。今は何とか周囲の海水のみを維持しているようです」
「そうか」
「しかしテナ様も決め手に欠けているようで、反攻するまでには至っていません。今のところうまくいなしてはいますが、一撃でもまともに食らってしまえば危ういでしょう」
アーシュの状況報告を聞きおわると、隣のガギルダに目を向けた。ガギルダはどうやら、言葉を失っているようだ。口を半開きにし、呆けたような表情で入り江を見つめていた。
「……この光景は一体なんなのだ? あの無数の穴は……」
「私の魔法を使って入り江内の海水を排出したのです」
「あそこで戦っているのはサルドの妹であるテナであろう。あれが生贄というなら……まさか貴様、儀式に手を出したというのか?」
「その通りです」
うなずくと、ガギルダが大きく息をのんだ。
「生贄に手を貸すとどうなるか、知っているな」
「えぇ。リヴァイアサンの怒りによって島が滅びるのでしょう?」
「それを承知で手を貸したのか!」
詰め寄るガギルダに、落ち着いてくれと肩を叩きながら答える。
「リヴァイアサンは今のところ、助力には気づいていない様子です。このままテナが倒してしまえば問題ないでしょう」
テナはいまもリヴァイアサンとの戦闘を続けていた。遠目に見たところリヴァイアサンは攻勢に出ている。テナを倒せば入り江内の扉が消えると考えているのだろう。つまり、俺の助力はばれていないということだ。
「ばれない自信があるということか」
「それもありますが、私としては、別にばれてしまっても構わないのです」
「なんだと?」
「今回の儀式によって、海水を抜くという方法がリヴァイアサンに対してある程度有効だということが分かりました。今日これからテナが倒され、最悪リヴァイアサンの怒りによってテルテナ島が滅びたとしても、別の生贄祭――例えば来年のアスタで再び試みれば、必ずやリヴァイアサンを討ち取ることができるでしょう」
今回テナをけしかけた一番の理由は、リヴァイアサンの実力が知りたかったからだ。もしも周囲の海水を全て失ったこの状態からでも戦況をひっくり返すような力を持つならば、俺の扉の管理者を使ってリヴァイアサンを討伐することは難しくなる。
しかしどうやら、その心配は杞憂だったようだ。もし島を飲み込むほどの海水を作り出したり、入り江外から呼び寄せたりできるのであれば、いまこの状態を抜け出すために使用しない理由が無い。島を滅ぼすというからどれだけ凄い現象を起こせるのかと思っていたが、案外大したことないらしい。
噂の怒りとやらを使わない理由は不明だが、おそらく周囲に海水がないからだろう。リヴァイアサンの周囲には外海から切り離された海水しか残っておらず、入り江の外までもかなり距離もある。海の近くでないと力を発揮できないというテナと同様、リヴァイアサンもこの状況では力を十全に発揮できないようだ。
その事実が判明した時点で目的は達している。もし今回がダメでも、時間をかけて準備すればどうとでもなるだろう。
「次の生贄祭でリヴァイアサンを倒させるために俺を連れてきたのか」
「えぇ。自らの目で見なければ信じられないでしょうから。ガギルダさん、貴方がリヴァイアサンを倒したいというなら協力しますよ。もちろん今回で倒されなければ、ですが」
「……」
じっと戦況を見つめながら、ガギルダは腕を組んで考え込んだ。しばらく間を取って話を続ける。
「しかし残念ながら……というのもおかしいですが、このまま終わってしまいそうですね」
「……たしかにリヴァイアサンは干上がっているが、テナもかなり苦しそうだぞ」
テナは魔法や身のこなしで猛攻をいなしながら、必死にリヴァイアサンの巨体に立ち向かっていた。しかしリヴァイアサンが操る最後の海水の前に、いつまで経っても防戦一方だ。
「単純な魔法の力だけでは、いくらテナが優秀だといってもリヴァイアサンには勝てないだろう。このままだと押し切られる」
「そうかもしれません。が、おそらく……来ましたね」
「なに?」
陸地を見ると、人魚族の男たちが入り江内になだれ込もうとしていた。先頭を切ってリヴァイアサンに駆け寄るのは、旅団のリーダーであるサルドである。
サルドに率いられている戦士は数十人。それぞれの手には鉄製のスピアーが握られている。あの武器ならば、分厚い鱗を持つリヴァイアサンが相手でもダメージを与えられるはず。先日売ったのは60本だったから数も足りていそうだ。
「あれはサルド……ばかな。儀式に加勢するというのか。失敗すれば……」
「ここまでくれば倒せると踏んだのでしょう。武器も強力なものを売りつけましたから」
「お前が焚き付けたのか」
ガギルダの問いに、肯定も否定もせずに答える。
「サルドと話していると、彼がリヴァイアサンに対して敵意を持っていることに気が付きました」
気づいたのが俺ではなくノーラだが。
「島に戻ってきて妹が生贄に選ばれたことを知ると、サルドは明らかに動揺していました。次の日になっても平静を装っていたものの、心はくすぶっていたのです。そこで武器を得ればどうなるかと思って売りつけてみましたが、最初から儀式に加勢するという判断までは至らなかったようです。しかし」
「この状況を見て、いまならリヴァイアサンを討ち取れると踏んだわけか」
サルド達はリヴァイアサンの巨体のあちこちにとりつき、鉄製のスピアーを突き立てていた。リヴァイアサンは迎撃しようと触手を振り回していたが、人数が多すぎて防ぎきれていない。結構な頻度で体にスピアーが突き刺さっていき、そのたびに傷口からどろりとした緑色の体液が流れ出ていた。
このまま行けばリヴァイアサンが倒されるのも時間の問題だろう。もしも奥の手が存在するのなら、使用される最後のタイミングだ。
「ロル、アーシュ。リヴァイアサンが何かしようとしていると感じたらすぐに声を上げろ」
「うん!」
「はい」
「リース、少しでも海の様子がおかしくなれば報告しろ」
「かしこまりました」
「他もいつでも逃げられるよう身構えておけ」
皆に警戒を促したものの、状況は一向に変化しなかった。リヴァイアサンに目立った動きもなく、人魚族の戦士達による総攻撃が一方的に続いていく。
「……いけるかもしれないな」
サルド達が乱入して数分ほど経過すると、これまでは不安視していたガギルダもようやく前向きな発言をし始めた。
「はい。大丈夫そうです」
「リヴァイアサンが倒されたとなれば、レバ海の皆にとって喜ばしいことだ。俺を連れてきたのは無駄に終わったようだがな」
「いえいえ。これからが本当の商談ですよ」
「ほう?」
ガギルダがにやりと笑みを浮かべる。ようやく異常な状況を飲み込みはじめ、余裕が出てきたようだ。本来の豪胆さが戻ってきている。
「このままいけば彼らはリヴァイアサンを倒します。これはおそらくレバ海周辺の人々、とくに人魚族にとっては大きな出来事でしょう」
「リヴァイアサンは絶対の存在だったからな」
「えぇ。そのリヴァイアサンを倒した者は、英雄として名声を高めるのは間違いない。私のいた西方諸国では、ドラゴンとよばれる強大な魔物を倒したことで英雄となり、王となって国家を創り繁栄したという伝説が伝わっています」
「王? クー国の皇帝のようなものか」
「そのようなものです」
リヴァイアサンを倒すということがどれだけのことなのか。南部諸島にやってきて一ヶ月も経っていない俺には想像するしかない。ただ一つ確実なことは、リヴァイアサンを倒した者は英雄になるということだ。
「ところでガギルダさん。このままいけば、だれが英雄になると思いますか?」
「それは……」
ガギルダは一度入り江を見降ろして、次に俺へと目を向けた。
「事情を知っている貴方ならば、私と答えるかもしれません。しかし私は外部の人間。英雄になる資格はないし、なりたくもない」
「そうなるとテナか」
「このままいけばそうでしょう。しかしガギルダさん。あなたにとってはテナよりも、サルドが英雄になってくれたほうが都合が良くないですか」
「まあ……な。あいつとは付き合いが長いし、恩も売っている。しかしサルドの奴にそんな野心があるとは思えないが」
「本人がどう考えるかは知りません。しかし英雄とは周囲が祭り上げるものです」
「……何が言いたい?」
「ガギルダさんにはこれからアスタに戻っていただき、『テルテナ島のイスタ・サルドがリヴァイアサンの儀式に乱入するつもりだ』という噂を流していただきたいのです。できれば他の街にも広めてください。そして頃合いを見計らい、次は『サルドがリヴァイアサンを倒した』という噂を流すのです」
実際にリヴァイアサンは倒されているわけだし、その時の詳細などテルテナ島の住人くらいしか知りえない。それならば先にサルドを英雄視する噂を流して既成事実にしてしまえば、真実がどうであろうと英雄に担ぎ上げられるのはサルドだ。
「サルドの知らない間に、勝手に英雄に仕立てるつもりか。そんなに上手くいくかね」
「事実というものは真実である必要はありません。このままリヴァイアサンが倒されてしまえば、まるっきり嘘というわけでもありませんしね」
「噂の影響力は真実よりも大きいというわけだ」
「はい」
「なるほどな……まあいいだろう。特に損する話でも無さそうだ。乗ってやる」
ガギルダはほとんど悩むことなく頷いた。この男、やはり決断が早い。
「しかしわからんことがある。この話、お前に何の利がある? 本当に自分が英雄になりたくないだけか?」
「私はレバ海周辺で商売をするつもりはありません。欲しいのは西方に輸出する香辛料などの特産品と、それを卸してくださる取引相手です。そしてその相手として都合がよいのは、私の魔法を理解し秘密を守っていただける商人。つまりガギルダさん、あなたです」
ガギルダはアスタでは有力な商人らしいが、クー国の組合に対抗できる権力は持っていなかった。だからこそ俺に香辛料を直接買い付けにテルテナ島へ行くように勧めてきたのである。扉の管理者のことを説明すれば話は違ったかもしれないが、あの時はさすがに時期尚早だった。
しかし今回の件で、サルドを英雄に仕立て上げれば話は変わる。ガギルダは英雄サルドと最も親しい商人となるのだ。そうなればおそらく、ガギルダはレバ海において大きな力を持ち始めるだろう。いずれは組合に対抗できるくらい力をつけてほしい。
信用できるかどうかはわからないが、少なくとも利用することはできる。ガギルダにとっても西方へのつながりのある俺は貴重だろうし、利用価値は高いはず。つまり互いに利用しあう関係が出来上がる。商人同士はお互いに利用しあっているときが一番安全だ。下手な相手よりもずっと信用できる。
「そういえばお前は商人だったな。魔法の件が衝撃過ぎて忘れていた」
「西方からの商品も必要があれば取引いたします。勿論あなただけに卸すつもりです。ただし私の魔法について口外しないかぎりは……ですが。いかがでしょう。手を組みませんか?」
「最後に一つだけ教えてくれ。西方にはお前のような魔法使いがたくさんいるのか?」
ガギルダの質問はおそらく、扉の管理者のような能力がほかにもあるかどうかを確認しているのだろう。
「魔法使い自体は少なからずいるそうですが、私と同じことができる者はいないでしょう」
「そうか。よし、わかった」
ガギルダが大きな手を差し出してくる。それを受けてしっかりと握手を交わす。
「お前さんと手を組もう。よろしく頼む」
「こちらこそ」
『オオオオオオオオオオ』
その時、怒号が飛び交っていた入り江から、周囲に轟く断末魔の叫びが聞こえてきた。同時にリヴァイアサンの巨体が光を放ち、やがて一点に収束していく。最後には真っ青な魔核が一つ、ぽつんと残されていた。
「どうやら終わったようだ」
「えぇ。あれがリヴァイアサンの魔核、いわゆる神獣核ですか。すこし興味がありますね」
「あの魔核がリヴァイアサンを倒したという証拠になる。これから流す噂が事実となる条件がそろったわけだ」
「はい」
「それじゃあ、アスタに戻らせてもらうぞ。さっさと手を打たないとな」
「よろしくお願いします。お送り致しましょう。リース」
「かしこまりました」
ガギルダはリースに連れられアスタへとつながる扉へ向かい始めたが、途中で振り向いて聞いてきた。
「そうだ。お前さん、どこで取引を行うつもりだ? アスタの倉庫というわけにもいかないだろう。テルテナ島に残るのか?」
アスタに拠点を持つことは、組合の介入を考えるとあまり得策ではない。特に現地人相手に商売をするわけでもないし、メリットはないだろう。精々必要なのは連絡用の事務所程度だ。
「いまのところ、カルサという島に拠点を作ろうかと考えています」
「カルサ島……リヴァイアサンに滅ぼされた島か」
「はい。何もない島らしいので、色々と準備をしないといけないと思いますが」
「わかった。こちらもしばらく忙しくなると思うが、動かせる商品を仕入れたらカルサ島に運び込むことにしよう」
「わかりました」
「まあなにかあれば連絡してくれ。この便利な魔法でな」
ガギルダは最後にそう言い残し、アスタに帰っていった。
結局テルテナ島での儀式は、生贄であるテナ側の勝利で終わった。ガギルダと話しているうちに終わっていたので、誰がとどめは刺したかは見ていなかったが、まあロルあたりに聞けばわかるだろう。