6. 自由都市
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まずはミクリアの宿を引き払った。鍵を返すときに小麦の小袋をプレゼントし、店主のおばちゃんがそれを店の奥に持っていった隙に、こっそり部屋に戻って扉からオセチアに移動した。その後、扉は廃棄した。
次にオセチアでは馬屋を訪ねた。朝に見た荷馬車が便利そうだったからだ。行商用の荷馬車と馬が欲しいと相談すると、セットで金貨5枚だといわれた。所持金の半分が吹っ飛ぶ。どうしようか。
悩んでいると、馬屋の親父が聞いてきた。
「お前さん、馬を扱ったことはあるのか?」
「えっ……?」
馬屋の親父に言われて気がついた。なんとなく自転車のようなものだと勘違いしていたが、馬車というのは素人がいきなり乗れるものではないそうだ。
「やっぱりか。うちの馬をだめにされても困る。教えてやるから、それから買っていけ」
「えっと、はい」
結局その日は一日中、馬の世話や馬車の扱いについて習った。ここまでされると買わないわけにはいかなかったので、結局馬車を購入することに。馬は扱いやすいようにと年のいった老馬を買うことになったので、金貨4枚にまけてくれたので助かった。
次の日からは旅の準備だ。干し肉、乾燥させたパン、水、馬用の飼い葉などを買いこむ。魔物対策の武器としては扱いやすそうな槍を選んだ。武器なんか使ったこと無いが、槍なら振り回すだけでも強そうだし。
というか馬屋の親父は『魔物に出会ったら、戦おうなんて考えずにとっとと逃げろ』と言っていた。そういうものらしい。
それからついでなので小麦を3袋ほど買い込んでおいた。商人なのに空荷だと格好がつかないし、適当にブルーレンで売り払おう。
「それじゃあ、長い間お世話になりました」
宿屋の親父に挨拶をすると、怪訝な表情を返された。
「もう荷物は運び終えたのか?」
「はい。馬車に積んであります」
大嘘である。小麦はすべてミクリアに消えている。
「そうか。悪かったな。手伝うといっていたのに」
「いえいえ。心遣いだけでもありがたいです」
「そうか。またオセチアに来ることがあれば、使ってくれ」
「はい、ぜひ」
そうしてしばらく世話になった穴熊亭の親父とも別れ、オセチアを出発した。
◆
ブルーレンは、オセチアのあるコーカサス王国からみると、東に位置する自由都市だ。詳しいことはよく知らないが、周辺国とは独立した主権をもつらしく、多くの街道が集まる貿易都市でもあるらしい。
ブルーレンへの道中では何度か魔物に出会うことがあった。緑色のゴブリン数匹が道をふさいでいたときはさすがにやばいと思ったが、俺よりも馬のほうが強気で、鼻息荒く突進して蹴散らしてしまった。魔物だから手強いのかと思ったら、ゴブリン程度なら馬のほうが強いみたいだ。
夜は魔粉末と呼ばれるものに火を灯して過ごした。この魔粉末は魔物を倒した際に得られる魔核とよばれるものを加工したもので、魔物除けの効果があるらしい。強い魔物から得られたものじゃないと効果が薄いらしいが、今回は初めてだったので、かなり高級なものを選んでいた。高価すぎて夜にしか使えなかったが、そのぶん寝込みを襲われるということはなかった。
そうして10日ほど馬車を走らせると、ブルーレンにたどり着いた。
ブルーレンはなんというか、予想していたよりもはるかに大都市だった。大きな川を中心に建物が競うように並んでおり、広場では多くの露店商人が声を張り上げている。街を行き来する人の数もこれまでの街とは比べ物にならなかった。
まずは一泊分の宿を確保し、オセチアから運んできた小麦を売りに適当な商店を訪ねることにした。
「ようこそ、ランカスター商会へ。私はジェフトットと申します」
宿から一番近かった商会を訪ねると、ジェフトットと名乗る男が出迎えてくれた。銀色の短髪から小さな耳が伸びているのが見える。どうやら獣人族のようだ。
耳をじろじろと見ていると、ジェフトットが聞いてくる。
「この耳が珍しいですか?」
「いえ、ただ何族の方なのかなと」
「私は妖精猫族ですよ。東の大森林周辺では珍しくない種族なのですが」
ジェフトットがニコニコと笑顔を浮かべる。よく見ると頬からは猫髭のようなものも生えていた。愛嬌があって人のよさそうな笑顔だが、何か裏があるようにも感じる。まあ商人はだいたいこんなもんか。
とりあえず商談に入ろう。
「オセチア産の小麦3袋。先に収穫した新鮮なものです。銀貨20枚でいかがでしょう」
「なるほど……オセチアと言えば、コーカサス国は街道に続いて小麦峠も封鎖したのでしたな」
いきなり小麦峠のことを指摘してきた。よく知っているな。
「よくご存知ですね」
「情報は商人の生命線ですから。しかし今回の封鎖で、オセチアの小麦はバラン国に輸出できなくなってしまいます。そうなると必然的にブルーレンへの輸出が倍増するはず。おそらく一袋銀貨4枚程度には落ち着くはずです。ですので、今日のところは銀貨15枚でいかがでしょうか」
「しかしコーカサスも戦争中。そこまで輸出が増えるとは思えませんが」
値切りに負けまいと言い返す。しかしジェフトットは、慣れた様子で反論してきた。
「いえ。今年のコーカサスではオセチアを中心に大豊作でした。在庫は十分でしょう。その中で主要な輸出先だったバラン国との交易が途絶えてしまえば、この先在庫のだぶつきはまぬがれません。それに昨年戦争を起こされた側のコーカサスには侵攻する意思が無いはずですので、やはり輸出は増えることになるでしょう」
どうやらコーカサスがバランに攻め込むことはないと読んでいるようだ。ミクリアの商人から聞いた話を知らないのだろう。それならこの情報をカードにするか。
「ここだけの話ですが、コーカサスはバラン国の都市ミクリアに攻め込みますよ」
「ほう。それは、どの筋の情報ですか?」
「ミクリアの商人からの話です。彼らはミクリアが戦場になることを見込んで、小麦を買い占めているようでしたから」
俺の話にジェフトットは少し難しい顔をして考え込んでしまった。妖精猫族は背が小さく童顔なため、あまり威厳は感じなかったが、それでも商売人としての風格を感じる表情だった。
しばらく考え込んだ後、ジェフトットはこくりと頷いた。
「わかりました。それでは情報提供のお礼と今後のお付き合いもかねまして、銀貨20枚でお願いいたします」
「ありがとうございます」
結局、要求通りとなった。ここまでの食料や飼い葉、それに魔粉末などの消耗品の消費を考えるとほとんど儲けは出なかったが、まあ赤字じゃないだけ良しとしよう。
「そういえば住居を探しているのですが、どこかいい物件をご存知ありませんか?」
ちょうどいいので、拠点についても聞いてみる。この辺りの街には不動産を専門に扱う商店が存在しないらしいので、このような大きめの商店に聞くのが一番てっとり早いそうだ。
「土地ではなく住居でしょうか。何か希望はありますか?」
「そうですね。あまり高級でなくて、治安がいい場所がよいですね」
「それなら東区域でしょうね。いくつか紹介できますよ」
「本当ですか? 是非お願いしたいのですが」
「勿論です。早速向かいましょう」