58. 滅んだ島
58 滅んだ島
次の日の朝。再びサルドの洞穴に行くと、先日は無かった船が2隻ほど接岸されていた。両方とも漁船に簡単な帆がついたような構造だが、結構な積載量がありそうだ。
「そちらの準備ができ次第、出発しよう」
「わかりました。すぐに荷を運び込ませます。リース」
「はい」
リースに命じて運び込んだ荷は先日サルドによって挙げられた品々で、主に綿織物、農具、宝石類である。別に扉の管理者があるから向こうについてから商品を仕入れても良いのだが、不自然に思われないよう持ち込むことにした。
午前中には荷積みが終わった。その間に旅団員の紹介をされたが、サルドに従う人魚族は5人ほどだった。少ない気もしたが、とにかくテルテナ島に向かって出発することになった。
海はずいぶんと穏やかだった。天気も良く、風向きも良好なようだ。麻で織られた大きな帆に目いっぱい風を受けて船が進む。奴隷達は初めての船旅に喜んだりおびえたりしていたが、あまり騒がないように命じたのでおとなしくしていた。
ちなみに船旅に連れてきているのはリース、ロル、アーシュ、ノーラの4人だ。残りは他の取引のために砂国の拠点に残している。サルドには、彼女達はアスタで情報収集してもらうために残ってもらったのだと説明していた。
「テルテナ島まではどれくらいでしょうか」
舳先で海を見つめていたサルドに話しかけると、海から目を離さずに答えられた。
「この時期は風もいいからな。5日もあれば着く。夜は海上だと危ないから、適当に上陸して夜営をするつもりだ」
「集落には入港できないのでしょうか」
「できなくもないが、他の部族を頼ると付き合いが面倒だ」
「わかりました。それなら魔粉末を用意しておりますので、使ってください」
「そうか、助かる」
この地域にも魔粉末は存在するようで、やはり結構な高級品だった。今回はガギルダに譲ってもらったのだが、小樽一個で金貨1枚を要求された。ユーチラス金貨で良いとは言われたが、足元を見られてしまった気がする。ゲルルグ原野産でも効果があればいいのだが、現地の人が使っている魔粉末を使わないと不安が残るから仕方ない。
その後も順調に船は進んだ。道中に海の魔物の襲撃もあったのだが、なんというか実感がわかなかった。魔物が出たとサルド達が騒ぎ出し、慌てて海に飛び込んで行ったと思ったら、しばらくして魔核を手に船に戻ってくるだけ。それで戦闘終了だ。
わかってはいたが、海の戦いは人魚族でなければ不可能な戦闘だった。海上からでは何をしているのかまったくわからない。ロルやアーシュは興味津々に海面を見下ろしていたが、さすがに参戦するのは難しそうだ。ゴーグルでもあれば見物くらいはできるかもしれないが。
◆
順調に旅を進めてきた3日目の夜には、カルサと呼ばれる島に上陸することになった。サルド達は地形をよく知っているようで、迷わず入り江に入ると、朽ちた桟橋のようなものに船を固定した。
「すぐに魔粉末を焚いてくれ。陸から魔物がやってくる」
「わかりました。リース」
「かしこまりました」
リースが魔粉末に火をともす間、島の奥に明かりを向け様子をうかがっていると、朽ちた小屋の土台のようなものがいくつもあることに気が付いた。そういえば、船をとめたのも桟橋だ。
「この島には人が住んでいるのでしょうか?」
「住んでいた、だな」
「何があったのでしょう」
「生贄祭でリヴァイアサンを見ただろう。あれの怒りに触れた結果だ」
リヴァイアサンの怒り――生贄を捧げなかった集落の末路か。
「カルサ島の住民が怒りに触れたのは10年ほど前。村人全員で戦いを挑んだそうだ」
「それは……勇敢な部族ですね」
「違う。生贄を用意できずに仕方なく挑んだのだ」
リヴァイアサンは集落ごとに年に一人の生贄を要求してくる。アスタのように大きな街ならば、魔法の素質を持つ者を探すこともあまり負担ではない。しかしこの島のような小さな集落では、毎年の生贄というのはかなり難しい条件なのだろう。
「当然勝てるわけもなく、島は一夜のうちに怒りによって滅ぼされたそうだ」
「リヴァイアサンの怒り、ですか。具体的にはどのようなものなのでしょう」
「生贄祭で見ただろう。リヴァイアサンは海を操る。怒りというのはあの巨体が空高く浮かび上がるような大波を作りだし、島にぶつけるんだ。建物は破壊され、草木は根こそぎになり、人々は沖へと流される。そうして島全体を洗い流した後、一人ひとり食い殺すんだよ」
島全体を大波で洗い流すのか。それはとんでもない規模だな。しかも海に流されたあと追撃までしてくるとは。
「さすがの人魚族の戦士たちでも、あの巨体はどうしようもありませんか」
「巨体だけじゃあない。リヴァイアサンの触手はメカジキよりも素早く襲い掛かり、皮膚はソルタートルよりも硬いという。どんな優秀な戦士だろうがひとたまりもないさ」
まともに挑んで勝てないということぐらい俺でもわかる。倒すのならば人魚族の戦士達が連携してぶつけなければならないだろうが、大波で流されてしまってはそれも難しかろう。
「海の中で戦えない私など、聞いているだけで身震いしてしまいます」
「陸の人間など、リヴァイアサンにとっては小魚以下の存在だ」
「仮にですが、サルドさんの旅団全員で挑んでもかないませんか?」
その質問に、サルドはふっと自嘲するような笑みを浮かべた。
「かなわない、というよりは戦えない、と言った方が正しいな」
「戦えない、ですか?」
「あぁ。リヴァイアサンは儀式のとき以外は遠洋にいるが、そんな場所で戦いを挑み、仮に追い詰めたとしても簡単に逃げられてしまう」
いかに人魚族といっても、魚より速く泳ぐことはできないらしい。まあエラみたいな首筋の切れ目以外、普通の人間と同じ見た目だし。
「そうなると戦うならば、生贄祭などで島の近くに来ているときになる。しかし陸地の近くに来ているときに戦いを挑み、万が一負けてしまうと、怒りによって集落が破壊されてしまう。だから戦えないのだ」
生贄祭の際、生贄以外の者が協力して戦いを挑んだことは過去にもあったらしい。しかしそれらの集落は例外なく破滅することになったそうだ。
「もしも陸地近くで、街を滅ぼされるリスクなく戦えるのであれば、サルドさんは戦いを挑みますか?」
「無意味な仮定だが……そうだな。リヴァイアサンを倒すことは我ら人魚族の戦士にとって夢であり悲願だ。奴のせいで何人の同胞が犠牲になり、どれだけの村が海の藻屑となったことか」
みると、サルドの目付きが厳しいものに変わっていた。先日ノーラの奴が『サルドがリヴァイアサンに敵意を持っている様子だ』と言っていたが、確かにそのようだ。海神とあがめられてはいるものの、海の戦士にとっては恨みも多い。実害を被っているからそりゃそうだが。
「サルドさんの島にもリヴァイアサンは来るのですね」
「あぁ。いまごろ資質を持つものを探しているはずだ」
「これから探すのですか。生まれてすぐに資質を調べておけば良いような気もしますが」
「魔法の素質というものは人によって現れる時期が違う。子供の時から使える者もいれば、老年に差し掛かってから持つ者もいる。だから毎年、すべての島民に魔法杖を使わせて調べるのだ」
「魔法杖……ですか」
「あぁ。サンゴの枝にソルタートルの魔核を縫い付けた杖だ。魔法の素質があれば、それを使って魔法を発動できるといわれている」
そういえば生贄の少女も杖を持っていた。魔法を使うために必要な道具というものは興味があるな。
「なるほど……それではサルドさんも戻れば、魔法の資質を調べるわけですね」
「そうだ。島民の義務だからな、例外は無い」
「しかしサルドさんは、島ではかなり身分が高いですよね。それでも生贄の資質を調べられるというのは、なかなか大変だ」
一瞬驚いた様子を見せたサルドだったが、すぐに微笑を浮かべて聞き返してきた。
「ほう? なぜ身分が高いと思った?」
「発言が普通の村人とは思えませんので」
「そうか……確かに俺はテルテナ島の長イスタ・ラウの長男、イスタ・サルドだ」
改めて名乗られたので、こちらも礼をして答える。
「ご丁寧にありがとうございます。私はリョウ・カガと申します。しかしなるほど。島の跡継ぎですか」
「そうだ。跡継ぎだからと言って、生贄選びに参加しない理由にはならないからな」
「いえ、そうではなく。跡継ぎなのに島を離れてアスタで旅団を率いていることに驚いたのです」
「まだまだ親父が現役でな。俺はこうして気ままに過ごせている。何かあれば跡を継がなければならないだろうが。それに……島にはテナもいる」
「テナといいますと?」
「妹だ。俺なんかよりもずっと出来がいい。もし仮に俺になにかあっても、あいつが長となればテルテナ島は安泰だろう」
そう言うサルドの表情は明るい。どうやら随分と自慢の妹のようだ。
「それはお会いするのが楽しみです」
「女隷属をぞろぞろと連れ歩くような奴に、テナは会わせられないな」
「では彼女らは上陸させません。私一人でも会いに参りましょう」
「ははは! 冗談だ。だいたい一人じゃなにも運べないだろうが。安心しろ、女連れだろうが歓迎してくれるさ」
◆
やがてカルサ島から2日ほどで、目的地であるテルテナ島に辿り着いた。点在する島々と同じく、草木の生い茂る見事なほどに熱帯の島だ。そしてとにかく暑い。不安定な船の上でずっと過ごしていたため、リースたちも元気がなかった。
そんな死にそうな様子の俺たちをしり目に、サルドは嬉々としてテルテナ島に上陸した。港の役割をしている入り江に入ると、波止場に飛び移る。するとすぐに周囲を島民らしき人々が取り囲んだ。
「サルドさん。お帰りなさい」
「あぁ、今帰った……テナはどこだ? あいつが迎えに来ないとは珍しい」
「……」
人々の顔が急に曇る。そして悲しげな表情でサルドに告げた。
「サルド。テナの奴は、生贄に選ばれた」
「……なんだと?」
「今は家に篭って瞑想しているところだ――サルド! 待て!」
男が言い終える前に、サルドは人々を押しのけ駆け出していた。ほかの人々も慌てて追いかけていく。なにやら、ただならぬ雰囲気だ。
「……行ってしまったな」
「はい。ご主人様、どうしましょう」
「とりあえず荷揚げだ。どこか荷物を置ける場所はありますか?」
サルドがいなくなったので、しかたなく手下の一人に聞いてみる。すると客人用の家があるはずだと答えられたので、案内を願い出た。旅団の連中はサルドが居なくなったことに動揺している様子だったが、それでもしっかりと案内してくれた。
結局、その日サルドは戻ってこなかった。