57. 神獣
57 神獣
買い出しに出ていたサラ達が抱えきれないほどの食事を持って帰ってきた。
「ご主人様。買ってきましたぁ」
「ご苦労。それじゃあ皆でいただこう。正午までに食べ終えるぞ」
リース達がてきぱきと麻の敷物を広げ、買い集めてきた食事を並べていく。香辛料を効かせた鶏の丸焼き。クフィムの肝の炒め物。炊き込みご飯のような見た目の焼き飯。どれもこれまでの国々とは違い、刺激的な味付けで美味しかった。スパイスがよく利いているのが印象的だ。
しかしここにくる途中でも見かけたが、どうやらこのあたりではコメがとれるようだ。もちろん日本にいたころと比べるとひどい質だが、コメであることに間違いはない。うまい品種があるかどうか探してみるのもいいかもしれない。
料理を食べ終わって片付けを済ませると、皆でリヴァイアサンの登場を待った。祭りの喧騒を遠目に見ながら、リース達とのんびり会話していると、やがて正午過ぎになった。
「ご主人様!」
近くにあった木に登っていたロルが声を上げる。
ようやく来たかと立ち上がり海を眺めると、ゆっくりと移動する黒い影が見えてきた。影は非常に大きく、息をのんでしまうほどの威圧感があった。
影の出現により、お祭り騒ぎだった周囲が徐々に静かになっていく。明らかに変化した雰囲気の中、影はゆっくりと入り江内に侵入した。十分な広さを持った入り江が、水槽かなにかと勘違いしてしまうほどに影は巨大だった。
生贄の少女の待つ祭壇の前で影は止まる。次の瞬間、海面が大きくうごめいた。
海面を隆起させながら出現したのは、巨大な海竜だった。全体の雰囲気としては巨大なウツボのような印象だ。ノコギリのように尖った歯が並ぶ巨大な口。ギラついた瞳と無数に生えた触手。そして光沢を帯びた黒い鱗を持つ頑丈そうな身体。おどろおどろしい姿も目を引いたが、それよりも大きさの方が驚きだ。
「あれが、リヴァイアサンか」
巨大すぎて遠近感がつかめないが、少なく見積もっても横幅が数十人分はある。海面に出ている頭だけでも周囲の木々より背が高いし、顔の大きさは下手な建物より大きそうだ。海中に隠れている全貌がどれほどのものなのか、想像もつかない。
『力を見せよ』
周囲を揺らすような声が聞こえた。おそらくリヴァイアサンの声だろう。どこから声を出しているのかも不思議だが、そもそも魔物ってしゃべれたのか。
「喋る魔物は初めて見たな」
「神獣が人の言葉を喋るという話自体は、物語本でよくみかけます。しかし実際に見るのは初めてです」
アーシュが嬉々として答えてくれる。彼女はエルフ特有の美しい顔を子供のように弾ませ、リヴァイアサンの威容に見入っていた。もともと物語本を読むのが好きなやつだ。神獣リヴァイアサンを目の前にして興奮しているようである。
「そうか。しかしあの大きさはさすがに驚くな」
「本当にすごいです。竜の巣に住むドラゴンは城のような巨体という話ですが、あのリヴァイアサンは城どころか城壁のような大きさです。すごい」
城壁とまでは言い過ぎでも、めちゃくちゃでかいことは間違いない。あんな巨大な魔物相手じゃあ、確かに戦いを挑む気にはならないだろう。つーか、人間が勝てる相手なのか、あれ。
入り江に視線を戻すと、祭壇に佇む生贄の少女が立ち上がるところだった。
神秘的な雰囲気を持つ、青色と白色の糸で紡がれた織物を身につけた少女が、手にしたサンゴの杖を握りしめてじっと目を閉じる。すると少女の前に広がる水面が膨れ上がり、巨大な壁となってリヴァイアサンの前に立ちはだかった。まるで水自身が意思を持ったような不思議な光景だった。
立ち上がった水壁はかなりの大きさだ。それは少女を守るようにうごめいていた。
「……あれが魔法か」
「水が意志を持っているようです。信じられません」
俺の独り言に、リースが律儀に答えてくれる。
「手に持っているものはなんだ? サンゴの杖に見えるが」
「わかりませんが、おそらく魔法を使用するため必要なのかと」
「あれを持てばだれでも魔法が使えるのかね」
「わざわざ魔法が使える生贄を指定するくらいです。限られた人だけでしょう」
そりゃそうか。ガギルダも魔法使いは珍しいと言っていたし。ただあの杖は気になるな。
「ご主人様。始まるよ!」
いつの間にか木から降りてきていたロルが、俺の肩に乗っかって身を乗り出した。次の瞬間、少女が手にした杖を突きだすのが見えた。それに呼応するように膨れ上がった海面が錐のように鋭く尖り、無数の槍となってリヴァイアサンへと襲いかかる。
しかしそれらはリヴァイアサンには届かなかった。無数にうごめく触手によって、ひとつ残らず撃ち落されてしまったのだ。
『我が血と魔の糧となれ』
周囲に響く低音でリヴァイアサンが宣言する。すると今度はリヴァイアサンの周囲にある海水が膨れ上がった。少女が必死な表情で再び水流を発生させ、リヴァイアサンの喉首辺りを狙って放つも、膨れ上がった海面に邪魔されてしまう。
「規模が段違いだな。アーシュ、あれがリヴァイアサンの怒りとかいうやつか?」
「聞いた話によれば、リヴァイアサンは海そのものを操るそうです。これまで数えきれないほどの集落を滅ぼしてきたというくらいですから、あの程度というわけではないでしょう」
海を操る……か。たしかにリヴァイアサン周辺の海面が大きく波打っている。しかしそのさらに向こう側、入り江の外は静かなものだ。海を操っているといっても、その範囲は入り江内だけ。規模が大きいだけで、やっていることは生贄の少女と同じように見える。
まあこの程度の力で問題無いという判断なのかもしれない。魔法使いとはいえ、少女1人を飲み込むには十分すぎるだろう。
その後は予想通り、一方的な展開となった。リヴァイアサンが作り出す無数の水柱を、少女も必死に水壁を造って防御していたが、結局は力尽きてしまった。最終的に少女はリヴァイアサンの触手につかまり、パクリと丸呑みされた。遠目には悲壮感もまるでなく、下手な人形劇を見ているようにあっさりとした光景だった。
『次なる機に新たな贄を捧げよ』
リヴァイアサンは唸るように宣言し、去っていった。固唾を飲んで見守っていた連中は、リヴァイアサンの姿が見えなくなった瞬間に歓声をあげ、脅威が去ったことを喜んでいた。
「なかなか興味深かったな」
「はい。あれほど巨大な魔物ははじめてみました」
「あれはちょっと倒せそうにないよー」
ロルは恐ろしかったのだろう、姉のリースの手をしっかりと握って犬耳を小さくしていた。
「伝説の神獣をこの目で見ることができるとは。感動しました」
「あの生贄の女の子、最期は苦しまないでくれたらよかったけどぉ」
目を輝かせるアーシュとは対照的に、サラは生贄の少女のことを思い悲しげにしていた。
「とても現実とは思いませんでした……」
「……恐ろしくて、震えが止まりません」
猫獣族のナスタとダークエルフのラピスは、二人ともずいぶんと怖がっていた。肩を寄せ合って震えている。その横でドワーフのアンは、少女のいなくなった祭壇をじっと見つめていた。
「……あれが魔法」
「どうされました、アンさん?」
アンの真剣な表情を不思議に思ったノーラが隣で小首をかしげている。どうやらアンは俺と同じく、儀式自体よりも使用された魔法に興味があるようだ。
リヴァイアサンの海を操作する力、あれはおそらく少女と同じ水の魔法だ。とんでもない規模で自由自在に扱っていたようにみえるが、実際は制約や制限があるだろう。
水が無いところでも魔法は使えるのか? 相手が操っている水は操れるのか? もっと威力は上がるのか? 海水じゃないとだめなのか? 操れる範囲は? 量は? 精度は?
疑問はいくらでも湧いてくる。とにかく、魔法についてはもっと情報を集めるべきだな。
「魔法については俺も興味がある。アン」
「あっ……はい、ご主人様」
「何かわかったら教えてやるから、お前は取りあえず例の仕事を進めておいてくれ」
「……わかりました」
その後、指示を出して先日借りた倉庫に撤収する。生贄祭が終わりリヴァイアサンは去ったので、明日にはテルテナ島に出発できるだろう。