56. 接触
56. 接触
わざわざ訪ねに来たということは、すでに組合とやらは俺を認識しているらしい。俺としては目をつけられる前に街を出たかったのだが、さすがというところか。
しかしまあ見つかってしまった以上、この場で拒否したところであまり意味も無いだろう。
「話を聞こう。通してくれ」
「かしこまりました」
リースが男を案内してきた。相手は一人だが、俺の隣にはロル達が警戒した様子で侍っている。この状況でいきなり襲い掛かってくることはないだろう。
「お目にかかれて光栄です。私はシアンと申します」
男は優雅な動作で礼をして見せた。俺よりもずっと背が高く、目の前まで来ると見上げなければならないほどだ。真っ黒な短髪の間からは灰色の狐耳が見える。どうやら狐獣族のようだ。
「リョウと申します。シアン殿はクー国の商人だそうですね」
「えぇ。商人組合に所属する行商人であります。今回はリョウ殿にご挨拶をと考え、こうして声を掛けさせていただきました」
「それはわざわざありがとうございます。私に、何かお話しがあるとか?」
「聞いたところによりますと、リョウ殿は西から来訪されたとのこと。それならば私に何か手伝えることがないかと」
いったい誰から聞いたのだろう。この街で俺を知っているのは、ガギルダとサルドくらいしかいない。あの二人から組合に情報が行くとは思えないが。
「そう不思議がらないでください。貴方が西から来たという話は、内陸部を巡る行商人から聞いただけです」
ということは、西というのは内陸部のことで、西方諸国のことじゃあないか。それなら俺も内陸部を巡る行商人ということにしておこう。
「そうですか。確かに私は内陸部から来ました。しがない行商人ですよ」
「リョウ殿。貴方は香辛料を求めて西方諸国から来られたのでしょう?」
さも当たり前のようにシアンは言ってきた。一瞬動揺して言葉が詰まりかけるが、何とか平静を装い聞き直す。
「西方諸国? それは、どこの国のことでしょうか」
「もちろん言葉どおりの意味です。しかしなるほど、信じられないが本当のようだ」
カマをかけられただけかよ。しかもあっさり見抜かれた。うまくとぼけたと思ったのに、そんなに表情に出ていたか。
しばらく微笑を浮かべたまま黙っていたが、シアンはニコニコと笑顔を浮かべるだけだった。確信めいた表情に、思わず眉をひそめてしまう。どうやら誤魔化せそうにないらしい。
「失礼ですが、なぜお分かりに?」
「それはもう、とても珍しい奴隷を従えていますからね」
「……なるほど」
どうやらリース達を見て、俺がただの商人ではないと気が付いたらしい。ゾロゾロといろんな種族の美人を連れておいてただの行商人というのは、言われてみれば無理があるな。
しかし不審に思ったとしても、西方諸国から香辛料を求めてきたことまで一発で見抜いてくるとは。
「そちらは犬獣族の娘でしょう? あちらにはエルフも見える。ということは、クー国の西にある大森林周辺を通られたはずです。しかし北の関所を通ったという情報はないので、少なくともクー国を経由しているわけではない。そうなると大森林の反対側――西方諸国からやってきたということでしょう。西方諸国の人間がクー国を経由せずに来る方法があるとは驚きですが」
「……香辛料を求めてというのは、どうしてそう思われたのでしょう」
「西方諸国の商人がわざわざ南部諸島に来る理由など、香辛料くらいしか思いつきません」
どうやらバレバレらしい。連れている奴隷を見ただけでそこまで見抜いてしまうとは、なかなか切れる男だ。どこかの妖精猫族を思い出してしまうな。
「なるほど。見事な推理です。たしかにおっしゃる通り、私は西方諸国から香辛料を求めてやってきました。それを踏まえた上でもう一度お聞きします。なにかお話しがあるとか?」
そこまで読んだ上で話しかけてきたということは、何か目的があるのだろう。この場ですぐに考え付く事は二つ。俺が西から持ってきている商品の取引か、もしくは俺が通ってきたルートに関する情報か。前者ならいくらでもごまかしが利くが、後者はどう説明したものか。大砂漠を抜けてきたこと自体は事実だが、どうやってと言われると困ってしまう。扉の管理者のことには触れずに、何とか誤魔化せればいいが。
そんなことを考えながらシアンの答えを待っていると、彼は小さく肩をすくめながら言った。
「それほど大した用ではありません。珍しいお方ですので、挨拶をしておきたかっただけです。それとこの街で取引を行うのであれば、我々組合を通して行うことをお勧めしますよ」
「それは……わざわざありがとうございます。考えておきましょう」
組合に黙って取引するな、と釘を刺しにきたということか。ずいぶんと穏便な脅迫だ。組合と敵対している人魚族のガギルダやサルドと関係を持っているという情報は知っていてもおかしくはないが。
「もう一つ。もしもリョウ殿が北の関所を超えてクー国に向かうのであれば、力になれると思います」
「クー国ですか」
「えぇ。その時はぜひわたくしシアンへ、個人的に声をおかけください。それでは」
シアンは礼をした後、にこりと笑みを浮かべて去って行った。あまりにあっさりと去ってしまったため、あっけにとられて声を掛けられなかった。
しばらくして我に返り、隣で同じく目を丸くしていたリースに話しかける。
「……得体のしれない男だったな」
「はい。目的がよくわかりませんでした」
特段何か妨害してくるという訳でもないらしい。しかしリースの言う通り、わざわざ挨拶に来た目的が謎だ。最後に言っていた、個人的という言葉は気になるが。
まあ数日中にはアスタを出発するんだ。今は深く考える必要はないか。
「本当に様子をうかがいに来ただけなのかもな。それより、俺の嘘はそんなにバレバレだったか?」
「と仰りますと?」
「最初の西から来たといった時だ。とぼけてみたが、あの男には全く通じなかった」
「そこまで不自然には見えませんでしたが」
リースが首を振る。ほかの皆にも聞いてみるが、みんな首をかしげるだけだった。ただ一人、狐獣族のノーラが控えめに言ってくる。
「狐獣族には、他人の感情を読み取ることに長けた者が多いそうです」
「感情?」
「はい。昔、母から聞いたことがあります。中には他人の考えを言い当てる者までいるとか」
そりゃあやばい。商売において読心なんかする連中を相手にしちゃあ、駆け引きも何もあったものじゃあないぞ。
「ノーラもそういうことができるのか?」
「いえ、私はほとんど……せいぜい他人が怒っているかどうかくらいしか」
「具体的には、どんな感じでわかるんだ?」
「人が話しているときに、言葉が赤く聞こえるときがあるのです」
「赤く聞こえる?」
「はい。そういう時は大抵の場合、その人は怒ってるみたいです。怒っているときだけでなく、危害を加えようとしているときにも聞こえます」
「敵意を持っている人間の声が、赤く聞こえるということか」
ノーラはこくりと頷いた。言葉が赤く聞こえるというのは、いわゆる共感覚だろう。相手の言葉や話し方の刺激が聴覚だけではなく視覚と結びついてしまい、音に色がついて聞こえてしまうというやつだ。狐獣族にはそういう体質の者が多いということか。
「最近、赤く聞こえたことはあるか」
「えっと。例えば先日お会いしたサルド様は最初真っ赤な言葉でしたが、途中から色が消えました」
確かに昨日のサルドは警戒している様子だった。それくらいなら俺でもなんとなくわかる。
「さっきの男はどうだった?」
「さきほどのお方の声は、不思議な色に聞こえましたが、少なくとも赤くは無かったです」
ということは、明確な敵意を持っていたわけではない、と。不思議な色というのは少し気になるが。
「不思議な色というのはどういう意味だ」
「わかりません。あんな色の声の方は初めて見ました」
「そうか」
残念ながらわからないらしい。あまり明確なものではないみたいだ。訓練すればもっと実用的になるかもしれないが。
「ノーラ。お前は良い特技を持っているな」
「あ、ありがとうございます」
「今後もし変な色が聞こえたら教えてくれ。それと俺やロル達との会話の中で変わった色が聞こえたら、本人に確認して色の意味を理解してみるといい」
「は、はい」
そう言って大きな狐耳を撫でてやると、ノーラは頬を染めて礼を言った。どれくらい使えるのかは未知数だが、なかなか興味深い。
「ちなみに、俺の言葉で赤く聞こえたことはあるか?」
「め、滅相もございません」
「一度もないのか? どういうときに聞こえるのか参考にしたいのだが」
「勿論でございます。お会いしてからこれまで、ご主人様の御言葉は一度も赤く聞こえたことがありません。優しいご主人様にお仕えできて、大変うれしゅうございます。どうか今後とも、使っていただければ嬉しいです」
どうやらノーラに対して、最初から好意的だったらしい。下心は普通にあった気がするが、敵意ではないということか。どういう基準で判断しているのかわからんな。
「それじゃあ、赤く聞こえたのは昨日サルドに出会ったときくらいか」
「はい……あ、でも」
ノーラがはっと思いだしたようにつぶやいた。
「昨日のサルド様ですが、最初以外にも赤い声の時がありました」
「いつだ?」
「海神様の話題になった瞬間です」
海神リヴァイアサンに話が移った際、サルドの声に敵意がこもったそうだ。俺は気づかなかったが、まあ別に変な話じゃあない。リヴァイアサンはサルドのように海を縄張りにしている人魚族には嫌われているのだろう。