55. 生贄祭
55 生贄祭
翌日は朝早くから、街外れの丘にやってきた。そこから見下ろせる入江に築かれた祭壇には、美しい黒髪の少女が一人、立ち尽くしていた。どうやらあれがリヴァイアサンに捧げる生贄らしい。見た目にはロルくらいの年の少女に見える。
周囲にはまだ少なかったが、街の方は人であふれている。ここにくるまでに人々の様子を観察したが、これから少女がリヴァイアサンの生贄に捧げられるにもかかわらず、みな浮かれた様子だった。出店も賑わっているようだし、大道芸人も繰り出している。悲壮感は全く感じない。
儀式の時間になれば、連中は入り江に集まってくるのだろう。そして命を捧げる少女を見物して楽しむ。これがアスタにおける常識か。
「自分達の街のために命を投げ出す少女を前にして、この大騒ぎとはのんきなものだな」
「はい。もっと厳粛な雰囲気なのかと思っていました」
俺のつぶやきに、横に侍っていたリースが答えてくれた。今日は儀式とやらを見物するため、リースを含めた奴隷たちを全員呼び寄せている。
「生贄にされるのが自分や身内でなければ他人事ってことだろう」
「そういえば帝国でよく行われている獣人に対する処刑の場でも、このような雰囲気がありますね」
「あぁ、それと同じだな」
帝国の広場で定期的に行われる獣人の処刑は、帝都にすむ人族にとっては最高の娯楽になっている。この生贄祭とやらも、アスタの街の連中にとっては娯楽の一つなのだろう。
「でもご主人様。こんな街のそばにまでやってくるなら、リヴァイアサンなんてみんなで倒しちゃえばいいと思うけど」
リースとの会話に妹のロルが口を挟んできた。小首を傾げる姿は可愛らしい。犬耳が添えられたやわらかい銀髪に手を乗せ、その感触を楽しみながら答える。
「単純に考えればそうだが、失敗したときのリスクが大きすぎる。討伐しきれなければ怒りとやらで街ごと滅ぼされるらしいからな。そんな危険な賭けをするくらいなら、少女の命一つを捧げたほうがましだろうよ」
「うー、それはそうかもしれないけど……」
掌の下で、ロルは不満顔を浮かべていた。この可愛らしく純粋な戦士には、勇敢に戦うことをせず毎年リヴァイアサンに生贄を捧げ続ける風習が不思議でたまらないようだ。
しかし実際、少女1人の命で回避できる脅威に対して、わざわざ街が滅ぼされる覚悟で戦いを挑むのは難しいだろう。1年に1人の生贄を捧げる必要があるといっても、適当に身分の低い者を選べば権力者にとっては大した重荷じゃないだろうし。
「さて、リヴァイアサンがやってくるにはまだ時間がありそうだな」
「そのようですね。いかがなされますか? 中心街に出られるのならば、この場所に誰か残しておきますが」
「いや、人込みには入りたくないから俺は残ろう。サラ」
「はぁい」
牛獣族のサラに声をかけると、舌足らずな返事をしながら進み出てきた。
「アーシュとラピスを連れて適当に昼飯を買ってきてくれ。旨そうなのがあれば片っ端から買ってこい」
「わっかりましたぁ」
先日仕入れておいた宝貝を大量に渡すと、サラとアーシュ、それにダークエルフのラピスの三人は連れ立って丘を下っていった。その姿を見送ると、入れ替わりで見知った顔がやってくるのが目に入った。
「リョウ殿」
「これはガギルダさん。こんにちは。このような良い場所を教えていただき、ありがとうございました」
慌てて立ち上がり礼を述べる。今いる丘から儀式を見下ろせるという情報は、このガギルダから教えてもらっていた。
「実は祭壇傍の見物席に一人くらいなら入れそうなんだ。お前さんだけなら連れて行けるが、どうする?」
俺一人ってことは、リース達を連れていけないのか。それはちょっと微妙だな。
「ありがたいお話ですが、私は他所者ですので、神聖な儀式を邪魔するわけにはいきません。遠慮させてください」
「そうか」
「それにこの丘から見降ろしていたほうが、リヴァイアサンの巨大さというものも実感できそうです」
「なるほど、たしかに」
リヴァイアサンはとても巨大な魔物だという。あまりに大きすぎて、目の前にするとその全貌が把握しきれないそうだ。それならばこれくらい遠くからのほうが、見物するには好都合だろう。
ガギルダは機嫌よさげな笑顔を浮かべて答える。
「リヴァイアサンの巨大さも良いが、やはり俺は儀式を近くで見る方が好きだな」
「儀式、ですか。あの少女がリヴァイアサンに食べられるだけでは?」
「最終的にはもちろんそうだが、それまでの過程が見物なのだ。儀式というのは、魔法を使う贄と海神リヴァイアサンとの決闘だからな」
「魔法……ですか」
「そうだ。リヴァイアサンに捧げられる生贄は魔法の素質を持つ者だけだ。我らがリヴァイアサンに歯向かえば集落ごと滅ぼされるが、生贄の者だけはリヴァイアサンに挑むことが許されている。儀式というものは、魔法使いがリヴァイアサンに挑む決闘なのだ」
生贄は適当に選ばれたのだと思っていたが、あの少女は魔法使いなのか。
「それは、なかなか見ごたえがありそうですね」
「あぁ。今回の生贄はなかなか良い素質を持つらしい。良い戦いをしてくれれば、それだけ長く楽しめるのだが」
魔法使いによる決闘と聞いて少しテンションが上がった。しかしガギルダの態度を見ると、少女が勝つ可能性は皆無のようだ。まあいくら魔法が使えても、海神とまで呼ばれる魔物が相手では厳しいのだろう。
「私は魔法使いというものを見たことがありません。この辺りでは珍しくないのでしょうか」
「珍しいか珍しくないかと言われれば、そりゃあ珍しいさ。ただ素質を持つものを見つけなければ街が滅ぶ。毎年みなで必死に探すのさ」
街中を探せば1年に1人くらいは見つかるらしい。なにか探し方でもあるのだろうか。しかし普通の少女ならともかく、魔法使いを毎年生贄に捧げるというのは勿体ない気がするな。
「例年だと、リヴァイアサンがやってくるのは正午過ぎだ。それまでは祭を楽しむといい。それじゃあ、俺はそろそろ行くぞ」
「はい。わざわざありがとうございました」
もう少し話を聞きたかったのだが、他にも用事があるようで、ガギルダは話を打ち切って去っていった。また機会があれば詳しく聞いてみよう。
その後、リース達と雑談しながらサラ達買い出し部隊が帰ってくるのを待っていると、見慣れない男が近づいてきた。
刺繍のほどこされた立派な服に身を包んだ細身の男だった。さも当たり前のように近づいてきたので俺は気づかなかったのだが、警戒していたリースとロルが抜かりなく男の前に立ち塞がった。
「ご主人様。クー国の商人のシアンという者だそうです。お話ししたいことがあると」
先に話を聞いたリースが伝言を持ってきた。クー国の商人というと、組合とかいう組織の者か。こんなに早く接触してくるとは。
さて、どうするか。