54. 旅団
54 旅団
ガギルダによって案内されたのは、アスタに面した海岸沿いだった。海に面した岩壁にはいくつも穴が開いており、そこから足場のような板が張り巡らされている。この辺りが人魚族の住む区画のようだ。
崖に張り巡らされた道を、少しびびりつつ進んでいると、前を歩くガギルダは機嫌良さげに言ってきた。
「この辺りは人魚族の縄張りだ。同じ人魚族の者と一緒じゃないときは、あまり来ない方がいい。特にお前のような人族はな」
「私のように首筋を隠した服装をしていれば、人族なのか人魚族なのか区別がつかないのでしょう」
「そうでもないさ。例えば人魚族は寝るとき以外、目を閉じる必要が無いんだ。だから瞬きしているやつは人魚族じゃあないとすぐわかったりするのさ」
「へぇ」
豆知識を教えてもらいながら、崖に渡された足場をつたって歩いていると、ある洞穴にたどり着いた。入り口に座っていた若い男に、ガギルダが声を掛ける。
「よう。サルドはいるかい」
「ガギルダの旦那。サルドなら、奥に居ますよ」
「そうか。客を紹介しにきたんだが」
「そうですか。それなら案内しましょう」
案内された洞穴には明かりが灯されていたものの、むき出しの壁や床にはコケや貝がへばりついており、かなり磯臭い。途中に見かける人々は上半身をはだけた男たちばかりであり、荒々しい雰囲気の彼らの首筋にはすべて、エラのような切れ込みがあった。
「ガギルダか」
案内された先にいた男が、ガギルダを見て立ち上がった。ガギルダも嬉しそうな笑顔を見せながら握手する。
「久しぶりだな。サルド。元気そうでなによりだ」
「お前もな。今日はどうした?」
「仕事を持ってきた。この男の護衛を頼みたい」
ガギルダが、サルドと呼んだ男をこちらに紹介する。なかなか端正な顔立ちをした若い男だ。はだけた上半身は細身ながらもがっちりしており、自信に満ち溢れた雰囲気だ。集団のリーダーなのだろう。
「商人のリョウと申します。よろしくお願いします」
「サルドだ。見たところ人族のようだが?」
「リョウ殿は商人だ。だがクー国の人間じゃあない。驚くなよ、西の大砂漠から来たんだ」
ガギルダの言葉を聞いて、サルドは目を丸くして見せた。
「西の大砂漠だと? そんな場所に人間が……」
「あぁ。西から商人が来るなど聞いたことが無い。話を聞いたがホラを吹いているようには思えない。おそらく本当なのだろう」
「ガギルダが言うのであればそうなのだろうが、しかし驚いたな」
最初は値踏みするような視線を向けてきたサルドだったが、ガギルダの説明を聞いてうなずいていた。
「それでサルド、仕事の話だ。リョウ殿は香辛料を仕入れたいそうだ。お前の故郷に連れて行ってくれないか」
「テルテナ島にか?」
「あぁ。島は収穫期を終えたころだろう? リョウ殿はそれらを西に持ち帰りたいと考えているそうだ」
「それはかまわないが……リョウ殿、一つだけ確認しておきたい。貴様がクー国の人間でないことを証明できるか?」
警戒した様子で、サルドが質問してきた。どうやら重要なことらしい。
「仮に私がクー国の人間だと、何か問題があるのでしょうか」
「旅団の掟により、我々はクー国の連中とは商売をしない。もしもクー国の人間ならば、いますぐここから追い出さねばならないのだ」
何か因縁でもあるのだろうか。少し気になるが、今は関係ないか。
「それならばご安心ください。先ほどガギルダさんが言っていたように、私は西の大砂漠の先にあるラーシャーンという国からやってきました。その前はさらに北にある西方諸国という国々に住んでおりましたが、どちらもクー国からは遠く離れた異国であります。残念ながら身分証のようなものは持っていませんが、これで信じてもらえないでしょうか」
懐から西方諸国の通貨であるユーチラス金貨と、砂国の通貨であるホル・アハ宝貨を取り出し、サルドに差し出して見せる。
「こちらが帝国の金貨であるユーチラス金貨です。こっちの緑色のものは砂国のホル・アハ宝貨。これらの貨幣はおそらく、クー国ではあまり見られないのではないかと思います」
「確かに……珍しいものだな」
「他にはそうですね、私が今着ているこの服などはどうでしょう」
そう言って、麻布のマントを脱いでみせる。その下に来ていた綿織物の服を見せて説明する。
「これは綿という植物から取れる繊維で作られております。おそらくこの辺りにはないものでしょう」
「確かに……」
少なくともここに来る道中では、綿を使った製品は見かけなかった。砂国では何でもないこの服もここでは相当珍しい品のはずだ。実際色合い豊かな砂国の綿製品に、サルドも驚きを隠せない様子だった。
「リョウ殿は西の辺境にある村の主であるギーヌという男の紹介でやってきた。奴は昔アスタに住んでいた兎獣族だが、信用できる男だから間違いはないだろう」
「そうか。確かにクー国の者ではなさそうだな」
どうやら納得してくれたらしい。サルドが向き直って頭を下げてくる。
「リョウ殿。疑って失礼した」
「お気になさらず」
後でガギルダに聞いたところ、人魚族や兎獣族を中心に、南部諸島に住む人々の多くがクー国の人間を嫌っているらしい。理由は昔から宝石類や香辛料を巡って、何度も争いが起きているからだそうだ。
「それではリョウ殿。我らイスタ旅団の誇りに誓って、貴殿をテルテナ島へと案内しよう」
「ありがとうございます。代金はいかほどになるでしょうか」
「そうだな。テルテナ島までなら上質な青宝貝100枚で請け負おう。復路も必要ならさら50枚だ」
「復路については、すぐにはアスタに戻らないかもしれませんので着いてから決めさせてください。それと支払いは商品でもよいですか?」
「島に必要な物資を商うのならば、それらで支払ってもらっても結構だ」
宝貝は今の所あまり持っていないので、物々交換のほうが楽だ。
「それでは商品を商いましょう。具体的にはなにを商えばよいでしょう」
「島では得られないものだな。鉄製品の農具、衣服、装飾品、嗜好品なら喜ばれるはずだ。使う船は後で見せてやるから、確認するといい」
「わかりました。十分に用意しておきましょう。では、明日にでも出発したいのですが」
「いや、明日出発するのは無理だろう。明後日だな」
サルドが目をつむって首を横に振った。無理というのはどういうことだろう。海が荒れるのだろうか。そう思って次の言葉を待っていても、サルドは当たり前だろう? といった様子で肩をすくめるだけだった。
見かねたガギルダが苦笑しながら言ってきた。
「リョウ殿ははるか西方から来たばかりだ。祭のことは知らないだろう」
「そういえばそうか。失礼した」
「祭、ですか?」
「あぁ。明日から生贄祭が始まる。海神リヴァイアサンを祀る祭だ」
「海神リヴァイアサン」
「あぁ。リヴァイアサンはレバ海の主にして支配者だ。レバ海に面する集落では年に一度、リヴァイアサンに生贄をささげる必要がある。もしも生贄を捧げなければ、リヴァイアサンの怒りによって街は滅ぼされると言われている」
街自体が滅ぼされてしまうとは、スケールの大きな話だ。誇張はあるかもしれないが、とてつもなく強力な魔物なのだろう。
「その生贄を捧げる祭りがアスタでは明日から開かれるのだが、生贄祭が終わってリヴァイアサンが遠洋に去るまでは、出発しないほうが賢明だろう。もしも遭遇すれば、サルド達のような人魚族の戦士と言えども命はないからな」
砂国でもシクル島との海峡に白鯨という強大な魔物がいたが、リヴァイアサンというのもその類なのだろう。海中で戦える人魚族でさえ手におえないのなら、どうしようもないな。
まあ、特に急いでいるわけではない。言う通りにしておこう。
「それでは、生贄祭が終わるまで待つことにしましょう」
「あぁ。それじゃあ出発する準備が整ったら人をやる。船はこちらで用意するから、それまでに商品を用意しておいてくれ」
「わかりました。よろしくお願いいたします。サルドさん」
「よろしくな」
その後、しばらくアスタに滞在するための物件を紹介してもらう約束や、移動に使う船の確認などをしておいた。会話の中で、ガギルダが明日から始まるという生贄祭についても教えてくれたのだが、特にリヴァイアサンが現れる入り江で行われる儀式というものは見物したほうが良いという話だった。
「その儀式というものは、他所者の私でも見学できるのですよね」
「勿論。あとで良い場所を紹介してやるさ」
「ありがとうございます」
生贄祭。生々しい名前だが、海神リヴァイアサンとやらを見物できるとなると、なかなか面白そうだ。