44. ナスタの仇討
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ニクスの屋敷への扉を閉じたのち、夜明けまでは倉庫で過ごすことにした。ニクスの奴隷たちについては、とりあえず危害を加えることはないと伝え、今はラピスを見張りにつけシクル島の小屋で軟禁している。
奴隷たちには交代で寝ずの番に立ってもらい、俺は倉庫内で毛布にくるまって休んでいた。あまり眠れそうにないが今夜は仕方ないだろう。
「ご主人様……」
赤茶色の猫耳を不安げに小さくさせたナスタが、目の前にやってきて跪いてきた。そのまま土下座のような格好で頭を下げてくる。
「先程は……命令を遂行できず、申し訳ございませんでした」
命令。ニクスを殺さなかったことか。まあ随分と動揺していたし、あの様子じゃあ殺すのは難しかっただろう。
「気にするな。できないことを命令した俺も悪い」
「本当に……申し訳ございません」
さらに気落ちするナスタ。うーん、言葉選びを失敗した気がする。
「とにかく、親父さんの仇は取ったんだ。そんなに落ち込むな」
「……父が貴族の怒りをかった後、私はしばらく貴族の屋敷に拘束されていました」
ナスタは突然、吐き出すように喋り出した。
「最初から奴隷商に性奴隷として売られることは決まっていたのでしょう。暴行されることもなく、食事も良いものを与えられて過ごしました。その時には恥ずかしながら、生まれて初めての待遇を受けたので、貴族には感謝の念すら覚えていました」
飴を与えられたわけだ。まあ、下手に反抗されても面倒なだけだろうし。
「恨みを持たれるよりは復讐されづらいとでも考えたのかもな」
「おそらくそうだと思います。私自身、奴隷商に売られていく頃には、貴族やニクスに復讐しようという気持ちは薄れていたように思います。しかし私が奴隷商に売られていく際、見てしまいました。貴族の屋敷の庭にある樹から、父の死体が吊り下げられているのを」
それはまた詰めが甘い貴族だ。何のために飴を与えていたのやら……いや、案外何も考えていなかったのかも。
「それは、きつかったな」
「……その死体を目にしてからは、その時の姿のまま生気を失った表情で立つ父の姿が、毎日のように夢に出てきました。そして言うのです、仇討をしてくれと。私はその姿が恐ろしくて堪りませんでした」
ぶるぶると凍えるように震え始めるナスタ。両肘を抱え、必死に震えを押さえつける。
「ご主人様に買われてすぐにニクスが現れた時には、驚いたと同時にチャンスだと思いました。夢枕に立つ父から解放されるため、隙をみて復讐を果たそうとしました。結局、機会はありませんでしたが」
たしか屋敷でニクスを迎えたとき、ナスタは部屋の外に置いていたはずだ。同席させていたら襲いかかっていたのか。さすがにあの場で殺されていたら誰かにバレていただろう。危なかったな。
「そんなに恨んでいたなら、俺が復讐は後回しにすると言った時は不満だったろう」
「め、滅相もございません、むしろ逆でございます。ご主人様がいつか仇討してくださると約束してくださって安心いたしました。他の皆様方にも慰めていただき、最近は父が枕元に立つこともなくなっていたのです」
うちの奴隷達の中では、リース姉妹が親を殺されている。詳しい状況は聞いていないが、二人の目の前で殺されたそうだ。ナスタとはその辺りの過去で共感しあえたのだろうか。奴隷の会話までは把握していないのでわからないが。
「しかし先程はせっかく仇討の機会を与えられたにもかかわらず、醜態をさらしてしまいました」
またそれか。気にするなと何度も言っているのに。
「まあ気にするな」
「……どうか、ご主人様にお願いがございます」
「お願い?」
「父の仇に手も下せないような臆病な私です。ご主人様の迷惑となる前に打ち捨てていただいた方が良いかと思います。その際はどうか、ご主人様の御手で下していただければ幸せでございます」
打ち捨ててくれというと、殺してくれということか。馬鹿らしい。
「ナスタ、こっちにこい」
「はい」
ナスタの小さな身体を抱き寄せ、目の前に座らせる。決死の覚悟を決めていたナスタの頬を、ぐいっと抓ってやる。ぶうっと間抜けな顔になったナスタが慌てて取り繕う。
「ご、ご主人様、なにを――」
「いいかナスタ。人にはそれぞれ役割というものがある。俺の奴隷であるお前たちもそうだ。リースならば皆をまとめる、ロルなら俺を守るといった具合にな。そしてナスタ、お前にはお前の役割がある」
「役割……」
「そうだ。お前に人を殺すことなんか求めてはいない。お前に期待しているのは商売についてだ」
実際ナスタは商人の娘だったこともあり、計算や帳簿をつけたりする作業は驚くほど速い。今はリースと一緒に綿織物の取引をさせているが、リースは将来的にも俺の傍に置いておくつもりなので、いずれ砂国での取引はナスタに仕切ってもらうことになるだろう。
「お前や他の奴隷達がそれぞれ厳しい過去を持っていることは知っている。だけどそれは俺の奴隷になったいまは関係のない話だ。仇敵すら殺せないことを恥じて死ぬくらいなら、俺に尽くすことに命を捧げろ」
「……かしこまりました」
ナスタが涙を浮かべながら頭を下げてくる。その細身の体に腕を回し、腕の中でしおらしくするナスタの頭を撫でてやる。
「ご主人様」
「なんだ?」
「仇を取っていただき、ありがとうございました」
「……あぁ」
そのままナスタを抱いたまま目を閉じた。それまで眠れなかったのが嘘のように、深い眠りに落ちることができた。
◆
「ご主人様。朝です」
「……そうか」
毛布をかぶって寝ていた俺をリースが起こしにきた。抱いていたナスタも身体を揺さぶって起こすと、もぞもぞと毛布から這い出していた。
手渡された水を飲み干し、状況を聞く。
「どうなっている?」
「街の中は今も静かです。サンドアントも姿を見せていません」
「そうか」
もし筆頭魔導士のランディスとやらがクイーンアントを倒したという報が出回ったならば、ネフェルが使いをくれることになっているはずだが。
「……使いはまだ来ないか」
「はい。もう日が昇り始めておりますので、これはもう――」
「ご主人様! サンドアントがまた湧き始めたよ!」
屋根の上で見張りをしていたロルが大声を上げてきた。どうやら朝になったのでサンドアントが活動を再開したらしい。それはつまり――
「どうやら筆頭魔導士とやらは負けたようだな」
「そのようです」
「それじゃあ始めるか」
ぐっと意識して、扉の管理者の操作ウィンドウを呼び出す。そして先日設置した印を選択し、扉(小)を複数開くことにした。つなげる場所はサンドアントの巣穴の入り口と湖の水中だ。