40. 散策
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ネフェルとの商談を終えると正午を過ぎていた。この後の予定も特になかったので、少し街をぶらぶらしてから帰ることにした。
「リースとナスタは屋敷に戻って綿織物を受け取っておいてくれ」
「ご主人様はどうなさるのでしょう」
「俺は街を散策してから戻る。ロル、ついてこい」
「はい!」
黒っぽい犬耳をぴょこんと立てて、元気よく返事をするロル。こいつを連れていれば大抵のことはなんとかなるだろう。
「かしこまりました。それではロル、ご主人様をしっかりお守りするのですよ」
「まかせて。姉さま!」
リースとナスタの二人と別れ、ロルを連れてまずは市場へと向かう。この街の市場はラーシャーン砂国で随一の規模であり、各地から様々な種類の品物が揃っていた。
ラーシャーン砂国にやって来て一ヶ月弱だが、この国については大体わかってきた。この国の地域はおおざっぱに言って、それぞれ4つの方面に分類できるようだ。
まず北から東にかけて。こちらは大砂漠に囲まれており、人は住んでいないと認識されているようだ。一部の商人達にはタタールやガロン帝国などが北の国として認識されているが、ほとんどの国民は知らず、北東方面はひたすら不毛な大地が続くと信じられていた。
次に東から南にかけて。こちらも大半は大砂漠に覆われているが、ある程度南に行くと沼地が広がっているらしい。沼地には強力な魔物が棲みついているため、砂国の人々は滅多なことでは近づかないそうだ。ただ沼地にはダークエルフの他、蛇族や蜥蜴族などの少数民族がすみついているので、彼らとの交流はあるらしい。特産には薬草類や魔核のほか、水牛などが有名である。
南から西にかけては、川沿いに多くの街や村が形成されている。ラーシャーン砂国の中心地域と言えるだろう。河口の街ラースまで続く街道沿いには多くの畑が整備されており、小麦と綿花のほかにも様々な農作物が得られていた。また家畜としてはヤギやラクダなどが多く飼育されているようだ。
最後に西から北にかけて。こちらも多くの集落が連なっているが、ずっと北西に進むと竜の巣の南端にぶつかる。ラーシャーン国の産物として有名な宝石類は、真珠以外はこの北西部から得られるそうである。ちなみにあのニクスという宝石商人は、この北西部一帯を支配する豪商である。
今いる首都ラーシャーンの市場には、これら各地方から輸入されたものが揃っている。その中でも目を引くのは、やはり綿織物の種類の多さだろう。この国の人たちはみな綿織物の衣服を着ているが、染色や仕立てなど品質の高さは目を見張るものがある。
これだけ砂国で普及している綿織物が、どうして西方諸国では知られていないのか不思議でたまらない。大砂漠の過酷な道のりと、岩石地帯とゲルルグ原野に出現する大量の魔物を超えて行商することがそれほどまでに難しいのだろうか。
俺の場合は扉の管理者を使って、毎日拠点に戻りながら進んだから余裕だった。しかし実際に西方諸国とほとんど断絶されている様子を見ると、冒険者のフィズが言っていたように割に合わないのだろう。
他にも理由があるのかもしれないが、ともかく俺にとっては好都合である。砂国に綿織物が大量に流通しているということは、大量に輸出できるということだ。確かに砂糖も莫大な利益になるが、いまのところ扱える量は少ない。しばらくはこの綿織物の輸出がメインになるだろう。
「ご主人様! これ、すっごく美味しいです!」
市場を見て回っているとき、クレープのような薄いパンを売っていたので買ってやったのだが、ロルは随分と気に入っていた。
「そうか、よかったな」
「ご主人様はもう食べないのですか?」
「あぁ。いるか?」
「はい! ありがとうございます」
色々な果実のジャムが選べたのでロルと二人で二種類ずつ買ってみたのだが、俺はそれぞれ一口ずつをかじっただけで、残りはロルにあげてしまった。もきゅもきゅと美味しそうに食べるロルの姿に思わず和んでしまう。
「ご主人様。次はどこに行くのですか?」
食べ終わったロルが聞いてくる。短かった銀色の髪は大分伸びて、今は横で一つに結んだサイドポニテにしている。黒っぽい犬耳とふさふさのしっぽを元気よく振り回す姿は、最初の頃のおびえた雰囲気は影すら見えず、明るい町娘そのものだった。
「そうだな。まだ晩飯には時間があるから、もう少し街を見て行こう。王宮の方に行ってみるか」
「わかりました!」
そう言って、王族が住むという王宮前の広場まで行ってみた。石材を積み上げて築かれた巨大な塀の向こうに、真っ白な建物が見える。どうやらあれが王族の住む王宮のようだ。
「あそこには王様が住んでるんだよね。ナスタ姉さまみたいな猫獣族の」
「そうらしいな。滅多なことじゃあ、お目にかかることはできないらしいけど」
「うーん。残念」
王宮前の広場には兵士であろう、武装した男たちがうろついていた。これじゃあ王様に会うどころか、王宮に近づくだけでも不審者扱いで捕まってしまいそうである。仕方ないので広場にあった救国の勇者という銅像だけを見物して、次の場所に向かうことにした。
「それじゃあ次は湖を見に行こう」
「はい!」
ロルの小さな手をとり歩き出す。嬉しそうに腕を組んでくるロルだったが、押し付けられる胸にほのかな柔らかさを感じた。もうすぐ12歳の誕生日だといっていたし、結構成長しているな。
「ご主人様?」
「あぁ。行こうか」
不思議そうに見上げてくるロルに急き立てられるように、王宮を後にした。
しばらく歩いて次にやってきたのは湖のほとりだ。これはラーシャーンの街の北西に位置する淡水湖である。この辺り一帯の水源になっているだけでなく、岸辺では水遊びも楽しめる場所だ。沿岸の大部分は高級住宅街になっており、貴族や豪商たちの屋敷が競うように並んでいた。
「わーい!」
ロルがキャッキャッと歓声をあげながら駆け出していった。その後をゆっくりと追っていると、ロルは靴を脱ぎ棄ててあっという間に湖に飛び込んでしまう。
「おい。服を濡らすなよ」
「大丈夫だよ、ご主人様も!」
どうやらこの辺りは足が付く程度の深さらしい。ロルの服装は上半身こそ日差しを避ける為に長袖を着ていたが、下は膝くらいまでのハーフパンツだったので、靴さえ脱げば服は濡れないようだ。
ロルが水を飛ばして誘ってくるが、さすがに水に入るのはやめておいた。適当な場所を見つけて腰かける。
「あまり沖には行かないようにな」
「はーい」
ロルがキャッキャと水面を蹴飛ばして戯れる間、俺は対岸に見える屋敷の数々を眺めていた。見たところ、湖に面している場所にはデッキのようなものを造っているところが多い。今の屋敷は湖に面していないので真似できないが、俺もいつかはプライベートビーチにロル達を泳がせて、その姿を楽しみたいものだ。
しばらくロルを見守りながらぼーっと対岸を見ていると、見覚えのある建物に気が付いた。
「あれは、前に招待されたニクスの邸宅だな」
「え、あの気持ちの悪い?」
湖から戻ってきていたロルが嫌悪感を隠さずに言った。あまりにもストレートすぎる言い方だったので、少したしなめる。
「ロル、あまり外でそういうことを言うんじゃない」
「えっと……ごめんなさい。でもあの人、ナスタ姉さまの父様にひどいことしたんでしょ? リース姉さまやアーシュ姉さまも辱めたっていうし、絶対許さないんだから」
ロルが敵愾心もあらわにニクス邸を睨みつける。まあ、辱めたことは間違いないが。
ニクスの件については、機を見て行動を起こそうとは思ってはいるのだが、こんな所から様子が窺えるのは発見だったな。
湖でしばらく過ごした後、さらに街中をぶらぶらと歩いていると、晩飯の時間が近づいてきた。
「そろそろ帰るか。ロルも晩飯の準備があるだろう」
「うー。もうそんな時間なのですか……」
ロルが小さな頰を膨らませてしょんぼりとしてみせる。
「ロルは料理が苦手なのか?」
「えっと、そんなことはないですよ。ご主人様に美味しいと言ってもらえると嬉しいです。ただもっとご主人様に遊んでもらいたかったなと」
可愛らしいことを言うロルに不覚にも萌えてしまう。やるじゃないか、この犬っ娘め。
「そうか。それじゃあまた今度な。前にアモスさんからだいぶ読み書き計算が出来るようになったと聞いたし、完璧にできるようになったらまた連れてきてやろう」
「えっと、ごめんなさいです」
褒めたつもりが謝られてしまった。
「なぜ謝る」
「姉さま方に比べたら、全然……」
どうやら周りと比べて覚えが悪いことを気にしているらしい。別にいいのに、そんなこと。
「ロルはあまり勉強は好きじゃないのか?」
「はい。ロルはリース姉さまのように賢くないので……」
それは比較対象が悪い。リースの奴はどんどん賢くなってきて、最近は俺の方が感心することもあるくらいだ。それよりもロルにはロルで大事な役割がある。こいつの戦闘能力はランク5の冒険者であるフィズも認めるほどだ。もっと強くなってくれればとても助かる。
「そうか。それじゃあそろそろロルはアモスさんのところを卒業して冒険者を目指した方がいいかもな」
「冒険者? ロルはご主人様の奴隷ですよ?」
「まあそうなんだが、ロルは戦闘が得意じゃないか。もっと強くなりたくはないか?」
「えっと、ご主人様を守れるのであれば、強くなりたいです」
真剣な表情で言ってくるロルの犬耳を撫でてやり、続ける。
「それならやっぱり冒険者になればいい。修行して強くなって、この先も俺を守ってくれ」
「えっと、わかりました。頑張ります!」
そんな話をしながら二人で屋敷に戻っている最中、事件は起きた。
――ァア!
「……?」
遠くから歓声のような音が聞こえた気がした。しかし振り向いてみても、せわしなく歩く人々の姿しか見えなかった。
なんだろう。気のせいだろうか。
「いま、何か聞こえなかっ……」
そう聞きながらロルをみると、驚いた。先ほどまでの可愛らしい表情が一転、唇を真一文字に閉じた真剣なものへと変わっていたのだから。
ロルは犬耳をぴんと立て、睨みつけるようにある方向へ視線を向けている。そしてそのまま、俺の手を強く握ってきた。
「ご主人様。今、悲鳴が聞こえた」