36. シクル島
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3日後。監視をさせておいたナスタから、ノンの船が出発したという知らせを受けた。ノンは話していた通り、朝早くに2隻で連れ立って出航したらしい。そうなると途中魔物にやられなければ、夜にはシクル島にたどり着いているはずだ。
夜を待ってから倉庫に皆を集め、扉をつなごうと能力を起動させる。調べると先日甲板につけておいた印は消えることなく存在していた。もし印をしている場所が破壊されていれば印は消えるはずだから、少なくとも真っ二つにされたとかそういうことはないようだ。
「ご主人様。準備ができました」
リースが報告してくる。その後ろには武装したロルとアーシュの姿があった。さて、それじゃあ扉をつなげるか。
「……まてよ」
目の前の壁に設置した印とノンの船の印をつなげる直前、ふと思った。これ、印がついたまま海に沈んでいたらどうなるんだ?
「全員、壁から離れておけ」
念のために、壁際には誰も立たないように指示をしておいた。そしていざ印を扉で繋げてみると、穴が開いた瞬間に勢いよく水が湧き出してきた。
「おおっ!」
倉庫内があっという間に水浸しになっていく。慌てて扉を破棄して浸水を止めたが、倉庫内はすでにびしょ濡れ。どうやら1隻目は海の底のようだ。
「ご、ご主人様、これは?」
リースが動揺した様子で聞いてきた。
「船の甲板に扉を繋げたのだが、魔物にやられて沈んでしまっていたようだな。海の底にあるのに扉を繋げてしまったから、海水が湧いてきたらしい」
「な、なるほど。それではこれは海水なのですね」
リースが息を整えながら、水浸しの床を忌々しそうに睨みつけた。海水だと掃除が面倒なのか。すまんな。
「片づけるのは後でいい。もう1隻の甲板にも印をつけているから、次行くぞ」
「はい」
今度は皆、壁から遠く離れてから見守っていた。もう一隻の船の甲板につけていた印に扉をつなげてみる。
「……大丈夫か」
壁に開いた扉からは海水が湧いてこない。どうやら海の底というわけではないようだ。それならこの船はちゃんとシクル島に辿り着いているのだろう。
「よし。それじゃあいくぞ。ロル、アーシュ。ついて来い」
「はーい」
「かしこまりました」
二人が進み出る。ロルとアーシュには不測の事態に活躍してもらうつもりだ。扉を使用して移動すると、月明かりしかない暗闇の中、静かに揺れる船の甲板へと飛び出した。
すぐに周囲を確認する。どうも舟は波止場のような場所に係留されているらしい。明かりが灯された小屋がいくつか見えるものの、外を歩く人影は全く見えなかった。
「ロル、集落の外に出る道を探せ。アーシュは周囲を警戒しろ」
ロルが返事もせずに先行する。俺はアーシュに手を引かれながら、その後を必死に追いかけた。
すぐにロルが道を見つけ、海沿いに集落を脱出する。そのまま海岸線をある程度進んだところで内陸部に上陸した。すると背丈ほどもある草が一面広がっている光景が見えてきた。
暗くてよく見えないが、おそらくこれはサトウキビだろう。
「たしかにシクル島のようだ」
「これが砂糖というものの原料なのでしょうか」
アーシュが興味深そうにサトウキビを手に取った。そのままロルと一緒になってクンクンと匂いを嗅いだ後、ぱくりとかじっていたが、想像していた味と違ったのか首を傾げていた。
「そのままではなくて、絞って煮詰めることで砂糖になるはずだ。正確なやり方は知らないけどな」
サトウキビから砂糖が作られるということは知っているが、どうやって精製するのかまでは知らない。しかし実際に輸出しているのだから、この島にはちゃんとノウハウがあるのだろう。
その日は島内の適当な場所に印を設置して屋敷に戻った。
◆
数日後、改めてシクル島を訪ねることにした。連れには護衛役のロルとダークエルフのラピスをつれてきている。人気のない山中に繋げた扉を抜けた後、何食わぬ顔で正面から村を訪ねた。
村に入ると、すぐにダークエルフの女が声をかけてきた。
「見ない顔ね。何者?」
「私はラースからきた行商人のリョウと申します。村長さんはおられますか?」
ラースから来たというと少し不思議そうな顔をしたが、女はすぐに村長の家に案内してくれた。
村には切り出した木をそのまま組み上げたような粗末な住居が並んでいた。砂国内と違って木々が豊富に生い茂っているし、随分と南国的な雰囲気だ。
途中珍しがって村人が顔を出してきたが、たしかにダークエルフが多かった。人間やドワーフ、それに蛇人のような種族もみえるが、半分以上はダークエルフのようだ。
しかしダークエルフが多いことよりも不自然なことがあった。先程から女性の姿しか見かけないのだ。案内も女性だし、様子を見に来る村人たちもみな女なのである。
「女性たちばかりですが、男衆は仕事に出かけているのですか?」
「この島に男はいないよ」
「えっ?」
男がいない? なんだそれ。
「どういうことでしょうか」
「この島にはローレライがいるから男は住めないし、呪いのせいで子供も女ばかりなの」
「ローレライ?」
「えぇ。この島に住む伝説の魔物」
女が言うには、ローレライとは島の奥に住むという男を惑わす魔物らしい。島に男がいた場合、一日目は村人にまぎれ、二日目は隣人にまぎれ、三日目は恋人にまぎれて食い殺しにくるという。そのため男は島に住み着かず、さらにそのローレライが島に掛けた呪いにより産まれる子供も全て女子なのだそうだ。
なんだその怪談話と思ったが、女は当たり前のように話していた。
「実際に男が生まれたことが一度もないし、島には男が一人もいないの。だからお客さんのような若い男は大歓迎!」
そう言って女は流し目を向けてきた。なんだろう、肉食獣のような気配を感じる。
そうこうしていると、村長の屋敷にたどり着いたので中に案内される。
「村長のカルです」
やはり村長も女性だった。顔こそは少し小じわが見えるが、ダークエルフ特有の褐色の身体は細身ながらもとても豊満で、思わずむしゃぶりつきたくなるように魅力的だった。人間で言うと40手前くらいだろうか。エルフは長命なのでよくわからんが。
「商人のリョウです。お見知りおきを」
「商人……ですか。よくご自身でこの島に渡ってこられました。命知らずな方です」
「今回はよい取引をさせていただきたく挨拶に参りました。これはお近づきの印です」
そう言って樽に入った帝国産のワインを渡す。この辺りでは見ない酒であることは確認済みだ。カルは物珍しげに樽から香るワインの匂いをかいでいた。
「なんとも珍妙な香りですな」
「北の国の酒でございます。それでは毒見もかねまして、披露いたしましょう。ラピス」
ラピスがコップを取り出す。それにワインを一口分注ぐと、目の前で一気に飲んでみせた。その後、再び注いだものをカルに勧める。
「どうぞ」
「ありがとうございます。それでは」
カルはぐいっと一気に飲み干してしまう。なかなか豪快な飲みっぷりだ。飲み終えると、彼女は目を丸くしてみせた。
「味わったことの無い味ですな」
「そうでしょう。これはワインと呼ばれる酒です。ラースはおろか、ラーシャーンにまで足を伸ばしても手に入らない品でございます」
「そんな高級な酒をいただけるとは、ありがたい」
カルが頭を下げてくる。どうやら先制攻撃は成功のようだ。そのままシクルの話題を振る。
「今回我々はシクルを仕入れたいと考えております。さらにもし叶うならば、シクルの製造方法などを見学させていただきたいのですが」
そういうと、カルの表情がぴくりとゆれた。空気が少しだけ乾いたものに変わる。
「……シクル自体を売ることはやぶさかではありません。しかし秘儀を持ち出すことは禁忌であります」
「秘儀……シクルの製造方法のことですか?」
そう言うと、カルは小さくうなずいて見せた。
砂糖の製造方法は秘密らしい。まあそうでなければこの島でしか生産されていないというのも変な話だが……
いや、違うな。文字通り死活問題なのか。
「秘儀を失うことはシクル島の滅亡を意味する、というわけですか」
その言葉に、カルは小さく眉をひそめた。