32. 魔法の粉
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父がニクスに殺された。ナスタはそう言ってきた。赤色の髪が逆立ち、小さな掌は目いっぱい握りこまれている。
「どういうことだ?」
「私の父は行商人でしたが、あの男にはめられて貴族の怒りを買い、釈明の機会も得られずに殺されました」
詳しく話を聞くと、ニクスから偽の宝石を売りつけられたナスタの父親が、それを知らずに貴族に売り込み、偽物とばれて激怒させてしまったそうだ。その結果父親は処刑され、ナスタ自身は財産と一緒に貴族に没収。そして奴隷として売りはらわれた後、俺に買われたらしい。
目に涙を溜めながら話すナスタにはかわいそうだが、それはお前さんの親父が間抜けだ。たしかに偽の宝石を売りつけられたのだろうが、その詐欺を見抜けずに、あまつさえ貴族に売りに行ったのだからな。
しかし人のことはあまり笑えない。俺自身たとえばダイヤと水晶を区別できるかといえば自信ないし、そもそも本物の宝石をほとんど目にしたことがない。
そう考えると明日の取引のとき金貨と宝石類と交換するのは危険だな。金貨と交換するのはホル・アハ宝貨だけにしておくか。
「ナスタ、あの男を恨んでいるか?」
「……はい」
「それなら明日は留守番だな」
「えっ?」
そりゃそうだろうが。恨みのある奴隷を連れていって、下手に復讐とかに動かれたらどうする。面倒なことになるに決まっている。あのニクスという男は下衆ではあるが、今回の話自体は普通に有益なんだよ。
「お前の恨みはわかるが、あの男は力を持っているようだし利用価値もある。大体お前に手を出されると俺の立場も悪くなるからな。知っているだろう? 奴隷の罪は俺の罪になるんだ」
「……勿論です」
この砂国においても、奴隷の立場は西方諸国とほとんど変わりない。もしも奴隷が人殺しをすれば、それは基本的に主人の罪になる。もちろん金や権力があれば揉み消せるだろうが、今は無理だろう。
「まあ、いずれな」
「えっ?」
ナスタがはっとして顔を上げる。真っ赤に腫らした瞳で、すがるように見上げてきた。しゅんとへこたれた赤茶色の猫耳を撫でてやる。
「利用価値が無くなれば手を切るし、殺しても問題ない状況になればいずれ仇討の手伝いくらいしてやる。いつになるかわからんが、それまで我慢してくれ」
「……ご主人様」
親の仇というなら力を貸すのもやぶさかではないが、いきなり砂国の有力商人にケンカを売るのもバカらしい。ナスタの仇討は後にしてもらおう。
そもそも今回ニクスが持ってきた話は俺にとって普通にいい話だ。ほとんど流通していないであろう西方諸国の金貨をみだりに使用していたら、市場に混乱が生じる可能性がある。それならば流す相手は一人に、しかも金貨を金資源として利用しようとしている奴に限定した方が混乱も起きづらいだろう。
まあもし明日、偽物の宝石を無理矢理売りつけてくるような不義理を働くなら、手を組む事は考え直すだろうが。精々気をつけることにしよう。
「顔がぐちゃぐちゃだぞ。リース、拭いてやれ」
「かしこまりました。ナスタ、こちらへ」
ナスタが腕から離れていき、ぺこりと頭を下げる。そのままごしごしと顔をぬぐうナスタを、リース達が皆で慰めていた。
その後は残ったお茶と茶請けを片付けるように言うと、全員が喜んでそれらに手を付け始めた。しばらくすれば先ほどまで深刻な空気もどこへやら、女子7人によって華やかな空気に変わってしまう。
残りのお茶を飲みながらその様子を眺めていると、先ほどのニクスとの会話に出てきたある単語を思い出した。
「そういえばさっきニクスがシクルという言葉を使っていたが、シクルってなんだ?」
あの男、お茶にシクルを入れるとどうのこうのと言っていた。シクルとはいったい何ぞや。
俺の質問にみな困った様子で互いを見合っていたが、ナスタだけは知っていたようで手を挙げて答えてくれた。
「シクルというのは魔法の粉です」
「魔法の粉?」
なんだそれ。すげーあやしいんだけど、大丈夫か?
「はい。なめると天にも昇るほどに甘く、一度味わうと忘れることの出来ない味だと言われています」
粉でなめると甘い? それって、もしかして……
「それは砂糖じゃないのか?」
「砂糖……ですか? わかりませんが、とにかくシクルとはとても甘い粉のことで、王侯貴族に大変な人気があります。私も一度だけシクルをまぶしたパンを食べたことがありますが、口がとろけそうなほどに甘かったです」
やっぱりそれは砂糖だろ。王侯貴族に人気があるなら、取り扱えればいい商売になりそうだな。
「そのシクルとやらはどこでとれるんだ?」
「ラースの沖合に浮かぶシクル島でとれます。しかしシクル島に渡るのは大変危険なため稀少なのです」
「それじゃあ西方諸国ではどこで砂糖がとれるんだ? サラ」
こういう食い物系の話は牛獣族のサラに聞いておけば間違いない。そう思ったのだが、サラはきょとんと首をかしげるだけだった。
「砂糖……ですか。甘いのですよね。蜂蜜とは違うのですかぁ?」
「蜂蜜じゃないだろう」
「果実の煮詰め汁とも違うのですよねぇ……」
要領を得ない答え……これって、もしかして。
「……砂糖を見たことないのか?」
「たぶん、としか言えません。実物を見ればわかるかもしれませんけどぉ」
「私も甘い粉というものは聞いたことがありません」
「ロルもー」
「少なくともエルフの里には存在しませんね」
リース達も口をそろえてくる。西方諸国には砂糖が存在しないだって? 嘘だろう?
いや、確かに言われてみれば西方諸国では砂糖らしきものを一度も見なかった。単に珍しいだけなのかと思っていたが、それなら貴重品として扱われているはずだし、バフトットも高級品として挙げてしかるべきだろう。
これはもしかして西方諸国と東方国には砂糖が広まっていないのか? そうなると、なにがなんでもシクルとやらを確認しないといけないな。
「シクル島に行くにはどうすればいい?」
「シクル島に!?」
ナスタとアン、それにラピスの三人がそろって素っ頓狂な声を上げた。綺麗にハモったぞ。なんだよ、おい。
驚いて三人を見つめ返していると、ナスタが必死な様子で懇願してきた。
「ご主人様。それだけはどうか考え直してください。シクル島は渡ると二度と戻ってこられない呪われた島です」
「シクルはシクル島でとれるんだろ? それじゃあ交易に行っている奴がいるだろ」
「確かにおります。しかしシクル島に渡る者は死んでも構わない罪人か、もしくは使い捨ての奴隷たちだけです。シクル島に渡る者は魔物によってそのほとんどが殺されてしまうのですから」
「海にも魔物がいるのか?」
そりゃ街道にも魔物が出るんだ。海に魔物が出現してもおかしくは無いが。
「勿論でございます。海の魔物は場所にもよりますが、一般に沖に出るほど強くなると言われています。特にシクル島周辺には大変凶暴な魔物が生息しており、通りかかる船を全て沈めてしまうといわれています」
ナスタが猫耳をせわしなく動かしながらまくし立ててくる。アンもラピスも、隣で必死に頷いていた。どうやら奴隷の仕事の中でも危険な部類らしいから、自分達がやらされては堪らないのだろう。
それはともかく、確かに海の魔物というのは厄介そうだ。船を沈められてしまえばどんな強者だろうがひとたまりもない。しかし海の魔物がそこまで厄介というなら、この世界の海運は一体どうなっているんだ?
「誰か知っている奴でいいが、この世界の海運……海上輸送について何か知っているか?」
皆が互いに顔を見合う。全員あまり自信がなさそうだ。誰も答えないから、仕方なくリースが代表して答えてくれた。
「私が知る限り、川辺や沿岸以外で船を使うことはありません。川を使って木材を運ぶ舟ならば見たことはありますが、海を通って商品を運ぶという話は聞いたことがありません。理由までは考えたこともありませんでしたが、言われてみれば魔物のせいなのかもしれないです」
さらに、アーシュが続けてくる。
「暗黒大陸と呼ばれる島が、西方諸国の一つであるステラ国の沖に存在します。三大魔域として有名ですが、他の二箇所に比べると、どのような魔物が生息するのか、どのような地形なのかという話は知られていません。その理由は生きて帰った者がいないからだと言われていましたが、もしかするとシクル島とやらとおなじく、海の魔物によって阻まれているのかもしれません」
なるほど。そもそも渡ることができないから暗黒大陸として畏怖されているのだと。有り得ない話ではないな。
どうやらこの世界の海運は近海もしくは川辺に限定されているようだ。沖に出るためには航海術が必要になる。しかしそもそも魔物が強いから沖に出られない、沖にでられないから航海術が進歩しない。悪循環だな。
しかしそうなると確かに海を渡るのは危険だ。魔物に襲われたら即沈没とか、正直やってられない。
「魔粉末を使ってなんとかならないのか?」
「川辺や沿岸で漁などをする際には魔粉末を撒くこともあるそうです。しかし沖に出てしまうと魔物が強力になってしまうため、並の魔粉末では意味が無いのでしょう」
「そうなると高ランクの魔粉末を使えば大丈夫ということか?」
「試してみないことにはわかりません」
アーシュはそう答えてくれた。この中で一番魔物に詳しいアーシュが言うのだから、あまりわかっていないのだろう。
どうやらシクル島に渡るのは並大抵のことではないらしい。しかしむざむざ砂糖らしき物を目の前にして行かないという選択肢もあり得ない。砂糖は間違いなく重要な交易品になるのだから。
とりあえずシクル島に一番近い街までいってみるか。
「それじゃあナスタ。シクル島に一番近い集落はどこだ?」
「それならば、河口の街ラースです」
「どれくらいで着く」
「ラーシャーンからでしたら、10日ほどでしょう。街道も通っているので安全だと思います」
それなら明日の用事が終わったらすぐに出発するか。
「では明後日の朝からラースを目指して出発する。急で悪いが、旅の準備を整えておいてくれ」
「かしこまりました」
リースが皆を代表して返事をし、7人が揃って頭を下げた。