15. 魚取引
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ブルグには5日目の昼ごろたどり着いた。距離を確認すると、ブルーレンの拠点からは120kmほどの位置にあるらしい。
とりあえず宿を見つけて一泊分の料金を払い、馬車を預ける。そのまま宿の店主に魚の買い付けについて聞くと、魚市場に行けばいいと言われた。さっそく行ってみたが、昼過ぎということもあり多くの店が片付けを始めていた。
「こんにちは。まだやっていますか」
適当な店に入って声を掛ける。すると漁師風の男が陽気に返事をしてくれた。
「もう閉めるところだよ。明日の漁の準備をしないといけないからな」
「そうですか。もう終わりですか」
「あぁ……旦那、商人かい?」
「はい。魚の買い付けをしたいと考えていまして」
「どれくらい欲しいんだ? 何なら明日獲れたやつから、用意しておいてやるからさ」
予約ができるらしい。なかなかサービスの良い漁師だ。
「そうですね。いつもどれくらいの量を獲るのですか?」
「日にもよるが、大体そこにある籠で7個から10個くらいだな」
店の前には多くの籠が置いてあった。その中で男が指差したのは、抱えるほどの大きさのものだ。サバのような小型魚なら50匹は入るだろうか。
「籠一杯を買うとしたら、おいくらになりますか」
「籠全部ならそうだな、銀貨1枚ってところだ」
安いな。やっぱり海が近いとそんなものか。
「なるほど。それでは今日のところは10匹ほどいただけますか」
「今日はもう店じまいだ。タダでくれてやるから、好きなだけ持っていけ」
「よろしいのですか?」
「おう。その代わり、買い付けはぜひウチで頼むぜ」
「ありがとうございます」
男から籠に半分ほど残っていた鮮魚を入れものごと貰い、宿に戻って扉からブルーレンに戻った。地下室から一階に上ると、掃除をしていたリースが手を止めて出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、ご主人様……そちらは、魚ですか?」
リースが俺の持っていた籠に興味を示した。中身を隠すために布をかぶせておいたのだが、匂いでわかったようだ。
「よくわかったな。海魚だ」
「それではブルグに到着されたのですね」
「あぁ。時間ができたらロルと一緒に連れて行ってやる。海は見たことないだろう?」
「えっと……はい。ありがとうございます」
戸惑ったような表情をするリース。なんだろう、観光には興味ないのだろうか。
リースと話していると、どたどたと階段を駆け下りてくる音が聞こえてきた。俺が帰ってきたことにロルが気付いたようだ。転げるように居間にやってきたロルが、箒を手にしたままぺこりと頭を下げる。
「お、おかえりなさいませ。ご主人様」
「あぁ。ロルは魚、好きだよな」
「はい、大好き!」
最近のロルは来た直後と比べて随分と元気になった。まだまだ慣れないところもあるようだが、元々の明るさをだいぶ取り戻してきたようだ。
「それじゃあこれを晩飯の足しにしてくれ」
籠から適当に数匹取り出し、キッチンに放り投げておく。二人の瞳がきらきらと輝いていたので、どうやら気に入ってくれたようだ。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
「あぁ。それじゃあちょっと出てくるから。晩飯には帰る」
「かしこまりました。お気をつけて」
「お気をつけて!」
◆
魚の入った籠を持って、西地区にあるランカスター商店を訪ねた。その際、市場に設置した扉を使おうとしたが、扉の前に兵士が立っていたのでやめておいた。どうも最近は自治軍が常駐しているようだ。
おそらく橋の代わりに使われているから、ここでも通行料を徴収することにしたのだろう。この検問のせいで利用人数が減っているようなら、少し失敗だったかも。
まあそれでも利用者は後を絶たないようだし、漏れ聞く人々の声では自由に利用できないことに不満があるようだから、いずれ自由化されるかもしれない。誰が決めるのか知らないけど。
渡し船を使って川を渡り、ランカスター商店を訪ねる。するとすぐに声をかけてくるものがいた。
「ようこそ、リョウ殿」
「ジェフトットさん。こんにちは」
「先日は突然押しかけてしまい、申し訳ございませんでした」
ジェフトットは開口一番に謝罪してきた。先日バフトットと一緒に家にきた件だろう。
「いえいえ。なかなか楽しかったですよ。今日はその時の約束で来たのですが、バフトットさんはいらっしゃいますか?」
「もちろんでございます。呼んできましょう」
バフトットを呼びに行ったジェフトットだったが、すぐに慌てた様子で戻ってきた。そして改めて商館に通され、豪華な応接間に案内された。おそらく重要な商談用の席だろう。その部屋で、バフトットはひょうひょうとした様子で待ちかまえていた。
「突然の訪問をお許しください」
「いえいえ。お気になさらずに。今日はどうしました?」
「少し商談を、ですね」
言いながら、後ろについてきていたジェフトットに視線をやる。すると俺の意を汲み取ったバフトットが手を上げて指示を出した。
「ジェフ。少し席をはずしてください」
「わかりました」
ジェフトットが消えたのを見て、早速商談に入ることにした。持ち込んだ籠に掛けておいた布を取り払う。
「今日はこれの相場を聞きにきました」
「これは……海魚ですか。しかしこの鮮度は……」
「今朝とれたものだそうです」
魚市場の漁師が言うに、この時期の鮮魚はもって2日だそうだ。一方でブルグとブルーレンは馬車で5日以上の距離がある。したがってブルグで採れた海魚を鮮魚として輸入することは物理的に不可能である。俺の能力を使わなければ。
「なるほど。それでは早朝に獲れた鮮魚を、朝方にはこちらに卸すことができるということですか」
「そういうことになります。もちろん方法は秘密です」
俺の言葉に、バフトットはにやりと笑う。
「方法など些細なことです。我々商人は契約さえ守っていただければ手段は問わない人種ですから。それでどれくらいの量を納品可能でしょうか」
「この籠でいうと、毎朝6個ほどいけると思います」
「籠いっぱいに、という意味でございますよね」
「勿論。びっしり海魚だけで満たして一つです。数や種類は指定できませんが、まあ50匹は入るでしょう」
「となると約300匹ですか。その量ならば……そうですね。金貨2枚でいかがでしょう」
金貨2枚……一匹小銀貨4,5枚で売るといったところか。羊肉がバラ売りでそれくらいだった気がするから、妥当なところか。
「わるくない値段ですね。ただ、もう少し高いかと思っていましたが」
「ご存じのとおり、ブルーレンでは鮮魚が一般的に扱われていません。これは一部の商店が川魚の売買を独占しているためです。しかし独占されているということは、一定量の流通はあるということでもあります。例えば金持ちの間では割と食べられているのですよ」
そうか。鮮魚が食べられないのは一般人だけなのか。それなら、あまり高値では売れないか。
「競争するのもあまり得策ではないので、ブルーレンで売り捌くとすれば市場で市民向けのほうがよいでしょう。そうなるとこれくらいの値段が限界かと」
「儲けるためには、数をさばかないとだめということですか」
「そうなります。ただもっと儲けたいのであれば、一つ提案があります」
「なんでしょう」
「鮮魚を王都に持ち込むことです」
王都というと、おそらくコーカサス国の王都のことだろう。たしかブルーレンからオセチアを経て、南西にいけば辿りつく大都市だ。
「王都は西方諸国の中心に位置する大都市です。コーカサス国の首都なので王侯貴族が多く、周囲の富も集中しています。一方で海からとても遠いため鮮魚はほとんど扱われていない。つまりほぼ市場を独占できます。もし王都で卸していただけるならば、籠6個で金貨5枚は出しましょう」
ブルーレンの2.5倍か。確かに魅力的なんだが……王都は行ったことがないから、すぐには扉を繋ぎようがない。扉を自由に繋げないことをバフトットに知られるのはあまり好ましくないし、ここは遠慮しておくか。
「結構ですが、それはやめておきましょう。最初の条件でお願いします」
「理由をお聞きしても?」
「王都では貴族相手の取引になるということですよね」
「その通りでございます」
「貴族に売りつけるならば、魚よりももっと高価な物の方がよいでしょう」
扉を繋ぐことができないとは言えないので、適当に理由をつける。まあ実際、貴族相手に魚なんかを売りつけるのもどうかと思う。どうせならがっぽり儲けられるものを仕入れるようになってからでも遅くないだろう。
バフトットは無表情に説明を聞いていたが、すぐにこくりと頷いた。
「わかりました。それではブルーレンで捌くことにしましょう。受け渡しについては倉庫を用意いたしますので、そこに運び込んでおいていただき、毎回代金と商品を交換という形でいかがでしょう。もちろん倉庫に運び込む方法は問いませんし、取引時以外は誰も倉庫に入らせないことを約束します」
露骨に俺の能力への配慮してくれる。まあ実際に扉は市場にあるから、どんなものかはわかっているのだろう。勿論『扉の管理者』の能力全てがわかっているわけではないようだが。
「代金の受け渡し時の相手はあなた自身でしょうか?」
「そうしたいところなのですが、私はブルーレンを留守にすることが多い。お許しがいただけるならば、実際の取引はジェフトットに任せたいと考えています。あの男は信頼できますので、秘密が漏れることは無いことをお約束します」
ジェフトットには俺もお世話になっている。それに確かバフトットの父親でもある。身内ならまあ大丈夫か。
「いいでしょう。こちらと接触するのはあなたかジェフトットさんのどちらかでお願いいたします」
「かしこまりました」
「しかし一つだけ警告しておきます。こちらの許可なく商品の出どころを漏らしたり、あなたとジェフトットさん以外の人に私の存在が知られた場合、私はすぐに取引から手を引きこの街から消えます。よろしいですか」
この能力のことを知る人が増えることは、いらない危険に巻き込まれる可能性が高まるから出来るだけ避けておきたい。バフトットにとっても、俺が別の商人と取り引きして競争相手が増えるのは面白くないはずだ。
バフトットは得体のしれない男だが、商人であることに間違いはない。自分たちに利益がある限り、俺の能力を積極的にばらしたりしないはず。だが念には念を入れて、秘密が漏れた場合は速やかに撤収することを告げておいた。
しかしバフトットは、子供のように呆れた様子で即答してきた。
「もちろんでございます。そんなヘマはいたしません。他所に知られても何の利益にもなりませんからな。それよりも取引の細かい点を決めましょう」
……警告の意味、無かったかもな。