103. 忠告
103 忠告
勝ち誇った笑みを浮かべるテナの背後には、魔法によって作り出された水の塊が、不気味なほど静かに揺らめいていた。
「動かないで。もし動いたらどうなるか、わかるわよね」
こうして矛先を向けられるまで、どこかテナは信用できる相手だと思い込んでいた。だがこいつはリース達のような絶対服従の奴隷とは違うし、ギドやガギルダように利益で繋がった商売相手とも違う。そんな相手を、無条件に信用しすぎていた。
「あなたのその力って、予備動作が二つ必要みたいね。一つは扉を開く場所に直接手を添えること、もう一つは指を何回か空中で振ること。そのそぶりが少しでも見えたら、この水球があなたの頭をかち割るから気をつけてね」
扉の管理者の発動方法まで、しっかり把握しているらしい。印や操作ウィンドウまで見えているわけではないようだが、よく観察している。
「さて、奴隷の子たちが来るまで時間はあると思うけど、あまりゆっくりとしていられないから用件だけ言うわ。どうかしら。この状況、詰んでいるわよね」
何が言いたいのかわからんが、確かに詰んでいる。魔法使いであるテナが武器である魔法杖を手にし、すでに攻撃用の水球を作り出しているのだ。状況的に銃口を突きつけられているのと大差ない。あとはテナが指先一つ動かすだけで、俺の頭は簡単に吹き飛ばされるだろう。
ただし詰んでいるというなら、お互い様だ。
「残念ながら……な。だが、お前も似たようなものだ」
「どういう意味?」
「お前、この倉庫がアスタにある倉庫の一つだとでも思っているだろう」
「……違うのかしら」
「残念ながら。ここはレバ海からは大砂漠を抜けた先、ラーシャーン砂国の倉庫内だ」
「砂国……? それじゃあ外は」
「見渡す限り乾燥した砂と、干からびるほどの熱気に満ちた異国だ。人魚族のお前にはずいぶんと過酷な環境だろうよ」
人魚族は乾燥に弱い。というのも数日海に入らなければ体調が悪くなって最悪死ぬという。その性質がある以上、テナがここから俺の扉無しでレバ海に戻ることは不可能だ。
「とりあえず魔法杖を捨てろ。捨てなければ、今すぐ砂国からつながる扉をすべて破棄する。そうなればお前は、この国を出ることさえできなくなるだろう」
「あなたが扉を破棄する前に、殺してしまえばいいんじゃないの?」
「同じだ。俺を殺せば扉は消滅する。生きてレバ海に戻りたいなら、妙な気は起こさないことだな」
実際のところ、死んでも扉が消えるかどうかなんかわからない。ただこう言っておけば、下手に手出しはできないだろう。もし本当に俺を殺した場合に扉が消えれば、テナは一生レバ海に戻れないのだから。
テナはしばらくの間、無言で睨みつけてきた。相打ちでもいいと判断をされたら、流石にどうしようもない。下手に動けないから足元に印を設置して逃げることもこともできないし。
しばらく沈黙した後、テナはふうっと息を吐いてから呟いた。
「さすがね。素直に従っていただけじゃあなかったわけか。ふふっ」
テナは微笑を浮かべた後、すっと魔法杖を持った腕を下ろした。背後に浮いていた水球がぼちゃんと落下し地面を濡らす。
「あはははは! 冗談よ、冗談。まあ及第点ってところじゃないかしら」
冗談? 及第点? 何を言っているんだこいつは。わけがわからん。
身構えたまましばらく、ケラケラと笑うテナの姿を睨みつけていたが、やがてテナはおどけたように手を広げてみせた。
「だからリョウ、冗談だって。悪かったわね、脅かして」
「……攻撃する気はないということか?」
「えぇ。これで信じてくれるかしら」
そう言ってテナは魔法杖を無造作に投げつけてきた。それを受け取り、本物であることを確認してからため息をつく。魔法杖が無ければ、強力な魔法使いであるテナといえども何も出来ない。それを手放したということは、どうやら本当に冗談だったらしい。
「まったく、何の冗談だよ。心臓に悪い」
「まあ、私なりのあなたへの忠告ってところよ。リョウ。あなた最近、見ていて危ういわよ。今回も私の要求に簡単に従って、護衛も付けずに一人で来ているしね」
「状況が状況だったし、それに相手がお前だったからな。知らない仲でもないだろう」
「それが危ういって言っているの。あなたとはしばらく一緒に仕事をしていたし、それなりに尊敬もしているけど、私はあなたの家族でもなければ恋人でもない。そんな相手に油断しすぎなんじゃない?」
にこりと笑みを浮かべながら、皮肉めいて言うテナ。どこかで聞いたようなセリフだ。まったく、意趣返しとはやってくれる。
「でもカルサ島にってお願いしたのにこんな場所に扉をつなげるなんて、少しは疑われていたみたいね。心外だわ」
「保険の一つくらい掛けるにきまっている。何を考えているのかさっぱり読めなかったからな。いいかげんそろそろ、何が目的なのか話してもらうぞ」
「えぇ、もちろん。とりあえずリョウ。これをヴィエタ夫妻に預かってもらってて」
そう言って、先ほどから外套の中で抱えていたリヴァイアサンの神獣核を無造作に木箱の上に置いた。
「ただし夫妻以外、誰にも見せないようにね」
「サルドには返さないつもりか」
「返したら神獣核がエリン族の連中に奪われたってことにできないじゃない」
「……そういえばそんなことを言っていたな」
今回の事件はこのテナによる自作自演なわけだが、こいつはこれから戻って、エリン族の仕業だと言い張るようだ。エリン族の中でもイスタ族と縁を結ぶのを良しとしない連中に身柄と神獣核を奪われかけたが、なんとか自分だけは逃げ出してきたと証言するつもりなのだろう。
「さっきの作り話をサルドにして、婚礼を破談にしてしまおうってわけだ」
「それだけじゃないわ。強硬な手段に出たエリン族は多くの部族から非難を受けるでしょう。そうなればそれらの部族はイスタ族の支持にまわる。さらに神獣核を奪われたことと、妹を攫われかけたこと――兄様はエリン族と敵対する理由としてこの二つを得るわ」
今回の婚礼は、イスタ族にとってはエリン族以外の部族の支持を得るための政略結婚だった。サルドの奴も、いずれエリン族とは決着をつけると言っていたし、もしもテナの言う通りほかの部族の支持が得られるのならば、サルドはすぐにでも動くだろう。
ただそれは、多くの血が流れる戦いへの動きだ。このテナの自作自演によって、これまで以上にレバ海の住人同士が殺し合うことになる。
「お前が素直にエリン族の嫁に入っていれば、穏便のことが進んだんじゃあないのか」
「しばらくはそうでしょうね。でもクー国の組合がエリン族に助力し続ける限り、イスタ族とエリン族の対立は続く。結局はどちらがレバ海の主かはっきりするまで争い続けるでしょう。それならさっさとエリン族には滅びてもらって、イスタ族が支配したほうが全体としての被害は少なくなるはずよ」
「乱暴な計算だな」
「えぇ、あなたの好きそうなね」
長い間だらだらと戦うよりも、短い時間で雌雄を決したほうが、総合的には死ぬ人間は少なくなる。乱暴な論理だが、理がないこともない。平和主義者が聞いたら卒倒しそうだがな。
「どうせサルドと一緒に決めた計画だろ。それでレバ海を掌握できると思っているなら好きにすればいい。できれば事前に教えておいてくれれば、もう少し協力できたと思うけどな」
「何を言っているの。これは私の独断よ。逃げ出すタイミングを計っていたら、たまたま広場で喧嘩が起きたの。それで騒ぎになった隙に、神獣核を持って広場を抜け出したのよ」
「……まじか」
それはなんというか、思いつきでとんでもない騒ぎを起こしてくれたな、この女。
「最初はおとなしく兄様の顔を立てて、このままエリン族に嫁入りして過ごそうと思っていたのだけど、あなたと奴隷の子たちの姿を見て気が変わったわ。私やっぱり、まだ嫁入りなんてしたくないみたい」
「よくもまあ、自分勝手な理由でとんでもないことをしでかしたな」
「そうね……自分でも少し驚いているわ。いつも自分の利益ばかり考えているだれかさんのそばで働いていたからかしら」
「人のせいにするな。お前が勝手にぶち壊しにしただけだろうが」
テナはリヴァイアサンの生贄に選ばれた際にも、俺の誘いに乗って共闘するという選択をした。結果的にうまくいったが、もしもリヴァイアサンに俺の存在がばれてた場合、テルテナ島が滅びてしまう可能性もあった危険な選択だ。
そして今回も色々と理由はつけているものの、要は神獣核の身代わりで嫁入りすることが気に食わないから、ぶち壊しにしたかっただけだろう。
つまりこいつは、本質的に自己中心的な女なのだ。
だが別にそれはおかしなことじゃあない。自慢じゃないが俺のほうが自分中心に物事を考えている自信はあるし、職業柄これまで出会ってきた連中にもそういう奴は多い。というか、人間だれしも本質的には自分の利益を第一に動く自己中だ。悪人と聖人の違いなんて、その利益の定義と範囲が異なるだけだろう。
ただ、身一つでこの世界に放り出された俺と違って、テナはイスタ族長の娘だ。その立場を務めあげるだろうと勝手に思っていたが、どうやら盛大に投げ捨てることにしたらしい。女として部族同士の争いに利用されるだけの人生は、まあ確かにつまらないのかもしれないが。
「しかしエリン族の跡取りとやらもかわいそうに。花嫁に逃げられたうえ、一族には濡れ衣を着せられるんだからな」
「いいのよ。一度会ったけど、傲慢でつまらない男だったわ。あなたの方がずっと男前に見えるくらいにね」
「そいつは光栄だ」
おそらくは皮肉だろうが、美人が面と向かって褒めてくれているのだ。細かいことを考えなければ、悪くない。ただ面倒をおこしてくれたことには変わりないが。
今回の件で婚礼は破談になることは確定だろう。今後の情勢がいまテナが言ったように動くかどうかは俺にはわからないが、とりあえずこれからレバ海で一波乱ありそうだ。
「それじゃあリョウ。そろそろアスタの倉庫まで案内してくれるかしら。あとさっきも言ったけどこの神獣核、ちゃんとヴィエタ夫妻まで届けておいてね」
「あぁ」
無造作に置かれていた神獣核を回収すると、二人でカルサ島につながる扉を経由してからアスタの倉庫へと移動した。そのままテナは広場に戻るというので、裏口から見送る。
「そういえば、魔法杖を返してくれるかしら」
「あぁ」
預かっていた魔法杖を手渡すと、テナはすぐにそれを懐へとしまい込んだ。
「サルドに報告した後はどうするつもりなんだ」
「さあ。ちょっとどうなるかわからないわね。うまく兄様をごまかせればいいけど」
「自作自演がばれたらまずいだろう」
「さすがに怒られるでしょうね。テルテナ島に送還されて一生外に出られないかも」
「そうなると騒ぎを起こした意味がなくなるな」
「大丈夫よ。もしそうなったら隙を見て逃げ出して、フィズさんのところで冒険者になるつもりだから」
「そんなに簡単には逃げられたらいいが」
「駄目そうなら、貴方が助けにくることを当てにしているわ。それじゃあね」
最後に割と面倒そうなことを言い残して、テナは倉庫を出ていった。その後ろ姿を見送ると、どっと疲れが出てしまい、近くにあった木箱に座り込んでしまった。
今回のテナの自作自演。テナがうまく話をしてサルドを信じ込ませてしまえば、イスタ族とエリン族の全面戦争が始まるだろう。そうなるとしばらくの間、これまで以上に武器が売れることになる。早速帰ったら、いつもの数倍仕入れることにしよう。とりあえずそんなことでもして儲けを出さなければ、テナに振り回されただけになってしまって気分が悪い。
「ご主人様!」
そんな算段を考えながらぼーっとしていると、リース達が息を切らして戻ってきた。心配そうな表情のまま荷物を降ろし、食いかかるような勢いで近づいてくる。
「ただいま戻りました。テナ様は?」
「もう出ていった。兄貴とお話ししてくるそうだ」
「そうですか。ご主人様もテナ様も、ご無事で良かったです」
リースがほっと息をつくと、他の奴隷達からも歓声が上がる。そのテナに危うく殺されかけたことはまあ、あとからゆっくり話すか。
「あの……ご主人様」
人魚族のレンが、ひどく畏まった様子で進み出てきた。
「レンか。締め上げられていたが、大丈夫か」
「あっ、はい。もちろんです。あのっ、命令を聞かずに取り乱してしまい、申し訳ございませんでした」
そう言ってレンは跪いてきた。物心つく前から世話になっていたというテナの身が危なかったんだ。取り乱すのも無理はない。ただ、命令違反はしっかりと叱っておかないと。
「意見を出すのは構わないし、テナを心配する気持ちもわかる。だがお前は俺の奴隷だ。俺が決定した命令に背く権利はない。次は無いと思え」
「はい……申し訳ございません」
「あぁ。それじゃあリース、適当に罰を与えておいてくれ」
「かしこまりました」
厳格なリースのことだ。おそらくかなり厳しい罰を与えてしまいそうだ。あとでアーシュあたりに、フォローしてやるように言っておこう。
「しかし、今日は疲れたな。買い物だけで終わるかと思ったら、テナの奴に振り回された。まさかあんなことをしでかすとは」
「テナ様と何かありましたか?」
「まあ……ちょっとな。信用というものはいつだって条件付きだってことを思い出したよ」
テナが忠告してきたように、確かに気が緩んでいたかもしれない。テナには奴隷達も含めて少し気を許しすぎていたし、各地で付き合いのある連中に対してもそうだ。連中は基本的に利益という糸で繋がっているだけの関係であり、もしも利益が無くなったり、それを上回る利益が他にあれば、あっさり裏切ってしまうだろう。信用なんてそんなものだ。
「お前達も、あまり人を信用しすぎるなよ。いつ裏をかかれるか、わかったものじゃあない」
「心得ました。しかしご主人様……」
リースは跪いたのち、真剣な瞳を向けながら言ってくる。
「我々がご主人様を裏切るということはありえません。どうかこの身と命が尽きるまで、御奉仕させてください」
その言葉に続いて、他の連中も跪いてきた。順々に一人一人視線を向け、最後に頷く。
「あぁ。頼りにしている」