102. 逃走
102 逃走
唐突に姿を現したテナに、さすがに動揺を隠し切れない。
「テナ。なんで……連れ去られたんじゃあないのか?」
俺の言葉には答えず、テナは外套についたフードの中で息を整えながら言う。
「いいところで会ったわ。悪いのだけど、いますぐカルサ島に繋がる例の扉を開いてくれない?」
「いますぐだと?」
反射的に周りを見渡したが、まだ通りを抜け出してはいない。ここで扉を開くのは、あまりにも人の目が多すぎる。
「ここじゃあ無理だ。もっと人が少ないところなら、リース達で壁を作ればばれないと思うが」
「それじゃあ移動しましょう。こっちよ」
そう言うとテナは俺の手を引いて走り出した。通りを横道に抜け、沿岸へ行く方向だ。訳も分からずとりあえず走る。後ろを見ると奴隷たちもついてきているが、みな困惑顔だ。唯一アーシュに拘束されているレンだけは、とても嬉しそうにテナの姿を見つめていたが。
だが、なぜテナがここにいるのか。
「おい、テナ。お前、連れさられたって聞いたが? 何があったんだ?」
「後で説明するわ。今は急いで逃げましょう」
「ということは、まだ追われているのか?」
「そうなるわね」
よくわからんが、隙を見て逃げだしてきたということか。そうなると面倒なことになった。追手がいるというなら、多少無理をしてでも扉を開いたほうがいいかもしれない。
「相手は誰で、何人くらいいる? 強いのか? 武器は持っているのか? それと神獣核はどうした。一緒に奪われたと聞いたが――」
「もう、一度に聞かないでよ。とりあえず、神獣核はここよ」
確かにマントの中には巨大な魔核が抱えられていた。先ほど広場で見た神獣核に間違いない。
「神獣核も取り返しているなら、確かにさっさと逃げるべきだな」
「えぇ。わかってくれたかしら」
「それで誰に攫われたんだ。俺は組合あたりだと踏んでいたが」
「エリン族よ」
「……まさか」
嫁入りする相手のエリン族が、花嫁のテナを誘拐しただと?
「婚礼相手が花嫁泥棒なんてするわけないだろうが」
「私が目的じゃないわ。神獣核が狙いだったのよ。さっき話したでしょう? 私は神獣核の代わりだったって。エリン族の中にはまだ納得していない一派もいるから、どうやらそいつらの仕業のようね」
神獣核を欲する強硬派の暴走。ようするに内輪揉めか。それならありそうな話だ。
エリン族というのはかなりの大部族らしい。おそらくいくつか派閥のようなものがあるのだろう。今回テナが嫁入りする跡取りの男とは別の一派が今回の事件を起こしたというわけか。テナ自身が攫われたのは、ついでだったわけだ。
「運が悪かったな。お前はついでに攫われてしまったわけだ」
「えぇ。神獣核を奪っただけだと婚礼話が無くなっちゃうでしょ? それじゃあこれから争うイスタ族に対して私という人質が手に入らなくなる。だから攫って婚礼だけは行うつもりだったみたいね」
神獣核を強引に奪っておいて、そのうえで花嫁も手に入れようとは、なんというか考えが浅すぎるな。エリン族の強硬派の仕業らしいが、相当血の気の多そうな連中だ。
「それじゃあもしそのまま連れ去られていたら、一生幽閉されていたかもな」
「えぇ。だから必死に逃げているのよ」
「なるほど。事情はだいたい理解した」
「そう、よかったわ」
「犯人連中にとって、お前がおとなしくしているタマじゃなかったってことが計算外だったな。魔法杖を持っていたなら、逃げ出すなんてわけなかっただろう」
テナは水の魔法使いだ。何も持っていなければ少し気が強いだけの女だが、魔法杖さえ持っていれば恐らく人魚族の戦士が束になっても敵わない戦闘力を発揮する。先ほど会った時には魔法杖を持っているように見えなかったが、おそらく懐に仕込んでいたのだろう。
「えぇ、まあそんなところね」
コクリと頷いたテナは、視線を前に向けたまま続けて言った。
「そういう筋書きなんだけど、どうかしら」
「……は?」
筋書き? 何を言ってるんだ。こいつ。
「だから、そういう感じで兄様にも説明しようとおもっていたのだけど、あなたが信じるなら大丈夫みたいね」
ということは、今話していた内容は嘘か。確かに信じられない話だったが、直接テナから説明されたので普通に納得してしまった。なんでそんな面倒なことを。
「……作り話だったのか。どこからだ」
「エリン族が犯人だってくだりよ。本当はエリン族の一部による襲撃なんてなかったわ」
「ちょっと待て。それじゃあ誰がお前を攫ったんだよ」
少しイライラしながら聞くと、テナは微笑みをうかべるだけで何も答えなかった。その横顔を睨み付けていると、はっとある考えが浮かんできた。
こいつ、もしかして――
「……お前……おい、止まれ!」
テナの肩を掴み立ち止まる。ついて来ていた奴隷達も慌てて止まり、周囲の視線を遮るように広がった。
「なに。急いでいるのよ」
「……お前、1人で神獣核を奪って逃げてきたな」
エリン族が犯人という作り話を、これから兄であるサルドにする。それはつまり犯人など最初からいないから、でっち上げるという意味である。
つまりこの騒ぎは、テナの自作自演だ。
「えぇ。そうよ」
「いったい何を考えている。説明しろ」
「それよりリョウ。この辺りなら、リース達を目隠しにすればあなたの魔法が使えるでしょう? カルサ島に繋げて」
「お前――」
「いいから早くしなさい。さもなければ今ここで大声をあげるわよ。私と神獣核を連れ去った犯人はこの男だってね」
テナは少し怒ったような口調で言う。この女――と一瞬激昂しかけてしまったが、冷静に考えてみると状況は非常に悪い。こんな場所で大声をあげられ人が集まってきたりすれば、俺がテナを攫っている犯人だと思われてしまう。
「ここから離れたらちゃんと説明するわ。だからリョウ、お願い。急いで」
「……ちっ」
何を考えているのか知らないが、とにかく大声をあげられてはたまらない。適当な場所の印をつけると、リース達に視線を遮るように壁になってもらい、扉を開いた。
「これでいいか」
「えぇ。それじゃあリョウ、一緒に来て。他のみんなは扉を閉じたあと、歩いて戻ってきてね」
テナが俺の手を引きながら奴隷たちに指示を出すと、リースが視線をこちらに向けて確認を取ってきた。
「とりあえずテナの言う通りにしろ。リース、皆を任せたぞ」
「かしこまりました。ご主人様、テナ様。すぐに参ります。お気をつけて」
礼をするリース達に見送られ、扉を使って移動する。移動を終えるとすぐに、扉を破棄した。移動した倉庫はテナにとって初めての場所だったらしく、きょろきょろと周囲を見渡していた。
「ありがとう。でもここは……カルサ島じゃないわね」
「あぁ、持っている倉庫の一つだ。ここの方が都合がよかったからな」
「そう」
「さて、いったいどういうことなのか、いい加減説明を――」
少しイラついた口調で視線を向けると、そこには珊瑚の魔法杖の切っ先をこちらに向け、勝ち誇った笑みを浮かべるテナの姿があった。