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極東の海の女王  作者: 優笑
第一章  最強の戦艦
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第三話  存在

「えっと……じゃあ陸奥さんは異世界から来た、しかも人間じゃなくて戦艦だっていうの?」

 

 エルムは困惑しながら尋ねる。


「そんな困ったような顔されても、私自身、自分がどういう存在か、どうしてこんなことになっているのか聞きたいくらいなんだから。でも……そう、人間でない事だけは確かね」

 

 対する陸奥は、エルムと対照的に落ち着いた態度で話す。今二人は戦艦の艦橋に戻っていた。陸奥はともかく、エルムは波をかぶる船首で落ち着いて長話ができるほど頑丈な体ではないためだ。その事実だけで、彼女が普通でない事は理解できた。

 

「でも……信じられないよ。陸奥さんはどう見たって人間の姿をしているし、戦艦が人間の姿になるなんて……」

 

 エルムはそう言いながら、陸奥の手に恐る々る手を伸ばす。その意図を察した陸奥は、自分からその手をエルムに伸ばし、その肌に触れさせる。


「――冷たい」

 

 触れたその肌に、人のぬくもりや脈打つ鼓動はない。代わりに金属のような冷たさと重さがあった。


「……ね。信じられないと思う。私も最初は信じられなかった。なぜかは分からない。でも確かに、私はこうして人の姿かたちを得た。でも私の本来の姿はあくまで戦艦。この戦艦は文字通り私の体の一部。いえ、私がこの戦艦の一部なの」

 

 話せば話すほど、関われば関わるほど、彼女は人から遠ざかっていく。エルムもこの頃には、彼女が人でない事を認めようとしていた。ただ理性がどうしても、確証が欲しいと言っていた。


「――じゃあ、今すぐ二番主砲を右舷に90度、仰角30度に指向させて、ってお願いしたら、やってくれる?」

 

 エルムは彼なりに真剣な表情で言う。


「……見てて」

 

 対する陸奥はそうとだけ告げて、窓から眼下の二番主砲を見下す。

 答えはわずか数秒の内に出た。

 陸奥と同じようにエルムが窓の下を見下ろすと、そこにたたずんでいた鋼鉄の巨砲は、ゆっくりと、だが確実に右舷に向けて旋回を始めたのだ。


「仰角30度」

 

 陸奥が小さく呟くと同時、水平に近かった主砲の仰角も上がり始める。そして最終的に主砲はエルムの指定通り、右舷に90度、仰角30度でピタリと止まった。


「……わかってくれた?」

 

 陸奥の言葉に、今度こそエルムは大きく頷く。


「――うん……陸奥さんは本当に、戦艦なんだね」

 

 その表情が冴えず、声が震えているのは、頭では理解できていても心がついていかないからだ。


「……そんな顔しないで。私だって人と話をするの、今が初めてなんだから。

 戦艦だったころは人の目なんて気にしなくて良かったけど、今は違う。私はあなたからどんなふうに見えているか分からない」

 

 陸奥はそう言って目を伏せる。その姿はエルムの目に、それまでの冷静で落ち着いたものと対照的に、とても小さく、弱々しく見えた。

 

――陸奥も不安なんだ。


「ごめん」

 

 伏し目がちにエルムが言う。


「謝らないで……そんな顔しないで……そう、今度はあなたの、エルムの事を教えて」

 

 対する陸奥は、話の方向を逸らすようにそう尋ねる。それにエルムも頷き、


「何でも聞いて」

 

 そう告げる。


「それじゃあ、あなたはどうして、あんなところに一人、浮き輪に掴まって漂流していたの?」

 

 陸奥の問いに、エルムは表情を少し悲しげにする。


「乗っていた船が、敵に撃沈されたんだ。本当は船と一緒に沈むつもりだったんだけど、やっぱり死ぬのが怖くなって、脱出したんだ。でも脱出して直ぐ嵐に襲われて、何とか浮き輪には掴まっていたけど、途中で気を失って、気が付いたらこの戦艦に乗ってたんだ」


「じゃあ、あなたはやっぱり水兵なのね。でもどうして水兵になったの?」

 

 尋ねる陸奥の言葉に、エルムは何かを思い出すように数秒間を開け、


「そんな理由で水兵になったのかって、呆れられるかもしれないけど」

 

 そう前置きしたあと、どこか力のない微笑を浮かべながら言う。


「僕は小さなころからずっと好きだった軍艦があったんだ。理由はいろいろあるけど、一番はその軍艦に乗るために、かな」


「好きな軍艦に乗る為?」

 

 陸奥の意外そうな言葉に、エルムは昔を懐かしむように続ける。


「そう。だからその軍艦に乗れるって決まった時は、とてもうれしかった。どの船の配属になるか分からないし、僕は水兵としてあまり優秀とは言えなかったから。

 その軍艦に乗ってからは、それまでの地獄のような訓練も、あまり苦じゃなくなってた。それ以上に、自分の好きな軍艦に乗れていることがうれしかったんだ」

 

 そう明るい声で、幸せそうに語ったエルムは、そこでわずかに間を置いた後、


「その軍艦は、重巡洋艦ミーネは昨日、沈んだけどね」

 

 付け加える。そのどこまでも暗い表情が、彼の心情をそのまま表しているようだった。


「……陸奥さん、この船には弾薬は積んであるの? ……いや、単刀直入に言うよ。この戦艦は、陸奥さんは戦えるの? 戦えるのなら、もし僕が、ミーネの敵を討つのを手伝って。ってお願いしたら、戦ってくれる?」

 

 問いかけるエルムの瞳に、奇怪な光がゆらめく。そんなエルムの言葉に、陸奥はどこまでも悲しげに、


「あなたは船の事を人のように表現するのね。そして命を懸ける理由を聞けば、大切な人でも、国でもなく、好きな船の事を一番に言うのね……」

 

 そう呟いた後、凍てつくように冷たい瞳で、エルムを真っ直ぐ見つめて告げる。


「戦いに必要なものは全て満載されてるから、戦えと言われれば今すぐにでも戦える。

 でも私は戦わない。

 前の世界で分かったの。国の誇りだのなんだのと言われたところで、所詮私は一隻のちっぽけな船。世界の、歴史の、時代の大きな流れを前には、小さな石ころほどの存在に過ぎない。激流にのまれれば、あがくことも出来ずに流され、砕け、砂粒になるしかないの。

 私があなたの言うとおり戦えば、敵艦の一、二隻は沈められるかもしれない。でもそれで何人の命が失われるの? 何人の命を奪うことになるの? そうしてあがくことで、無用な流血を招くだけじゃないの? もう私は嫌なの。知っている人が、仲間が、どんどん離れていくのが。手の届かないところに行ってしまうのが。

 私は戦わない。それで私が消えてしまうのだとしても、それでいいの」

 

 陸奥はそう一気に言って、荒い息を吐く。その時の彼女の表情は、彼女自身にもわからなかっただろう。ただエルムだけは、陸奥のその表情を見、沈黙を守った。


 やがて窓から見える外の景色が夕闇に包まれるころ。


「ごめんなさい」

 

 先に沈黙を破り、視線を落として言ったのは陸奥だった。


「僕の方こそごめん。さっきの言葉は忘れて」

 

 エルムもまた視線を落として言う。その言葉に陸奥は驚いたように顔を上げ、エルムを見つめる。


「もういいの? 戦えって言わないの?」

 

 震える声に、しわくちゃの顔で尋ねる陸奥に、エルムはまた、力のない笑顔を向ける。


「いいんだ。あんな陸奥さんの顔見せられたら、とてもそんなこと言えないよ。

 でもかわりに一つお願いがある。僕を出来るだけ早く、レベイル島の味方のところへ連れて行ってほしいんだ。決戦で敗れた以上、森羅は数日中、早ければ明日にもレベイル攻撃を開始するはずだ。そうなる前に、僕は帰らなくちゃいけない」

 

 そう語るエルムの言葉に揺らぎは一切ない。


「でも決戦で敗れたってことは、戦っても負けるのは分かってるんでしょ? どうしてそんな場所に?」

 

 陸奥はどんな答えが返ってくるのか大体分かっていながら、そう問いかける。分かっていても、聞かずにはいられなかったのだ。それにエルムは、乾いた笑顔と共に答える。


「負けると分かっていても、分かっているからこそ、逃げちゃいけないって思うんだ。この目で見届けなきゃって思うんだ。

 僕は怖いんだ。いるべき時に、いるべき場所にいられないことが。その後仲間に、逃げたって後ろ指さされるのが。僕は単に臆病で、逃げるべき時に、逃げ出す勇気がないんだ。だから……」


「……ミーネから脱出した事、逃げ出したことを後悔してるの?」

 

 陸奥はそう、どこか冷たく、鋭く問う。

 その一瞬、エルムは押し黙ることしかできなかった。


「そうかもしれない。あまり深く考えていなかったつもりだけど、心のどこかではそんな風に思っていたのかもしれない。でも僕はミーネの後を追おうとは思わない。戦場に戻るんだからそうなる可能性はあるし、覚悟もいるんだろうけど、少なくとも自分から死のうとは思ってないよ。だって死ぬのは怖いから」

 

 数秒の思考の後、エルムはそんな答えを返す。その声と表情に裏は無く、まさしく本心からの言葉であることを陸奥は容易に理解できた。だから彼女はその一瞬、どこか暖かい視線を彼に向ける。

 その時、それまでの深刻な空気を、エルムのお腹から響く気の抜けた音が破る。


「昨日からずっと何も食べてなかったから、お腹が減ってきちゃった」

 

 少し照れながらそういうエルムの姿は少年のようだ。


「じゃあ何か食べる? 料理も私の自慢のひとつなの」

 

 答える陸奥の声と表情は、誰が見ても人間のそれと変わらない、とても感情豊かで暖かいものだ。


「うん、じゃあお願いしよっかな……ん? ということは、この船には人間が食べるような食糧が積んであるの?」

 

 この戦艦には人が乗っていないのだから、その疑問は当然だった。

 対する陸奥は、それまでの人間らしい感情豊かな声と表情のまま、何でもない世間話にこたえるかのようにさらりと言う。

「人が乗っていなくても食糧は必要なの。あなたには見えない乗員が食べるのに必要な分が。燃料もちゃんと消費してる。だから無くなれば当然私は動けなくなる。そして何も食べなくなった生き物が生きていけなくなるように、わたしも食糧や燃料、航行に必要なものがなくなれば、生き物で言う餓死を迎える。つまりは……消えるの」

 

 その一瞬、エルムは凍りついた表情を陸奥に向ける。


「そんな顔しないで。私はすでに一度沈んでるの。人間でいうならお化けや、幽霊みたいな存在なんだから、消えるのが当然。どこかで補給すれば存在してはいられるけど、そんなあてはないし、そこまでしてこの世界にいる意味なんてないしね」

 

 そんなことを、当たり前のように答える陸奥。

 

 その一瞬、


「意味なくなんてない!」

 

 エルムの叫びと鋭い目が陸奥の心を突き刺す。


「陸奥さんに昔、どんなことがあったかなんて知らない。一度沈んだなんて、幽霊みたいな存在なんて言われたって、僕にはわからないよ。関係ないよ。

 陸奥さんは今、確かにここにいるんだから。意味なんて無くたっていい。ただ存在するためでいい。生きていてよ。消えるなんて言わないでよ。どうしても駄目だっていうなら、僕は陸奥さんに死んでほしくない、生きていてほしいって思ってるから。そんな理由じゃだめなの?

 何でもいいよ、何でもいいから、お願いだから、死ぬなんて、消えるなんて言わないで」

 

 そう一気に叫んで、激しく息を吐き、うるんだ瞳で睨むエルム。

 そんな彼を、陸奥はただ白い表情で見つめることしかできなかった。

 それから数秒、エルムは陸奥の下を離れるように、どこへともなく走り去っていく。


「――エルム」

 

 そんな彼の背中を陸奥は悲しげに見つめて呟きながら、追いかけることは出来なかった。

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