第二話 霧の中の大戦艦
「戦艦瑞竜は後方海域に待機、交戦は可能な限り避けるようにしろ」
その一声を放ったのは、森羅海軍メーム方面軍司令長官、北畠大将であった。
「……なぜ瑞竜を? あれは軍縮条約を脱退した我が森羅海軍だから建造することができた、世界最大、最強の戦艦。それをいたずらに後方で温存させるなど、戦力をあそばせるだけです」
対する第五戦艦艦隊(通称赤松艦隊)司令長官、赤松中将はそう反論する。
メーム海軍の最重要拠点レベイル島の守備艦隊は、先の決戦の結果、軽巡以下の小型艦10隻以下に激減。備えられた陸上砲も軍縮条約による制限の為、口径20センチ以下の砲少数のみで、射角の関係上、実際に敵艦隊に対応できる数はさらに少ない。飛行場の航空戦力は迎撃の戦闘機部隊こそそれなりだが、攻撃機は旧式の複葉機のみ。とても海上を航行する艦船を攻撃する能力はない。
対する森羅側は戦艦三隻、中型空母二隻を主力とする大艦隊。陸上砲が艦砲に対して有利とはいえ、この戦力差では勝負にならないことは明白。そしてその事実はスパイの諜報で森羅側に筒抜けになっており、戦艦瑞竜を前線に押し出したところで、撃沈される恐れはほとんどなかった。
その事実を承知の上で北畠は語る。
「確かにレベイル島攻略だけなら、瑞竜を前線に出したところで撃沈される恐れはほとんどないだろう。だが我々の敵はメーム軍だけではない。国内の政治家連中と、戦争参加に否定的な国民世論もどうにかしなければならない。
赤松、お前は軍の事だけ心配していればいい立場だが、俺はそうはいかない。もしここで大きな損害を被れば、レベイル攻略に成功しようが失敗しようが、国民世論は反戦に傾き、政治家は講和の道を模索する。そうなれば他国の連中は、世界最強のはずの森羅が、極東の白い猿相手に妥協したと判断する。講和の内容がどちらに有利かなど関係なく。そしてそれは我々にとって敗北に等しい。
だが逆にわずかな損失でレベイルを手に入れることが出来れば、メームを抑え込むことが容易となるのみならず、政治家や国民世論も一気に味方に引き込むことができる。
現場には現場の苦労がある事は分かっているつもりだ。だがこれは政治的駆け引きも含めた真の勝利を得るために必要なことなのだ。もし不測の事態が起きたなら、後の判断はお前に任せる。責任も私がとる。だが瑞竜の損失だけはなんとしても避けろ。いいな」
そう北畠は反論を挟む余地はないとばかり告げ、去っていく。対する赤松は北畠の意図するところは理解できたためそれ以上反論はしない。だが完全に納得できたわけではなく、その表情は険しいままだった。
「まあ赤松、北畠大将には大将にしかわからない苦労があるんだろうから、察してやれ」
そう声をかけるのは、中型空母二隻を擁する第四航空戦隊指令、河合少将だった。
だが赤松は河合の言葉にも首をひねる。
「北畠大将は俺達と同じ、現場から実力で這い上がって来た人だ。戦艦瑞竜はわが軍にとって最高最強の戦力。それを後方待機させることで、どれだけ戦術が制約されるかなど分かっているはずだ。それを現場の声も聞かず、あまつさえ損失を避けるためなどと甘い考えで待機させるなど……」
赤松はそう憤る。だがそれに対し河合は、
「いや……それは恐らく違う。大将は話さなかったが、じつは瑞竜待機には、もう一つ理由があるんだ」
そう意味深に告げた。
「もう一つの理由……だと?」
いぶかしがる赤松。
「ああ、お前もウルバン沖海戦の事は知っているだろう?」
その言葉に、赤松は当然とばかり頷く。
「知らないわけがない。あの北畠大将が唯一敗北らしい敗北をこうむった戦いだからな」
ウルバン沖海戦。それは今から8年前にあった前回の大戦の際、当時まだ無名の新興国だったメームと、世界一の大国を目指して列強各国と覇権を争っていた森羅との間に起こった海戦。
当時中将だった北畠は、戦艦の平均速力が20ノットとされた当時、25ノット以上を発揮可能な高速戦艦4~6隻を基幹とした高速戦艦部隊を編成。各地を転戦し列強各国の艦隊相手に連戦連勝を重ね、無敵艦隊として恐れられた。
その北畠とその艦隊は大戦中盤、メームの陸上拠点に艦砲射撃を浴びせるためウルバン沖に進出。しかし突然の台風に襲われ大損害をだし、さらに陣形を乱したところをメーム艦隊の攻撃を浴び敗退。その後森羅とメームは講和。北畠艦隊は戦力を回復し各地で連勝を重ね、結局大戦中、明確な敗北を喫したのはこのウルバン沖海戦だけとなった。
「突然の台風で敗退するなんて、未だ人類は自然の猛威にはかなわないということだな。しかしあれさえなければ、大将の経歴に傷はつかなかったのに」
赤松はそう同情するように言う。だが対する河合は、
「台風による損害、確かに表向きにはそうなってる。だが違うんだよ」
そう深刻な声で告げた。
その口調に、赤松は何かを察し、
「……違うってのか。……そういえばお前は確か、あの海戦に参加してたな」
そう真剣に応対する。河合も頷き、続ける。
「確かに台風で損害を受けたのは事実だ。だが主にダメージを受けたのは小型艦。大型艦はほとんど無傷だったし、北畠大将の適切な指揮もあって、乱れた陣形も立て直されていたんだ。
問題は台風が去った後だ。あの時、海域に突然深い霧が立ち込めた。そして艦隊が進んでいると、霧の中から進路を塞ぐように、一隻の巨大な戦艦が現れた」
「ちょっと待て、それは……」
赤松が言葉を遮る。それに河合は頷きながら、
「ああ、二日前レベイル沖であったの決戦のあと、人命救助に向かった連中が霧の中に巨大な戦艦の艦影を見たという、あの話と全く同じ状況だ。ウルバン沖では、その戦艦は我々の艦隊に対し、発光信号で呼びかけてきたんだ。
――私は大日本帝国海軍戦艦 扶桑。私はあなた方を止めるためにここに来た。もしあなた方がここで引き返すというのなら私は何もしない。でもこのまま進もうというのなら、その時にはあなた方と戦う。
当然そんな要求はのめない。その旨を発光信号で伝えた上、俺たちはその戦艦に対し砲撃を開始した。無敵艦隊と呼ばれて慢心も無かったとは言えないが、こっちは戦艦が四隻。うち一隻は当時最大級にして最新鋭の戦艦だ。対する相手も連装主砲六基を有する大戦艦だが、随伴艦は一隻もなし。まともに戦えば負けるはずがない。俺もそう思っていた」
「――まさか!?」
赤松はその口ぶりから後の展開を予想し、信じられないとばかりに呟く。だがそれに河合は真剣な表情を崩さないままこたえる。
「そのまさかだ。あの大戦艦は俺達の戦艦と同等の25ノットか、それ以上の速力を発揮した。そして放ってきた砲弾の上げる水柱の大きさは、明らかに35.6センチクラスのもの。実際、帰ってきた戦艦についていた破孔を調べたところ、その破孔は35.6センチ砲によるものと確認された。
信じられるか? 8年前の水準じゃ、世界最大級の戦艦でも35.6センチ砲なら6~8門。速力は23~25ノットが精一杯のはずだ。向こうはそれを12門搭載していたんだぞ。文字道理桁違いだ。
最終的に俺たちはその戦艦を何とか沈黙させた。だがそれまでに新鋭戦艦一隻が大破、戦艦二隻中破、一隻小破の大損害を被った。
結局その大戦艦は深い霧の中に消えた。追撃したかったが、あの損害では無理だった。その後、帰投する際中、偶然遭遇したメーム艦隊の攻撃により損害が拡大したのは公式資料の通り。つまり台風によりうけた大損害とされている部分のほとんどは、その大戦艦によるものだった、というわけだ」
「そんな事……公式資料まで捏造されているというのか」
赤松が困惑した表情で言う。
「厳重なかん口令が敷かれたからな。知っているのは当事者と大将以上に相当する階級の者。国家元首などごく一部のものだけ。まさしく国家機密だ。今回はお前も含め、人命にかかわることだからあえてかん口令を破ったが、バレれば、俺も予備役送りされかねんな」
「その大戦艦というのを、今もメームが保有していると?」
「いや、今も昔も、メームにあれだけの戦艦を建造する技術はない。でなければ主力戦艦がいまだにあんなお粗末な設計のままの訳がない。
それにあの大戦艦はあの海戦でスクラップ同然まで破壊したからな。生き残っていたとして、修理が可能とは思えないんだが、まあわからん。だが可能性としてありえるぐらいには思っておいたほうがいい。
さて、長話が過ぎたな、俺はそろそろいくよ」
河合はそう軽い調子で告げると、話に拘泥せずに去っていく。
その背中を赤松は見送りながら、
「あの無敵艦隊を破った謎の大戦艦」
険しかった表情を崩し、不気味な薄い笑みを浮かべて言うのだった。
「おもしろい。あの北畠大将が破れなかった大戦艦。今度は俺と世界最強の瑞竜が、必ず仕留めてやる」