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崩れゆく世界

「だからあれほど言ったのだ。真の名を教えるが、決して口に出してはならない、と」


 先程までマンモンがいた場所には闇があるだけーー

 そんな闇の中を見つめながらルシファーは含み笑いをもらしながら言った。


「アイツはそういうところがあったのは知っていた。幼女を金で買っていた事も、な」


 ちらり、と視線ををクラウディアへ向ける。そんな視線を感じたクラウディアは顔も上げず、ただ肩を小さく揺らした。


「だから真の名を使ってクラウディアを支配しようという考えが起きないよう、釘を刺していたつもりなのだが……」


 口に出したら最後……。その名は効力を示さない。同時にそれは嘘がバレる瞬間でもあり、死を意味する瞬間でもあった。


『ーー力の無いお前が力ある者を従えるなど、百万年早いという事だ!』


 あれはコイツの本心なのだろう。

 嘘つき狐が少しだけ見せた、本心ーー


「クラウディア。怖い思いをさせてしまい、すまなかっ……」


 クラウディアに向けて伸ばした老いた手を、俺は勢いよく払いのける。


「それならばどうして俺に教えておかなかった」


 アイツがそういう癖が前々からあったのなら、どうして隠していたのか。


「言えばお前はマンモンをもっと早くに殺していただろう?」

「当たり前だ」

「だが、それでは困るのだよ。私とアイツは長い事このエリクサーについて協同していた。マンモンにあって私に無いもの。逆に、私にあってマンモンに無いもの……お互いがお互いに補いあえる存在で、且つ、目指す方向も同じだったのだ」


 そんなもの知ったことか。

 俺が軽視した眼差しを送り、ルシファーはそれを真っすぐ受け止める。濁った瞳の奥は、この空間の闇よりも黒く、全てを飲み込もうとしているようだった。


「きっとアイツはクラウディアを真の名で縛り、欲を満たそうとしていたのだろう。全く、そうならないように、そうしないようにあれほど言っておいたのだが」


 ルシファーは心底残念だとでも言わんばかりに、肩をすくめてみせた。

 ーー下衆が。

 コイツは本当に嘘ばかりだ。そうならないように言っておいた……? 本当は、もうすでにマンモンの存在が邪魔で仕方なかったのだろう。

 上手く事件が起きるよう歯車をそう噛み合わせていたのだ。マンモンがクラウディアに興味を示す事もわかっていた。仕掛けてきたマンモンをクラウディアが殺してしまってもいい。だが、まだ心が育ちきっていないクラウディアにはマンモンを突っぱねるほどの強さがないかもしれない。

 魔力の強さではなく、心の強さ。そうなれば俺が動くだろうと見越して。

 ……だが。


「……気に入らんな」


 ルシファーは背を正し、俺を見下ろす。


「お前は何が気に入らないというのだ?」


 ーー全て。この世の全てが気に入らない。気に入ったことなどない。


「……何のつもりだ、サリヴァン」


 俺はルシファーに向けて杖を構えた。


「今回の件は謝ろう。だからその杖を降ろすのだ」


 だが、俺は微動だにしない。


「もう一度だけ言おう。その杖を降ろすのだ……さもなくば、いくらお前とて容赦はせん」

「兄さんやめて!」


 さすがのクラウディアも慌てた様子で立ち上がった。俺はチラリとクラウディアを見やる。

 お前はまた庇うのか……。それともこんな薄汚いヤツを里親とでも思っているのか。

 どちらにせよ俺には理解出来ない感情だ。一生かけても理解する事はできないだろう。お前は何もわかっていない。お前は何も理解していない。もう一人の俺であり、分身であり、片割れであるお前でもーー


「危険な目にあったのはお前だろう。なのにどうしてそうもアイツを庇えるんだ」


 言いながら俺は冷静だった。さっきまで、心の中に込み上げてくるものが、煮えたぎるものが心を燃やし尽くしていたというのに、今はとても冷ややかだ。


「庇ってるわけじゃないわ。ただ、ルシファーも手を尽くしてくれていたし、兄さんが助けてくれたから。だからもういいの」


 手を尽くす? そんなわけが無い。コイツはそこまで俺達の事を考えてはいない。


 ーーセタとシタ。


 俺達の真の名。お前はこの名の意味を知らないだろう。

 この名はーー


の者に闇を、そして孤独を……」

「兄さん!!」


 クラウディアの叫ぶ声を聞かず、


「ハウ!」


 俺は呪文を唱えきった。


「……!?」


 ルシファーは喉を抑え、濁った藍色の瞳は大きく見開き、転がり出んとばかりに飛び出した。


「兄さん! 一体何をしたの!?」

「コイツの声を取り上げた」

「!!」


 声を取り上げてしまえば、真の名を呼ぶ事はできない。何かを吐き出すように必死に地面に向けて口を大きく開ける。

 だがそこから出てくるものは、無。この空間と同じく、無だった。俺は再び杖を向け、言葉を口ずさんだ。


「風にまつわる精霊よ、彼の者を疾風の如く見えない刃で全てを切り裂け……チェーー」

「ヤメロ、セタ」


 詠唱中、俺の体はどこからともなく聞こえてきた声に固まった。意識が朦朧モウロウとし、体は自由が効かない。足の指一本動かせない。

 そんな中、視界は黒から白へと徐々に色を変化させ、俺はゆっくりと目を瞑ろうとした……だが。


「サリヴァン」


 遠ざかりそうになった意識が、俺の中で留まった。後頭部から抜け出そうとしていた意識は器である体に少しばかりの振動を与え、戻る。

 だが体は動かない。自由を失ったまま、意識だけははっきりと。


「……ふー、容赦ない奴だ」


 ルシファーは喉仏を摩り、首を鳴らしながら口を開いた。ニヤリと不快な笑みを零しながら。


「声を奪えばどうにかなるとでも思っていたのか? お前にしては浅はかだな」

「兄さん!」


 微動だにせず声も発さない俺に、クラウディアは悲鳴に似た声を上げながら俺の体を揺さぶった。


「万一声を取り上げられたとしても大丈夫なように反対呪文をかけていたのだ。声を取り上げた者の脳に直接会話出来るような仕掛けを、な」


 ルシファーの足元から風が吹き上がる。闇が広がるこの空間で、どこからともなくフワリとほのかに沸き上がる風。


「まぁ、そんな呪文を使ってくる相手は……お前の他にはおらんと思っていたがな」


 ルシファーの黒髪が闇にとけ込み、二房ある白髪だけが闇の中でふわふわと踊っている。


「ルシファー……何をするつもり」


 立ち尽くしたままの俺の前に両手を広げ立ちはだかるクラウディア。俺よりも少しばかり小さくて細い背中が、妙にたくましく見える。先程まで肩を振るわせて怯えていた者と同じ人物だとは思えない後ろ姿だ。


「クラウディア、そこをどきなさい。別に何もするつもりはないのだから」


しかしクラウディアはそこをどこうとはしない。その様子に呆れた溜め息をひとつつき、再び言葉を続けた。


「今回の事は私の落ち度はあったかもしれぬ。しかし、サリヴァンのした事に目を瞑るわけにもいかぬがな。なんせあの呪文は私を一発で引き裂いて殺すような呪文だったのだからな」

「……どうすれば許してくれるの?」

「なに、簡単な事だ。サリヴァンがきちんと詫びれば許してやろう」


 そう言ってルシファーは一度杖をついた。

 ……と、同時に俺の体は目に見えないものに縛られていた窮屈さから解放された。しかしーー

 

「どうした、サリヴァン」


 ……この、狐め。俺に微笑みかける表情がとても愉快そうだ。

 それもそうだろう。初めから俺に謝らせる気など更々ないのだから。その証拠に、俺の喉は言葉を発する事も口を動かす事も出来ずにいた。


「兄さんっ! 早く謝って」


 そう言って俺の体を揺さぶるクラウディアを手で押しのけた。


「兄さん!」


 言葉話せようと話せまいと、そんなものどっちでもいい。元より俺はコイツに謝罪の言葉など吐くつもりは毛頭ないのだから。

 ゆっくりと距離を詰めるルシファー。そんなアイツを、俺はひと睨みした。


「謝る気は、無いようだな」


 愚問だ。そんなものあるわけがない。


「やれやれ、今まで可愛がってやった恩を忘れたか」


 残念そうに眉尻を下げ、詰め寄る。

 ーー下手な猿芝居を。

 お前は俺を殺したいのだろう。用が済めば始末する。それもお前が俺に教えた事のひとつだ。この世の理と共に。

 だからマンモンは殺された。エリクサーが溜りはじめ、ラピスを作る目処がたってきたからアイツはもう用済み。そして俺もーー


「私はお前達に比べると魔力は劣るかもしれない……。だが、毛量の半分黒髪を持っているだけで十分ウィザードとしては優秀だと言われるこの国で、私はその半数以上を優に越える量を占めている。その上今までの人生で私には少々敵も多くてね、命を狙う人間は今まで何人かいたのだ」


 俺の目の前にやって来たルシファーは濁った藍色の瞳をやんわり角を落として笑い、


「自分を殺そうとした人間を信用する事はできない性分なのだが、お前には最後にもう一度だけチャンスをやろう」


 開いた口はずっと前から決まっていた言葉を今か今かと待ちわびてでもいたように、紡いだ。


「今すぐ謝罪をするなら、許してやろう」


 クラウディアは俺のそばにぴったりと張り付き、ルシファーを見やる。俺もルシファーから目を離さず、口を開こうとはしなかった。

 まだ口は動かないままなのか、言葉が発せないままなのかはわからない。だが俺自身が口を開こうとは思わなかった。

 お前はさっきマンモンに言っていたではないか。ーー力の無い者が力ある者を従えるなど、百万年早い……と。

 その意見に対してだけは俺も同感だ。力において格下であるお前が、俺を従えるなど百万年早い……。

 命を絶とうとしたあの日、俺は思った。

 ーー死んだりなどするものか。どうして俺が死なねばならないのか、と。

 そうだろう……? 死ぬのは俺ではない。この世界にいる力無い者達の方だーー

 一行に口を開こうとしない俺を見下ろし、ルシファーはゆっくりとその口を開けた。


「……そうか、残念だ」


 ルシファーは杖を振り上げ、真っすぐ上を指した。その指した方向も闇。暗い闇を指し、口先でボソリと唱える。


「……エムシ」


 杖の先が鋭利に輝く剣へと姿を変え、その先が勢いよく振るわれた。それでも俺は至って冷静だ。いくら言葉を発せなかろうが、秘策はある。魔法を俺に教えたのは、お前だ。魔法を跳ね返す呪文や、反対魔法くらい俺も用意している。

 それに俺は、お前とは違う。生まれ持った力がある。お前が喉から欲しがるほどの、力がーー

 そう思い俺はコイツから目を逸らす事もなく、醜く笑う顔を侮蔑を込めて睨みつけた。


 ーーだが、俺の目は予想外な方向へ向けさせられる事となった。



「……兄さん、今までありがとうーー」



 目だけでなく、顔も、意識も全て、目の前のルシファーから逸らした。逸らしたそれらは全て俺の横にいた妹へと注がれる。


 ーー……な、ぜだ。


 ルシファーの振るった剣先は俺に狙いを定めていたにも関わらず、突然軌道が逸れ、鋭く尖った先が小さな体を貫いた。


「……っかはっ」


 それは音も無くクラウディアの体を貫いて。白く輝いていた剣は、クラウディアの背中から飛び出している。

 その色は白くもなく、輝いてもいない。ただ赤く、闇に紛れようと禍々しく滴って……。


「…………」


 声が出ない。口も動かない。だがそんな事はよりも、何故だ。ーー何故こうなったのか。


「……やはりそうか」


 感慨深気にそう呟き、力まかせで剣をクラウディアの中から引き抜いた。


「お前には視えていたのだな」


 支えを失ったクラウディアは剣を引き抜かれた勢いで体を揺らし、足元から崩れ落ちた。

 剣から滴り落ちる血。その血はやがて蒸発し、杖へと戻る。


 ーークラウディア!!


 やっと動くようになった体で小さな妹を支えた。

 背丈はそれほど変わらないが、それでも俺より体は細く、狭い肩幅。クラウディアは俺と同じ黒髪をいつからか伸ばし、それが肩にまで到達していた。


 クラウディア! クラウディア!!


 屈み込んでクラウディアを抱き寄せた。

 ああ……胸が引き裂かれそうだ。切られたのは俺ではない。だが、俺が切られたような感覚だ。

 実際切られたはずのクラウディアは対照的に安らかな表情だった。胸元から大量に血を流しているにも関わらず。

 流れたそれは闇のこの空間に落ちて、消えてゆく。同時に、口元からも一筋の血を流して。


「お前には先の未来が視えていたのだろう?」


 ルシファーは淡々と言った。その言葉にクラウディアはゆっくりと頷いて。


「だからお前はサリヴァンを守る魔法をかけていた。私が剣で刺し殺そうとするのを知っていたからーー」


 ーーそんな事はどうでもいい。クラウディアが……。もう一人の俺が……。


「サリヴァン、にい、さん……」


 宝石のような美しい瞳は揺れていた。


「……兄、さん……」

「クラウディア!」


 突然喉の奥から言葉はするりと飛び出した。自分の声にはっと我に返り、俺達を見下ろすルシファーを見上げる。


「最後くらい別れの挨拶をさせてやろう」


 ーー醜い……醜い……。

 沸き上がる熱。全身の毛が総毛立つ。マンモンの時と同様に吹き上げる熱。そして、同時に沸き起こる心の揺らぎ。

 ぞわり、ぞわり。足の先から何かが這い上がって来る感覚。

 ……それが、恐怖だった。

 ただし、ルシファーを恐れる恐怖、ではなく。自分の分身、あるいは半身が俺の元から消えてしまう、恐怖。


「ほんとは……知ってたんだ。こうなる、って、こと」


 弱々しく小さな手が俺の頬へ向かって伸びてくる。その手を掴み、しっかりと握りしめた。


「兄さんは、私の記憶、にないこと……知ってる。でも、私、は、兄さんの知らな、い、未来を知って、た」

「何を言っている……」


 どうだっていいのだ、そんな事は。俺は空いた方の手で杖を握り、呪文を唱えた。


「傷口を固め、傷よ再生し消えろ! イワーー」


 だが唱え終える前に杖は俺の手を弾き、吹っ飛んだ。それは音も無く、闇の中に転がり続けて……。


「そうはさせん。予定とは違ったが、仕方がない。お前ではなくクラウディアにはそのまま死んでもらう」

「お前……」


 憎悪。

 コイツだけは……。

 俺はルシファーに挑みかかるよう立ち上がろうとした。だが、小さな手が俺の服を掴んだ。


「いい、の……」


 クラウディアは力無く首を振り、ほんの少し微笑んだ。


「なぜだ!」


 ーー吠える。

 この世界は醜く、欲にまみれている。こんな世界で生きる意味などない。この世界に存在する者は全て汚く、この空間よりも空っぽだ。……だが、お前だけは違う。クラウディアだけは違っていた。なのに何故、お前が死ぬというのか。死ぬのはお前ではなく、アイツらの方だというのに……!


「兄さんは、私のこと、ばかだ、と、思ってるよね……」


 息が上がる。言葉を話すのも苦しそうで。だが、それでも口を開き続ける。


「みんな、に、いい顔、してって……」


 そんな事はない。馬鹿だとは思わない。ただ、不可解なだけだ。

 しかし口を突いた言葉は、


「……ああ、お前は馬鹿だ」


 なぜか肯定の言葉だった。


「それ、でも、兄さんに、はっ、死んで欲しく、なかったんだぁー……」


 そう言ってクラウディアは満面の笑みで笑った。痛みに眉間にはシワが寄り、うっすらと涙を浮かべながらも笑っていた。


「お前は利口な子供だな。お前にはきっと前から兄の死が視えたのだろう。だからその瞬間、刃を自分に向けたのかーー兄の運命を自らが背負って……なんと、美しい兄妹愛だ」


 ルシファーは哀れむわけではなく、感銘するわけでもなく……ただ、クラウディアを蔑むように見下ろしている。


「いいえ、ちがう」


 胸にぽっかりとした傷を負い、血は止まる事なくひたすら流れ落ち、どれだけの血量が流れ出たのか、どれだけクラウディアの生命が削られているのかーー闇が全てを隠し、俺にもわからなくさせる。

 それでもクラウディアはルシファーのくすんだ色の瞳を真っすぐに見つめた。そして最後の力を振り絞るように、上体を少し持ち上げ、凛とした声で、詰まる事の無い言葉で、物怖じしない態度で、ルシファーに言葉をぶつけた。


「あのままだったら、兄さんは死んでいた。兄さんの返しの呪文も全て破られ、殺されていた。殺され、炎にのまれ、エリクサーの一部になって……」

「クラウディア!」


 クラウディアは一瞬白目をむいて再び地面に倒れそうになった。俺はクラウディアの背中に手を回し、支える。


「もう、やめろ」


 だが、俺の言葉に首を大きく振って答える。いつも俺のそばにいて、俺の後ろに隠れているようなそんな存在だったクラウディア。そんなクラウディアが初めて見せる態度だった。


「兄さん、か、ら、エリクサーを錬成し、ラピスが、出来上がる。そうすればっ、私も、殺される。……そうするつもり、だったのでしょ?」


 ルシファーは何も言わず、ただニヤリと気味の悪い笑みを浮かべただけ。

 ーー下衆が。

 しかしそれは予想していた事。だからこそコイツを殺し、クラウディアとこの世界を脱しようとしていたのだから。

 どんどん顔の色が失われてゆくクラウディアに。そんな妹を虫けらを見るような眼差しを向けるルシファー。


「アペウチ」


 呪文とともに現れたのは幾度となく見てきた炎がルシファーの背後で燃え上がる。静寂に包まれたこの世界でもそれは存在感を出していた。


「さぁ、そろそろ別れの時間だ。お前ほどの魔力を秘めた者であれば足りない分のエリクサーを補う事が出来るだろう。ああ、やっとだ……やっと私は永遠の命と、誰よりも強い力を得る事ができる……」

「……いいえ、それは違う。もうあなたは滅びの道へと向かっているのよ」

「馬鹿な娘だ。お前は視えるといっても可能性のある未来のひとつだろう。そんな不確かな者で私が怖じ気ずくとでも?」

「そうね……たくさんの未来を、視、たわ。だけどこの未来で、あなたは、破れるの、よ」


 そう言った後、クラウディアは口から大量の血を吐き出した。もう意識ももうろうとしてきているのだろう。支える体はいつもより重く、瞳から生気が失われつつあった。


「そうか。ではその未来になるよう祈りでもしながら死ぬがいい。エリクサーの一部となり、私の一部となってなぁ!!」


 ルシファーが杖をつくと背後にある炎が四方八方からクラウディア目掛けて伸びてくる。


「エク!」


 俺の言葉に反応し、吹き飛んだはずの杖が手の中に現れた。その杖を力任せに握り締め、炎の方向を目の前で勝ち誇った顔でいやらしく笑うアイツに向けようと呪文を唱えたその時ーー


「無駄だというのだーーセタ」


 再び俺の体は硬直をはじめる。必死で意識を手放さないよう呪文を唱える。その間も炎はクラウディアのそばへ轟きながら近づき、牙をむけている。


「真の名に対抗するつもりか? 何か隠しているとは思っていたが、そんなものがお前の秘策だったのか? いくらお前でも名を知る俺の力からは逃れることなどできはせんのに」


 言って笑った。せせら笑う声が炎の轟音と……そして、そばで笑うクラウディアの声にかき消された。

 ーー笑っている……?

 何故だ。どうして笑っていられる。クラウディアは懸命に唇を振るわし、声を絞り出した。炎が轟く中、俺の全神経はクラウディアの放つ言葉にのみ傾いていた。

 呪文も唱えるのをやめ、意識が目に見えないものにひっぱられてゆく感覚に飲まれながら。


「兄さん……兄さん……」


 炎がクラウディアの体を包みはじめ、焦げる匂いが鼻孔を刺激する。


「兄さんの、瞳は、やっ……ぱり、綺麗、ね…………月が、ふたつ……」


 炎は蛇のように幾本もクラウディアの体に噛み付くように食らい付く。気がつけばクラウディアの体を赤々とした炎が覆っていた。

 まるで赤く燃える衣を纏っているように……。衣は揺らぎ、クラウディアの体を燃やしながらもそのまま、ルシファーの元へと帰ってゆく。


「やめろ……」


 連れて逝くなーー

 だが、離れていくクラウディアの体を、俺は引き止める事も、手を伸ばす事もできなかった。俺の意識はこの弱者な体から剥離されたから。


「一度でいいか、ら……お父さんと、お母さんに、会って……みたかった、な……」


 音も香りも景色も、そして俺の意識までも……全てはそこで途絶えたーー


 ーーああ……やはりこの世界は退屈で、醜い……。

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