地獄の業火
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恐怖におののく男の顔が苦痛に歪み始める。
「頼む、何でもする……」
「何でも……?」
「ああっ約束する! 助けてくれれば何でもする!」
俺は杖を振り上げた。そして口元に少しばかり笑みを携えて。
「そんな体で、か?」
男の体は悲痛なまでに折れ曲がっていた。それは間接という間接全てがあらぬ方向に。指の関節、手足全てにある間接という間接がよじれ、本来曲がるはずのない方向へと。
「やっ、やめ……っ」
俺は杖を引いた。一本の線を引くようにすうっと横に引いた。
すると目の前で恐怖に顔面を蒼白にしていた男の口から奇声が発せられ、そのまま俺が引いた杖の方向へと首がねじれた。同時に瞳からは恐怖の色は消え去り、生気も消えた。
騒ぎ立てる声も音も無く、俺の耳に届くのは、無。生気を失った男の背後には轟々と燃える炎が柱のように天井まで燃え滾っている。だがそんな炎の轟さえも俺の耳には届かなかった。
炎は部屋の真ん中で神々しくも燃えている。それはこの屋敷の城壁のようにそびえ、燃えている炎と同じもの。外にある炎はここのものを主軸とし、溢れ出た分が表れたのだ。
強大な力を抑えられ、その抑えられたものが行き場を無くし表れた城壁だ。
ーー地獄の業火。
いつかこの炎のことを、ルシファーはそう呼んでいた。
地獄……。死んだ後の世界になど興味はない。俺は死ぬ事も許されない。それに、この世界は退屈で醜く欲にまみれたもの。これ以上に退屈で醜い世界を想像するなど、愚の骨頂だ。
炎から意識は目の前にいる男へと向けた。その首が拗れた男は股関節で器用に体を支えていた。土気色した男に向けもう一度杖をかざし、そのまま八の字を描くように杖を踊らせた。
すると男の背後にある巨大な炎の柱から一筋の火が派生し、その火が男を取り囲み、そのまま巨大な柱の中へと引きずり込んでゆくーー
男は何も言わない。もう、恐怖に表情をしかめる事も無い。ただ淡々と炎に飲まれてゆくだけ。そんな様子を俺はさめざめとした面持ちで見つめる。
頭の中も心の中も寒々しいほどに冷えきった状態で。
「どうだ、順調にはかどっているか」
背後からやってくる声に俺は振り返らず言った。
「何の用だ、ルシファー」
ルシファーの声が途切れ途切れに聞こえる。笑っているのだろう。
「たまにはお前の仕事ぶりを拝見しようと思っただけだ。気にするな」
コツコツと杖の音を鳴らしながら俺の隣にやって来、炎の柱を見上げた。
「先程の男もなかなかの力の持ち主であったな」
大した事はない。
「ほう、大した事はなかったか」
そう言って笑ったルシファーに、俺は片眉を歪めて睨みつける。
「そう睨むでない。別にお前の心を読んだわけではないぞ。お前は分かりやすいのだよ」
ーーどうだか。そう思った俺の心も読み取ったのか、ルシファーは俺の目を見て、再び笑った。それはムシズが走る笑みだった。
「サリヴァン、見てみろ」
そう言って節ばった指を炎の柱へと指し、俺はチラリと視線を向けた。指し示す先には、炎に飲み込まれた男の姿はもうどこにもいない。勢いよく燃える業火に焼かれ、跡形も無く消え去った。
……だが、そんな中からキラキラと輝くものが炎に混ざって燃えている。炎の輝きとはまた違う、もっと細かく、もっと主張した輝き。だがそれは小指の先程度の小さなもの。燃え滾る炎の中、そんな小さな輝きでも見落とす事のないほどにそれは輝いていた。
「今別の部屋でクラウディアが精製しているからな」
輝きはやがてひとつの場所にまとまり、消えた。
「もう少しだ。あともう少しでエリクサーは溜まり、やっと私は手に入れる事ができる」
ーーエリクサーを触媒とし、ラピスを作る。それは人を逸脱した力を持ち、永遠の力と命を得る事ができるもの。
俺はそんなものに興味はない。醜い者が醜い世界で欲深く欲しているものなどに。
俺は踵を返し、炎からもルシファーからも背を向けようとした。だが、そんな俺を呼び止める。
「それがあればお前達も幸せに生きる事ができるだろうよ。退屈なこの世界でも、な」
歩みだそうとしていた足を俺はピタリと止めた。
幸せだと? お前がそれを俺に与えようとでも言うのか? お前などが出来るわけがない。いいや誰も、俺にそんなもの与えれるわけがない。嘘にまみれた狐め。
「お前がそれを作りどうしようと興味は無い。これ以上の力にも不老長寿にもだ。……クラウディアに諭すのと同じように俺に言うのはやめろ」
ふむ、と息をついた声が背後から届いた。やれやれとでも言うように。
「嘘ではないぞ。この混沌とした世界をひとつに統一すれば、世界は変わるのだ。それには絶対的な力がいる……そうは思わないか」
それは即ち自分が上に立ち、支配すると言う事か。
「さぁ、どうだか。こんな世界をそもそも変える必要などどこにあるというのか、俺には理解できないがな」
「理解できなくはないだろう。世界が違っていればお前達兄妹もあんな風に売られる事はなかったではないか。……まぁ私としてはお前達を得た事に関しては神に感謝をせねばならないがな。そのお陰で事は一気に進んでいるのだから」
売られる事はなかった? 俺達が売られたのはこの世界の実情のせいなのか。それともこの黒髪を持って産まれたせいなのか。
……どちらにせよ、売られた事実には変わりはない。俺は止まっていた足を再び出口へ向けて歩みだした。
「お前がどう思っていようと、ラピスが出来れば世界は変わるのだよ。なに、私についてくれば悪いようにはしないさ」
轟々と燃える炎に混ざり、俺の耳に届いたルシファーの声。それはとても愉快そうな声色で、俺の胃を不快なもので埋め尽くした。
ーー反吐が出る。
♦
薄暗い廊下を俺は真っすぐ出口へと向かって歩む。
ここは屋敷の地下。蟻の巣のようにいくつもの部屋が地下内に張り巡らされ、それぞれに仕様用途がある。
全てはエリクサーを作るため。それを媒体とし、ラピスを作るため。長い年月を要してルシファーとマンモンは研究し、練金してきたのだろう。
金はマンモンが出し、練金はルシファー。俺達の他にもウィザードなる魔導師はいる。奴らも闇に紛れるように黒いローブに包まれ、部屋に閉じこもっている。どれくらいの人数がいるのかはわからない。興味もない。金のために雇われているのか、弱みを握られているのか、真の名で囚われているのか……。
そんな事を何気なく考えながら階段に差し掛かった時、どこからともなく俺の耳に声が届いた。
「いやっ……」
それはとても微かな声。足音に紛れてしまうほどに小さな声。だが、俺の耳は確かにその声を拾った。普段なら聞き逃していたかもしれない。聞こえていても足を止めなかったかもしれない。
ーーだが、そうはいかなかった。その声がどんなに小さくても、どんなに微かだとしても聞き逃しはしない。
クラウディア……!
ルシファーはさっきクラウディアがエリクサーの精製をしていると言っていた。その部屋がどこにあるのかはわからない。上着のポケットから杖を取り出し、俺は親指の皮膚を噛みちぎった。じわりと浮き上がる血液。それをひと垂らし地面に落とし、杖を掲げて唱えた。
「我の血脈から我の求めるものを示せ、イケサンパ」
詠唱を終えたと同時に地面に落ちた血液が赤く輝きを増し、そのまま一本の糸のように地面を這って伸びてゆく。するすると真っすぐに。迷いなく伸びてゆく細い血痕の後を追いかける。そこには必ずクラウディアがいるはずだ。この同じ血液を持つ妹が。
薄暗い廊下を真っすぐ突き進んでいた糸のような血痕はひとつの扉の前で折れ曲がり、その扉の隙間からするりと中へ導く。俺は躊躇う事なくその扉を、力任せに押開けた。
ーーバンッ。
扉は爆発したような音を立てて開け放たれた。そこで目の当たりにした光景に、俺の瞳は大きく見開かれる。未だかつてないほどに大きく。引き裂けてしまうほどにはっきりと。
「……兄さんっ」
紫色した宝石のような瞳には大粒の涙を浮かべ、愛らしい口元は恐怖に押しつぶされないように口角を落としつつ、何かを堪えていた。そんな恐れの色を全身から色濃く出した、クラウディアの上に股がる人物。
「サっ、サリヴァン」
クラウディアのローブを強引にはぎ取り、着ている衣服に手を伸ばしていた。だが俺の存在に驚き、その手や表情は固まっていた。……その瞬間も、俺の視界は揺れていた。
目の前に広がる世界に。醜くも醜態を晒す現実に。
「違うんだ! こっ、これは事故で……」
皮肉にも、その声が止まっていた時間を動かすきっかけとなる。足の先から髪の先まで何かが一気に込み上げ、その衝動に震えながらーー叫んだ。
『ーーマァンモォォォンンンーー……!!』
声の限りに叫ぶ。生まれて初めて出す叫びの声。その声は石造りの壁をも振るわせ、轟かせる。
「ひっ!」
丸々と太った肉付きのよい顔がどんどん青白く、透明度を高めてゆく。叫びの振動が目に見えない音波を放っていたように、マンモンは思わずクラウディアの体から飛び退き、尻をついた。
そんな様子を見ても、俺の中に沸き上がったものは収まらず、カッと熱が立ちのぼる。この熱はどこから発せられたものなのか。俺の体を通して、空気を伝い、蒸気となって外へと排出されてゆく。
だがしかし、いくら排出されても鎮火される事なく煮えたぎる感情。
ーー醜い。
そうだ、この世界は醜い。醜くて、汚らわしい。薄汚い豚の分際で、よくも……!
……やはりこの世界は腐っているのだ。
「……一体何があった」
俺はクラウディアに目を向け、ゆっくりと歩き出す。……だが、それは愚問だった。全てはクラウディアの苦々しく苦しそうな表情を見ればわかる事。
「こっ、これは……そう、最近のクラウディアはよく働いていたからな……だから心配してマッサージでもしてやろうとしていたのだ! そうすると足を滑らせて、ぎゃひっ……!」
俺はマンモンの醜い顔を思いっきり蹴り飛ばした。
「誰がお前に聞いた? 俺はクラウディアと話しているんだ」
顔を抑えのたうち回るマンモンに吐き捨てるように言い、クラウディアのそばに屈み込む。
はぎ取られそばに捨てられていたローブを取り、クラウディアの肩にかけてやる。すると、その小さな肩が小刻みに震えていた。
再び俺の中に熱気が沸き上がる。
「クラウディア……」
汚れを知らぬ澄んだ瞳に、陰りが見えた。その恐怖に怯える瞳を見て、俺の中の記憶が突然溢れ出した。先程の炎の柱のように、轟々と音を鳴らして。
クラウディアがたまに見せる怯えた様子。違和感はあった。しかしいくら聞こうと答えようとはしなかった。普段から俺の部屋に居座り、俺がいようがいまいが何かから逃れるように、すがりつくように部屋に来ていた。
それは全て薄汚いコイツから逃れる為だったのではないか? コイツは俺の力を恐れている。俺を産んだやつらと同じ目をして。子供だろうと関係なく、俺の中にある力に恐怖していた。だから、俺の部屋にはやって来る事は決してないだろう。だとすればーー。
「……一体、いつから……」
言葉が勝手に口をついて飛び出した。とても小さく吐き出された声にも、クラウディアは肩を揺らして更に震えだす。俺は心の中に溢れ出す熱を抑えようともせず、ただ杖を握り、再び立ち上がろうとした。
……その時、
「……初めは気のせいかと思っていたの」
クラウディアは恐る恐る口を動かした。しかし焦点はひたすら冷たい石畳の地面を見つめて。
「マンモンが私を見る目が、どことなく居心地の悪いもので……私に触れる手が……触れられたところから何か異様なものが私の全身を這うようにやってくるような感覚がして……」
言いながらクラウディアは震え、自分の体を寄せた。
「……怖い、って思ったの」
「お前っ! この私にそんなっ」
顔を抑えながら汚くツバを飛ばして言葉を吐き出すマンモンに向け、俺はすかさず杖を向けた。
「アルカ!」
するとマンモンの右足がコイルのように拗れてゆく。
「ぎゃぁぁ!!」
自分の足を見て、恐怖と痛みで俺達から距離を取り、後ずさる。
さっき蹴り飛ばされたせいで鼻からは血を垂らし、靴の汚れで顔はすす汚れ、そんな状態で拗れた右足を抱きしめていた。
ーー醜い 醜い。
「……アルカ」
「ひぃぃ!!」
今度は左手。部屋の中にはメキメキという骨の曲がる音とマンモンの叫び声が響き渡る。
「兄さん、やめて……」
それは空気にとけ込むような小さな声。俺は醜い豚からゆっくりとそばに寄る妹に視線を落とした。
「……なぜ、庇う?」
お前はどうしていつも、そうやって庇うのか。
コイツも、親も。
「……わ、たしが過敏だっただけかも……。今までも何かされた訳じゃなかったし……」
「だが今回は違っただろう!」
吠えるように言葉を吐き捨てた。
今までも何かされた訳じゃなかったーー? じゃあなぜお前はいつも何かに怯えていたのだ。俺がいる時はいつもそばに来て、いない時は俺の部屋で隠れるように過ごして。
屋敷にいる見知らぬウィザードに恐れていた? いいやそれはない。ここにいるウィザードは確かに優れているのだろう。だが、俺やクラウディアにはかなわない。それは事実髪の色が証明している。年齢の差はあるかもしれない。しかしそれに劣らずの成果を残しているのも事実。
それにこの屋敷の持ち主であるマンモンと、この屋敷の力を牛耳っているルシファーの目掛けた俺達に手出しをする輩などいるはずもない。
「アルカ!!」
「ぎゃひぃぃぃー!」
マンモンの左足もクルクルとコイルのように拗れてゆく。骨の軋み折れる音と共に、禍々しい赤い血を流しながら……。
「やめてっ、もう大丈夫だから!」
さっきより強い口調でクラウディアは俺の腕を掴んだ。もう震えは止まっている。だが、瞳には恐怖の色は消えていない。
「大丈夫……?」
「ええ、大丈夫。だから……」
俺は杖を降ろし、クラウディアを真っすぐ見つめた。透明度の高い宝石のような瞳は俺を真っすぐ見つめる。……同時に、さっきの光景が脳裏を駆け巡った。
大きく見開かれた醜い瞳。妙に興奮した様子で高揚している頬。いやらしく肉付いた指がクラウディアを押し倒し、ローブをはぎ取り、衣服に手を伸ばしているマンモンの姿ーー
「俺が来たから大丈夫だったのだろう! もし……もし、俺がいなければお前はっ」
俺は自分で自分の言葉を遮った。全てを言い終える前に、クラウディアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちたからだ。
それを見つめながら、再び杖先の焦点を恐怖に怯えるマンモンの顔に定めた時、
「イノンチ!」
鼻血を流し、痛みに顔を歪めながらコイツは叫んだ。俺に向けて。
「イノンチやめろ! この手足を元通りに今すぐ戻せ!!」
馬鹿が。
少しばかりの哀れみや侮辱を込めた瞳で俺はマンモンを真っすぐ見つめる。その様子に、再びコイツは言葉を失う。眉間に恐怖のシワを刻み、肉付いた頬が小刻みに揺れる。
「……イノ、ンチ?」
コイツが今何を考えているのか、手に取るようにわかる。その問いに答えるように、俺は口を開いた。
「アルカ」
「ぎゃぁぁ!!」
マンモンの残った右手がゆっくりと拗れてゆく。
「……あああ! ……な、なぜだ……!?」
捻り上げられた手足はまるで蛸のよう。クルクルと拗れて赤い血を流し、その手足は踊っているようにも見える。
「お前はなぜ、真の名を呼ばれて意志を保っていられる……!」
だから馬鹿だというのだ。
そう、心の中で言葉を吐き捨てた。
「騒々しい。廊下まで丸聞こえではないか」
声は突然背後から現れた。背丈の半分ほどの長さをした杖をつきながら、俺達の背後に。
「ルっ、ルシファー! ちょうどいい、助けてくれ! サリヴァン達は勘違いしているんだ。それに真の名を呼んでも効かなっ……」
「ほう、真の名を告げたのか」
最後までマンモンの言葉を聞かず、ルシファーは言葉を挟む。とても愉快そうな表情で……。さすがのマンモンも一瞬眉を寄せ、疑念の表情を向ける。
「言ったではないか。二人の真の名を教える時、お前には力が無いのだからその名を決して口に出してはいけないと……」
「あ、ああ……。しかし、仕方がなかったのだ。見ろ、私のこの体を。このままでは殺されかねない状況だったのだ」
コイツは本当に……。
「そうかそうか。では仕方がないな」
濁った藍色の瞳が、怪しく光る。鋭く、突き刺すように。
「マンモン、今までありがとう。……後の事は全て私に任せて、ゆっくり休むといい」
ーー薄汚い狐だ。
ルシファーはニヤリとほくそ笑み、杖をつく。
ーーカンッ。
ついた先から闇が浸食し始め、俺達四人を残して世界を飲み込んでゆく。
「……ルシファー。どういう事だ……? 何かの悪い冗談だろう」
助かったと思っていたマンモンの顔に、再び恐怖の色が広がる。そんな醜いマンモンの顔を見るに絶えないとでもいう様子で、冷ややかな表情だけを向けるルシファー。
「冗談? いやいや、私は誠実な男だとお前も知っているだろう」
ははっ、と乾いた笑いが闇の中で響く事なく飲まれて、消えた。
「誠実なお前なら私をさっさと助けてくれるはずだろうっ! なぜ……なぜ何もしようとしないのだ。なぜこの状況を笑っていられる!」
コツ……コツ、コツ……。
淡々とした表情でルシファーはマンモンへと歩み寄る。その顔はもう、笑っていない。マンモンですら不自由になった手足を懸命に動かそうと身をよじり、後ずさる。
「ルシファー……私達は良きパートナーだろう?」
コツ、コツ、コツ。
ルシファーの眼下には懇願するように慈悲を乞うマンモンの醜い姿。
「ーーそうだな」
微かに吐き出された言葉に、安堵の溜め息をその肉付いた肩でひとつついた。……だが。
「それも昔の事になってしまったよ、マンモン」
マンモンに比べ頬は痩け、老いた皮膚は少し垂れ、それにより目尻は下がっている。重力に逆らわず下がった皮膚を持ち上げるように引き上がった口角。それは奇妙なほどに、恐怖という感情を相手に与えた。
「どっ、どうして……!」
「どうして? そんなもの決まっている……」
ルシファーの口元が歪にも弧を描いた。
「ーー力の無いお前が力ある者を従えるなど、百万年早いという事だ!」
不快な高笑い。ルシファーの口から放たれる声は次々に闇の中へと消えてゆく。
ーー反吐が出る。
俺はひたすら地面に目を向けるクラウディアを抱き寄せた。少なからずクラウディアにとってルシファーとは良き理解者だった。だがそれも嘘の上に成り立つ顔だ。クラウディアはエリクサーを精製するのに必要な人材。ただのコマに過ぎない。いくら真の名で掌握しているからと言って、それで二人同時に、長期にわたって従えるなど不可能だろう。ましてやどちらも自分より力を持った者だ。俺よりも人の心を持ち、重んじるクラウディアはさぞ扱いやすかっただろうな。
……全くもって、反吐が出る。
高笑いを続けながら、ルシファーは事の真相を伝えた。恐怖と痛みに見にくく歪むマンモンを見下ろしながら。
「この世は力だ! 力も無いお前なんぞに、私がこの二人の真の名を教えるわけがないだろう」
「ルシファー……お前というやつはっ……ぎゃあ!」
マンモンの拗れた足を杖の先で突き刺した。
「誰に口をきいているんだ……んん? もうお前に従っていた私ではないのだ。……口のきき方に気をつけろ!」
「ぎゃああ!」
再び杖はマンモンの足を捉える。それは狂気。ルシファーの瞳は汚く濁っているにも関わらず鋭く輝き、口元は引き裂けんばかりに釣り上げて笑っている。
「力も無いくせに。金で何でもできると思っていたのか? この世に産まれた時から運命は決まり、人々にはランクを付けられているのだ!」
「がっ! ぎゃああ!!」
何度も何度も杖を振り上げてはマンモンの肉の塊の中へと落とす。何度も、何度も。
しかし、再び降ろそうとした杖が途中でピタリと止まる。
「……どういうつもりだ?」
ルシファーは振り返り、狂気を孕んだ目が俺を捉えた。
「クラウディアが怯えている。それ以上痛めつけるのはやめろ」
「……お、おお……サリ、ヴァン……たすけ……」
血を吐き出しながら、血の気を失った醜い顔が俺を見上げる。
ーー汚らわしい。
「アペウチ」
俺は杖を握り口先で言葉を放つ。するとーー
「サリヴァ……」
突然炎の筋が闇の中、どこからともなく現れ、
「がぁぁぁ! やめっ……たすけてくっ……」
マンモンを覆い隠し、燃え上がる。それはあの炎だ。
ーー地獄の業火。
醜いものは消えろ。跡形もなく、な。
炎はマンモンの体も、叫び声も、全てを燃やし尽くした。一筋の柱が闇の中に伸びてゆき、果てのない闇の中、その火柱は消えた。そして再び闇が辺りを支配しはじめる。何事もなかったように。
初めからこの場には三人しかいなかったとでもいうようにーー




