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やるべき事

 ある日の昼下がり。

 昼下がりといってもここは闇の中。辺りを覆い茂る木々と、屋敷から離れたところには城壁とでもいうように赤々と炎が燃えている。木々の隙間から覗く空はいつも厚い雲に覆われ、何かを隠すように闇の中へと押し込める。

 これもきっと魔法なのだろう。それはなんとなく分かる。分かるというよりも感じるのだ。屋敷の至る所には様々な魔法の“匂い”がする。ルシファーは俺やクラウディアより黒髪の量は少ないが、代わりに魔法に携わってきた年月がある。それも闇を主とした魔法。

 一歩間違えれば自分もその闇に飲まれかねない危険なもの。しかしそれだけに威力は絶大なのだろう。その代価を払ってまでルシファーが、いいや、ルシファーとマンモンが欲しがっているものーーそれは。


【エリクサー】


 人間を不老不死とし、力を永遠のものとすることが出来る霊薬。このエリクサーを触媒とし、ラピス(石)を作る。


「ーーそれがあれば皆が幸せになれるよう力を使う事が出来るのだ」


 クラウディアにそう説き伏せ、いやらしく笑ったマンモン。その言葉に対する感情が一切感じられず、俺にはムシズが走った。だが当のクラウディアは違っていた。

 そうすればきっと自分達のようにお金に困って売られる子どもが減るだとか、自分も両親と暮らす事が出来るかもしれない、とそう思ったに違いない。なぜならば、クラウディアの瞳は今までに無いほどに、キラキラと眩しく輝いていたからだ。

 バカバカしい。そう思って俺は再び瞼の重みに身を任せた。


「サリヴァン」


 その声の主は俺の名を呼ぶ。だが俺はその声には反応せず、背を向けたまま。それでも声の主はそのまま俺の背中へと話を続けた。


「お前はとても優秀なウィザードだ。まだ年も5つだというのに、私が何年も費やして学んだ魔術を全て習得し、理解している」


 それでも俺は顔を向けようとはしない。だが耳だけは声の主に向いていた。


「のうサリヴァン。お前にとってこの世界は退屈か……?」


 その言葉は俺の脳内を駆け巡り、疑問をまき散らした。

 ーー退屈か、だと?

 実に変な聞き方をする。この世界は退屈で醜く、そして欲にまみれている。だから俺が退屈だと感じるからではなく、この世界自体が元々退屈な存在なのだ。


「目障りだ。この世界の全てが」


 俺はベッドに座り直し、部屋の戸口に立つルシファーを睨みつけた。

 目障りだ。俺を支配しようとするお前達も、そしてこの俺自身の存在もーー


「ふっ、お前はいつ見てもいい目をしている。この世の全てを憎み、汚れたものを見る様な目」


 心底愉快そうに口元を歪めるルシファー


「お前はまだ幼い。だがしかし、年齢などというのはたかが数字の蓄積だ。それを凌駕する力、それをお前は既に持っている。そしてそれを使いこなす器も備えて、な」


 ルシファーは手に握る腰ほどにもある長さの杖で地面を鳴らした。

 ーーカン。

 するとその突いた杖の先から黒い闇が広がり始める。円形に、音も無く、辺りを黒に塗りつぶして。

 俺は目だけで辺りを覆う闇の動きを追った。果てしなく広がる黒。墨よりももっと深く、光りさえ断絶した圧倒的な闇。

 そこには俺とルシファーの2人きり。闇の中だというのに、なぜかお互いの姿は見えもし、確認する事が出来る。


「サリヴァン、ついてくるがいい。お前の今の力を見させてもらおう」


 そう言って闇の中、俺に背を向けて歩き出す。それに続いて俺も後を追った。

 音がしない。足音さえも闇が飲み込み、俺の耳には届かない。そんな中を俺はただ黙ってついて行った。地面を歩いているようで歩いていない感覚。足の裏に大地の感覚がしない。空中を浮いているようで、だけど俺の足はしっかりと二足歩行をしている。

 違和感を覚えながらもそれに囚われる事無く歩き続けると、やがてうっすらと明かりが灯った。その明かりの中で何かがうごめいて。


「……ウウッ」


 こぼれ落ちる呻き声。そこにいたのは見知らぬ男。暗闇の中、どこから繋がっているのか分からない鎖が男の腕を吊るしている。体はボロボロで、口からは乾いた血痕の跡。


「なんだこれは」

「コイツは私達の財宝を盗もうとしたのだよ」


 言いながら笑う顔は歪なものだった。その様子を見て、俺は単刀直入に聞いた。


「俺にどうしろと?」


 生気は無く、死に怯える恐怖の目を向ける男。そんな男に俺は侮蔑の視線を投げ、ルシファーの言葉を待った。


「コイツは一人でこの屋敷に侵入しようとした訳じゃない。仲間がいるはずだ。その仲間を吐き出させてはくれないか?」


 そう言った後、ルシファーは男の頬を杖で殴りつけた。


「ウウッ!」


 乾いた口から再び血痕が飛び出し、黒い闇の地面に落ちて消えた。


「見ての通り、この男は喉を裂いたのか魔術を施したのか、あるいは仲間に施されたのか。どうやら呻く事しか出来ないようなのだ。そんな男から仲間の所在を聞き出す事が出来るか……?」


 ニヤリと笑う顔に見向きもせず、俺は男の前に立ち尽くした。


「どんな手を使ってもいいのか?」

「どんな手を使ってもよい」


 その答えが了承だと捉えたルシファーは、再び俺に背を向け来た道を戻り始めた。俺とボロボロに傷ついた男を残して。


「一日やろう。その男から仲間の所在を全て聞き出したら教えに来るのだ」


 やがてルシファーは闇の中へと消えていった。


  ◆


「なんだ、何か問題でもあったのか?」


 ルシファーは部屋で何やら書物に目を通している。視線を落としたまま、足音も立てず部屋にやって来た俺の存在に声を投げかけた。


「いいや」

「では何の用だ?」

「何の用? ほとほと呆れる質問をするな。俺がここにいる理由はひとつしか無いと思うが?」


 ピクリと片眉が揺れた。一瞬間を空けた後、今度は顔を上げ濁った藍色の瞳を俺に向け真っすぐ見つめる。


「……まだ一時間も経っておらぬのだぞ?」

「それだけあれば十分だと思うが?」


 俺は睨みつけるようにルシファーを見やり、言葉を吐き捨てた。


「見に行ってみれば分かるだろう。用が済んだんだ、俺は部屋に戻る」


 踵を返そうとした時、目の端に感心した様な輝いた色がその表情から溢れ俺は小さく舌打ちを零した。

 ーー胸くそ悪い。

 憎悪に似た腹立たしい感情を抱えたまま部屋を後にしようとした俺を引き止める声。


「では確認しに行く事にしよう。確認が済めばまたお前を呼ぶ、それまでゆっくり休んでるがいい」


 言われなくてもそうするつもりだ。だが俺はそれを言葉に出す事は無く、代わりに放った言葉。


「……ルシファー、あの男の口を封じていた魔法をかけたのはお前だろう?解くのが簡単すぎて時間つぶしにもなりはしない」

「ほう、そこまで分かったのか」


 お前の魔法にはクセがあるんだ。卑しいトラップを何じゅうにも重ね、呪いによく似ている。まさにルシファーという男を表した魔法だ。卑しく、嘘にまみれた魔法ーー。

 それ以上は何も言わず、俺は部屋を後にした。


  ♦


「サリヴァン兄さん」


 遠慮がちに扉の向こうから聞こえるか細い声。


「何の用だ」


 俺の声が届くと同時に扉は開かれた。


「サリヴァン兄さん、あのね」

「その名で呼ぶなと言っただろう」

「ごめんなさい……」


 小さな肩をすくめ、おずおずと部屋に入ってくる妹。


「あのね、兄さん。その……兄さんの邪魔はしないから、私もここにいていい?」


 紫色した瞳が何かに怯えていた。

 一体何にーー?


「何かあったのか」

「ううん! そうじゃないんだけど、なんとなく兄さんといたくて……」


 コイツの考える感情はたまに理解し難い時がある。俺は何も言わずベッドに横になった。クラウディアには背を向けて。するとクラウディアは静かに扉を閉め、ベッドの脇に座った。ただ何をするわけでもなく、何かを話しするわけでもなく。ただそこにいるだけ。

 何だ……? 部屋は小さく物も無い。あるのは寝る為のベッドのみ。そんな殺風景な部屋が、突然変わった。

 何がかと言われると、言葉に詰まる。空気ーー? 突然空気が浄化されたように澄み渡る。それはベッドの脇から放たれているように感じて、俺は深く息を吸い込んだ。

 ーーなんだ。理解出来るではないか。

 きっとクラウディアが俺の元へと来た理由はこれだろう。俺の感じるものを今、クラウディアも感じている。きっとこれを感じたくてコイツはここにやって来たのだ。退屈で醜く、欲にまみれた世界。だけどそんな世界をもお前は浄化しようというのか。

 俺よりも小さな体で。俺よりも細い腕で。いつでもお前は自分の為ではなく人の為に動くのだ。俺とは違う。同じようで同じではない。なのになぜか心地いいーー。


「兄さん」


 暫し静かな時を過ごしていた俺に声をかけたのはクラウディア。


「なんだ」


 何か言いにくそうな間。その間を縫ってクラウディアは言葉を紡いだ。


「……危険な事はしないでね」


 なんの事だ?

 俺は上体を持ち上げ、ベッドの脇に座る妹を見やった。だが当のクラウディアは足を抱えて小さく座り、じっと地面を見つめるばかり。


「どういう事だ?」

「ううん、なんでもない。変な事言ってごめんなさい」


 静かにクラウディアの背中を見つめる。だが、言葉以上の事はわからなかった。

 お前は一体何が言いたいのだ……?

 そのまま再び、部屋の中には沈黙だけが流れ出した。俺は再びベッドに横になり、その後何も話す事は無く、ルシファーに呼ばれ部屋を出て行くまで俺達はずっとそうしていた。


「サリヴァン、よくやった」


 ルシファーの言葉に俺は目尻にシワを刻んだ。何の事を言っているのかは分かっている。だが、それさえも不快だった。


「口封じにかけた術を解除し、時間内にあの男の仲間の居場所を聞き出した。その上、口を封じていた術者が誰かも理解していた。実に素晴らしいぞサリヴァン」


 心底満足げな藍色の瞳がにこやかに形を変えた。


「だが、ひとつだけ聞いておきたい事がある」

「なんだ」

「あの男の口を封じていた術を解くのは難しかったのか?それとも術を解いた後、男は仲間の居場所をなかなか吐き出さなかったのか……?」


 術を解くのが難しかったか、だと? あんなもの赤子を捻るよりも簡単だった。男を一目見た瞬間、何か術をかけられているのは一目瞭然。触れてみると、その術のはしばしからそれがルシファーのかけたものだという事もすぐにわかった。男にかけられた術を解くと死に怯えた男はすんなりと仲間の居場所を吐いたのだ。難しい事など何一つなかった。


「……いいや。何もかもが簡単すぎてつまらなかったくらいだ」

「では……」


 ルシファーはどこか諭す様な面持ちで俺を見やり、言葉を紡いだ。


「ではお前はどうしてあの男を、殺したのだーー?」


 どうして? その言葉には俺も疑問を抱いた。


「お前から報告を受け、男の元へと向かった。すると男はミイラの様な状態で鎖につながれたまま死んでいた。辺りには男の血痕が浮き、血痕が全ての答えを綴っておった。お前は男の術を解き仲間の居場所を聞き出した後、男を殺したのだろう……?」


 そう、俺は男を殺した。術を解いた後、簡単に仲間の居場所を吐きながら命乞いをする醜い男を、俺は殺した。


「どんな手を使ってもいいと言ったのはお前だろう」

「ああ、そうだ。だが、話を聞き出したのにどうしてわざわざ男を殺したのだ?」


 そんなもの、決まっている。


「全てを聞き出したあの男にはもう、用がなかったからだ」


 話はそれだけかと、俺はそう言い放ち部屋を出ようとすると、ルシファーは引き止めた。声を立てて笑いながら。


「そうか、そうであったか」


 実に愉快そうに笑うルシファー。そんな姿を見たのはこれが初めてだった。


「何がそんなに可笑しい……?」

「いいや、可笑しくて笑っているのではない。これは喜んでいるのだ」


 俺は眉間に深いシワを刻んだ。その様子を見て、藍色の瞳は落ち着きを取り戻す。


「お前は私に似ていると思ってな」


 更に深いシワを眉間に刻む。目尻をつり上げ、ルシファーを睨みながら。


「その思考、その感性が似ているというのだよ。お前にとっては不快かもしれんが、私にとっては実に喜ばしい事なのだ。これで私の夢が実現へと一気に近づくのだからな」


 ルシファーは手に持つ杖を、カンという音を鳴らしながら一度つき、再びあの闇の中へと俺を誘った。

 何もない闇。そこには俺とルシファーのみが存在し、それ以外は排除された世界。音も無く全てを飲み込む闇。その中で俺とルシファーは向き合って立っていた。


「お前はもうすぐ6つになる。しかし年齢以上に秀でた才能を認め、これから私やマンモンが長年かけて作り上げようとしている事の真相を伝えよう。同時にそれにはお前の力も必要となる。それを手伝ってはくれぬかーー?」

「……嫌だと言ったら?」

「お前は断れまい」


 ニヤリとほくそ笑むルシファー。そのいやらしい微笑みに反吐が出る。どうせ断る事など想定にないのだろう。もちろん断る事など不可能。なんせ俺の真の名を掌握しているのだから。俺がどちらを選択したとしても結果は同じ事。引き受ければ問題は無く、断れば力づくで従わせる。

 ーー薄汚い化け狐め。

 鋭い眼光を向け、それをゆるりと微笑んでかわすルシファー。


「では、ここからの話は他言無用だぞ」


 そう言ってルシファーは話を切り出した。

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