願い事
ーーコンコン。
「誰だぁ? こんな時間に」
大半を白髪の髪が占め、その隙間を縫うように安っぽい赤毛と幾本かの黒い髪を撫で付けた男は、窪んだ目を入り口の扉に向かって投げかけた。
「アンタ、表の看板は片付けたのかい?」
男と同じくらいの年齢であろう女性は、同じく大半を白髪が占め、黄色みかかった茶髪と数少ない黒髪を後ろで結んでいる。そんな二人はどこか実年齢よりも年老いて見える顔を、突然叩かれた扉の音にしかめ面で顔を見合わせていた。
「ちゃんと片付けたに決まってるだろ」
「じゃあ誰だっていうんだい?」
「もしかしてラウじゃねーか? アイツに店番頼んだ日はいつも何か忘れて帰るからな。今回も忘れ物をしたんだろうよ」
ーーコンコン。
再びノック音。女は小走りで扉に掛けてあった錠を外し、ノブを捻った。
「はいはい今明けるよ! ったくお前は何度言ったらその忘れっぽい性格ーー」
時が止まったーーそれは思っていた人物ではなかったから……。予想は見事に外れていた上、開けた扉の外にいたのが、見ず知らずな少年だったから……。
少年は頭を包帯でグルグルに巻き付け、ボロボロの衣服を身にまとっていた。思わぬ来客に女は固まっている。
「おい、どうしたんだ?」
男の声に女はハッと我に返り、同時に不振な表情で少年を見下した。
「いや、なんでも。……っで、なんだいアンタ」
そう言われてずっと俯いていた少年が面を上げた。
「この顔を忘れたかーー」
金色の瞳、そして包帯を取った髪はーー黒。
「サリヴァン……そう、貴様が付けた名前も忘れたか……?」
やんわりと口元に弧を描いているが、心は笑っていない。むしろ冷ややかなもので、金色に光る瞳の奥から映し出される冷めた色を女は感じたのだろう。唇が仄かに震えたーー
「サッ……」
女の顔は一気に青ざめる。まるで本物の悪魔にでも出くわしたような恐怖に駆られた表情で。
「なにやってん……」
女の後ろから顔を覗かせた男。目が合った瞬間、息を飲む音がして身を引いた。
「お前っ……まさか」
あまりにも2人が青ざめるもので、俺は口元を引き上げほくそ笑んだ。
ーー相変わらず醜い奴らだ。
「覚えていたか。お前達が売り飛ばし大金を得たのは俺達のおかげだろう……?」
「まっ、待ってくれ! そのことは悪かった。俺達には余りにもお金が無さすぎたんだ。そうでもしないとお前達だって養う事も、ましてや俺達が生きる事もできなかったんだ」
「別に責めてなどいない。もう過去の話だ」
そんな俺の言葉に、男は少しばかり安心しながら、もう一度言葉を投げた。
「そっ……そうか。わかってくれる……か?」
「ああ、理解している」
今度は呆けたままだった女が、やっと口を開いた。
「じゃあお前は……一体、ここへ何をしに来たっていうんだい?」
「来てはいけなかったのか? 俺は俺を産んだ親という輩を見てみたかった。ただそれだけだ」
「そっ、そうだったのかい……あたいだってお前達に会いたかった……だけどーーあれ、もう一人はどうしたんだい?」
辺りを見渡す。しかし周りには俺以外に誰もいない。
「アイツは……ここにはいない。悪いが今日はもう遅い、ここに一晩泊めてはくれないか」
一気に男と女の表情が強ばった。泊めたくない事は一目瞭然だ。
「無理にとは言わないが、な」
「無理だなんて、ねぇ? あんた」
「ああ、そんな事はないんだが、なぁ……?」
気まずい空気がこの場に流れるが、それを無視して言葉を続ける。
「明日この場を去ればお前達にはもう二度と会いに来ないと約束しよう。一度くらい俺の願いを聞いてくれてもいいだろう? お前達は俺達のお陰でこの店を持てたのだろう」
どうやらその言葉が決定的となった。しぶしぶながら、コイツ達は俺を部屋の中へ招き入れた……。
見る限り、一階で店を開いているようだ。扉越しに聞こえた話によれば、誰か一人従業員を雇い、生活を送っているのだろう。
そんな店内には背丈以上もあるものから小ぶりなものまで、大小様々な杖が店内に所狭しと置かれていた。壁に飾ったり、ショーケースに飾られたり。普通の枝と何ら変わらない様な杖から、黄金色に輝く杖、宝石を鏤めた杖、杖先に水晶をはめ込んだ杖……様々ある。
「あたいらは元々職人でね、家具とか作ってたんだけど、あんたの言う通りあのお金で魔導師が使う杖を売り始めたんだ」
俺が室内を見回す姿がさも物珍しそうにでも見えたのだろう。女はそう言って説明し、俺を二回へと誘った。
「客人用の部屋っていうのは無いもんでね。この店を手伝っている子の部屋を使っておくれ。忙しいときはここに寝泊まりしてるんだけど、今日は帰ったから」
言って案内された部屋は木製の簡素な部屋。木製のベッドに木製の棚、簡易な水道がそこにあるだけ。すす汚れたその部屋は休息を取るだけのものなのだろう。
……だが、あの部屋よりはマシだ。
屋敷で住んでいた部屋。もっと薄汚く、冷たささえ感じる部屋だった。不便を感じることなどはなかったがーー今はもう、それも過去の事。
「どこから来たのかはわからないけど、長旅だったのだろう? 今日はゆっくりおやすみ」
女は俺の服装をちらりと見やった。衣服も靴もボロボロ。ローブで隠れているがその下には酸化してくすんだ色の血痕が痛々しく残っていた。
だが、もう傷は癒えている。治癒魔法を使えばあっという間だ。それでも、服の汚れはそのままだった。普段から返り血などで汚れていたから気にしていなかったのだ。
「ああ、おやすみ」
扉は閉められ、向こう側で階段を下りる音が聞こえる。俺はすぐさま杖を取り出し衣服についた血痕を取り除いた。
まるで服の上を這う蛇のように血の後は杖に向かってするすると動き、衣服から剥がれ落ちた。その剥がれ落ちた血痕を踏みつけ、足を上げた時には、そこにはもう何も残ってはいなかった。
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「あんた、どこ行ってたんだい?」
疲れた様子で家の中に足を踏み入れた。
「畜生! お前……どうしてあんなやつを上げたんだ!」
電光石火の如く怒りを露にし、机を力任せに平手打ちする男。
「怒鳴んないでおくれよっあんただって反対しなかったじゃないか!」
「分かってんのか!? あいつはまだ子供のナリをしてるが悪魔なんだぞ。赤ん坊の頃あいつが俺の息を止めた事忘れたわけじゃねーだろ!」
「そんな事言うんならあんたがあの子を追い返せばよかったんじゃないか!」
「なにおー! 俺が悪いっていうのかっ」
「ちょっと静かにしなよ! あの子に聞かれちまうだろ」
その言葉にはっとし、思わず耳をすませた。だが物音ひとつしない。閉店した店内はとても静かだった。そんな様子にほっとした男は、いつのまにやらかいていた玉の汗を手の甲で拭う。
「……今、あいつらを売った男共を紹介してくれた奴に会おうと行ってきた」
女が目を細め、疑問の色を乗せた顔で見やる。
「あのガキがもしかしたら逃げ出してきたのかもしれねーだろ? もしそうだとすればあいつらに引き取ってもらおうと思ってな」
そう言った男の声は静かな店内でとてもか細く、小声だった。再び女は疑問の顔を向け、首を傾げる。
「あいつが自由になったと思うと、怖くて眠れやしねぇ! 売られた事への恨みであいつは俺達を殺そうとするかもしれねぇし、もしかしたら今日はそれで……」
言って喉をごくりと鳴らす。
「でも、それならあたい達は既に殺されているだろう? さっき、扉を開けた瞬間に」
さすがの女の表情も青白く色を変えてゆく。自分が発した言葉だが、その光景を想像したのだろう。
「だが油断はできねぇ。だが、あいつを売った輩も、その相手を紹介してくれたヤツも見つからなかったんだ……。だから俺は殺しを専門としているヤツに依頼して来た」
「なにもそこまでしなくたっていいんじゃないかい……? 明日には去るって言ってるんだし。それに売ったあのじいさん達に知られたら何言われるかわかったもんじゃないよ」
「そんなもんシラを切り通せばいい。それよりも明日あいつが去ったとして、またやって来たらどうするってんだ。俺は怯えて暮らすなんかまっぴらだ!」
「……そうだけど」
女は不安そうな顔で男を見つめ、わかったよ、と言葉を零して了承した。
「しかし殺し屋め、遅いじゃねーか。すぐに来るっていってたんだが」
男はおもむろに窓の外を見やる。辺りは静まり返り、薄暗い通りの道に人気はない。
「……ん?」
「どうしたんだい?」
男は何かを見つけた様子ですぐそばの扉を開けた。すると……。
「ひっ!!」
どさりと音を鳴らし、尻をついた。男の怯える様子を見て、女も駆け寄り、視線の方向……玄関口を見つめた。
「……ぎゃあ!!」
口に手を当て、尻もちついてる男の背中に隠れるように駆け寄った。二人の体は凍えるように震えている。男は抜けた腰に力が入らず、ただただ震えるだけ。だが、それもそのはずだ。
二人の目の前、玄関扉を開けた先には……見知らぬ男の生首がこちらを向いて置かれていたからーー
鋭い刃物で切られた首からは赤い血が滴り、白目をむいた状態で事切れている。
「……一体なんの騒ぎだ」
男は突然現れた声に思わず飛び跳ね、反応した。恐る恐る生首から視線を逸らし、背後を見やる。階段に座って二人を見ている俺に、より一層恐怖の色を映し出して。
ーー醜いやつだ。
顔の皮膚は垂れ、シワが深く無数に刻まれている。妙に年齢が高く見えるのは生活苦からだろう。赤子の頃から変わらぬ顔に、俺は不快感の覚えてならない。そんな顔が更に青白く、色を失ってゆく。後ろにいる女も似た様なものだ。そんな様子に俺は侮蔑の眼差しを送りながら、片側の口角を引き上げて、言った。
「何か問題でも起きたか? 例えば…………誰かが誰かを殺す計画が崩れた、とか」
ひっ、と悲鳴が上がった。それは無意識なる心の声。それがだだ漏れだった。だが、言った本人は零した言葉の事などにも気づいていない。
「あっ、アンタ……まさかアレ……」
女は俺から玄関口で白目をむいた生首へと視線を動かし、最後は男の服を握り締めた。その手も、服を握り締められている男の体も震えたままで。
「ククッ……」
堪えきれず俺は膝を握り締めて、
「茶番はもう終わりだーー」
狂ったように笑いながらそう言った。
ーーその後は無様なものだった。
男は罵声を浴びせ、女は喚き散らす。逃げようとする女の首をねじ曲げ。
そばにある物を投げつけながら近くにあった工具を握り、狂気の目で俺に向かって来る男。そんな男を俺は、杖など使うまでもなく男の自由を奪い、代わりに女に工具を握らせ、男を殴らせた。何度も、何度もーー
男が動かなくなるまで……動かなくなっても。
「クッ……ククッ……」
何だ?
燃え盛る家を見つめながら、俺は頬を伝うものに指を触れた。
……血? いいや違う。血よりもサラリとしたもの。臭いもなく、色もない。その正体を暴く為、指でそれを拭き取り見やった。
ーーああ、これは……。マンモンに犯されそうになった時にクラウディアが流したもの。俺が炎に身を投じようとした時にクラウディアが見せたものーークラウディアが俺に教えてくれたもの。
『よかった……兄さんが死ななくてよかった……ううっ、私は1人になってしまうかと思って……怖かった』
あの涙を見せた時、お前は俺にそう言った。だが、お前は俺を残して先に逝ってしまった。この世界に意味を見いだせない俺を残して。
『一度でいいか、ら……お父さんと、お母さんに、会って……みたかった、な……』
ーーだから俺はお前の代わりにここへ来た。だが……。
「ククッ……お前は未来が見えると言っていたが、一体どこまで見えていたんだ……? こんな未来も見えてはいなかったのか?」
心の中を怒濤の如く何かが込み上げる。地獄の業火よりも熱く、灼熱の太陽よりも燃え滾るものが。
ーーああ、やはりこの世界に意味などない。それならさっさと死んでしまえばいいーー
もうそれを妨げる者はどこにもいない。守る温もりもない。
ーーだが、まだ死んだりなどするものか。どうして俺が死なねばならない。死ぬのは……。
この世界の方だ……。
「ククッ……意味も無ければ、醜く、欲にまみれているこの世界に俺は絶望している」
俺は燃え上がる炎に背を向け歩き出した。
「全てを破壊する」
目立たぬように頭部に包帯を巻いて。
「事を円滑に運ぶため、駒が必要、か」
ーールシファーが俺にしていたように。
「クッ、ククッ……」
全てを壊し、破壊し尽くしたら……クラウディアのいる場所へ。
俺の分身であり半身であるーー俺のいる場所……。
何気なく空を見上げれば、そこには変わらずの月があった。昔から変わらない何の変哲もないそれは、以前見た時のように俺に心地よさを与えてはくれなかった。
……いいや、俺はもう二度と心地よさを感じる事はないだろう。そう思い、俺は真っすぐ前を見据えて再び闇の中を歩き出したーー
最後までご覧いただき、ありがとうございました。




