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闇のはじまり

俺は生まれた時から異質な存在だった。

 この世に生を受けた瞬間から、俺の記憶は始まった。

 生暖かな液体の中、ノイズにも似た音がその中で反芻していた事も、腹部から繋がった緒で生命を維持している事も。ーー俺は全てを理解していた。

 なぜかと問われると、当時の俺にはその答えを説明する事は出来ない。なぜならばその考えは当たり前のように俺の中にあって、それは当たり前のように頭が理解していたからだ。見えるもの、感じるものを伝える言葉……それらはまだ俺の中には存在していなかった。

 だがやがて俺は気づいた。自分の隣に対を成して存在している者がいるという事に。その存在は俺の感じているものを言葉などという凡庸ボンヨウなものを使わずとも理解し合える存在だという事に。


「アンタ見ておくれよ! この子達の髪を」

「ああ、素晴らしい……! 真っ黒じゃないか。しかも二人とも」


 醜い。


「これは高く売れるぞ。それも双子で黒髪だ。俺達は一生遊んで暮らせるだろうよ」


 醜く歪むその顔。これが俺達の親か……。

 生まれたばかりの俺は両親を睨みつけるように、黄金色した瞳を鋭く光らせた。

 産み落とされたばかりの双子の子供。一人は優しい紫色をした瞳のの子。そしてもう一人は金色の瞳で睨みつけるの子。どちらの子供にも共通しているもの、それが髪の色だった。


 ーー黒。


 それは何者にも染まる事のない、漆黒の色。

 俺達の髪を見て喜ぶ親。だが、その親はどちらも黒い髪とはほど遠い。一人は安っぽい赤毛に、もう一人は黄色味がかった茶毛。その中には少々黒髪が混ざっているものの、生活の厳しさからか、色素が失われた白髪が全体の分量を占めていた。

 コイツ達は大した力も持っていない。

 それは理解出来た。なぜこれほどに黒髪を持つ俺達を見て喜んでいるのか。なぜこれほどにコイツらには力が無いと分かるのか。その答えは明白。コイツ達に無くて、俺にはあるもの……それが力。絶対的な力。強力な魔力。俺の中に流れているそれが、全てを理解させてくれた。


「しっかしコイツ、可愛くないねぇ。見てよこの目、あたい達を睨んでるみたいじゃないか」


 生まれたばかりの俺を見つめ、女は顔をしかめた。なだめるように女の肩に手を置き、男は俺達赤子に詰め寄った。


「ははっ、そりゃ俺達の子だからな。でも顔なんてどうでもいいじゃねーか。この黒い髪……これさえありゃ十分だ」

「まぁそりゃそうだけどさ。しっかし何であたい達のところにこんな髪の子供が生まれたのかねぇ? しかも二人共ときたもんだ」


 女は痩せ細った指で結んだ髪束から落ちた髪を、一房耳に掛けた。


「さぁな。お前が浮気したってんなら……話は別だけどな」


 チラリ。

 男は疑いの目で俺達から女へと視線を移動させる。その視線に気づき、女は俺達を抱いた手を揺らしながら異議を唱えた。


「よく言うよ、あたいにそんな時間どこにあるってんだ? アンタがもっと稼いできてくれればあたいだって……」

「仕方ねーだろ! 俺には魔力も無ければ学もねーんだ。俺だって朝から晩まで働いてやってるだろうが」

「働いてやってる、だって!? あたいだって……」


 夫婦の口論がどんどんエスカレートしてきたその時、


「……んぎゃぁ、んぎゃぁ」


 紫色の瞳を持つ俺の片割れが、顔を歪めて泣き出した。女は慌てて体を揺すり、赤子を泣き止ませようと会話を中断した。


「おー、よしよし。良い子だから泣くのはおよし」


 なぜ泣く? 俺には理解し難かった。俺の片割れであり、同じ日に生まれた妹。そいつは明らかに、この夫婦の為に泣いていたからだ。


「おっ、泣き止んだ。はー、とりあえず喧嘩なんて無駄な事やめちまおう……。あたいはこの子達産んで疲れてんだ」

「そうだな、すまなかった。お前が浮気なんてしてる暇が無い事も分かってるしな。それにそんなのはこの子達が黒髪で生まれてくる理由にはならない。なんせお前の髪も俺と同じで黒髪なんてほぼ持ってねーからな」


 言いながら男は俺の髪に触れようと手を伸ばしてきた。だが……。

 ーー触るな!


「ぐっ……!」

「どうしたんだい、アンタ? ……アンタ!!」


 男は突然自分の首を抑え、口から泡を吹き出した。目は瞳孔が開き、焦点が定まらないーー。その様子がただ事ではないと気づいた女は、俺達を抱きかかえながら、片手で男の体を揺らした。

 すると、男はその場に倒れ、胸を大きく揺らしながら呼吸を始めた。


「一体どうしたっていうんだい!?」

「はぁっ、はぁ……わからねぇ。今そのガキを触ろうとしたら……」


 言いかけて男はハッと息を飲んだ。空気を求めて肺が大きく揺れていた体の動きもピタリと止まる。そんな男を俺は女に抱きかかえられながら、見下ろした。

 汚れたものを見るように、侮蔑するようにーー。


「この、ガキが……まさか……」

「アンタ、どうしちまったんだい?」


 男は女が寝そべるベッドから這うように後ずさり、恐怖の顔で俺を見ている。


「おい、そのガキを早く売っちまうぞ! そいつらは悪魔だ……きっと悪魔が子供の姿に化けてやがるんだ」

「何を言って……ちょっと、アンタ!」


 女の言葉に耳を傾けず、男は慌てて家を飛び出し行ってしまった。


   ♦


 男が帰ってきた時には、背丈の半分ほどある長い杖をつき、地面にまで着いた長い黒髪には二房白髪が流れている老いぼれた老人と、肥え太った鼻持ちならない男がどす黒く濁った瞳を輝かせて男に金貨を渡し、女から俺達赤子をひったくった。


「待っとくれよ、何もそんなすぐに売り渡す事もないじゃないか」

「いいや、だめだ。さっきお前も見ただろう。俺があのガキに触ろうとした瞬間、俺は息が出来なくなった。きっとそのガキが俺を殺そうとしていたに違いねぇ!」

「……ほぅ、さすがは黒髪を持つ者だな」


 俺達を面白そうな目で見つめる老人は、そうボソリと呟いた。俺はそんな老人を睨みつけるが、何か目に見えないものが俺や妹の周りに壁を隔てられているのを感じる。どうやらさっきあの男の息を止めたようにはいかないようだ……。

 小太りな男は丸々と肥え太ったソーセージの様な指にイヤらしく輝いた宝石をたくさんつけた手で、懐から葉巻を取り出し、火をつけた。


「では約束通り、この子供達はいただいて行くぞ」

「ああ、そんな悪魔、早く連れてってくれ」


 男は袋に入った大量の金貨を抱きしめる様に握り締め、恐怖におののく顔で俺達を見ている。だが、部屋を後にしようとした老人は突然歩む足を止め、夫婦に向かってゆっくりと振り返り聞いた。


「……時に、この子達の名は何と言う?」

「そいつらはさっき生まれたばかりだ。名前なんて何もねぇよ」


 男は吐き捨てるようにそう返す。だが、男の言葉に続いたのは俺達を産んだ女。


「……サリヴァンとクラウディア。それがその子達の名前さ」

「サリヴァンとクラウディアか」


 老人は言いながら再び俺達に視線を落とし、ニヤリとほくそ笑む。


「お前、いつそんな名前を付けたんだ?」

「アンタがあの人達を連れてきてる間にさ。売るとはいえ、あたいの初めての子だからね。名前くらいは付けてやろうと思ったんだ」

「けどお前……」


 夫婦が言い合っている間に、再び老人は歩き出した。


「良い名だ」


 夫婦に聞こえるか聞こえないか微妙な声を最後に残し、老人はその家を出て行った。

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