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綺麗なお姉さん(後)

 朝になり、起こした彼女がトイレに行っているのを待つ間、レジカウンターにいた夜間店長の紀之に呼ばれた。そして、「悠、何でそんなに親切モード?」と、一言で確信を突かれる。

 それに「……わかんね」とそっけなく返すと、徹夜明けの疲れも見せずに紀之は笑う。

「夜中で暇だとは云え、一人のお客様をずっと目で追ってて、通した休憩室で自分のネルシャツ貸してモッズコートを着せ掛けて寝かせて、バイトを早上がりにして帰りは同伴? 普通のバイトだったらありえないよそれ」

 ニコニコ笑いながら、俺のしていることを並べ立てられれば確かにその通りで、俺はあっさりと吐いた。

「ごめん店長、……俺、あの人ちょっと、放っとけない」

 俺の中では彼女を駅なり家なりまで送るのはもう決定事項だったけど、彼女のコート下の事情は俺も知らないし、そんな姿であることも云えない。

 そう思って口ごもっていたらあっさりと釈放された。

「お客様ご自身が迷惑に思っていなければ今回はとりあえず見逃すよ。頼むからストーカー化とか勘弁ね」

「肝に銘じるよ」

 苦笑していたら彼女が出てきて、お会計を済ませて店をようやく出る。


 そんな長い夜があって、彼女はきっと辛い朝を迎えた。

 俺は、傍にいて役に立てたか? 少しは、彼女の盾になれただろうか?

『いつか、傷が治った時に、俺のことちゃんと見て欲しい』とお願いした『いつか』は、本当に来るんだろうか。


 来なくても、いい。夏美が、元気に笑ってくれれば、それでいい。

 負け惜しみでもやけくそでもなく、素直にそんな風に思った。



 それから毎日メールを送った。

 夏美を笑わせたり、微笑ませたり、『バカだなぁ』と思わせたと分かる返事が来れば俺の勝ち。と、勝手にルールを自分に課してみたり。

 有難いことに、勝率はなかなか良かった。でも、『今日、書類で指切りました。指と爪の間から血が……』と送ったネタはあんまり喜んでもらえないみたいだった。痛いネタは回避、と学ぶ。

『絆創膏はしてますか? 私もやったことあるけど、それ治らないうちにまた同じとこ切れたりするから気を付けて』と心配そうな絵文字付のお返事が返ってきたので、それはそれでよかった。しばらくは絆創膏を張った指先を見ては仕事中にニヤけてしまった。


 夏美が、元気に笑ってくれれば、それでいい。

 そう思っていたのはもちろん本当だった筈なのに、心はぜいたくだ。

 必死に隔週の約束を取り付けて顔を合わせれば、不安げだった顔つきはだんだんに輝きを取り戻していった。

 そして、前向きになったのを見て取ったら、もうその瞬間から俺のことも見て欲しいと思ってしまった。俺的にはもう『いつか、傷が治った時に、俺のことちゃんと見て欲しい』の『いつか』は来てしまった。せっかちだな。

 わざと強めにアプローチして、困った顔じゃなく赤い顔を見ては、俺を意識してくれてるんだと嬉しく思う気持ちを止められない。意識するだけで、恋愛対象にはなっていないかも、と云うことは考えないようにしておく。俺が彼女の二コ下だと云う、変えようのない事実も。


 女の子入りの写メは、もし夏美に送ったらチャラい奴だって思われる? それともやきもちを妬いてくれる?

 こないだ隣の三兄妹とバーベキューをした時にヒナに無理やり腕を組まれた写真を、その場で少し見てから送った。……結果はどちらでもなくて、バーベキューが旨そうだと云うメールが一通。

 うまいことはぐらかされた様で、面白くなかった。やきもちも妬いてもらえないか、まだ。こんなことを駆け引きに使う自分が情けなくて、返事は出来なかった。


 夏美の傷が癒えるまで待つと云うようなことは云ったけど、俺は聖人じゃなく肝っ玉の小さいただの男だ。

 彼女の周りにいる、きっと彼女を狙っている他の男よりは多分一歩だけ抜きん出て近くにいる、それだけが安心材料。……会うたびに元気を取り戻して行く夏美を見れば、嬉しさと不安が入り混じる。彼女の笑顔が増えて、より素敵に見えるのはとてもいいことなのに、心の狭い俺はいつまでもしょんぼりと下を向いてくれていた方が他の奴らにマークされずに済むのに、なんてひどいことさえ考えている。


 聞きたいけど、聞けないことがある。


 ねえ、夏美にとって俺は何?

 オトコ? 友人?

 今になって、自分で嵌めた枠が、苦しいんだ。バカだろ。


 それでも会って顔を見れば、たちまち幸せになる。

 隔週の逢瀬がなかったら、寂しくて仕方ないだろうなと思う。もう夏美のいない生活なんて考えられない。想像しただけで、息が苦しくなる。

 そう思っていた矢先、とうとう二人の週末の予定が合わず、一週飛ばすことになった。――ほら、寂しい。当たってもちっとも嬉しくない予想。

 言葉は伝えてくれても、どんな顔をしているのか、どんな気持ちでいるのかまでは伝えてくれない携帯をテーブルに置いて、どさりとベッドに重い体を横たえる。

 俺がもたもたしていたせいで、初めて夏美から誘ってもらえた来週の金曜日は、ヒナに請われて紀之の誕生日プレゼント選びに駆り出されることになっていた。こんなことなら、土曜にするんだったな。そっちだと一日連れ回されそうで回避したのが仇になった。

 あいつは最近、明らかに俺を男として意識している。

 七つも年上の俺を呼び捨てにしてみたり。――兄たちにはしない癖に。

 夏美宛てとは云ってなかったけど、メールに添付する自撮りに割り込んできて腕を組んで映り込んだり。まるで他の女を牽制しているようだ。

『俺は、ヒナを女として扱う気はないよ。お前は俺たちの妹』

 あくまで俺と紀之と朋之の『三兄弟』の妹なんだと事ある毎に告げてみても、『今はそうかもしれないけど、いつ気が変わってもいいからね?』と柳に風で流された。

 密着されるのは嫌だと告げても、『彼女もいないのに、悠、硬すぎ』と笑われる始末。

 いっそ、好きな女がいるからと云えたら。――そんな大事なことを、『妹』にわざわざ教えたくはなくて黙っていた。


 そして、味気ない日々が過ぎて、いつもならスペシャルに楽しい筈の金曜日の夕方が来た。

 明らかに気落ちしている俺と、明らかにうきうきしているヒナ。周りから見たら、カップルみたいだろうか。全然そんなじゃないのに。

 ヒナがあれでもない、これでもないと懸命に選ぶ品物のどれを見せられても、「いいんじゃないか」と適当に返した。どれでもいいんじゃないか、と云わないだけ褒めて欲しい位だ。

「もう! 悠も選んでよ!」とヒナはぷりぷり怒るが、ちっとも悪いと思えない。むしろ、早く帰りたい。どうせ紀之は、ヒナの選んだものなら何でも喜んで受け取るのだから。――それをヒナも分かっていて、俺を連れ回しているんだから。


 それでも何とかプレゼントは選べたらしい。気が付いたらきちんと包装された何かが入った紙袋を手首にぶら下げたヒナが、「悠は全然選んでくれなかったから、お詫びにスタバで飲み物奢ってよね」とねだった。

 確かにイヤイヤとはいえ付いてきておいて、役に立てなかったことは確かだ。これ位は聞いてやるかと思って、「いいよ」と返せば、「やった! 悠、大好き!」とヒナが腕に絡みついてきた。

 どっちかの家でなら苦笑してそっと離れるところだけど、ここは外で人目がある。一気に表情も言葉も硬くなった。

「ヒナ、腕離せ、ほんとに迷惑だってば」

「やー! 離さないもん」

 こんなところをもし夏美に見られたら。

 ――誤解されたくないとかあるけど、今は俺のことなんかよりも、こんなのを見た夏美が傷付くことが何よりもいやだ。

 度が過ぎると思える我儘を引かないヒナの腕を、引っぺがそうと思っていた時。


 狭い歩道の逆の流れの方から、見られているのが分かった。――ああ。

 最悪の予想ってのはよく当たるな。

 思いきり傷ついた顔をした夏美が、俺を見ていた。

「夏美」

 俺の呟きを聞き逃さなかったヒナが、夏美の姿に気付き、ますます密着の度合いを深める。それを引き剥がすことも忘れて、俺はただ夏美を見ていた。


 泣かないで。

 傷つかないで。

 そう思っていても、そう口に出せる資格が今自分にあるかどうかさえ分からない。何を云っても云い訳になるような気がした。


 色を失くしたような景色の中で、夏美だけが色彩を纏っている。こんな時なのに、やっぱり彼女は綺麗だな、だなんて心のどこかでぼんやり思う。


 哀しげな眼に、俺がどう映っているか、彼女が今何を考えているかが手に取れるように分かって、胸が痛い。

 折角傷は治ったのに、今度は俺が同じところを、同じように傷つけた。その事実が、辛い。真実は別にあるとしても。


 俺が何も出来ずに立ち尽くしている間に、彼女は何か吹っ切れた様子でこちらへ向かってきた。

 心臓が不吉な音を立てる。

 俺、夏美にもう会えなくなる? ――そんなの、いやだ。

 その口から放たれる何かを聞きたくなくて、俺と彼女の間に横たわる人の流れをずっと渡れなければいいのに、なんて思う。勿論すぐに渡ってきて、夏美はいつもどおり「中野君」と何でもないように声を掛けてきた。

 ああ、駄目かもしれない。悲しみも、戸惑いも、その眼にはもうない。

 彼女の気持ちがようやく俺の方に傾いてきてくれたと思っていたのに。

 何もなかったことに、されるのか。

 そう思うと、情けない顔を自覚していてもどうしようもなかった。

 ただ、彼女からの決別の言葉を、待った。


 きっと、ほんの数秒かのこと。でも、それを聞くまで、酷く長い気がした。口の中がからからに乾いていた。下を向きたい気持ちを奮い立たせたもののしっかりとその目を見て彼女の言葉を聞く勇気がなくて、彼女の品のいいワンピースの、ボウタイのあたりを見るふりをしていた。

 一度も触れることのなかった形の良い唇は、さよならと動く、きっと。

 最悪の予想は、外れないと決まっているのだから。

 目の端で、夏美の唇が動く。


「今日、会えないと思ってたから、嬉しい」


 ……え?


 驚いて思わず顔を見れば、諦めていた彼女がふわりとほほ笑んでいる。うまく回らない頭は、何拍か置いてようやく気が付いた。――そうか、彼女は。

 俺のこと、信じてくれているんだ。

 そう気が付けば、顔が緩むのを止められなかった。云い訳も、腕を振り払うのも、なくって大丈夫。

 モノクロだった風景に、一気に色彩が流れ込んできた。

 眩しい。あなたが笑っている世界は、こんなにも。


 今すぐ彼女の手を取って、どこかに走り出していきたい位浮かれているけど、それを押さえつけてまずはやらなきゃいけないことをする。――ヒナに、はっきりと気持ちを告げた。

 本当はもっと早くこうしなくちゃいけなかった。隣の『妹』を、どうやったら傷付けずに済むかなんて考えてた俺がバカだった。そんなイイヒトで、ヒナの思いに対峙なんか出来る訳なかったのに。

 もうこれ以上いいように流されないためにきっちりと伝えると、ヒナはそれを激しく拒否した。

 プライドの高いあの子が往来で泣きながら、夏美にまで懇願して。でも。

俺は今までみたいに『仕方がないな』なんて譲らない。その気持ちを、夏美の言葉が後押ししてくれた。――今日、別れを告げられるかもと怖れていた唇から、夏美にも俺だけ、と、夢でしか聞いたことのない言葉を紡いで。

 やせ我慢でも、待っていて良かった。『待て』が出来たそのご褒美を今日は一括で受け取ったような日だと思った。肝心のご褒美の前にどん底を見せられたけど。


 傷付けたくない人がいるなら、その人の手を取るために離さなくちゃいけない手があった。俺の二本の手は、夏美の為だけにあるし、もし一〇〇本あってもそれは全部夏美のものだ。

 それを、ヒナの気持ちを断りながら、重ねて伝えた。

 俺の言葉をじっと聞いて、泣いたままの顔を隠さずに、ヒナはふらりと俺から離れていく。その後ろ姿を、雑踏に紛れるまで見送った。

 ヒナ、ごめん。優しく出来なくて、ごめん。好きになれなくてごめん。

 それでも俺は、この人じゃないと駄目なんだ。


 俺の横で俯いていた夏美の顔を見て、苦笑する。

 ムッとしたり、怒ったり、すればいいのに。あなたは、こんな時にまで人がいい。

 彼女は自分がふられた様な顔をしていた。


 いつも、『ここまでは触っていいかな』とどこかおっかなびっくり触っていた彼女に、ようやく躊躇なく触れる。俺のかわいい人。そんな気持ちが溢れるままに。

 と、思いきり浮かれていたら、例のペナルティをくらう羽目になった。

 あー、もう。せっかくいい雰囲気だったのにと思いつつ目を閉じる。夏美の鼻ピンは結構容赦ないので、衝撃を耐える為にギュッと目を閉じて。


 なので、それを受けるまで気付かなかった。

 鼻に鋭い一撃ではなく、唇に柔らかいものが降ってくるとは想像もつかなかった。

 それが何かなんて、目を瞑ってたって分かる。目を開けたらやめられてしまいそうで、なされるがままだ。

 夢にまで見た夏美とのキスは、予想以上に甘かった。

 もっと、もっともっと欲しい。

 そうねだりたくて腰に手を回そうとしたら、ふっと離れられてしまった。そして気が付く。――俺、まだ、夏美の気持ちはっきり聞いてない。


 我ながらしつこいな、って思いながら、聞いた。夏美が云うように仕向けた。だって、夢じゃないって信じたい。好きなのは俺だけじゃないって。

 そうしたら、夏美はちゃんと俺が欲しかった答えをくれた。

 浮かれて往来でキスしたって、恥ずかしそうにしつつも受け入れてくれた。


 もう、隔週じゃなく、毎週だって会える。会いたい時に、会いたい分だけ。――まあ、お互い社会人だし限度があるって頭では理解しているけど、どうしよう。現金な俺は、もうその手を片時も離したくない。昼も夜も。とりあえず、今夜も。


 夏美みたいに綺麗な空がゆっくりと夜の色に変わっていくのを、二人で見つめた。

 信じられないくらい幸せな、夢のような時間(マジックアワー)が過ぎたって、俺と夏美はこれから二人で何度もそれを過ごすことが出来る。


 ――胸の内でそう噛み締めながら、信号が青になると彼女の手を引いて歩き出した。


真山三兄妹の朋之君(&ヒナちゃん)の話はこちら→ https://ncode.syosetu.com/n0063cq/57/

14/01/10 誤字脱字等修正しました。


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