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惑わされたり。

 それから、隔週で金曜の夜か土日、たまに祝日、二人の都合のいい時に会っては食事やお酒を共にしている。会う約束をするのが週末及び祝日限定なのは、互いの平日はすれ違う形でそれぞれに仕事の忙しい曜日があるからだ。

 お店を見つけてくれるのは大抵中野君だったけど、最初の時はもちろん『お礼をしたい』と云った私がお財布を出して、二度目以降は折半を貫き通し、中野君のごちそうするよと云う申し出は頑なに固辞した。割り勘にしてもらえないなら会えないと云ってようやく通った云い分だ。中野君が年下なのは関係なくて、恋人でもない異性に奢られる謂れはないと思っているから。そう云うところが、男の人から見るとかわいくないんだろうなって分かってるけどここは譲れない。

 ――中野君を意識するようになっても、このスタンスは保持したまま会っている。


 私の希望をメールで聞いて中野君がチョイスしてくれるお店は、いかにも「女を落とす」系のところや、ホテルの中や、郊外の、車でないと行けないような立地は徹底的に避けられていて、私が警戒しないような店選びを心掛けてくれていることが伺えた。……そのことにお礼を云うのも可笑しい気がして、気が付いてはいてもそ知らぬふりを通した。


 連れ立って出掛ける事にもだいぶ慣れてきたと思った矢先、足を運んだ店内が満席で横並びのいわゆるカップルシートしか空いておらず、その席に通されることとなった。

 案内される間も、席についてメニューを広げ始めてからも、中野君はしきりに「お店、他行く?」「我慢しないでいいから」と云っている。その様子がおかしくて、むしろ私の方が「いいよ、今から他行ったってどうせどこも混んでるんだし」と鷹揚に構えた。

 おそらく意図的に通常の席より狭めにつくってあるこの座席では、隣り合って座るもの同士での接触が多い。バッグから携帯を出す時や、二人の間に置いてある調味料を取る時などにたびたび肘や拳が当たってしまい、その都度二人して「あ」と固まっては少し離れる。

 ……二人で会い始めた頃は丁度良かった筈のその距離感が、この頃は少しもどかしくなっていた。

 近付いてみたい、ちょっとだけ。そう思って、触れればすぐに気まずくなりつつ改めて距離を空けていたのを、私の方はやめてみる事にした。どだい、この席で触れないように座っているだなんて、双方が相手と反対側にずっと身を寄せ続けていない限り無理なんだから。決して小柄ではない中野君にそれを強いるのも何だか気の毒だしと、心の中でいくつも云い訳を重ねた。

 とん、とまた腕が触れる。「あ、」呟きが聞こえたけど、私は聞こえないみたいに前を向いたまま蜂蜜レモンサワーを呑んでいた。

 こんなのって、ずるいだろうか。


 中野君は少しだけ私の横顔を見ていたけれど、同じように前に向き直ってジョッキを煽った。座る位置も、離れることなくそのままだった。横目で伺うことは出来なかったけど、中野君が笑ってる気がした。

 平気なフリで呑んだり食べたり。でも、はっきりと「近付きたい」と思ったことで心臓がえらいことになっている。

「やっぱ、狭いねここ」

「ほんと。カップル仕様だから仕方ないけどね」

 二人してずっと避けていた恋愛に関する話題やキイワード。それにも、私からあっさり触った。

「いつかまた、今度はちゃんとカップルとして来てここに座りたいな」

 中野君は私の防衛ラインが下がったのを見て、即座に大股の一歩を踏み込んで来る。

 その躊躇のなさに慄きながら「叶うといいね」と半ば他人事気分で云ってみれば、「俺は、夏美とここに来たいんだよ?」としっかり釘を刺されてしまった。

 それにはまだうまい返しは出来ない。

 それでも、困っている内訳が「その思いには応えられない」から、「そんな風に云われると、どんな顔したらいいか分からない」に変わった。きっと、それももう気付いているんでしょう?

 ちょっといい気になりすぎたな、とか、困らせるつもりじゃなかったんだけどね、とか、そんな言葉で撤退していた中野君が、俯いた私を見て満足げに笑っている。……もう。

 その後も少し動くたびに何度か互いに触れることがあったけど、私も中野君ももう「あ」と戸惑いの声を上げる事もなく、いつものように過ごした。

 でも、それまでとは違う夜になったとわかっている。



 ふと思いだした時に、はじめの頃にはぐらかされた『なんでもうファミレスの深夜バイトのピンチヒッターをしないのか?』の答えを聞きだそうとしてはその都度失敗した。隠されると余計に気になって、ずっと覚えている羽目になってしまった。

 ようやく教えてもらったのは、五か月も経ってからだ。そこまで口を割らなかった中野君も頑固だけど、それでも引かなかった私も大概しつこい。

「何でって、夏美がそれ聞く?」

 その云われる覚えのない言葉にきょとんとしていると、ジョッキをぐいと煽ってから中野君が答えてくれた。

「夏美と会いたいから。金曜の夜から土曜の朝までシフト入ってたら、金曜の夜は基本会えないし、もし会えても慌ただしいだろうし、どっちにしてもさすがに土曜日は一日寝て終わっちゃう。そうすると選択肢は日曜だけで、夏美に用事があればその週は会えなくなるから、そんなのはヤじゃん」

 うわ。直球、来た。

 でも私は、打ちやすいように緩いスピードで投げられたその球を見送ってしまう。

 打ち方なんか、分からない。打ったら、どこに飛んでいくかも分からない。

 俯いてしまった私の頭を、中野君はよしよしと撫でてくれた。

「ごめん」

「なんで?」

 ごめんはこっちの台詞だよ。

 せっかくの週末、こうして付き合わせて。好意を寄せられているのに何も云えなくて。

 好きも嫌いも示せないままで、中野君はずっと宙ぶらりんだ。自分が同じ立ち位置――相手に自分の気持ちは示していて、それでもあいまいな態度を取られ続ける――だったら、いい加減にしてとキレているだろうことは容易に想像がついた。焦れを通り越して焦げている自信がある。

 もちろん嫌いな訳、ない。

 今の私はもう、中野君に惹かれている。けれど、それをはっきりと口に出すにはまだ勇気やら覚悟やら、色々装備が足りなくて、いつ云えるかの見通しは今のところ立っていない。

 こんな半端な現状が申し訳なくて、もういいよと云いそうになる。息を吸って、それを口にしようとしたときに、中野君が先に言葉を繋いだ。

「『夏美を揺さぶるような真似してごめん』のごめん。云っとくけど、焦って切るとか一番ナシね」

「え」

「いかにも夏美云いそうじゃん。俺に悪いからって。今はまだ同じだけの気持ちを返せないから、他の人との方が俺は幸せになれる、とかさ」

 まさに云いそうだったそれを、まるで台詞を読むみたいに中野君は淡々と口にする。こんなことを云わせてしまった自分はなんて残酷なんだろうと思うと胸がずんと重くなった。

「……ごめん」

 ――あ。

 ぽろりと口に出して、それにまつわることを瞬時に思い出した。

「ごめん一つ戴きましたー!」

 中野君が、湿っぽい空気を吹き飛ばすみたいに、呑み屋のオーダー風におどけて云う。

「夏美、それ云ったら何だっけ?」

 にこにこと屈託のない顔で笑いかけながら、私が知ってるって分かっていて聞いてくる。あれから発動したことは一度もなかったけれど、あの朝以来のそのペナルティを、忘れたふりは出来なかった。まあ、ふりをしてみてもこの人にはお見通しなんだろうけど。

 またペナルティを科されないようにと気を付けてた。それでも、約束に遅れるとか、貸すと云っていたDVDを家に忘れて来たとか、謝罪の言葉を口に出す筈の場面は今までにいくつもあった。それを「社会人だから、仕事で遅れるのはよくあることだし」と笑ったり、「明後日返さなくちゃいけないレンタルのDVDまだ見てなかったから丁度良かった」と云ったりすることで、私に「ごめん」と云わせる機会を作らないようにしてくれてたのも知っている。ペナルティもやむなしと決死の覚悟で口に出そうとしても「いーからいーから」といなされたことだってある。

 なのに、何で今解禁したのよと、恨めしいような気持ちでぼそぼそと口にした。

「ほ、ほっぺに、……」

 続きがごにょごにょなのは勘弁してほしい。

「そ、それより、中野君だってごめんて云ったじゃない! だからナシにしよう?」

 正直、ペナルティと称されるそれに対して、嫌悪感を抱いたり、過敏な反応を示したりすることはない、と思う。けど、ウェルカムな態度で受け入れる事も、まだ出来ない。

 好きになってもらって、好きになりかけてる。でも。


 頬のキスは、何でもない顔をして受け入れていいの? 恋人でもないのに、ちょっと嬉しいなって思ったらいけない? こんなのどうしたらいいか、ちっとも分からない。


「別に俺はされて構わないんで、どーぞ?」

 混乱の極みの私にひきかえ、しれっとした顔で、中野君は瞼を閉じて頬杖をついていた。

 その憎たらしい態度に、負けん気が思いきりくすぐられた。よーしそっちがその気なら痛恨の一撃をと、いい位置まで指を近付けて、思いきり鼻を弾く準備をする。でも。

 伏せた睫毛は、やっぱり私より長いみたい。すっとした鼻は、すごく高い訳じゃないけど綺麗なライン。顎に、小さな切り傷。髭を剃った時につけたのかな。あ、目の下に薄いホクロ。


 気が付いたら、中野君の顔を指先で撫でまわしていた。

「なに、してるの」

 夢から覚めたみたいな顔して中野君が云う。

「……顔、撫でた」

 ごめん、は口の中でもごもごと呟いておいた。

「! 夏美、お母さんあなたをそんなふしだらな子に育てた覚えはありませんよ!」

「何それ」

 中野君は顔を真っ赤にしながら急にお母さんコントの人になった。

「だって、そうでしょう、まだ好きか嫌いかも分からないような男にそんなことしちゃいけません」

 めって、わざと子供を叱るみたいに云う。つい出来心で触ってしまったので怒られるのは当然だけど、初っ端に下着姿まで見せた事を思えば、そっちの方がよっぽど怒られることじゃないのかな。それに。

「でも、だって」

 そんな風に返す私も子供みたいだ。

「だって、何?」

「好きか嫌いかで云ったら、好きだし」

 ……こんな云い方はずるい。そう思っていたら、中野君がごんと音を立ててテーブルにおでこを打ち付けた。

「だ、大丈夫??」

 心配して覗き込めば、顔を横に向けてほっぺをテーブルにつけた中野君と目が合った。

「困った人だね。誤解したくなるよ」

 私よりずいぶん年上の人みたいな顔で苦笑する。これじゃあまるで自分の方が年下のわがままな女の子みたいだ。

「……困らせてる自覚は、ある」

 誤解しないでとは云えない。だって、誤解じゃないと思う。

「……そっか」

 横向きのまま、こっちを見上げている中野君の目がきらりと光った、気がした。その次の瞬間。

「そうだ忘れてた。夏美、ちょっと」

「何?」

 テーブルから起き上がった中野君が内緒話の態だったので、耳を近付けたら、

「さっきのペナルティ。嫌なら、避けて」

 触れそうで触れない距離で、静かに宣言された。

 嫌じゃ、ない。だから、動かない。

 目を瞑って、膝の上でぎゅっと拳を握った。

 中野君はそのまま少し待ってからそっと私の頬にキスをした。

 ……心臓が、跳ねた。


14/01/10 脱字修正しました。

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