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毛布のように包まれる

 あられもない私の姿に、中野君が絶句している。うん、そりゃあそうだよね。


 初対面の男の人の前でなんて恰好、とか、やる気まんまんのセクシーなブラ&ショーツ、勿論お揃いの勝負下着、付け加えれば今日の為のとっておきのおニューとか、ね。ははは、いたたまれないや、我ながら。

 もう渋る理由もない。呆然としたままの中野君の前でくるりと回って、自分から背中の方も見せた。

「ね、傷とか縛られた痕とかないでしょ、返り血も、凶器も。……ボタン開けちゃうと、露出狂みたいになっちゃうから開けられなかったんだよね」

「……ごめん、まさか、」

 ちょっと待って、と云って、中野君は早足の大股で私の横を通り過ぎて、部屋の奥へと消えた。

 がちゃんばたんと音がして、どたどたと足音を立てて、あっという間に中野君は戻ってきた。私を見ないようにそっぽ向いたまま、目の前に差し出されたその手には、オレンジをメインにした暖かそうな色調のチェックのネルシャツ。

「着て。そのコート、着てても脱いでても風邪ひきそうだ」

「ん、ありがとう」

 遠慮なく借りることにした。うーん、でっかい。想像はしていたけど、これは想像以上だ。私がそれを着るとミニ丈のワンピみたいになった。手の先まで完全に隠れる長さの袖をくるくる折り返す。厚手の生地なので、折り返したところがごろんと厚くなった。

 中野君はもう一つ、手にしていたものを私に渡した。

「これ、膝に掛けて」

 モッズコート。……君ってほんとに、

「優しい、ね」

「……ふつうだよ」

「優しいよ」

 何故か妙に頑なな中野君が面白くて、笑ってしまった。ひとしきり笑ってから、懸念材料があることを思い出した。

「警察、電話する?」

「しない。ごめん」

 通報されないと聞いて、悪いことはしていないけど一安心した。すとんとパイプ椅子に腰掛ける。

 膝に、ふわりとモッズコートを掛けた。中野君は、私が脱いだままの形で床に置いたコートを、ハンガーに吊るしてくれた。

「こうしておけば、少しは乾くと思う」

「でも私、これ食べ終わったら行くよ?」

 いつまでもここで甘えてもいられまい。だけど、中野君はそれをあっさり拒否した。

「ダメ。今何時だと思ってるの、女の人が独り歩きしていい時間じゃないよ」

「……それ云ったら、ハイカロリーのパンケーキを食べる時間でもないんだけど。タクシー呼ぶから。ね、それならいいでしょ?」

「ダメ。ここで待ってて。仕事が終わったら、俺がちゃんと送るから」

 中野君が引かない人だと云うことは、この短い時間の中のやり取りでもうわかっていた。

 私はどちらかと云うと流されやすい人間で、しかも心の中で嵐が吹き荒れてるようなこの状態で、これ以上もう戦う気力もなかった。

「……何時上がりなの」

「七時」

「あと四時間も、どうしていろと」

 さすがに呻いた。

 中野君はそれが何か? と云いたげな顔で「少し寝てれば?」と云った。

「ここで座ったままだからちょっと寝にくいと思うけど、ラクになれるかもよ」

 きゅっと眉を寄せたまま、私を見る目が、なんだか。

 ……最近の男の子は清潔そうね。あのまつ毛、私より長いんじゃない? あ、茶色い眼、かわいい。

 そんな風にごまかした。でないと、イレギュラーな心は暴走したままとんでもない方にカンチガイしそうで。

「ほら、まずはパンケーキ食べる」

 急かされて慌てて食べた割に、パンケーキはまずくなかった。ふんわりと焼かれたそれは、卵と牛乳の味がしていて、むしろちゃんとおいしかった。

 小さめサイズが三段に重ねられたパンケーキを、あっという間に食べ尽くした。あったかい紅茶も追加オーダーで入れてもらって、おなかの中がぽかぽかになったら、張りつめた神経が緩んだのかだんだん眠くなってきた。

 中野君が、私の顔を見て優しい眼で笑った。

「よかった。おいしいもの食べて、あったかいもの飲んで、表情が柔らかくなったよ」

「え? そう??」

 自分じゃよく分からない。ぺたぺた触ってみるけど、やっぱりよく分からない。

「少し、寝て。休憩でここは使わせないようにするけど、一応他の奴らにも起こさないように云っとくから」

 ポンポンと、シャツ越しの肩に弾む手も、優しい。

「中野君、もう、休憩終わる?」

 さっきまで一人にしてくれ! ってハリネズミみたいにしてたのに、何時の間に中野君に懐柔されてたのか自分でも分からない。

 問いかけた声は、思った以上に甘えた、弱弱しい声だった。恥ずかしくて俯く。

「あと三〇分ある。寝るまで傍にいるよ」

「うん。ありがと」

 顔を見られなくて、テーブルに交差するように置いた手に、伏せた顔を乗せたままでいた。

 また、優しい手が、降ってくる。

 頭や、肩や、背中に、ふわんふわんと春の陽だまりのように。

 その手に誘われて、すうっと眠りに落ちた。

 ネルシャツの肌触りも、モッズコートの重みも、中野君の手も中野君も、

 なにひとつ、私を傷つける存在は、ここにはないから。

 安心した。



 揺さぶられる感覚で、覚醒した。沈んでいた意識が浮上する。

「起きて、――おはよう。」

 私はぽーっとしたまま、へにゃっと笑った。

「おはよう、中野君」

 夢じゃ、なかった。

 優しくしてもらったのが私の想像の産物じゃなくてよかった。

 起きた時に一人じゃなくて、目を開けて最初に優しいこの人に会えてよかった。

「おはよう。起き抜けで悪いけど、もう移動出来る?」

「出来るよ。ごめんね、仕事で疲れてるのに」

「いーよ、大丈夫。それより、もうすぐ朝のパートさんがきちゃうんだ。別にやましいことはないけどさ、アレコレ詮索されるの、女の人はやじゃない?」

「……やだ。」

 その事態を想像して、思わず口がとがってしまう。

 それを見て中野君がくすっと笑った。

「だから、出よ?」

 異論がある訳ない。あ、でも。

「フロア、どうするの?」

 たしか中野君が一人で仕切っていた筈だ。壁に掛かっている時計を見れば、上りと聞いていた七時よりも一五分早かった。その程度とは云え早退したら、そこはどうなってしまうのだろう。私に優しく親切にしてくれるのはとってもありがたいけど、迷惑を掛けたいわけじゃない。

 心配して聞いたら、ふっと優しく微笑まれた。

「大丈夫、キッチンの一人がフロアも見られる奴だから。まだ混み始める時間帯じゃないから、気にしないでいいんだよ」

 ポンポンと頭を優しく跳ねる手。

「……でも、ごめんね」

「気にしなーい!」

 云いながら、子どもが跳び箱を跳び越えるみたいに、ポーン! とひときわ高く手を私の頭の上で跳ねらかして、中野君は笑ってくれた。


 来た時の逆をたどって、……トイレ寄って、お会計して、朝の光と冷たい空気の街に、出た。

「さむー!」

 思わずコートの襟と襟を合わせて掴んでいると、絶対に寒いだろうに、私の横で大して寒さを感じていなさそうにしている中野君がほらね、とまた笑った。

「俺のシャツ着ててよかったでしょう?」

「……うん」

 コートは湿り気は帯びていたものの何とか乾いたので、ネルシャツは返してまた元通り素肌に着ようと思っていたら、中野君に渋い顔をされた。

「昨日の夜晴れてたから、放射冷却でとんでもなく寒いよ? いいから、これはそのまま着てて」

 そう云って、自分は仕事着の薄い長そでシャツの上に、冬仕様とは云えないモッズコートを引っ掛けただけ。

「……ほんと、ご」

「ごめんねもうなし。次云ったらペナルティね」

 なんだそのルール。

「でさ、」

 中野君は困った顔で笑った。

「そろそろ、名前聞いても、い?」

「ああああ! ごめんなさい、自分は一方的に知ったからって名乗んないで! 高梨夏美(たかなしなつみ)です!」

「夏美さん、ね」

 そこでさらっと下の名前呼んじゃうあたり、女に慣れていそうな雰囲気だ。

「はいペナルティ」

「え」

 何のこと?

 ときょとんとしているうちに、頬にキスを落とされた。

「云ったよね? もうごめんねいらないって。次ペナルティって」

「っ! だ、だからっていきなりほっぺにチューとか……っ」

「あはは、夏美さん俺より年上っぽいのに純情なんだねえ」

 いやいやいや。そっちが慣れすぎだろう! 会って間もない他人を下の名前で呼んだりこんなことをしたり!

 気が動転しながら歩いて、気が付いたら大通りにいた。と云うことは道の広さと交通量で分かるのだけど、現在地も向かっている方向も、さっぱり分からない。

「中野君?」

「何? 夏美さん」

「えっと、私たちって、どこに向かってるの?」

「とりあえず最寄りのコンビニ。そこでタイツとかTシャツとか手に入れて、夏美さんをもうちょっとあったかい格好にさせてからおうちに送るよ」

「ご、……ありがとう」

「よく出来ました。でも、そうすぐ慣れちゃうのも残念だなあ」

「……」

「冗談」

 そう云って、中野君は朝の空気によく似合う、爽やかな顔をして笑う。とても人を食った発言をする様には見えない。

 人は見た目じゃないのね、なんて思って、昨夜そもそもこんな格好で深夜ファミレスに駆け込むことになった元凶の顔を思い出した。――とてもそんな人には見えなかったんだけどなあ。

 途端に無表情になった私を心配してか、中野君が「大丈夫?」と気遣ってくれる。それに、ちゃんと微笑み返した、つもり。

「多分。……あのね、家に帰るより、洋服を回収したいの」

 ゴミステーションに出されたとしても今日は土曜日だから、回収車は来ない筈。

 また『あそこ』に戻るのは本当に嫌だけど、あれはお気に入りの服だったんだ、恋人に会いに行く日の為にわざわざ選ぶくらいには。それを、無残に捨てられるのは忍びない。

 やはり黙りがちになってしまう私を見て思うところはあるだろうに、中野君はそれでも何も聞かずに「OK、コンビニの後どこに向かったらいい?」とさりげなく受け入れてくれた。


14/01/09 脱字修正しました。

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