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クリスマス・クリスマス

 駅の二階の窓からロータリーの向こう側のクリスマスイルミネーションをぼんやりと眺めていたら、「夏美」と後ろから声を掛けられて振り向いた。

「中野君、こんばんは」

「はい、こんばんは。待たせちゃった?」

「ううん、さっきまで駅ビルで暇つぶしてたから」

「ならよかった。お店、いこっか」

「うん」

 ペデストリアンデッキを歩いて、小さな呑み屋さんが連なる通りへと向かった。


 私と中野君は、恋人ではない。お友達……と云うのもちょっと違う。

 告白された人と、告白した人。

 傷ついてて今は恋愛出来ない人と、その傷を治すと云ってくれる人。

 一言でカテゴライズするのは難しい。前に、今日と同じように駅――その時は、中野君のおうちの最寄りの駅だった――で二人でいるところへ彼の友人がたまたまやって来て、『ちょちょちょ、ユウユウやるじゃんべっぴんさんじゃん!』と囃し立てても、中野君は『そんなんじゃないから』って困ったように云うだけだった。

 うん、とーっても、宙ぶらりんな関係だと思う。

 好きか嫌いかの二択を選べと云われたら勿論、好き。ただその好きの種類を問われたらうーん……て悩んでしまう。

 その友人さんが『じゃーねーユウユウ』と手を振っていなくなると、彼は私の鼻先を、私が前、彼に『ペナルティ』でやったみたいにピンと撥ねた。でも私がしたのより、ずいぶん加減されてた。

「そんな顔しなくていいの。夏美が気にすることじゃない」

 ――でも。

「さ、いこ? 鍋が俺たちを待ってるよ!」

 そんなに優しくされても、困る。……還せないかもしれないじゃない。


 今の時期の街は、クリスマスシーズンには友人やカップルで過ごすのがアタリマエです! みたいな風潮で、今年の私にはちょっと肩身が狭い。

 私が振られたって知ってる友人たちが気を遣ってパーティしようかって云ってくれているけど、傷心からひと月ちょいじゃそんな気分にはなれなかったし、それぞれ素敵な彼氏さんがいるので、気持ちだけ受け取って、丁重にお断りした。

 今年、一緒に過ごす人はいない。日頃バリバリ働いている両親もこの日ばかりは二人でディナーしてくるって云うし、中野君に誘われてはいたけど受験生の弟と二人でまったりと過ごそうと思っていた。

 そしたら弟にバッサリ云われた。

「俺冬期講習あるんだし、気にしないでオトコと過ごせばいいじゃん」

「……オトコ、今、いないもん」

 その一言を云うのに、どれだけ胆力がいったことか。なのに一臣は、さらに追い打ちをかける。

「こないだ姉ちゃんと電話で話してたの、オトコでしょ」

「男の人だけどオトコじゃない」

 中野君との会話を聞いてたのかコイツ。

「あ、そうなの、ナカノだらしないなあ」

「ちょっとっ!」

「リビングで話してたから、キッチンから丸聞こえだったんだって。姉ちゃん、そいつと話してる間、まんざらでもなさそうだったけど? それなのに、『ナカノくんごめんね、弟が一人で過ごすことになるから、その日はちょっと』って、勝手に人を断りの理由に使わないでよ」

「だって、そしたらほんとにあんた一人で過ごすことになるでしょ」

 私が云うと見目麗しい弟は肩を竦めた。そんな仕草さえ嫌味にならないなんて嫌味な奴だ。

「受験生ですから。自習室で復習して帰ったら、家帰るの一〇時過ぎになるし」

「……そっちこそ、その日ぐらいカノジョと過ごせば?」

「真澄、俺のことチョー気遣ってくれるんだもん。誘ってもくれないよ」

「……ごちそうさま」

「いいえ? そんな訳だから、気にせずナカノと食事してきなよ?」

「こら!」

 弟は、いたずら成功と云った顔をして自室に帰った。


『弟に、気を遣うなと云われました。なので、一度お断りしちゃったんだけどやっぱりいいかな?』

 そうメールすれば、速攻でお返事が来た。

『勿論! 弟くんには、ケーキをお土産にすれば?』

 ……私の周りには気遣いの上手な男の子が二人。


 友人からのお誘いは断ったのに、中野君のお誘いには乗るんだなと気が付いたのは、クリスマス直前だった。



『クリスマスっぽくない方が気が楽』と伝えたら、二四日はちいさな居酒屋に誘ってくれた。

「あ、そうだ、弟にケーキ買わないと」

 席に座って注文を済ませてからそう呟けば、「ハイ」と、目の前に小箱が置かれた。

「一五センチのケーキだから、帰ったら二人で食べなよ」

「……いつの間に」

「駅前のデパートで予約して、待ち合わせの前に取りに行った」

「ありがと。えっとこれって、」

「あー、それ位出させて? 綺麗なお姉さんを弟くんから奪ったお詫びに」

「何それ」

 笑っている間にさっと出てきた生ビールを手に、乾杯した。

 ビールがおいしい。クリスマスを、居酒屋で過ごすのは初めてだった。

 シャンパンやワインじゃなくビールなのも、クリスマスディナーじゃなくパーティーでもなく、この日に普通に居酒屋メニューを食べるのも。

「何かいいね、こう云うのも」

 アツアツのフライドポテトの上でバターが溶けている。ん、熱いけど、おいしい。

 ハフハフといい具合に塩気のきいているポテトをつまんで、口の中が熱くなったらビールで冷ました。

「俺は割といつもこんな感じだけど」

「ほんとに? お付き合いしてた時、彼女怒らなかった?」

「なんかね、クリスマス前後っていないことが多くって。大学の時はクリスマスと正月は夜七時から一二時間シフトで鬼のように働いてたし。だから、女の人としっぽり過ごすのはこれが初めて」

「しっぽりって」

 思わず笑って流してしまった。

 それを中野君もスルーしてくれた。

 まだね、まだ、……駆け引きとか男女のやり取りとか、ちょっと無理。


 来年はどうしてるんだろう。

 中野君は、どこで誰と過ごすんだろう。

 好きな人と幸せにしてくれてたらいいな、なんて思った。



 去年と同じように、駅で待ち合わせた。ただし、駅は私の一人暮らしのマンションの最寄りの駅で。

 ちょっと寒いかな、と思いつつも、恋人からもらったメールから推測するに、もうどこかに入って暇をつぶすほど待つわけでもなさそうだ。バッグに入っている読みかけの文庫本を読もうかと思ったけど、寒くて手袋を外せないのでそれも却下。

 駅の二階で、何となく窓の外を眺めていた。見える所にツリーはないけど、楽しそうな人たちがいっぱいで、見ているだけで幸せのおすそ分けをしてもらったみたい。

 まだかな、と携帯に手を伸ばしかけたところで、後ろからそっと頬を撫ぜられた。冷たい人差し指の背で、こんなことするのは一人だけ。私は、嬉しさを隠せずに微笑んでしまう。

「夏美」

 ほらね。

 横に馴染みのある姿が並び、手すりに凭れて覗き込むように私に笑いかけてきた。

「おまたせ」

「そうでもないよ」

「そ? ほっぺ、冷たいけど」

「っ、こら!」

 指が離れたと思ったら、入れかわりにほっぺに触れるだけのキスをしてきた。挨拶代わりにすぐキスするとか、この人ほんとに日本人なのかしら。


 仕事帰りの悠君は、黒のトレンチにダークスーツがよく似合っていてとっても素敵だ。優しい面影が、スーツを纏うときりっとするように見えるのは、惚れた欲目なのかもしれないけど。

 彼のことはもう飽きる程見ている筈なのにちっとも飽きないし、見慣れない。見るたびにいつもときめいてしまう。

「夏美? どうしたの?」

 その声に、慌ててそっぽを向いた。見惚れてました、なんて云えない。そう思っているうちに見る見る耳まで赤くなっているような気がした。

「なんでもない」

 更にそっぽを向く。だって付き合ってもう半年経つのに恋人を見てまだ赤くなるとか恥ずかしい。そんな私を覗き込んで、悠君は優しく笑った。

「……もう。かわいいんだから、俺の恋人は」

 そっぽを向いていたので気が付かなかった。

 死角から延びてきた手に絡め取られて、気が付けばすっぽりと悠君の腕の中にいた。本当に、人前でも人がいなくても、愛情表現が素直な人だ。

「悠君、ここ、駅!」

「知ってるよ」

 いくらクリスマスイブだからって、こんな。

 じたばた足掻いても、ちっとも腕の中から逃げ出せやしない。――はだかを、知っているからわかる。痩せてるけど、しっかり筋肉がついている彼のからだ。私が格闘経験者でもない限り、力任せに抜け出すなんてきっと出来ないだろう。それに、この中は居心地がよくって、本気で逃げ出す気になんかなれないのだ。他の人からの視線は恥ずかしいけど。

「ちょっとだけ」

 悠君は囁いて、抱き込んだコートの胸元に私の頬をそっと寄せる。私の目から外界を隠すみたいに。

「……トレンチに、ファンデーションが付いちゃうから」

「いいよ付いたって」

「だって、高かったんでしょう、このコート」

 働き出した年の冬のボーナスで老舗の英国ブランドのお店に行って買ったんだと、初めてそれを着て来た時に教えてくれた。

「夏美より価値のある物なんか、ない」

 そんなクサい事を真面目に云って、近づく唇。それをまた、普通に受け入れそうだった私。

 二人の息が掛かる距離まで迫った瞬間、「おいおい、目の毒だから続きは他でしてくれよー」と、見知らぬ酔っぱらいのおじさんから苦笑交じりの野次をもらった。

 二人で目を合わせて、それもそうだと笑った。

 手袋の手をするりと悠君の腕に絡める。

「悠君、いこ?」

「うん」

 クリスマスクリスマスしたデートは、連休中にもう味わった。だから、今日はうちでまったり過ごすことになっている。

「嬉しいなあ、イブに恋人としっぽり過ごすのなんか、これが初めてだよ」

 一年前、笑って流した言葉を、今日は大事に受け取った。

「じゃあ、うーんと甘く過ごそう?」

 そう提案したら、悠君は「今日が週末だったらよかったのに……」なんて、小学生みたいに残念がってた。


 来年はどうしてるんだろう。中野君は、どこで誰と過ごすんだろう。


 そう思っていた去年の自分に、『二人とも、一番大好きな人と過ごしているよ!』って教えられるなら教えてあげたい。

 いっぱい辛かったけど、いつも悠君が守っていてくれたから、私は大丈夫だって。


 悠君が好きな人と幸せにしてくれてたらいいな、なんて去年は思ってた。想像では、その好きな人は自分以外の誰かだった。今は、もうそれを受け入れられない。

 私以外の人と笑ってる悠君を思うと、悲しくてそれだけで泣けてくる。

 私と笑っている悠君が嬉しくて、やっぱり泣けてくることもよくある。

 そんな勝手な妄想で泣いちゃう私に、悠君はいつも慌てて、それから優しくぎゅってしてくれる。こんなことでいちいち泣くとか、うっとうしくない? って聞いたらまさか! ってにこにこされた。

『かわいくて仕方がないよ。夏美は俺のことが好きなんだ、って分かってすっごい嬉しい』

 いつも、こんな風に私の欲しい言葉をくれる人。優しい人。でも、優しいだけじゃないって知ってる。

 頑固で、意地っ張り。頑張り屋さんで、――やっぱり優しい。


 来年も、その次もその次もずっと、私と過ごして。私だけと、過ごして。

 そう伝えたら、やっぱり笑ってぎゅってしてくれるかな。


 デリで買い求めた惣菜や、予約していたケーキ、それからシャンパン。

『夏美も働いてるんだから、無理しないで』って釘を刺されたから、張り切らないで楽ちんモードのクリスマスだ。

 だって張り切る機会はまたいつでもあるんだし、ね。


 食べた後に、プレゼントを渡しあった。私から悠君には、コードバンの名刺入れ。鮮やかな、それでいて落ち着いた色味の緑色が悠君にぴったりに思えた。でも本人の好みじゃないと困るので『もしこういうのが嫌じゃなかったら』と事前にそのメーカーのサイトを見せつつ打診したら、とても喜んでもらえた。

『じゃあ、俺からはこれ、贈りたいんだけどどうかな』って見せてもらったのは、同じサイト内にあった、スエードで出来たエコバッグの画像。落ち着いたピンクの、A4の物も入るサイズの。

 一目で気に入った。そう伝えたら、にっこりとお日様みたいに笑って、『――これなら本を読む人向きのサイズでしょ? 小ぶりのバッグのお伴に、是非どうぞ』って云ってくれた。

 互いに頼んでいたそれらが、クリスマスに間に合うように届いて、そしてやっと実物とご対面になる。店舗には足を運べなかったから、直に見るのは今日が初めてだ。

 丁寧に施された包装を、なるべく破らないように扱った。そして、現れた二つの品物を見て。

「「素敵だね!」」

 二人でハモってしまって、笑った。


 今なら、云えるかも。プレゼントは気に入ってもらえたし、シャンパンでほろ酔いだし。

 うちに来ると悠君は、家着に着替える。そのパーカーの背中に、おでこをくっつけた。

「夏美?」

 そう聞いてくる悠君に、「お願いがあるの」と云えば、「何だろう? 一カラットのダイヤの指輪を今すぐ買って! だったら聞けないけど、それ以外ならどうぞ」って笑って返された。

 それで私もふっと力が抜ける。

「……来年も、その次もその次もずっと私と、」

 云いかけたら、振り向いた悠君が「待って」と私の唇に人差し指を当てて困った顔をする。――こんなの、重かったかな。そう後悔していたら、「そう云うの、俺から云わせてよ」と笑う悠君。

「――高梨夏美さん」

「はい」

 胡坐をやめて正座した悠君につられて、私の背もピンと伸びた。

「これからの季節も、ずっと俺と過ごしてください」

「はい」

「ずっとだよ?」

「もちろん」

「ずーっと、だよ」

「分かってるよ」

 だって私が云い出したのに、何云ってんだろ。

「……分かってないよ、夏美」

 悠君が、苦笑交じりに云う。

「いつか、一緒に暮らしたいって、云ったよね俺」

「うん」

 覚えてるよ。有言実行のあなたが、休みの日にお母さんに怒られながら料理をしていることも、ひところよりも仕事量を調整しつつ、デート代を持ってくれつつ、貯金をしていることも知ってる。

「それを、ただの同棲にするつもりはないよ。――そう云うつもりの、『ずっと』だから」

 そう云って、大好きなお日様みたいな笑顔を見せた。


 なんで、あなたの提案は私の考えを飛び越しているんだろう。いつもいつも。

 叶わないなぁ。――でもそれは嫌なことじゃないの。

「もっとちゃんとカッコつけて云う予定だったんだけどなー」

 貯金額もまだまだだし、こんな家着で……としょんぼりする悠君がかわいくて、「こんなタイミングで云ってごめんね」って抱きついた。

「俺も、かっこ悪くてごめんね」

 私の背中に手を回して、悠君が耳元で囁く。

 二人して、謝りと云う名のペナルティ対象の言葉を、それと分かっていて交し合った。

 それはつまり、ペナルティの時間にしましょうと云うお誘いだ。

 

 早速、キスの雨が降る。髪に。まだ何も嵌めていない、左手の薬指に。

 私からも返した。頬に。高い鼻の先に。

 いたずらな悠君の手で、ぐずぐずにさせられる前にと「明日も仕事だから」とストップを掛ければ、悠君は「ちぇ。つれないね、夏美」と笑った。

 そしてやっぱり、そこで素直に撤退する人じゃない。再び、手が攻め込んでくる。それを躱す。笑いながら、追いかけっこする悠君の手と私の体。

「あとちょっとだけ」

「駄目」

 目を見たら駄目。ほだされちゃうから。ちょっとって云っても絶対ちょっとなんかで終わらないから。

「……夏美ー」

 おねだりする声に負けちゃ、駄目ったら駄目。引越しの日のこと忘れた訳じゃないでしょ。

 そう自分を叱咤しても、駄目なのは自分の方。


「もう、悠君のバカ……」

 結局、こうしていつも負けちゃうんだよね。――でもそれも、ほんとは嫌なことじゃない。

 ベッドルームへ私の手を引いて歩く聞き分けのない悠君の、とびきり嬉しそうな顔を見上げて、まあいいか、と苦笑した。


これにておしまいです。ありがとうございました。


14/10/13 誤字修正しました。

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