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ファンデーション

 慌てて飛び込んだ深夜のファミレス。

 真夜中なのに、暴力的にまばゆいLEDの明かりたち。ぎゃははと時折飛び込んでくる窓際のグループのハイテンションの会話は、ちょっとうるさいくらいのBGM。


 さっきまでの自分とは無縁の世界、だからこそ、安堵した。

 荒い息で肩が上下していても。

 震えが止まらなくても。誰にも気づかれない。きっと。


 大して待たされることなく、案内に立った店員さんに席へと誘導される。

 今になって汗が、たくさん出てきた。じっとりと、トレンチコートの中と、ロングブーツの中で滑って籠る。

 コートに包まれていないところ……顔や手の平の汗は、ミニタオルで抑えられるけど、コートの下は、席ではとても拭けない。

 それにしても我ながら間抜けなカッコ……。コントみたいで笑えてくる。現実ってやつは、映画やドラマみたいに美しくないものなんだなぁと再確認した。

 まだ、手は震えている。汗もちっとも止まらない。でも、何かしていたくて、無理やりメニューを広げた。……何も食べたくないな……。

 それでも、目の前に出てきたら食欲も湧くかもしれない。

 そう思って、大いに悩んだ末に、小ぶりのパンケーキを頼むことにした。タイミングよくオーダーを取りに来た男性の店員さんに、注文内容を伝える。

 ふう。何やら一仕事終えた様な達成感。

 それにしても汗が引かない……


 ボーっとしていたので、気が付くのに時間がかかった。

 オーダーが終わって、メニューも渡して、そこにはもういない筈の人がテーブルの脇にまだ立っていた。何か云いたげな店員さんが。

 思わず、「なんですか?」って聞いてしまった。


「あの、暖房の温度上げますか?」

「はぁ?」

 お客様申し訳ありません、本日パンケーキは終了いたしました――。

 そんな言葉でも返って来るかと思ったので心底間抜けな返事をした。

 質問の意味が分からない。私こんなに汗を流しているのに、なんで?

「着席されてずいぶん経つのに、コートを脱ぐどころかベルトさえ緩めないから」

 ――ははあ。

「大丈夫ですよ、寒い訳じゃないんで」

 ――脱げないんです。

「あ、では、足元にバスケットがありますから、よろしければコートはそちらに」

「はい、ありがとうございます」

 にっこり笑って会話終了。と云うか打ち切り。

 普段の私なら、ファミレスなのにきめ細かい対応、と思うところだ。

 でも、今は違う。

 ほっといて。ささくれた心でそれだけを願う。

 店員として云うべきは云った、そんな彼は、私に向かって一礼すると、オーダーを伝えにキッチンへと消えた。


 夜中に空調のきいた店内で汗をだらだら流しながらコートを脱がない女。

 まあ、怪しいわね。きっとさっきの彼も暖房とか云いつつ怪しいなあとか思ってたんだろうなあ。次来る時、誰かほかの店員さん、来ないかな。

 そんな願いもむなしく、深夜帯でお客さんも店員さんも人数の少ないファミレスで、パンケーキに使うカトラリーと蜂蜜のボトルを手にやってきたのは、やっぱりさっきの彼。

音も立てずに丁寧に、持ってきたものを一つ一つテーブルに置いた。ファミレスとしては不相応なほど優雅なその流れをぼーっと目で追った。

 並べ終えると彼は、テーブルの下の空のバスケットと、相変わらずボタン一つ外していないトレンチコートと、私の顔で流れ続ける汗を、一つ一つ、見た。

 彼の眉がかすかに寄る。

「お客様」

「何?」

 堂々と聞き返してやる。手は、椅子におろしたから震えてるのは気付かれない筈。

「差し出がましいようですが……」

「そうね、ほんとね。――ほっといて。」

 もう繕う気力もなくて、それだけ云って、下を向いた。

 頼むから。もう。

 会話をぶった切って、下を見ていれば、自分の長い髪が視界を覆って完全に私だけの世界。

 まだ彼は何か云いたげに立ち尽くしていたけど、窓際のグループに呼ばれて、そちらに去って行った。

 ふう。

 早く、パンケーキ来ないかな。大して食べたくもないのにそんな風に思う。


 下を向いていたので気付かなかった。

「あ?あ、あっ!やべっ!!」

 この声は、さっきまた、がはははって笑っていた窓際の。

 そう認識した途端、ばしゃっと云う音とともに、頭から冷たいものをかぶった。

 ……ジュースとかビールとかじゃないといいなあ……。

 お茶だったとしてもコートにシミは残るだろうけど、すくなくともべたべたはしないもの。

 ぽたぽたとしずくの落ちる、重くなった黒髪を呑み屋の暖簾のように持ち上げて、何が起きたかを正しく認識した。

 『窓際のグループの彼』が、私のすぐ横ですっ転んでいた。掛かった液体はどうやら運よく水らしい。匂いも色もない。

 こんな最悪な夜にもちょっとはいいことも、あるんだな。と云うか、まず水を掛けられることがいいことじゃないか……。混乱している心の下す判断は、少しおかしい。


 中身がほとんど残っていないコップが、コロコロコロ……と、床の上を滑っていく。

 それが、不意に止まった。

 黒い革靴に当たってた。

 その上は、黒のスラックス。

 黒いベスト。

 白いワイシャツ。

 どんどん上に視線を上げていくと、そこにはやっぱり例の店員さんが、いた。

「お客様、只今タオルをお持ち致しますので、お待ち下さいね」

 うーん、惚れ惚れするほどいいサーヴィス。

「す、すいません!!!」

 私に水をぶっかけた張本人は、気の毒なほど縮こまっていた。怒る気力もないし、早いとこ丸く収めよう。

「あ、はい、大丈夫なので気になさらず。水でしょこれ」

「そうですけど、でも、クリーニング代とか……」

「ああ、全然いらないから」

 いっそ笑顔で。

 彼は、『でも』とか『そんな』とか云いつつもじもじと立ち尽くす。

「それより、お水、飲みたいんでしょ?注いで来たら?」と文字通り水を向けると、ようやく。

「……すいませんでしたっ!」

 もの凄く深いお辞儀を私にくれて、ドリンクバーへと走っていった。

 うーん、騒いでるがきんちょのわりに、いい奴。

 ぽたぽたと落ち続けるしずくをそのままに、私は頬杖をして彼らの様子を眺めた。

 転んだ坊主頭の男の子は、お水ではなくコーラを手にしていた。……被るのあれじゃなくてほんとよかったわー……。

 仲間の悪そうな男の子たちに、ヘッドロック決められたり、それを写メにとられたり、やっぱり忙しい。

 楽しそ。和むものを見られたから、少しだけ、口角が上がった。

 それでも、汗も震えも実は止まっちゃいないんだけどね。


 それは実に不意打ちだった。

「お客様」

 意識が一〇〇パー窓際グループにいっちゃってる時に、死角からそっと声を掛けられた。なんかもう、私の席専属、みたいな彼。

「タオル、お待たせしました。それから、」

 少し言い淀んだ。

「お席と足元も拭かせて戴きたいので、すみませんが一度移動して戴いてもよろしいですか?」

 正直、動きたくないんだよね。疲れちゃって。でも、このままずぶ濡れた女が座っているのもいい加減営業妨害だっていうのもよくわかる。

 ため息を一つついて、私は立ち上がった。

 ばりばりと、すっかり生えてしまった根っこをはがす音が聞こえてくるようだ。

「いいわ。どこ?」

「こちらです」

 奥の方の席に向かって、彼は歩き出す。ちょっと、そっち喫煙席なんだけど。私煙いの苦手なんだけど――……んん?

 今度は方向転換して、カウンターの方へ。

 さらに、キッチンの横の奥へ。

 流石に躊躇していると、ついてきている筈の私が歩みを止めたのを察して、振り返った。

「ごめんなさい。今行く」

 もう、何処へでも行ってやろうじゃないの。

 大股のストライドでぐいと歩く。トレンチの裾の一番下のボタンの位置まで、深いスリット状のそこから顔を出す素足ももう気にしない。横に並ぶ勢いで歩いた私を見て、店員君は少し笑ったように見えた。


「private」と書かれた扉は、キッチンの横の、奥の突き当りにあった。

 夜中なのに、揚げたり焼いたりと忙しそうに働く人がそこにいるのを横目に、彼に続いてその扉をくぐる。


「どうぞ」

「お邪魔します」

 どうやら休憩室に通されたらしい。ちょっとの段差の手前で店員君が靴を脱いだので、私も彼に倣ってブーツを脱ぐ。


 壁に向けてある長テーブルにどさりとバッグを置いた。彼はパイプ椅子を引いて、「どうぞ」と云った。二回目。

「タオル」

 それだけ云って、ずいと白無地のそれを渡された。

「ハンガーは、そこ」

 長テーブルと反対側の壁をぐいと親指で示して、そこにコートを掛けろと言外に云われる。

「もうすぐパンケーキ焼けるから、持ってくる。俺はそのままここで休憩に入るけど、他の奴らはもう済んでてここに来ないから、大丈夫だよ」

「……お気遣い、どうも。」

 コートを脱ぎたくない理由も知らない癖に、人の目を気にしてくれるのね。

 アルバイトであろう店員君の、その気配りに感心した。

「あの、」

 出て行こうとする背中に声を掛ければ、くるっと上半身だけこっちを向いて、胸元のネームプレートを指さして、「中野(なかの)」と名乗った。

「中野、君。いろいろ助かる、ありがとう。えっと、客席とここで随分言葉遣いが違うのはなんで?」

「ここにはふつうお客さんは通さないから、接客用に頭の切り替えができてないみたいだね」

 苦笑して、今度こそ出て行った。成程。


 他の人が来ないと聞いたので、一度コートを脱いで、渡されたタオルで汗を拭きまくった。水に濡れた頭も乱暴にガシガシと。

 それから、そろそろ中野君が来るかな?って云うタイミングで、また着込んで、パイプ椅子に座った。ついでに、パンケーキを食べるのだからと、邪魔になりそうな髪をシュシュでひとまとめにした。


 コンコン、とノックして、パンケーキとカトラリーと、その他もろもろを彼はお盆で運んできてくれた。

 フロアでの立ち振る舞いとはまるで違って、お行儀悪く手を使わずに靴を脱ぎ、長テーブルに音を立ててカトラリーその他を置き、パンケーキのお皿だけは丁寧に置き、そして濡れて重くなったコートを着たままの私と空のままのハンガーを見て、

 思いきり顰め面した。

「コートは」

「あ、一回脱いで拭けて助かった。タオル、ありがと」

 おかげで汗は止まったみたいだ。

 はいと渡すと、受け取りながら軽く指と指が触れてしまう。

 顰め面のまま私の顔をじっと見る。じろじろ見ないでよ汗でメイク崩れてるんだぞ多分。

「指冷たい」

 ……冷たくなりっぱなしになるようなことが、あったのよ。

 その言葉は鉛のように胸に沈んでいたので云えないまま。かわりに、仕事用スマイルでにっこり。

「そうなの、ちっともあったまらなくって」

 おかげで指も震えっぱなしよ。

「そのままじゃ、風邪ひくから」

 さすがに、初対面の女にそんな意図がなくても『脱いで』とは云いにくいらしい。

「いいの、人前で脱ぎたくないから」

「俺以外、来ないし」

「中野君にも見せたくないのよ」

「大丈夫?ケガとか、してない?」

「……ケガは、してない」

 危うく泣きそうになった。心にならあるよ、このお店に来る前、出来たての特大のが。

「じゃあ、せめて理由」

「ノーコメント」

 顔がこわばるのがわかった。

 ほかほかのパンケーキの上で溶けてたバターが、うっすらと膜を張ってきた。

 おいしいうちに食べなくちゃ。無理に頭を切り替えて、カトラリーを手にした。でも、横にどっかり座った中野君が、パイプ椅子ごとこっちを向いて見ていて、落ち着かない。

 カトラリーを使わないまま、お皿にハの字に置いた。

「理由は、云いたくない。コート脱いで、迷惑かけたくもない。でも犯罪には巻き込まれてない。お気遣い、本当に色々ありがとう」

 そう云って、バッグを手に立ち上がった。

「待って」

 状況判断がやたら冴えてる中野君が、私の手首を掴んで留めた。

「そんな顔色で、冷たい指して、しかも震えっぱなしで、どうしようっていうの?行くあてはあるの?」

 あ、震えてるの、ばれてた。思わず中野君の顔を見つめると、しまった、と書いてあった。

「……何にも云いたくなさそうだったから、云わなかった。でもあのままあそこにいたら空調と汗で風邪ひくだろうから、こっちに連れてきたんだ。……水も、掛かっちゃったし。ほんとはお客さんにこんなことしないよ。初対面の女の人には特に。でも、」

 一度そこで言葉を切って、息をしてから私を見た。

「このままじゃ、あなたが心配なんだ」

 心配、してくれてたのか、そうか。

 人の気遣いさえ、心が拒否していたことに気が付いた。その心意気に、ようやく麻痺していた気持ちが少し動き出した。

「……わかったよ、中野君は見るか本当の事云うかしないと納得しないんだね?」

「うん、そう。」

「わかった。それなら見せる、でも一つ約束」

 云いながら立ち上がる。

「警察には電話しないで?」

「そりゃ見てみないと、わかんない」

 それもそうか。

「んじゃ、とりあえず」

 しゅるっとベルトを解く。ボタンを上から外す。

 右手を抜いて左手も抜けば、汗と水で重くなったトレンチコートは簡単に落ちて。


 ――下着姿の私の出来上がり。


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