第二十四話 精霊もどき
俺たちは一列に並び通路を走っていた。お互いの距離を数十センチに保ち、先頭は俺、中央にクロフト、最後部にニコレッタが続く。
通り過ぎていく通路には、濡れた服が水溜りとなって何着も落ちていた。ドジな人間が慌てて洗濯物を落としたということはない。服のほとんどはちょうど人間が着るワンセット分ばかり。
恐らくは、ウンディーネに溶かされ食われた人が身に付けていたものだ。アルカストラネのやり方は残虐極まりなかったが、このウンディーネのやり方は不気味、その一言に尽きる。
「次は左だね」
予め、ホルムスとクロフトによって書かれた警備室までの地図を頭には入れているが、それでも短期間では完全に覚えることはできなかった。間違った道や俺が道の判断に迷っていると、警備室までの道を暗記しているクロフトが呟き、ナビゲートを行う。
既に移動を続け約五分。進んだ道はおおよそ三分の一ほどの道のりだ。曲がり角を中心に大きく弧を描くように覗き込んでいく。軍などで使われるカッティングパイのような技術だ。徐々に明らかになる通路の先には何も居ない。
俺が無言で進むのを見て、2人は後に続いてくる。
「あと6つ先の通路を右だね」
「わかった」
長い通路の半ばに差し掛かった頃、通って来た通路から水が垂れる音が聞こえた。最初は気のせいかとも思ったが、水滴が再び落ちる音が耳に入る。
それは俺だけに聞こえた訳ではなく、2人の動きも同時に止まった。周囲を探るために耳を集中させる。ぽたりぽたりと通路に落下する水滴の音は、その間隔が速くなっていく。次第には、音は複数になった。
通路を通過したときには聞こえてこなかった音だ。偶然、なんらかの拍子に水が零れた可能性も0ではない。だが、タイミングを考えれば人為的に発生したものに間違いない。生存者はこんなまどろっこしいことはしないだろう。そうなると残される可能性は――。
ぴたりと停止した俺たちは、息を殺して、身構える。
「シンドウ」
虫の吐息ほどに小さな声でニコレッタは俺の名前を呼ぶ。手はしっかりと火炎放射器を握り、その目は音の発生源に向けられていた。
「ああ、居るな。このままゆっくり距離を取ろう」
小さく一歩踏み出そうとしたときだった。今までの水音は水滴を垂らす音から、バケツの水をひっくり返す音へと変化した。音に反応して顔を向けようとしたとき、隣から怒声が響く。
「横ッ!!」
ニコレッタの警告に遅れて《生存本能》が真っ赤なアラームとなって騒ぎ立てる。微かな風切り音が迫る中、状況を理解していないクロフトを突き飛ばし、俺も飛び退く。
「おお、どうしたんだいシンド――」
殺意を持って伸びてきたのは細いジェル状の腕。暗闇の中からは人型の影が浮き出てくる。確認するまでも無く、肉食のウンディーネだった。
半透明なことを覗けばほぼ人間と同じような人型。その表情からは知性も読み取れた、それと同時に感じたのは、こちらを嘗め回すような明確な悪意。
単純な捕食目的で殺すのではなく。捕食も殺害も目的としている。アルカストラネのように行動原理が繁殖と食欲だけの虫ではない。この人造のウンディーネは明確な悪意を持って襲って来ている、勝手な思い込みかもしれないが俺はそう感じた。
こいつは確実にここで殺さなくてはいけない。力を込めて火炎放射器を構える。引き金に指を掛ける前に、周囲が劇的に明るくなった。素早く反応したニコレッタが火炎放射器を放ったのだ。
熱せられた鉄板に水をばらまいたかのような音が響く。炎上していたのはウンディーネだ。俺たちではぎりぎり聞き取れない高周波数で絶叫が響く。
聞こえたり聞こえなかったり繰り返すその声は、酷く耳障りだ。
「ッ―――!!!」
俺を狙っていたウンディーネだけではなく、横道の奥では3体のウンディーネが炎にまかれていた。
あのタイミングの襲撃、音は陽動だが同時に本命にもなり得る。
「出たぞ。それも無数に……!!」
水音がしていた通路からは無数のウンディーネが猛進していた。暗闇で数を確認することもできないし、暇もない。夢中で引き金を引いた。
火炎放射器を撃つと、先行していたウンディーネが炎をまともに喰らい崩れ落ちた。続いてその後方にいたウンディーネの焼却に成功するが数が多い。
片手で腰の道具袋に押し込んでいた手榴弾を2つ取り出す。人差し指で輪が付いた安全ピンを二本とも引き抜き、放り投げる。
「隠れろ。爆発するぞ」
ニコレッタはクロフトの肩を掴んで横の通路に飛び込み、俺は物陰に身を隠す。二つの手榴弾はウンディーネ群れの中心、それも爆発の効果を最大限に発揮する空中で破裂した。
破片と爆風が踊り、衝撃が訪れる。顔を庇うように構えていた手を下げ、通路を睨む。
殺到していたウンディーネは爆発によりなぎ倒され、じゅくじゅくと形が崩れて行く。核が崩壊したか、形を保てなくなったのだろう。
甚大な破壊を生み出した手榴弾だったが、致命傷を逃れ、まだ動くものがいる。
近づかれる前に、火炎放射器で焼き尽くす。俺と同時に2人も火炎放射器から炎を吹き出させた。そんな火炎地獄と化した通路の中で、一体が炎をすり抜け飛び込んで来る。
鋭く、俺の頭部を目掛け突き出された腕を上半身の動きでかわす。そうして後ろに飛び退き、トリガーを引いた。
銃口から溢れ出た火が目標を包み混む。声にもならない叫びを上げ燃え盛る。ウンディーネは踊るように暴れた後に、ぴくりとも動かなくなった。
後に残ったのは形を成さなくなったウンディーネの水溜り。他のウンディーネの焼却を終えた2人に尋ねる。
「死んだか?」
「そのようだね」
同意を求めるように呟くとクロフトが反応した。念のために短く引き金を引き、念入りに焼くが変化はない。水溜りが完全に消滅しただけだ。
「こいつらが人造のウンディーネか」
「数秒前は人造のウンディーネだったのだろうけど、核を破壊され、今ではすっかりウンディーネから水溜まりになってしまっているね」
「アルカストラネと言い、ウンディーネと言い、随分と気味が悪い笑みを浮かべていたけれど、この研究所では流行っているのかしら?」
ちらりとクロフトの方を見ると、いつも通り安い笑顔を貼り付けていた。
「心外だね。研究所はそんな人ばかりではないよ?」
クロフトが大げさなリアクションで否定するが、地下研究所に来てまともなのはホルムスくらいなものだ。後は人形と化した職員と肉食のウンディーネもどき。そしてクロフトとまともとは呼び難いラインナップが続く。
「移動しよう。この階に食べ残しがいることがバレた」
「それがいいね。この程度の相手ならば、この研究所の警備兵は壊滅しない。ウンディーネの小手調べと言ったところだね」
残り火を無視して、先を急ぐ。相変わらず衣服が通路の至る所で散乱していた。一度、ウンディーネに襲撃され、さきほど以上に警戒をしながら進む。何せ、人造のウンディーネは少なくとも陽動と連携を行えるだけの知恵があることが、さきほどの襲撃で証明されたのだ。
曲がり角をカッティングパイをしながら歩き、潜んでいそうな物陰、室内への入り口に目を向ける。特にウンディーネがいたような痕跡が無かった。疑いだして慎重になればきりが無い。リスクと時間を釣り合いに掛け、移動を続ける。
部屋や横道が少ない片側の壁に沿って奥を睨む。後ろではニコレッタが通って来た通路に目を光らせている。特に手振りも声も出さないところを考えると、追撃は無いようだ。
横道の安全を確認、次の部屋に目を向ける。不意に、平衡感覚が可笑しくなった。いや、正確には地面が揺れたせいで、頭が誤認識を起こしたとも言える。天井からは埃がぱらぱらと落下する。
「な、何、この揺れ!?」
一気に、階層全体を激しい揺れが襲う。地震のような一定周期の揺れではない。何処かが爆発を起こしたか、床が崩落した音だ。
直ぐに揺れは収まった。周囲に目をやるが、壁や天井に損傷が出た様子はない。
「収まったか、なんだったんだ」
「僕にも分からないよ。でも、何かが壊れる音がしたね」
正体不明の揺れ、また悩み事が増えたことに頭が痛くなってくる。
「こんなところに長居は無用だ。さっさと警備室に行って脱出しよう」
2人は同意するように頷いた。タンクをしっかりと背負い直し、銃部を確認するように握る。銃口の先は、進行方向の通路を指す。後方が気にならないと言えば嘘になるが、一人では警戒できる範囲が限られる。やり手のニコレッタを信用するのがベストだ。
この先は20メートルほどは部屋も少なく、直線が続くだけだ。少し前の横道と部屋が立て続けに並ぶ場所に比べれば幾分とマシと言えた。
非常灯の明かりだけでは、通路の奥は視認できない。一歩、一歩、音を立てずに足を運ぶ。ようやく道も半ばだ。火炎放射器を軽くにぎり直し、また一歩踏み出す。
その時だった。今日一日で敏感となった《生存本能》が何かを捕らえた。それは普段ならば見落とすであろう気配だった。
神経をすり減らし、繰り返される襲撃によって身に付けるそれは勘と呼べるものだ。戦闘経験の蓄積から生み出された独自のシミュレーターにより、足を止めた俺は、破断音に顔を歪める。
壁の破片がこちら側にまで飛んできた。壁を突き破り、現れたのはウンディーネ。頑丈な壁では無く、後から増設された脆い壁だ。その鋭い腕が俺の首を捉える前に、火炎放射器が光った。
咄嗟に撃った炎はウンディーネに直撃すると、後続まで焼き払い、壁に激突した。壁と天井に反射して炎が跳ね返ってくる。危険を回避するために、足を動かす。避け切れるか微妙なラインだ。
そんな俺の前に一体のウンディーネが現れた。しぶとく俺に掴みかかろうとしていたそいつが、跳ね返ってきた炎が防いだおかげで辛うじて火傷は免れた。
炎によって炙られた皮膚が火照る。使い慣れていない武器が自分を危険に晒すこともある。自分の不注意に罵声を放ちながら次の一体に狙いを定める。
既にニコレッタとクロフトがサポートに入り、待ち伏せを完全に打ち崩すことに成功する。腰だめから放たれた炎は通路を塞いでいた最後のウンディーネを溶かした。気化した水分が水蒸気と化して辺りに立ち込める。僅かに残った水分が、ブーツごしにぴちゃぴちゃと感じられた。
「怪我はないか?」
見た目では2人ともなんともないが、打撲や捻挫ということも有りえる。
「僕も問題はないよ」
「私は大丈夫、それよりもシンドウは炎に巻かれそうだったけど、怪我はない?」
咄嗟の事とは言え、自分で自分を焼きそうになったのだ。笑い事ではすまない。
「ウンディーネが壁代わりになって火傷はしなかった。俺の不注意ですまない。次から気をつける」
「仕方ないわ。あの状況じゃ。便利だけど、これも使いなれてないから。それよりも陽動の次は待ち伏せ、精霊もどきとは言え、随分と人間臭くて嫌らしいわね」
ニコレッタの一言に俺は顔を歪める。待ち伏せされていた場所が俺たちが歩いていた壁側だったら、今頃、一撃で首か脳漿を通路にぶちまけられていたところだ。待ち伏せが反対の壁側で本当に助かった。
気を取り直し、移動を再開しようとしたとき、不意に声が聞こえた。それはウンディーネが蔓延るこの階層では居る筈の無い声。
「誰か、誰かいるのか……?」
用語解説
カッティングパイ
元々は軍隊で使われる用語で、敵の存在が確認されている部屋、または敵の存在が疑わしい部屋や通路などに突入する際、壁や扉などの角を中心に大きく孤を描くように移動して、隈なく敵をチェックする技術。
近距離、至近距離が多いFPSなどでも必須の技術であり、初心者ほど騎兵隊のように投入して返り討ちに合います。この言葉を知らなくても慣れてくると自然と身に付き、習得すれば初心者脱出の第一歩。
サバイバルゲームでも自然としてる人が多く、これができていないと高確率で蜂の巣に、痛みは人を成長させますね。カッティングパイ中に敵兵と目が合った時は、びくっとしますよ。トカレフがジャムったことは苦い思い出。粗製までリアルにしなくていいです。以上、深夜テンションでお送りいたしました。