第二十三話 暗闇の葛藤
試験場でのオーガ討伐後、通信用魔道具を求めて警備兵の遺体や警備室を見て回ったが、見つかるのは肉片とアルカストラネだけだ。幸い、警備兵を打ち破った高レベルのアルカストラネを狩り尽くしたのか、遭遇する個体は弱いものが多くなった。
ステータスを開くとレベルが上がっている。
【名前】シンドウ・ジロウ
【種族】異界の人間
【レベル】44
【職業】魔法剣士
【スキル】異界の投擲術、異界の治癒力、暴食、運命を喰らう者、上級片手剣B-、上級両手剣B、上級火属性魔法C、中級水属性魔法A、 奇襲、共通言語、生存本能
【属性】火、水
【加護】なし
オーガを含めたアルカストラネの討伐戦の経験によるものだ。それだけ、あのオーガが強力だったと言える。そんな強力なオーガとの戦闘により他の冒険者もレベルが上がっていたらしい。その中には技術職のホルムスまでも含まれている。
オーガを高射砲で仕留めた事か、それとも研究所の経験がホルムスに成長を促したかは分からない。ただ、人生で初めてのレベルアップにホルムスは照れくさそうに笑っていた。
通信用の魔道具は見つからないものの、アルカストラネという脅威を排除し、次の救助隊が来るまで、籠城するという案が出ていた中、それは見つかってしまった。
「噛殺のつぎは窒息死? 勘弁してよね……」
俺達の視線の先には、派手に破壊された施設がある。元は厳重に施錠された部屋だったようだが、研究員か警備兵が頑丈な扉が付いたこの部屋に籠城。その結果、殺到したアルカストラネによって強引に突破されていた。
最悪だったことは、立て籠もっていた者達が皆殺しにされ、その際に空気を循環させる魔道具が完全に破壊されていたことだ。据え付けられていたであろう幾つもの魔道具は吹き飛び、ひしゃげ、潰されている。
そのうちの一つに近寄ると、半長靴の靴底に砕かれた魔道具の破片を感じた。靴の脇で破片を隅に追いやる。
残骸を観察すると、ちょうど中心には圧倒的な力により、穴が開いていた。穴の径から考えると、あのアルカストラネが操っていたオーガの仕業に違いない。
「クロフト、ホルムス、これって直せるのか?」
破壊された魔道具を指差しながら2人の方に目をやる。聞かなくても答えは出ていた。
「これは神々の遺物の一つだ。簡単な補修と点検はできても、私じゃ修理は無理だ」
「資材と時間、人手があれば直せるかもしれないけど、その前に僕らが窒息すると思うよ?」
駄目元で聞いてみたが、やはり駄目だった。
「だよな。ここまで来て窒息なんて、勘弁してくれ」
「窒息って、なに?」
破壊された部屋を覗き込んでいたテルマが不思議そうに尋ねた。
この世界の教育と言えば親が子に教えるか、教会などから学ぶしかない。大きい冒険者ギルドでは、教育も行っているが、大半は戦闘や戦争に役立つ知識ばかりであり、かなり偏っている。
「簡単に言えば、地上で溺れ死ぬってことだ」
昔にやっていたテレビ番組の中での記憶だが、空気中の酸素が減ると、最初は呼吸が荒くなる。続いて幾ら吸っても呼吸が出来ず、それが進むと痙攣を伴い脱糞、最後には死ぬ。地上でも水中でも窒息死という死に方はしたくない。
(二酸化炭素中毒の方が先かもしれないが、どちらの死に方もしたくないな)
「え、溺れ死ぬ。……じょ、冗談?」
テルマは引きつった顔で尋ねてきたが、どんよりとした俺達の顔で冗談じゃないと気づき、頭を垂れる。
「い、息苦しくなってきた、かも」
顔を青くしたテルマは、ふらふらと機器の残骸に腰をかけた。
「気のせいだ」
とは言え、今は気のせいで済んでいるが、いつ酸素が無くなるかは分からない。100人を超える救助隊が連絡が途絶して壊滅したのだ。次の部隊の派遣は嫌でも慎重になる。酸素が無くなる前に、投入される可能性は低いだろう。
「どうする。このままじゃ酸欠でくたばっちまうぞ」
「こんだけ広いんだから大丈夫なんじゃねぇのか?」
冒険者達の楽観的な考えを、クロフトが否定した。
「それはないね。暴走した対実験体用に火炎放射器を装備していたようだけど、その特性上、酸素を消耗してしまう武器。戦闘によって派手に酸素を使ってしまったと思うよ」
「で、どうする。地上に逃げようにも隔壁は閉じたままだ。構造上、下の階からは上への通路は開かない様になっている。魔道具を直そうにもその前に酸素がなくなる。そうなると間に合わないだろう救助を待つか、後は――」
完全に八方塞がりだ。このままでは上に行くことも、酸素を得る事もできない。……残された方法が無いわけではない。一つだけあるが、それは自ら虎口に飛び込むことになる。
「……通信用の魔道具を取りに、下の階に行くしかないでしょうね。下の循環魔道具は生きているかもしれないし」
残された選択肢をニコレッタが挙げた。
「そうなると問題は、実験体だな」
アルカストラネ脱走の原因にもなった全ての元凶である実験体。暴走から短期間で警備兵の主力を殺し、二層を奪い取った化け物だ。正体が分からない分、アルカストラネよりも性質が悪い。
「なら酸欠になって窒息になるのをゆっくりと待つかい?」
「行くしかないのか。で、どうする? 扉の開閉は上からしかできないんだろう。開いたままにすると実験体がここに雪崩れ込んでくるかもしれない。上で開け閉めする組と下で連絡を入れる組に分かれないと」
全員をゆっくりと見渡すが、進んで行きたそうな人間はいない。折角、アルカストラネの襲撃から生き残った命だ。無駄には使いたくないだろう。
「……俺が行ってもいいが、一人じゃ無理だ。援護してくれる奴が欲しい。それに通信用の魔道具の使い方も道も分からない」
「仕方ない。ここまで来たんだし、腐れ縁よね。私も行くわ」
渋々、ニコレッタが進み出た。
「あとは案内役だが――」
戦力としては問題無いが、暗闇で入り組んだ研究所では、案内役が必要だ。職員である2人を見ると、あっさりとクロフトが手を挙げて立候補してきた。
「道案内と通信魔道具の操作は、僕が担当しよう」
「すまない……」
自分の代わりに名前を挙げたクロフトにホルムスは頭を下げた。化け物がうようよ居る階に、誰しも行きたくはない。当然の反応と言える。
「で、実験体ってのはなんだ?」
俺はこの地下施設に入ってからの長年の疑問を口にした。そもそも短時間でこの階から脱出できる予定だったのに、この有様だ。警備隊側も閉じ込められた職員達を救助するだけで、アルカストラネとも実験体とも戦闘をするつもりはなかったはず。
俺を含めた冒険者は、その正体の断片すら知らない。期待の目がホルムスに集まるが、ホルムスはゆっくりと首を振った。
「私は火器部門の人間だ。生物研究の方は分からない」
最後にクロフトに視線を移すと、当然のように説明を始めた。
「流体生物の中でも最強に分類される第一種流体生物。別名は精霊ウンディーネ。その人造体だね。最下層の実験室で人造のウンディーネを生産、制御を目的としていたよ」
ウンディーネと言えば半魔力体、半生物として知られる四大精霊の1体だ。澄んだ水辺を支配下に置き、規律を重んじると言われる。規格外の魔力から生み出される戦闘能力は、並みの魔物も人間も寄せ付けない。生物に加護を与えるとも言われ、討伐のランクはAランクの中位以上とも言われる。
「詳しいな」
「製造計画の補助の研究員としてその研究に助言していたからね」
クロフトの思わぬカミングアウトに全員の表情が険しくなった。
「お前が原因か」
「酷い言い方だね。僕はそもそも外部のアドバイザーとしてちゃんと危険性に付いては言及したよ? あの人達が聞かなかっただけだ。実験は何も起きないか、爆発事故でも起こして失敗するかと思っていたけど、まさかこうなるとはね。執念の強さというのを再確認させられる」
「そんな執念で数百人も殺されたらたまらない。クロフトが研究に関与したかはこの際どうでもいい。……話を戻そう。それでその人造のウィンディーネの攻撃法は分かるか?」
「実物を見たことがないから何とも言えないけど、本物に比べ、劣化はしているだろうね。まあ、触腕のような腕で刺突や打撃。スライムと同様な半ゲル状だけど、今は生まれたばかりだろうから、不安定で斬撃で切り刻めば元には戻れはしない。その為に、不安定な人型を維持するために人を捕食しているみたいだ。僕達も捕まると溶かされてしまうね。下の階にいた職員の事を考えると、かなり増殖しているかな」
つくづくこの研究所の生物にはうんざりさせられる。寄生虫の次は、肉食の精霊もどきだ。
「と、溶かされる」
「また、趣味の悪いものを作ったわね。これだから研究者は……」
人造ウィンディーネに対する女性陣の評価も最悪。
「それで、そいつらには火炎放射器が有効なのか?」
あれだけ警備兵が火炎放射器を装備していて、効果が無いということはないだろう。
「スライムの性質に近いものがあるからね。火には弱いはずだ。僕も人造のウィンディーネは始めての経験だから、全ては分からないよ」
纏めると、飢えた肉食のウィンディーネを排除しながら、3人で警備室までたどり着かなくてはいけない最高に楽しい状況だ。帰り道を考えたら手持ちの武器や魔力だけでは足りない。そうなると、この階に持ち込まれた武器を片っ端から集める必要がある。
「ホルムス。この階に使える火炎放射のような兵器が他にあるか? 異世界から流れ着いたものも歓迎だ。銃とか手榴弾とか? 爆薬なんでもいい。生きて地上に戻りたいだろ?」
俺の問いに絶句したホルムスは、諦めた顔で呟きだした。
「銃や爆薬なんて、なんて物を……。あー、これは独り言だが、避難マニュアルには最優先で運び出すものがある。最優先は異世界から流れ着いた兵器類、次はそれを元に開発された試作品。最後は移動に手間取る大型の兵器だ。銃火器類はほとんど運び出された後だが、高射砲の砲弾や爆発性の高い魔法石なんかは倉庫に残されたままだ」
「全員でこの階に有る武器を片っ端から集めよう。ホルムス、クロフト、武器がありそうな場所を教えてくれ」
「こんなもんか」
台車の上には木製の木箱が並んでいる。中身は魔法石の粉末を利用した試作品の爆弾や砲弾だ。その他にも救助隊の遺体から集めた火炎放射器が並んでいた。8.8cm FLAKも持ってきたかったが、通路が至る所で破損しており、ここまで牽引するのは不可能に近かったため諦めた。
火炎放射器の数は16丁、予備のタンクは8個。砲弾は11発。脂はドラム缶7本分だ。爆発物は、魔法石を数十キロ粉末状にしたものが用意されている。そして幸運にも、運び漏れたであろう試作品の手榴弾も7発あった。
「おい、この魔法石の粉末だけで俺達の年収、何年分だろうな」
「こんな砂みたいなもんでなぁ。はは、少し、持って帰るか?」
爆発物を抱えた冒険者が冗談とも本気とも取れることを言っている。
「止めておいた方がいいと思うよ。それは非常に敏感になっているから温度変化や衝撃で簡単に爆発する。誤爆したら半径数メートルは、数千度の高熱に身体が晒されてしまうんだ。肌も髪も全て焦げてしまう。破片が含まれないから第2爆創は起きないとしても、この距離では、第1、3、4爆創は免れないね。見た目では無事に済んでも、衝撃波によって空気を多く含む血管や臓器に致命的なダメージが及ぶ。簡単に言えば肺や血管を内部からぐちゃぐちゃに破壊されてしまうね。そして四肢や胴までもが千切れる。ハンマーで全身を満遍なく殴打されるのがイメージし易いかもしれない。運良く生きていても後遺症は免れないね。ここは密閉された室内だ。キリングゾーンは屋外よりも格段に長く人体に――」
「ああ、わかった。わかったから、それ以上は止めてくれよ。気持ち悪くなってきたじゃねぇか」
顔を青くした冒険者がクロフトの会話を慌てて遮った。関係の無い俺までむず痒くなる。
「入り口に幾つか武器と爆発物を置いといてくれ、予定よりも早く付いたときに使うかもしれない」
どうせ危険に飛び込むとしても、少しでも死ぬ確率というのは下げたいものだ。予定よりも早く帰ってきたときに、階段前で武器も無く立ち往生というのは、勘弁して欲しい。
「わかった」
返事を返したのはテルマだ。他の冒険者3人も頷き返した。
「シンドウさん、普段ならば入り口から警備室まで最短で10分ほどだ」
ホルムスによれば階段から警備室までは10分。ただ、それは平時での話であり、通路が明るく障害物が無い時だ。戦闘や迂回するかもしれないことを考えると、余裕を見て30分は必要となるだろう。
「こうしよう。30分経ったら隔壁を開けてくれ。それで戻って来なかったら閉じて構わない」
「閉めてしまうなんて――それじゃ、閉じ込められてしまうぞ?」
「それでいい。どの道、30分以内に戻らなかったら多分、俺達は死んでいる」
嵩張るので、火炎放射器の予備のタンクは持ち運べない。魔力の残量も残りは半分以下。嫌でも短期決戦にしなくてはいけない。そんな状況で30分以内に戻れなかったら十中八九死んでいる。
ホルムスに探索中に見つけた砂時計を渡す。丁度いいことに、30分しっかりと計れるタイプだ。
「……わかった」
渋面となったホルムスは短く返事を返した。
「ホルムス、これを引けば炎が出るのよね?」
話が終わるタイミングを待っていたのだろう。ニコレッタは銃部を持ち上げている。
背中には銃部とホースで繋がったタンクを背負っていた。火炎放射器なんてあちらでもこちらでも見た事も触れたこともないので、ニコレッタは勿論、俺もたどたどしい手つきで扱っている。炎を出す機械で触ったことがあると言えば、ガスコンロやガスバーナー程度のものだ。
「そうだ。引き金を引けば炎が飛び出る。噴射する時以外は引き金に指を掛けない方がいい。間違って撃ってしまうと周りの者を焼いてしまう」
銃部を凝視していたニコレッタ、横目で俺を見た。何か嫌な予感がする。
「シンドウ、背中を焼いてしまったらごめんなさいね?」
「笑えない冗談、ありがとう」
緊張を和ますためのブラックジョークだろうが、この状況下では笑えない。
「……開けてくれ」
配置に付いた俺の前には巨大な隔壁が立っていた。そのぴったりと閉じていた隔壁が少しずつ開いていく。気圧差によってか風が流れていくのがわかった。まるで開いた口から息が漏れるように。
火炎放射器を構え、開いていく階段を覗く。服、武具、機材が散乱していた。死体は一つもない。音を立てないように階段を下りていく。冷たい空気と感が戦場に入ったことを静かに告げていた。
予備の爆発物と火炎放射器を持ったテルマ達も一緒に下りてきた。階段の底まで着くと、荷物を降ろして上へと上がっていく。別れ際、力強く手を挙げると、テルマ達も手を挙げ返した。
この動作は少しの別れ、そして隔壁が閉じることを意味していた。隔壁を閉じるのを見るのは今日二度目だ。感傷に浸っている暇は無い。ここからは迅速に、大胆かつ繊細に行動しなくてはいけない。
「行くぞ」
2人は頷き、俺たちは走り出した。慣れてしまった薄明かりの中、目指すは第四層警備室。