第二十二話 暗闇の砲撃
通路に照らし出されたのは醜悪な顔。警備兵達の度重なる攻撃により筋肉は肥大と硬化を繰り返し、オーガは異形の姿へと変貌していた。
完全にオーガという魔物とは異なる姿に成り果てている。
「ッ!? 行け、行け、行けッ、オーガの襲撃だ」
警備室に入り込んでいたホルムスたちが部屋の通路に出て、逃げようとしている。要領が良く逃げ足が速いために、ホルムスは生き残ったのだろう。迎撃をするために魔法を詠唱する。
「無理だ。抵抗は無駄だ。何十人の警備兵も、Aランクの冒険者ですら勝てなかった相手だ」
「何をするにしても、ここじゃ無理ね。逃げましょう」
先に行けとボディランゲージで示すと、ニコレッタ達は素直に逃走を始めた。
(中・遠距離から攻撃ができるのが俺しかいないのは厳しいな)
迫り来るオーガとは反対方向に全員が駆け出す。それを許さないとばかりに、オーガは加速すると奇声を上げた。大音量の金切り声は不快感を与え、聞く者に恐怖を植えつける。
巨体からは想像もできない速度で突進してきた。身を屈めながら腕を十字に組んで急所を守る、ボクシングのクロスアームブロックのような構えだ。
対峙させる者に感じさせる恐怖感、本能的に接触を避けさせるそれは、大型トラックか戦車に近いものがある。
トップスピードに乗ったオーガは信じられないくらい速い。通路の壁をがりがりと削り、障害物を踏み躙って接近してくる。
二歩、三歩助走を付けて投擲した。手から勢い良く投げ出されたスローイングナイフは一直線にオーガの元へと向かう。飛来してきたスローイングナイフに対して、オーガは腕で受け止めた。
刃は皮膚と筋肉を切り裂き、突き刺さるが、有効打にもならない。あの腕は防具に使用される鋼鉄よりも硬く、とんでもなく肉厚だ。
(くそッ、筋肉の化け物が)
オーガの後ろには子分のように人間型のアルカストラネが付いて来ている。オーガ型が粉砕、追い散らし、逃げた冒険者も人間型が刈りつくす腹積もりだろう。
俺が立ち止まっているせいで距離はすぐに縮まった。
(タイミングは問題ない――)
照準の標準にしていた場所をオーガが踏み越えた瞬間、詠唱を完了していた魔法を唱えた。
「炎よ、我が壁となれ」
突然地面から伸びた炎の壁は瞬く間にオーガを飲み込んだ。
(よし、直撃した)
後退し、様子を窺おうとしたとき、分厚い炎の壁が揺らぎ、四散した。現れたのは、肉の壁。
オーガの表面は黒こげになっているが、中まで燃えていない。破壊された箇所が瞬時に再生が始まっているのが見えた。
(予想はしていたが、ここまでとは)
ファイアーウォールを力ずくで突破したオーガはガードを解いて、拳を放つ。俺は後退することにより攻撃を回避する。拳は垂直に床へと突き刺り、粉砕された床の破片が周囲に飛び散った。
右手に持っていたスローイングナイフを投擲する。今度は貫通型ではなく炸裂型だ。
オーガの喉元近くで炸裂したスローイングナイフの爆発により、取り巻きの人形数体も巻き添えで爆殺。目を風圧で負傷、胸や喉などの筋の表面が爆発によりもぎ取られて、内部が露出して行く。だが、致命傷にはならなかった。
オーガは崩れた体勢を建て直し、再び俺に向かってくる。傷ついたはずの目は、もう再生が始まろうとしていた。
(評判通りの化け物。だが、中身はどうだ)
肉が剥がれて、むき出しになった頭部目掛け、逆の手で取り出していたスローイングナイフを投げ付ける。寸分の狂いもなく眼孔から内部に深々と突き刺さった。脳という制御を失い巨体は後ろ向きに倒れる。
呆気ない幕引きに、一瞬呆けてしまった。
スローイングナイフを新たに引き抜き、完全に止めを刺そうとしたときだった。動くはずの無い手が壁と床を掴むと、起き上がろうとする。
「なぜ、死なない!?」
頭を潰した、スキルが発動した訳でもない。なのにこいつはまだ動く。無意識に叫んでいた。
「頭部のアルカストラネは死んだようだけど、どうやらまだ何匹も身体にいるね。あれの死因は実験中の薬物死。まだ心臓や脊髄に中枢となるアルカストラネが残ってると思うよ。何匹入ってるかは僕にもわからないけど」
振り向くと逃げたと思っていたクロフトが立っていた。
「何か、手があるのか?」
「まさか、僕は戦闘は専門外だよ」
降参だ、とばかりにクロフトは両手を挙げた。
「くッ――」
(クロフトによれば、最低でアルカストラネ2匹、今なら心臓の方は狙えるか)
業火に焼かれ、表面が更に硬質化をともない再生していく。だが、まだ心臓の周りの筋は再生し切っていない。
(何だ、白いのは――。あれは、まさか骨か!?)
剥き出しになって現れたのは絡み合うように折り重なった白い塊、それは紛れもなく骨だ。
(貫通できるか、いや、考えても仕方ない)
露出した骨を目掛けて再びスローイングナイフを投げ付けた。鈍い音がしてスローイングナイフと骨が衝突する。刃の半分も入ってはいなかった。効果が無い。心臓を鋼鉄のような骨が守っている。
貫通力が劣る炸裂型では表面にしかダメージを与えられない。手持ちの魔法でも火力不足。バスタードソードも力が違いすぎて話にならない。
(魔法もナイフも剣も駄目ッ。全員白兵戦を仕掛けるか? いや、数に勝る警備兵が負けたんだ。少数の俺達じゃ自殺行為。となると――)
俺が下した判断は、逃走だった。
「逃げるぞ。クロフト」
「速いよ、シンドウ君」
「死ぬ気で走れッ!!」
オーガから距離を開けた曲がり角に、ニコレッタ達が待機していた、俺のことを待っていてくれたのだろう。
「オーガは?」
「一回殺したが駄目だった。中核となってるアルカストラネが複数いる。あと何度殺せばいいのかも分からない。特に心臓は最悪だ。発達した肋骨が鎧みたいに心臓に巻きついて、手持ちじゃどうにもできない」
「冗談にもならないわね」
「今は逃げて体勢を立て直すしかない。ホルムス、道は分かるか?」
「任せてくれ」
ホルムスの指示に従い逃走を再開する。後方からは地響きと大音量の奇声が響く。一回、殺されたのがよほど気に食わないようだ。
ホルムスに案内されるまま道を曲がり、通路を進む。石ころのような瓦礫を蹴飛ばし、俺は停止した。正確には停止せざるを得ない。
目の前に聳え立つのは瓦礫の山。それが天井いっぱいまで積み重なっていた。天井が崩落したのだろう。原因はあのオーガと警備兵の戦闘と言ったところか。もしかしたらオーガを生き埋めにしようとしたのかもしれない。
瓦礫の原因も思惑も知らないが、状況は最悪だ。
「道が、崩れてる」
「崩落していたのか」
通路は瓦礫により完全に封鎖されていた。瓦礫を掻き分けて進む時間は無い。
「他に道は?」
「一つ手前に試験場への道がある。ただ、出入り口は一つしかない。それ以上となると、あのオーガをすり抜けるしか……」
通路ぎりぎりの幅のあのオーガの脇をすり抜けるのは、ほぼ不可能だ。良くて数人、最悪で全滅だろう。
「……試験場は広いのか?」
「ああ、ここの階層じゃ一番広い部屋だ」
袋小路だとしても、通路でオーガを迎えるよりは格段にマシだ。
「その実験場に行こう」
来た道を引き返し、一つ手前の通路に入る。 通路の先が明るくなっていた。
「通路の先は明るいな。試験場か?」
「ああ、重要な施設には、非常灯とは別に、緊急用の光源がある。試験場のものは生きているんだろう」
中は通路に比べ、格段に明るい。周囲のものが壁の端から端まで視認できる。隊が実験場に飛び込むと、待ってましたとばかりに人形が襲いかかって来た。
「邪魔だ!!」
鞘に収まっていたままのバスタードソードを引き抜いた勢いで切り殺す。残るアルカストラネもテルマとニコレッタによって仕留められた。
「来たぞ!!」
仲間の冒険者の叫び声と地響きにより、オーガがすぐそこに迫っているのが分かった。暗闇の先から筋肉の壁が競りあがってくる。
入り口に目を向けると、そこにはスライド式の大扉が備わっていた。
「扉を閉めるぞ」
「せーのッ!!」
全員が扉に張り付くと、テルマの掛け声で全員が歯を食いしばり、扉が閉めていく。とんでもない重さの扉だ。
「ううぅう、いつもは研究所の動力を使って開け閉めしているんだ」
「ふっぐっ、そりゃ、職員が閉めるような重さじゃないよなッ」
床に置かれた物を動かすとき、動き始めてしまえば後は簡単だ。勢いに乗り、扉を反対側の壁まで移動させた。
特大の閂を閉め終わったのは、オーガが扉にぶつかったのとほぼ同時だった。扉は一撃を耐え、見た目には何の変化もない。だが、耳は確かに金属が歪む音を捉えた。金属が降伏点に向かうのには時間の問題。
「中で魔法や兵器の試験を行っている。扉も頑丈に作られてるはずだが、長くは持ちそうに無い」
ガンッ。
金属の扉が僅かにだが、歪な円形で突き出てきた。ちょうどそれはオーガの拳で扉を殴ったような形。一発の後は狂ったような連打が待っていた。
「ひぃい、めちゃくちゃに殴ってる」
テルマが悲鳴を上げて、後ずさりした。
実験場の内部に他に出入り口はない。
(何かないのか、何か)
実験場の隅から隅へ視線を飛ばし、何かないか確かめる。逃げれそうな出入り口は無い。棚には工具が詰まれ、テーブルには散乱した製図用紙が積もり、用途不明の機材が並んでいる。
(碌なものが無い!!)
そんな用途不明の機材の中に、白い布に覆われた大型の何かがあった。外に出そうとしたのか、馬鹿みたいなデカイ台車が下に見える。
「ホルムス、これはなんだ? 」
「それは研究所の特殊研究班が管理している……ああ、触っちゃ駄目だ」
ホルムスの返答を待たずに、布の端を持って引っ張る。布は重力に従い地面に落ち、それは姿を表した。目の前の物の存在が信じられない。
(こいつもこの世界に流れて来たのか? 俺と同じ世界のこいつが……!!)
「こ、高射砲。それも8.8cm FLAKだ!!」
かつて俺が社員旅行の際に博物館で見たものがそこには鎮座していた。
第二次世界大戦時、大空を縦横無尽に翔る無数の航空機を地上へ引き摺り落とし、地上の覇者である戦車の装甲を、その長大な射程と正確無比の照準で食い破った当時最も優れた多目的砲。
時代こそ何十年も前の遺物だが、間違いなく俺のいた世界のものだった。
(なんでこんなものがこんなところに――)
「なぜ、君がその砲に付いて知っている!? それの存在を知ってるのは限られた者だけだぞ。ましてや名前なんて」
ホルムスが驚いた様子で俺に詰め寄ってきた。その後ろでは扉をぶち破ろうと、オーガの打撃が響く。
「そんな事してる場合か。デカブツがすぐそこまで来ているんだぞ」
「だが、それは国家機密であり。国宝だ。下手に触れば良くて一生の監禁生活、悪ければ死刑になるぞ!? それに使い方も……」
「ばれなきゃ大丈夫だ。それともホルムスはアレに食われるか? 無事に切り抜けられるのはこいつしかない。こいつの砲弾は何処にある!?」
「砲弾まで知ってるか、専門の保管庫の中だ。しかし、頑丈に施錠されているぞ」
「ニコレッタ、クロフト、鍵を壊す。手伝え」
部屋に放置されていた工具用の棚からハンマーの数本を担ぎ出し、それぞれに渡す。
「ぶっこわすぞ!!」
「あー、僕は力仕事は苦手で……」
「オーガの死体持ち上げてたじゃない。冗談言ってないで打ち込みなさい」
大きく振りかぶってハンマーを叩きつける。手にはじんとした衝撃が跳ね返って来る。
「痛っぅ、どんどん叩け!!」
「シンドウ、なんかテンションが高くない?」
「気のせいだ。それより叩け!!」
3人が順番にハンマーを振り落としていく。繰り返される打撃にもびくともしないで錠はひたすら耐えている。防犯の錠としては優秀なのだろうが、今この場では不必要な機能だ。
「さっさと開け、奴が来ちまう」
「これ凄く痛いよ、シンドウ君」
「文句言うな!!」
繰り返される打撃の中で、ニコレッタの一振りが錠にめり込む。遠心力を最大に利用して繰り出された一撃は金属の錠を食い破った。
「開いたわよ」
甲高い音で地面に錠が叩きつけられる。
「よし。中を漁るぞ。何処だホルムス?」
「そこの棚の箱の中だ。だが、砲弾はこの世界で作られたものだ。正常に作動するかどうか……そもそも試験すら」
「火薬じゃないのか?」
「火薬? なんだそれは、まさかオリジナルの砲弾について知っているのか!? この砲弾はオリジナルを真似して魔法石を粉末状にして利用したもので――」
「し、シンドウ、早く」
クロフトの解説はテルマの叫び声でさえぎられた。
「中身については詳しくは分からない。それよりも高射砲でオーガを撃つ。手伝ってくれ」
「シンドウ、これの使い方が分かるの?」
砲弾を担いだニコレッタが疑問をぶつけてきた。
「なんとなくぐらいならな。昔に手順を読んだ事がある」
「これの手順ねぇ」
俺の一言に、ホルムスは絶句した様子だ。非常時に細かいことなど気にもしてられない。
「どこでそんな手順を……」
戦争博物館の看板に発射手順と本物が展示してあった。英語だったことと、昔の話なので、かなりうろ覚えだ。
砲車を全員で牽引して、入り口に向けて設置する。
右側の前方に付いているハンドルを回し、仰角を向いていた砲身の角度は、だんだんと砲身が下がり、砲の角度は水平となった。
「ホルムス、その右側後方のハンドルを右に回して入り口に向けてくれ」
「まずい。扉が打ち破られる!?」
扉を押さえていたテルマが泣きそうな声で叫んだ。
「ニコレッタ、構造は分かるな。尾栓に指を巻き込まれると指が無くなる。最後はグーで押し込み切ってくれ」
「わかったわ」
「照準あったぞ」
ホルムスの報告で、撃つ準備は整った。今まで砲なんて撃ったことも触ったこともない。心臓が高鳴り、呼吸が荒くなる。短く息を吐き、覚悟を決めた。
「撃つぞ。耳を塞いでろ!!」
本体に張り付くように付いていたレバーを引くと、その瞬間、鼓膜を揺るがすダァァアンッという轟音共に、砲身から発砲炎を伴って砲弾が発射された。
発射された砲弾は壁に減り込むと数秒後に炸裂。試験場全体を激しく揺らした。
反動を逃がすため、砲身が大きく後退、砲車も激しく揺れる。尾栓が横に開き、そのまま熱せられた薬莢を後方に排出された。
「はぁ、何あれ!?」
想像を絶する威力だったのか、ニコレッタが酔狂な声を挙げた。
「駄目だ。横に外れたッ」
破壊されたのは扉の横にある壁だ。その威力は大したものだが、当たらなければ意味が無い。
「次弾装填するぞ。クロフト、弾だ」
「絶対に筋肉痛になりそうだよ」
「つべこべ言わず詰め込め!!」
クロフトが倉庫から担いできた弾をニコレッタに渡すと、薬室内に叩き込んだ。
「今、照準を合わせる」
照準器を覗き込んでいたホルムスが右側後方のハンドルを回しながら、微調整を行う。
調整のために砲身が左へと移動する。それと同じくしてオーガの上半身が扉を突き破り、試験場へとなだれ込んできた。
「修正したぞ!!」
ホルムスから怒号の様な報告を聞いた俺は、再びレバーを握る。正面を見れば、扉からオーガが完全に入り込んでくるところだった。
あらゆる攻撃を跳ね返してきたオーガに取って、正面突破こそ最大の攻撃方法だっただろう。誤算と言えば異世界から俺とコレが流れ着いて来たこと。
レバーを引き、一発目と同様にして発射された砲弾は、難攻不落だったオーガの肉と骨を易々と食い破り、内部で炸裂した。オリジナルは1500メートルの距離で100mmの鉄板を貫通する威力がある。デッドコピー品で大幅に劣化しているとは言え、その威力は絶大の一言。
内部からの圧倒的な力により、オーガの身体は拡散するように弾けた。夥しい血肉が周囲に撒き散らされる。入り口からここまでかなりの距離も遮蔽物もあったのだが、それでも肉片がここまで飛んできた。
高射砲前部に付いていた装甲板には血肉や砲弾の破片がぶつかっている。距離が近ければ返り血で、ずぶ濡れになっていただろう。
硝煙と粉塵が晴れた後に辛うじて原型が残ったのは、足だけだった。寧ろ、あの爆発の中でよく足が残ったとも言える。
「見たか、当たった。当たったぞ!!」
照準器を覗き込んでいたホルムスがガッツポーズを取り、冒険者が雄たけびを上げた。
充満する悪臭と燻る砲煙。ニコレッタと頷き合いゆっくりと近付く。
「流石にもう再生しないわよね?」
恐る恐る近寄り、ねっとりとした臭気が漂う爆心地の上に立つ。注意深く見たが、ピクリとも動かない。どうやら中の死虫ごと爆殺に成功したようだった。
念のためにバスタードソードで何度も突くが反応は無かった。
「死んでる」
俺の一言に気が抜けたのか、ホルムスは砲車の上に座り込んでしまった。
「はは、勝ってしまったよ。あのオーガに」
如何なる攻撃をも跳ね返してきたアルカストラネが操るオーガの死亡。この地下研究所に来て、ようやく希望が見えてきた。
暫く、忙しくなります。
3連続で更新したのでご勘弁ください。