第二十話 暗闇の部屋
ニコレッタは眼鏡の研究者の問いに答えず、ただ、じっと研究者を見詰めている。その視線は憎悪と言った感情では無く、この事態に困惑しているが一番近いかもしれない。
思わぬ場所で、思わぬ人に出会ったのだ。ニコレッタも研究所を訪問した時ならば、もう少しスムーズに言葉も出ていただろう。
「お前ら、入り口で立っていると危ないぞ? 」
何時までも部屋に入らない俺たちに、アルカストラネの襲撃を危惧した冒険者が呼び掛けてきた。
「悪い。今、扉を閉める」
重厚な扉に手を掛けて、そのまま力強く引く。歪んで閉まらないとも思ったが、その心配は無かったようだ。退路も絶たれ、仕方ないと言った様子でニコレッタは動き始めた。
「手一杯なところにこんなのを放り込まれると、嫌になるわね。じっくり話を聞きたいところだけど、そんな暇も時間も無さそうだわ。聞きたいことは幾つもあるけど、私の身体に何をしたの?」
ニコレッタの問いに眼鏡の研究者が直ぐに答えた。
「話せば長くなるけど、魔物のドゥルクでも千年以上生きた個体をヌリュドゥルクと言うのは知っているかい? ニコレッタ君には、適正検査にヌルドゥルクの肝を抽出したエキスを飲ませ、再生力の源であるヌリュドゥルクの器官を埋め込んだ。そこに制御用の魔道具だね」
ドゥルクと言えばレイキャベス滞在中に図書館で読んだ危険生物大百科にも記載されており、爬虫類と両生類の間の子のような姿に、背中から伸び縮みする触手が特徴の魔物だ。正確には触手ではなく、手が退化した器官らしい。
幼生や若い固体の危険度はゴブリンとそう変わらないが、長年生きた個体となると若い固体に比べ身体は数十倍に成長、強靭な触手と桁外れの再生力で生態系の頂点に君臨する。尤も、そこまで成長する前に他の魔物に捕食されるか、冒険者に積極的に狩られてしまう。ドゥルクの新鮮な肉、特に肝などは絶大な滋養強壮があり、珍味としても重宝されているので、一部の上流階級に好まれている。
ちょっとした逸話としては、かつて片腕を失った冒険者が千年生きたヌルドゥルクの個体を食べた際に、失った腕が生えてきたという話もある。こんな話を健康志向が強い貴族や王族が見逃すはずも無く、乱獲され、今では数十年生きた個体でさえ、大変貴重な存在だ。
それなりの答えを覚悟していたニコレッタだっただろうが、あまりの想像以上の答えにぽかんと口を開けたままになった。
内容を咀嚼して結論を出すのに数秒硬直した後、ようやく口を開いた。
「えーっと、つまり私の身体はヌルドゥルクの器官で支えられているって訳ね? 助けられたのは感謝してるけど……はぁ」
衝撃の事実に諦めが付かないと言った様子でニコレッタは呻いた。確かに死ぬよりはマシかもしれないが、俺でも触手は絶対に欲しくない。
「ヌルドゥルクの器官に適応、吸収。強制的な《進化》とも言えるね。そう体に人との違いは無いのだから、少し変わった亜人になったと思えばいいと思うよ?」
眼鏡の研究者がニコレッタを慰めているのか分からないが、俺には苦笑することしかできない。亜人がみんな触手を出すようになったら世も末。喜ぶのは一部のマニアックな性的趣向を持つ人だけだ。当然俺にはそんな趣味は無い。
「気遣ってくれてありがとう。ありがたい言葉、感謝するわ……」
頭が痛くなったのか、ニコレッタは頭を抑えてしまった。
「質問に答えたから、僕からも一つ質問があるのだけど、頼んだ物と制御用の魔道具はどうしたのかな?」
「どちらも宿に置いてあるわ。ただ、制御用の魔道具は戦闘で粉々になってるけど」
「粉々? はは、アレが粉々になってしまったのか、それは残念だね」
『実はそれ俺が壊しました!』なんて言える訳もなく、関係の無い話だと言うように視線を逸らす。勝手な被害妄想か、ニコレッタの視線が『こいつが犯人です!!』と言ってる様な気がする。
「壊れてしまったものは仕方ないね。今回のことでいろいろと知識が増えたから、よしとしよう。ところで、そちらの方はニコレッタさんの友人かな? 僕の事は教授、博士、魔道師、好きに呼んでくれ」
「はぁ…?」
いきなり好きに呼んでくれと言われても困る。呼び方に困りニコレッタをちらりと見ると、ぽつりと呟いた。
「骨眼鏡」
これほどまでにこの研究員の特徴を捉えた言葉は無いが、流石にそれで呼ぶのは気が引ける。本人もその呼び名に乗り気じゃないようだ。
「好きに呼んでくれと言ったけど、骨は、骨眼鏡は嫌だなぁ」
表情を変えないで言うので、あまり嫌がっているようには見えない。
「ここを出るまで、長い付き合いになりそうだ。あまり名前は教えないのだけど、特別だよ。僕の名前はクロフト、よろしく」
「ジロウ・シンドウだ」
差し伸べられた手を握り返す。その手は見た目通り細い。皮膚の下にすぐに骨を感じることができる。そのまま離そうとするが、クロフトは俺の手を握ったままだ。
「どうした?」
クロフトは俺の手を凝視したままだ。
「ふむ、なんだろうね。君の手には色々考えさせられる」
俺の手をがっつりと掴み微笑んだままのクロフトのせいで、全身に鳥肌が立った。そんなフラグは立てたつもりも、立てたこともない。
「うっ、はは、冗談キツイ」
もう乾いた笑いしか出せない。ニコレッタを見るが目線を逸らして助けてくれそうになかった。
「えっと……シンドウ達、相談、終わった? そろそろ話、しないと」
話の切れ目を見て、テルマが割って入って来た。何とも良いタイミングだろう。クロフトの興味がテルマに向いたのか、握られた手はようやく開放された。
「ごめんなさい。もう終わったわ」
ニコレッタがもう済んだと、部屋の奥へと進む。先にホルムス達が室内にあったテーブルに集まっていた。
8人がテーブルを囲む。俺は道具袋に無理やり押し込んでいた案内板を引っ張り出し、無造作にテーブルへと置いた。全員の視線が案内板へと注がれる。
最初に口を開いたのはニコレッタだ。
「一先ず、外部と連絡を取る手段を考えないとね。何時までも此処には居られない」
「それがいい。ここに篭城することはお勧めできない。今はまだ良いが、血の臭いに誘われて、他の区画からあいつらが来るかもしれない。こんなに狭いところにあのオーガが来たら為す術も無い」
意外にも真っ先にニコレッタの話に乗ったのは慎重そうな性格のホルムスだ。よほどそのアルカストラネが操るオーガが怖いらしい。
俺自身もつい最近にオーガと死闘の果てに酷い負傷した。この短期間にその同族と再会したくはない。ましてやこの研究所地下に巣食うオーガはアルカストラネに操られた正真正銘の化け物なのだから――。
「望ましいのは本隊がオーガの駆除に成功していてそこに合流する。最悪なのは本隊がオーガに皆殺しにされ、俺たちがオーガと遭遇することか」
ニコレッタが居るとは言え、残りの冒険者はCランク、ホルムスとクロフトに限っては戦闘を専門外とする研究者だ。オーガ以外にも人間を操るアルカストラネがどれだけいるかも分からない。
「本隊を探して、駄目なら警備室の通信魔道具、もしくは携帯用の通信魔道具で外と連絡を取って、脱出するのがいいんじゃないか? そのオーガってのはここの分厚い扉もぶち破っちまうんだろ。なら籠城しても大抵の扉じゃ持たない」
「確かにな。仮に襲撃に耐えうる扉が有ったとして、救助隊がいつ来るかもわからん。食い殺されるのも嫌だが、餓死も嫌だぞ」
ニコレッタと同じ班の冒険者達も籠城案には難色を示した。
「……何をするにしても、アルカストラネとの戦闘は避けられないな。ここでアルカストラネの人形となっている死体の数は分かるか?」
外部の人間である俺達冒険者には分からなくとも、内部の人間であるホルムスとクロフトなら、予想はつくだろう。
「この階には500人近い人間が閉じ込められた、と警備兵は言っていた」
「アルカストラネが死体を能力で修繕して、操ると言っても限度があるね。原型を留めていないと取り付けないはずだと思うよ。体がバラバラになったり焼かれてしまっているのはもう使えない。少なくて200匹、多くて300匹ぐらいがアルカストラネが操っているんじゃないかい?」
つまり、この階層にはアルカストラネが操る人形が200匹から300匹。それに加え、厄介なオーガ1匹が総数となる。
「俺とテルマで倒した死人の数は20匹程度、道中見たのも入れれば40匹くらいか?」
「私たちの方もそう変わらない。他の分隊も無抵抗でやられてはいないでしょ。本隊もかなりの数を殺ってるでしょうから、残りは100匹かしら? 流石に200匹は残っていないと思うけれど」
戦力の確認は済んだ。後は目標の決定。
「通信用の魔道具は本隊と警備室にしか無いんだよな?」
「恐らくそうだろう。魔道具は高価で貴重なものだ。この研究室にもそう数は無い」
「ここから脱出するには、外部と連絡をとる必要がある」
例え連絡が取れても、危険だということで隔壁が開けて貰えないという事も有りえるが、無用な混乱になるので言わない方がいい。
「俺達は本隊に合流して脱出するか、自力で通信魔道具を見つけて脱出するかだ。この場合はどちらにしても警備室に向かわなければいけない。一応、立て籠もるという選択肢もあるが、立て籠もりたい人はいるか?」
テーブル越しに一人一人確認するが、誰も反対意見は唱えない。
「警備室に向かう、でいいんじゃないかしら?」
話が進むように助け舟を出してくれたニコレッタに頷き、話を続ける。
「で、問題は通路だ。俺達はここが何処か分からない。2人は警備室までの道は分かるか?」
「非常灯のせいで、いつもよりも手間も時間もかかるが、大丈夫だ。研究室までの道は分かる」
「じ、じゃあ、隊列はどうする?」
それまで静かに話を聴いていたテルマが質問をした。自身の足が気になるのだろう。移動には問題ないが、何時も通りに戦闘とはいかないはずだ。
訓練場で習ったことを考えると、先頭と最後尾に手練を配置するのがセオリーだ。そうなると俺かニコレッタしかいない。
「……俺とニコレッタが先頭と最後尾だな。残りで支援を頼む。テルマは足の捻挫があるから中央で2人を見ててくれ」
冒険者全員が返事を返す中、ホルムスが疑問の声を上げた。
「テルマさんは足怪我しているのか? 私は回復魔法を使えるから治そう。出血や怪我の再生までは無理だが、打撲、捻挫ぐらいなら」
技術者とは言え、回復魔法が使えることに俺は驚かされた。流石は魔法の取得率が大陸でもずば抜けて高いヘッジホルグ共和国だ。
「お、お願いする。ありがとう」
ホルムスは床に腰を下ろすと、テルマを手で招き寄せる。
「なぁに、この恩は護衛で返してくれればいいさ。ふむ、テーピングをしてあるじゃないか。……雑だな。よし、テーピングを外して回復魔法を掛けるぞ」
この状況で精一杯虚勢を張っているのだろう。似合わないジョークをホルムスが言う。俺がしたテーピングを酷評されたことで、地味にショックを受けたのは内緒だ。
「光よ彼の者を救え」
回復魔法特有の発光がテルマの足とホルムスの手の間で発生する。どの程度の長さになるか分からないが、これで怪我の心配は消えた。
光を伴い、捻挫を治療するホルムスの後ろ姿を見て、白衣の天使という言葉が脳内に浮かんだ。そうして視線を再び戻す。
(くたびれた白衣、歳相応に弛んだ身体、野太い男の声――はは……現実はこんなもんか)
白衣の天使の理想と現実のギャップに苦笑せずにはいられなかった。