第十三話 研究都市レイキャベス
ウィットルドのオーガや国境線での盗賊との戦闘が嘘だったかのように、レイキャベスへの旅は平穏、その一言だった。
ニコレッタが街で馬を購入したので、レイキャベスまでは二人で馬に乗り、移動を続けた。ガリルド達と馬車で移動をしていた時よりも負担は大きかったが、それでも二人いれば様々な事が役割分担できる。
その上、国土の外縁部や地方ではオーガのような危険度の高い魔物や盗賊の集団がたびたび出没するが、研究所や首都が集中するヘッジホルグ中央部では、魔物や盗賊が優先的に討伐されている為に、雑草のように繁殖力の高いゴブリン程度しか存在していないようだった。
そして俺達は、そんなどこにでもいるゴブリンにも遭遇する事なく、遂に目的としていた都市へとたどり着いた。一度や二度は戦闘があるかもしれないと身構えていたので、はっきり言って拍子抜けだ。
太陽が昇り始めたばかりの街の外で、あっさりニコレッタに別れを告げ、二手に分かれる。根っからの冒険者である彼女は出会いも別れもさばさばしていた。俺も彼女もまだこの街に滞在する。話したくなったり、用があったら直ぐに会えるだろう。
手早く宿の手配とギルドハウスで更新を済ませた俺は、図書館のある方へ歩き出した。この都市は今まで訪れたどの街や都市とも雰囲気が異なる。
街のいたるところで白衣を着た研究者や独特のフードを被る魔術師が視界に入ってくる。ニコレッタが言っていたが、この街では魔法を使えない人間の方が少ないとまで言われているらしい。
ヘッジホルグ共和国は神々の遺産、旧世代の遺物を多数所有。魔法分野だけに限っては、大陸で最も進んでおり、技術力も大陸最強と言われるローマルク帝国を押さえ、二番目だそうだ。
特に、この街はヘッジホルグ共和国でも首都を除けば、最も研究機関と資金が集まる都市。
俺がこうして歩く道も土を踏み固められたものではなく、隙間や段差の少ない石作りだ。道の脇には、荒いながらも排水溝のようなものが見え、高い先進性が街のいたるところで見て取れた。
観察するかのように辺りを見回しながら歩いていると、何度も巡回している兵士と目が合う。俺が見慣れない為か、それとも冒険者と言う仕事柄のせいか分からないが、警戒すべき人物の一人なのだろう。
(下手に目線を逸らしても、挙動不審になるか)
目線があっても気にせず進む。初めて来る人間は俺のように街の目新しさに驚くはずだ。そう考えれば、元々の世界で見慣れていた俺の方が、まだ挙動不審ではない。
ギルドハウスで教えて貰った情報を頼りに進んでいくと、目的の図書館を見つけた。窓が高い位置に付いた頑丈そうな建物だ。入り口には二人の警備が立っていた。
重たい扉を押して、館内を覗く。壁や柱には装飾が施され、天井には何かの戦争だろうか、何かの争いが描かれている。
「あー……」
静かに扉を閉め、靴に付いた土ぼこりや汚れを落としてから館内に再び入る。兵士達の怪訝そうな視線が後頭部に突き刺さるのを無視して、再び入る。
入って直ぐに大きなカウンターがあり、そこには受付だろう女性と警備兵がこちらを見て立っている。
「ご利用ですか?」
受付嬢はお手本の様な満面の笑みを浮かべたが、近くにいた警備兵数人は胡散臭そうな目で集まって来た。
恐らくは、見慣れない怪しい奴が来たと思われているに違いない。ましてや本を読みそうに無い冒険者だ。俺が警備兵でも間違いなく警戒する。
「ああ」
「許可証が無い方は、入場料として5Sと保証金として10Gをお預かりになりますが、それでも大丈夫でしょうか?」
「問題ない」
保証金として金貨10枚を差し出す。平均的な市民の年収に換算したら大金だ。保証金は問題さえ起こさなければ帰る時には預けた金貨は返って来る。そういう訳で、基本の使用料は5Sだ。
活版印刷も製紙の機械化も進んでいないこの世界では本は高級品だ。職人が一枚、一枚、紙を作り、その紙に学者や聖職者が一文字一文字模写していかなければいけない。一冊買うだけでも十数Gが軽く飛んでいく。買う費用考えたら入場料は安いと言えた。
受付嬢はGを受け取ると、後ろの棚に小分けされた箱の中へとしまった。
「館内には刃物や鈍器などの武器の持込は禁じられています。なので、武器等はいったんお預かり致します。お帰りの際に返却いたしますので」
受付嬢の視線はダマスカス鋼製のバスタードソードに向いていた。
「外すから、少し待ってくれ」
ベルトで固定されていたバスタードソードを左腰から外し、図書員の脇にいた警備兵へと預ける。続いてマントをどかして、スローイングナイフが入った腰や胸のホルスターを緩めると、差し出されたカゴの中に押し込む。後は暗器である棒手裏剣や仕込みナイフ、鉄球、そして最後はオリハルコン製の短剣を右腰からホルスターごと引き抜き預ける。
(なんだか捕まって凶器を押収されている気分だな)
俺の身体から次々出る武器に受付嬢は口を開けて苦笑いしている。
「凄いですね。まるで武器庫……これで全部でしょうか?」
もうありませんよね!? といわんばかりに受付嬢は尋ねてきた。
「そうだ」
「一応、確認させて貰います」
受付嬢が身体検査をするはずもなく、屈強な警備兵達が俺の隅から隅までチェックをするために近寄ってきた。
「失礼します」
野太い声が耳音で響くと、ボディチェックが開始された。上半身わきの下、下半身と、大きな手のひらが俺の体を念入りに触っていくのは何とも言えない気持ちにさせてくれる。
「特に凶器は」
「大丈夫ですね。では、館内ではこの認識用のカードを首から下げてください。本の扱いには十分注意してください。破損させると数Gの支払いが生じますので」
受け取ったカードを紐で首からぶら下げる。警備兵と図書員に見守られながら俺は通路を進み、奥の部屋に入った。その大部屋は二階建てとなっており、下から上までびっしりと本が置かれている。
「……凄い量だな」
高いところは台が無ければ届かないだろう。読書をするスペースには、高級な机と椅子が置かれている。俺が室内に入っても、本を読む人々は気にもしない様子で本を読み進めていた。
まともな本を読むのは久しぶりだ。最近読んだ本と言えば、リュブリスの訓練場にあった文字の絵付きの指導書、あれは文字の読めない冒険者の為に大半が絵なので、殆ど絵本のようなシロモノだ。
アレはアレで分かり易かったが、文字が読める者の為に書いた本というのはやはり読み応えがある。
適当な本棚に行くと、表紙を確認しながらその中から一冊取り出して、椅子に座った。頑丈な革表紙を捲り、書かれた文字に目を通す。内容は初歩的なスキルについての本だ。
この本によればスキルとはその道を極めようとする者に付く技能らしい。先天的、後天的に様々な要因でスキルは増えていく。加護の様な形で付くスキルなど、特殊な物も多く、研究者の間でもまだまだ分からない事の方が多いそうだ。この本には、武器などの比較的多くの人が習得するであろうスキルが細かく纏められている。
3時間ほどで読み終わった。同じような体勢で読み続けていたので、体がすっかりと固まっている。
「ふっ、はぁ――」
周りに迷惑を掛けない程度に、軽く上に手を向けて背を伸ばす。こんな風に座って何時間も何かをするのは、この世界に来て以来初めてかもしれない。
結局、俺のユニークスキルである暴食について得られるものは無かった。珍しいユニークスキルの中でも更に特殊なスキルのせいで、まともに本に載っているか怪しい。とは言え、まだ1冊読んだだけだ。
探せば載っている本があるかもしれない。元あった場所に本を帰すと、また本探しが始まった。
赤い革表紙の本には危険生物大百科と誇らしげに書いてある。この手の本のタイトルはよくコンビニなどに並べられていることもあり、懐かしくなって笑ってしまう。
「懐かしいな」
手に取り中身を確かめると、タイトルに反して、中身は真面目なものだった。魔物の特徴を実際に解剖した様子や採取した体から、細かく分析した本だ。
冒険者目線ではなく、研究者目線で見た魔物というのも面白い。この研究者は魔物を危険で厄介なものというよりも、魅力溢れる利用価値のある生物と見ていた。
一度文字を読み始めると、人間というのは止まらないものだ。本来の目的の本では無かったが、冒険者として役に立ちそうな知識が本の中から得られる事が出来た。
「太陽の位置がだいぶ変わったな」
また数時間経ってしまった。本を返し、また次の本を探して席に座る。今度は歴史に関する本だった。
「あのー」
掛けられた声に振り向くと、そこにいたのは、本を管理している図書員だ。
「申し訳ありませんが、閉館の時間です」
「もうそんな時間か」
周りを見れば人の数も減り、館内にいるのは俺のように本に夢中で時間に気づかなかった者と図書員だけになっていた。本が読みづらくなったと思っていたら、ほとんど太陽が沈んでいたのだ。
電気のある現代と違い、暗くなったら電気を付ければいいというものではない。外では月明かりや星明りで文字が読めるが、ここは室内だ。日が沈めば、蝋燭などの照明がなければ本を読むことは出来ない。
「分かった。本を返してから退室する」
「協力、感謝します」
本棚に読み物を戻し、出口に向かうと、そこにいたのは笑顔の受付嬢と――あの警備兵達だ。
「はぁ……お前ら、そりゃいるよな」
小声で呟く俺など気にもしない。おかえりと言わんばかりの再びのボディチェックの後に、保証金と武器が返品された。