第五話 煮詰まりし獣
すっかりと日は沈み、熱せられた液体からはゆらりゆらりと不規則に湯気が立ち込め、食欲を刺激する匂いが辺りを支配していた。
煮えたぎる大鍋を円形に取り囲んだ俺達はその時を待っていた。
「煮えましたね」
「煮えたな」
覗き込むように見ると、大鍋の中には、チェフレンコ達が先ほど森の中で捉えたワイルドボアの肉、野草、香辛料などが入り、煮詰まっていた。
その横には枝をナイフで加工して作った串に、ワイルドボアの肉が刺さり、直火で肉が炙られている。分厚い肉から熱により脂が染み出てくると、表面を伝い地面に落ち、肉が焼ける香ばしい臭いが伝わって来た。
「俺が取ろう。ほら、受け取れ」
「ありがとう」
チェフレンコが鍋の中身を皿に移し、バナやニコレッタにも配り始めた。手渡された皿の中では、大き目に切り分けられた肉の塊がこれでもかという程にひしめいている。
5人いるとは言え、流石に捕らえたワイルドボアの肉を一度に食べるのは至難の業だ。それに残りは少しでも血抜きをしてからの方が美味しく食べられる。出発を考えたら朝までしか行えないが、それでも少しはマシになるだろう。
食べ切れなかった部分は塩漬けにしてからそのままシチューやら鍋に使うか、塩抜きをして干し肉にするのがベストだ。一ヶ月も塩漬けにすれば、熟成した絶品の肉が食べられる。
皿に入った猪肉をフォークで突き刺し、そのまま口へと運ぶ。血抜きが不十分なので若干血生臭い気もするが、それでも野草や香辛料で上手く誤魔化せていた。
「飯でも食いながらの方が話しも進むだろう。色々聞かせて貰えるか? 俺達はヘッジホルグとアルカニア王国間を行ったり来たりをして商売をしているんだ。シンドウとは道中に会ってそれから数日行動を共にしている」
全員が猪鍋を食べ始めたのを確認したガリルドはニコレッタに尋ねた。
「私は……フリーでクエストをしながら未発掘の遺跡探しや遺跡に取りこぼされた遺産の探索していた。危険も大きいけど、稼ぎも大きいから良い仕事だったんだけど、さっきも話した通り、ヘマをしてしまって、それからはさっきも言った通りに。今はギルドカードが無いけど、冒険者のランクはB」
「ニコレッタはB級の冒険者だったのか、俺はDランク。シンドウもガリルドもCランクだから俺達の中じゃ一番上だ」
チェフレンコの話しを聞いていたニコレッタが怪訝そうに顔を歪めた。
「シンドウさんがCランク? 酷い詐欺ね。それ」
咀嚼していた猪肉を飲み込み慌てて返事をする。詐欺とは心外だ。別に好きでCランクに収まっている訳ではない。
「おいおい、詐欺って……それと、さん付けじゃなくて、シンドウでいい」
「分かった。シンドウね。武器を持ってなかったとは言え、一方的にあそこまでやられたら自信が無くなるわ。魔法に剣技に投擲術に、反則だと思うけど」
投擲術は別としても、剣技に関しては、何度も手の肉刺が潰れるまで魔物相手に剣を振り、魔法も数えれないほど詠唱して来た。
「それこそ血反吐が出るほどに迷宮に潜ったからな。数匹で襲い掛かって来るリザードマンなんて特に厄介だった。中途半端な力じゃ鱗は断ち切れない。かと言って大振りで戦えば、他のリザードマンに攻撃される」
「シンドウはそのリザードマンをどうやって倒したの。魔法とか?」
「確かに、対処し切れない時には使ったが、迷宮内で魔力が枯渇すると不味いのとファイアーボールの効きが悪かったから、基本的には剣で速攻だったな。聴覚と嗅覚に優れる仲間がいたから先手を取れたのも大きいが」
「さっき鱗が硬いって言ってなかったか? よく仕留められたな」
疑問に思ったのか、チェフレンコが不思議そうな顔をしている。
「内腕や首の肉が柔らかいから、相手の攻撃に合わせれば、それなりの力で切断できる」
全身から鱗が生えるリザードマンの体は硬く、非常に強固な作りをしているが、構造的にどうしても間接部や首などは他の場所に比べて柔らかく、攻撃が通り易い。現に弱点を理解してからは、一匹のリザードマンを討伐に掛かる時間は半分以下になった。
「リザードマンなぁ、この辺じゃ生息していないから、わかんねぇな。リュブリスの迷宮も一度は潜ってみたいが、機会も無ければ、装備も無い」
「私も国境近くまでは行くけど、基本的にヘッジホルグからは出ないから、リュブリス城塞都市には行ったことがないわね。アルカニアのリュブリス周辺には、ほとんど遺跡は無いか、発掘し尽されてるから」
「やはり、同じ冒険者でも多種多様だからな。傭兵、運送、発掘。中にはランクが低くてもする仕事が専門的過ぎて、ランクと実力が比例していない冒険者やシンドウみたいに迷宮組もいる」
「基本的に僕達はリュブリスとヘッジホルグ間を言ったり来たりして商品を売り買いするだけだからね」
「運送専門は勘が鈍る」
「勘だけで済めばいいが、この前見かけた商隊の冒険者なんて中年太りしていたぜ。あれで巧みに槍を扱うもんだから、笑いそうになっちまった」
ガリルド達がニコレッタと会話をしている間に、俺は猪汁の具をフォークで突き刺し口に運び汁を飲む。そんな動作を繰り返し、1分もしないで皿の中身は綺麗に消えた。
「他に誰か猪汁を盛るか?」
一杯目の猪汁を食べ終わり、煮える大鍋に手を伸ばした俺は、話しの切れ目を見て他の四人におかわりをするか、見渡して確かめる。
「シンドウは食べるの早いな。自分で取るから大丈夫だ」
「私も大丈夫」
見渡すと皆、首を振ったりするなど、おかわりを否定する意思表示をしている。そんな中でタリンだけがじーっとこちらを見詰めて来た。数日間、生活を共にして何となくだが、何を求めているのか分かる。
「……水か?」
「いえーす」
「シンドウ、水ゥ」
便乗したチェフレンコも空になったコップを伸ばしてきた。
「俺は水じゃないぞ。お前らも無言でコップをこっちに伸ばすな。……詠唱するからちょっと待ってろ。ああ、それと適当な入れ物持ってきてくれ」
俺が詠唱を開始すると、チェフレンコが皿とフォークを置き、馬車まで水を入れる容器を取りに行った。
詠唱が完了する前に、チェフレンコがのそのそと片手に水瓶を手に戻って来る。俺の前に置かれた水瓶に魔法で水を溜めて行く。
ある程度水が溜まったのを見て、チェフレンコの持つコップに移して渡す。
「冷えてて美味い。あーぁ、シンドウがこのままパーティに加わってくれれば楽なのにな。強いし、便利だし」
「そうだな。俺らには魔法の才能が無いからな。バナも少しぐらいなら魔法が使えたっけ?」
「水滴くらいなら出せるけど、出したところで使い道がね……せめてコップ一杯くらいの水が出せればいいのだけど」
恥ずかしそうにバナは笑っている。俺も今では強力な威力の魔法が使えるが、最初の頃はマッチ程度の火だったので、決して人の事など笑えなかった。
「バナが水滴程度しか使えないのに、俺達が使えるはずもないな。ニコレッタは魔法は?」
「私も才能が無くて魔法は使えないのよ。練習はしたんだけど、散々だったわ」
「やっぱり難しいよなぁ。そう言えば武器は何を使うんだ?」
「主にハンドアックスとロングソードを使うわね。アックスは力が足りない時とかには便利」
「いいねぇ。ハンドアックスか。俺もバトルアックスを使うが、単純な魔物相手には槍や剣よりも強くて使いやすい」
アックス系の武器はどれも共通して扱いにくいが、それを補い余る程の破壊力がある。遠心力によって得られるその威力は、どうしても力が劣る女性でも十分な切断と破壊が出来るだろう。チェフレンコみたいな大柄な男が使えば尚更だ。
「女だと、どうしても力が足りないんだけど、ハンドアックスなら慣れると力を入れずに魔物の首も楽に跳ねられるからいいわよ。今じゃこんな力だけど」
ニコレッタは近くの枝を拾い上げると、苦笑しながら落ちていた枝を握力だけで握りつぶした。
「うへ、まじかよ。凄い筋力だな。触手は欲しくないが、その力は羨ましい」
「オーガと相打ちになれば白衣の変人がしてくれるわよ……触手付きでね」
気まずい沈黙に耐えかねた俺とバナが目線を合わせる中、その横でタリンとチェフレンコが枝を握り潰す為に力んでいた。
「「ふぉぉお!! ハァ!!」」
食事と後片付けを済ませ、いよいよ夜が更け込んで来た。焚き火を抑え、光が減った森の中で月明かりが主な光源だ。
木に寄りかかり森の中をぼんやりと見詰めていると、ガリルドがやって来た。普段のにやけた笑いではなく、鋭い顔付きだ。
「どうした?」
「ちょっと話があってな。……悪いがシンドウ、夜の間は見張りを頼めるか? ニコレッタを疑ってる訳じゃ無いが、あの四角形の魔道具みたいな物が、まだ体に埋め込まれてるかもしれない。それにニコレッタ1人がああなってるとは限らないからな。何かあった時に俺かシンドウじゃないと対処出来ないだろう。明日は俺とタリンがやるから、今日はチェフレンコと見張りをしてくれ」
暴走気味の3人を纏め上げているのはバナに見えがちだが、ガリルドの対応を見ていると、笑顔や何時もの調子とは裏腹に、人一倍に警戒心が強く、パーティを裏で支えているのはガリルドだろう。商隊を護衛する冒険者のリーダーというのもあるのだろうが、元来の性格かもしれない。
「ああ、分かった。次の町までは3日程度だったな。それくらいの日数なら昼間は仮眠を取って、俺が見張り役をしても良いが?」
「大丈夫だ。シンドウだけに負担を掛ける訳にはいかないからな。じゃあ、今日は頼んだぞ。ああ、そうだ。最近は夜も冷え込んできたからな。焚き火に石を温めて置いたから、適当な布を巻いて使ってくれ」
本格的な冬では無いが、こちらに来たときに比べたら、寒さはだんだんと増している。ありがたく夜中に使わせて貰うのがいいだろう。
「ありがとう。使わせて貰うよ」
ガリルドは手を振り、馬車の方へと歩いて行く。代わりにやって来たのは仮眠を取っていたチェフレンコだ。何時もよりも厚着をして片手にはバトルアックスを持っている。
「んじゃ、朝まで頑張りますか」
眠そうな目を擦り、背伸びをしたチェフレンコは自身の顔を軽く叩き気合を入れた。
「眠そうだな。水でも出そうか?」
冗談口調で尋ねると、チェフレンコは軽く笑い首を振る。
「止めとくよ。こんな寒さでウォーターボールを食らったら寝込んじまう。それにもう大丈夫だ。眠気は覚めてるからな」
眠気を誘う夜鳥と虫達が鳴く中、静かに見張りが始まった。
感想返しが遅れて申し訳ない。
順次返していきます。