第三話 おとぎ話
肝を投げ合った3人に対し、徹底的な洗浄を済ませた俺達は、改めて自己紹介をした後に、移動を開始した。
初めて出会った者同士、もっとぎこちないのが普通だが、ガリルド、チェフレンコ、タリンのノリが良すぎる事から、息苦しさを感じずに移動を続ける事が出来ている。
良く馬鹿騒ぎをする3人だが、Cランクのガリルドを中心として良く纏まって警戒し、荷馬車の護衛に関しては中堅以上の冒険者と言えた。聞いた話ではクエストの殆どを護衛に当てているからだろう。
1人で旅をするよりも遥かに負担が減り非常に助かる。暇な時は交代で見張りにも参加し、主に火付け役、水出し役として俺は大活躍した。運送中は積荷を増やすために余分な水が詰めないのが一般的で、普段から水を節制しなくてはいけない。
風属性や土属性魔法も便利だが、戦闘から食事の支度にまで使える水属性の汎用性の高さを考えると、水属性魔法が使えて、本当に良かった。
世間話しや今では十八番になったアインツヴァルド武術大会での話しなどをして、移動を続けていると、気づけば二日が経とうとしていた。
まだ軽く日が落ちて来ただけだが、夜営に適切な場所を見つけた事から少し早いけれど、夜営を行う事になった。
「僕は荷馬車から馬を外す。チェフレンコとタリンは薪になりそうな物とかまどの石を集めてくれ、シンドウさんは水と火を頼みます。ガリルドは周囲の警戒。全員、気を付けて」
「「「うーっす」」」
バナの指示でそれぞれが行動を始めた。
チェフレンコとタリンは武器を片手に森の中に入って行き、ガリルドは周囲を注意深く見回る。バナも馬が馬車を牽引する為に長柄に固定していたくびきを取り外し、馬の世話をしていた。
俺も眼前に並べられた容器に水を満たす作業の為に水属性魔法の詠唱を始める。何処に行っても水係なので手馴れたものだ。大中小様々な容器に水を入れ、俺も自身の水筒に水を満たして行く。
馬の元に水を持って行くと、勢い良く飲み始めた。
(やっぱり、凄い飲むな)
水を飲む馬を眺めているとバナに声を掛けられた。
「魔物や盗賊の装備を頂き、馬車の警戒や水まで精製して貰って、本当に助かります。町に着いたら食事でも奢らせてください」
「いや、感謝しないといけないのはこっちだ。1人で移動するのは大変だったから、休憩や睡眠が十分に取れるようになって助かってる」
睡眠中に盗賊や魔物に襲われる事を考えたら、このぐらいの手間など当然の事だった。
「僕やあいつらも1人くらい魔法が使えれば良かったのですが、誰も魔法の才能が無くて」
「全員、幼馴染だったか?」
「はい、生まれた頃から一緒に居た奴らですから、腐れ縁ですね。こうやって運送の仕事を始めてもう6年になります。将来は稼いだGで自分達の店を持つのが夢なんですよ。僕は喧嘩も荒事も苦手なので、あいつらに頼りっぱなしなので」
バナは恥ずかしそうに頭を掻く。
「さて、僕達だけサボってるといけないので仕事に戻りましょう」
仕事を済ませた俺がガリルドと周囲を巡回していると、興奮したチェフレンコとタリンが返って来た。
「すぐ近くにワイルドボアがいる。枝が折れた跡や糞があった。まだまだ日も沈まないから狩れるだろう。新鮮な猪肉が食べれるぞ」
「本当か?」
「俺とタリンで確認した。間違いない。直ぐに行ってくる」
干し肉や豆などが食事の大半で、新鮮な猪の肉には凄く惹かれる。狩れれば久しぶりに豪勢な食事になるだろう。
俺は置いてあった装備品を手に持ち、狩の準備をしようとすると、チェフレンコに止められた。
「シンドウとガリルドは馬車を見ていてくれ、留守中、盗賊か何かに襲われたら笑い話にもならないからな。シンドウがいたら盗賊が仕掛けてきても安心だ。オークの巣に棍棒で殴りこむようなものだからな」
妙な例えをチェフレンコが言っている。
「任せろ、俺は元狩猟民族」
タリンはタリンで息を吐きながら誇らしげな顔していた。素直にここは任せた方がいいのだろう。薪や石を置いた2人は狩用の装備に持ち替えている。
どうやら弓が使えるらしく、タリンは盗賊の所持品だったショートボウと矢筒を持ち、チェフレンコと共に森の中に戻って行く。
「何かあったら叫べよ」
バナの呼びかけに2人は後ろ向きのまま、手を振って返事をした。
地面を抉り、森の中を一頭のワイルドボアが疾走していた。その体には斧によって受けた傷が刻まれていたが、分厚い筋肉と脂肪により致命傷を避けている。
ワイルドボアの眼前にはバトルアックスをしっかりと握ったチェフレンコが待ち構える。
「覚悟しろ晩飯ッ!」
飛び込んでくるワイルドボアに対し、斧の端を持ったチェフレンコは恵まれた体格と遠心力を利用し、バトルアックスを振り下ろす。斧は暴走する相手の体を大きく傷つけるが、完全にめり込む前にワイルドボアが横にずれたために、仕留め切れない。
「フゴッ、ゥギィイイイイ」
「あ、待て、逃げるな」
不利を悟ったワイルドボアは逃走に入った。本気で走るワイルドボアの足はかなり速い。慌ててその後を追うが、鈍重なチェフレンコには追いつけず距離が離れる。
そんな猛進するワイルドボアの横合いから高速で何かが飛来し、こめかみに突き刺さった。
突き刺った物の正体は矢であり、それにより仕留められたワイルドボアの足が崩れ、勢いそのままに転がり、地面との摩擦で止まった。
「晩御飯、頂き」
動かなくなった獲物の元に駆け寄ったタリンは、にんまりと笑みを浮かべる。
「はっ、ハァ、仕留めたか」
「うん、さっさと持って帰って食おう」
2人は仕留めた獲物を背負い、荷馬車を止めている場所に向けて歩き出す。
「今夜は久しぶりに猪鍋? 贅沢に塩と野草で焼くのも良いな。一部は燻製にしてもいいか、シンドウが居るから水も十分に使えるし、臭みは取れるな」
久しぶりに豪勢な晩御飯を想像したチェフレンコは、口の中に溜まった涎を飲み込む。
「燻製や干し肉ばかりだった。元狩猟民族に感謝しな」
タリンは持っていたショートボウの弦を軽く引くと、弦で音を出す。そして顔つきを変えて偉そうにした。
「調子にのるなよ。しかし、シンドウには色々世話になったからな。たらふく猪を食わせてやろう」
「胸焼けするまで、ふふ」
そんな上機嫌なチェフレンコとタリンの視界の中に、何かが映った。見間違いかとも思ったがそれは間違いなく人。
そこにいたのは黒い外套を身に纏った女性だ。髪は腰までストレートに伸びた黒の長髪、顔から判断するに歳は20代前後だろう。そして何より特徴的なのは目だ。
その黒い目は、一度も揺るぐ事なくチェフレンコとタリンを見続けている。様子もおかしいが、こんな森の中に女性だけ、それも1人なのは、どう考えても異常だった。後ろにいたタリンも周囲を注意深く観察するが、特に罠があるようにも、誰かが待ち伏せしている様子もない。
「タリン、どうだ?」
「……何も無い」
チェフレンコは小声で尋ねるが、返って来た言葉は自分と同じ、何も無しだ。駆け出しの新米冒険者でも間違い無く掛からない、杜撰な罠を盗賊は仕掛けないだろう。
罠にしては何もかも中途半端過ぎる。2人はこの手の罠を見たことがあったが、その時には周囲に盗賊が潜んでいた。罠ではないとすると反応が無いのは、精神的に傷を受けたからかもしれない。もしかしたら盗賊に襲われ命からがら逃げ出したか――。
チェフレンコはタリンに合図を送ると、猪を置き、無言で立ち尽くしている彼女に近付いて行く。
「大丈夫か…? 何があった? ここは危険だから一緒に来た方がいい。町まで送ろう」
チェフレンコは女性に近付き、優しい口調と手ぶりで話し掛ける。その外套には何の冗談か、変わったファッションか、触るな危険、と書いてあった。緩衝地帯で魔物や盗賊との戦いを行ってきた冒険者だけ有り、発した言葉とは裏腹に女性とは一定の間合いを開け、油断なく武器を手にしている。
それは二歩後ろに控えているタリンも同様であり、目の前の幼馴染に不測な事態が起きた場合、瞬時に対応が出来る状態であった。
一方、そんな2人の状況を知ってか知らずか、女性は沈黙したままだ。
「言葉が分からないか?」
反応が無い女性に当惑したチェフレンコは肩を叩き、更に呼び掛けようとした時、横合いの空間から、何かが高速に迫って来るのをはたと感じた。
「グッ、痛っう……!?」
チェフレンコどころか、数歩後ろにいたタリンも予想外の事に反応出来ず、襲い掛かってきた何かに体を搦め捕られてしまう。
凄まじい衝撃の御蔭で混乱状態のチェフレンコだったが、全身に巻き付く触手とその主を見て、戦慄した。そう、触手を操っていたのはなんと、目の前の女性だった。
「うっ、ぁ…、あ、あァァッー!!」
チェフレンコは恐怖し、腰のリングに下げたバトルアックスを抜こうとするが、体を拘束する触手の所為で全く手が動かない。逆の手で吊り下げてあるダガーに手を伸ばすが、そちらにも手が届かない。
「クソッ、離せ、離せぇッ!!」
どうにか逃れようともがくチェフレンコなど関係無しに、怪物は自らの眼前に彼の体を移動させる。何をするつもりなんだ。自身を触手で持ち上げる女性に視線が釘付けになる。
「自己防衛、し、障害を確認、障害を排除を、か、開始」
唐突に女性の触手の一本が盛り上がって来ると、グッチャ…ッと水気を含んだ音を立てて両側に開き、巨大な口へと変貌を遂げた。
「ッう――う、ムウうぅう!!」
チェフレンコの顔に触手が巻き付き、既に喋る事も出来ない。同じく拘束されたタリンが大声で叫ぶが触手から体が離れる事はない。
「早く、逃げろ。そんな、嘘だろ、チェフレンコ――ッ!!」
ぶちり、という肉を切り裂く破断音と共に、チェフレンコの体は鮮血に染まった。
森には絶叫が響く。
触手フラグ。
出先なので今日の感想返しは遅れます