第二十八話 過ぎ去りし暴風
ローマルク帝国の侵攻を打ち破ったアルカニア王国だったが、その傷跡は大きかった。
「陛下、人員移動に関する書類の許可をお願いします」
「陛下、国境線の警備に対する費用の増額を求める書類が届いています」
「陛下、戦災によるリュブリス周辺の暫定復興計画書が届きました。ご覧ください」
「陛下、リュブリス防衛に貢献した侯爵様が陛下と会食を希望しています。如何なさいますか?」
平時は王らしく模範的に振舞い、面倒な貴族と詰まらない会食や舞踏会など辟易していたが、有事は有事で過労死する程忙しさにアルカニア王国の王はため息を吐いた。権力の集中化は大国への第一歩ではあるが、権力の集中はそれだけ個人の負担が増える。あまりの仕事の多さに逃げ出したい気持ちになるが、臣下は慌ててそれを止めてくるだろう。
「いくらGがあっても足りん。領内に金山でも見つかればいいのだがな」
アルカニア王は自分の下らない想像を吐き捨て、目の前の問題を片付けて行く。そんな長い書類と連絡の報告の後に、臣下の一人が王に耳打ちした。
「北部の鬼人、それに《暴食》持ちか、扱いは厄介だが良い戦力だ」
「攻城戦部隊の襲撃、連隊、大隊の撃破。従属させていた部隊からの連絡とも一致しており、戦果は間違いありません」
「ローマルク帝国軍の一時的に動きが鈍った理由はそれか、約束通り報酬を払ってやれ。下手にごねると後が怖い。それにそんな有力な戦力を国が今得られるのは望ましい事だ。領地に関しては貴族も煩いが、功績を前にしたら大人しく黙るだろう。今は兵力が足りていない。リュブリスの復興には頭を悩まされていたが、これは朗報だ。《暴食》持ちには鬼人から話をして貰うのがいいだろう」
「分かりました。それでは失礼します」
アルカニア王は退出する臣下から机に積まれた書類に目をやった。今日だけで机が埋まるほどの手紙や書類が届いている。
「ノブレス・オブリージュか、嫌味な言葉だ」
アルカニア王は自虐しながら小さいため息を付くと書類に目を通し始めた。
ローマルク帝国による突然のリュブリス侵攻から30日が経とうとしていた。
アルカニアの大規模な増援により、ローマルク帝国軍とアルカニア王国軍は完全に膠着。緊急展開群など全戦力の3分の1をリュブリスに集中させていたローマルク帝国軍に対し、ヘッジホルグ共和国とバルガン国家群が動きを見せ、作戦の失敗と国土の危機からローマルク帝国軍はリュブリス周辺から撤退。それに対し猛追するアルカニア王国軍との熾烈な戦闘が行われた。
今回の戦争で一番得をしたのは間違いなくヘッジホルグ共和国、バルガン国家群、黒鉄の国の三カ国だ。
アルカニア王国は城塞都市を大きく損傷させられ、手前にある防衛施設の大半をローマルク帝国軍撤退時に破壊された。有力な勇者の末裔戦死を初めとする有力な部隊の壊滅を受け、リュブリス方面司令部は防衛構想まで変えなくてはいけなくなった。
ローマルク帝国軍も多額の戦費に加え、代えが利かないワイバーンや精鋭部隊を無駄に消耗し、西部地方軍集団も大幅に弱体化したらしい。
戦わずして最も有力な二つの大国が無駄に消耗した事に対し、他の三大国笑いが止まらない状態だ。
ローマルク帝国との戦いから村に帰って来た俺たちは、浴びるように酒を飲み、食事をした。
この村では独自に酒を作っているらしく、ビールに似た醸造酒や森に豊富にある果実を利用して果実酒などが作られていた。
それ以外にもどこから仕入れたのかワインの大樽が何個もあり、勝利と生存を祝い、大騒ぎで宴会が始まった。
今では、気の抜けない戦いや行軍で疲れ果てた鬼人も冒険者もアルカニア兵も重なるように寝ていた。室内ですっかりと眠り込んだアーシェとリアナを横目で確認して、村の外に出る。
村の中を進むと、運悪く歩哨になってしまった鬼人が村を見回っていた。俺が軽く手を挙げると、歩哨もそれに答えて軽く手を挙げ、返事をする。
そのまま俺は村で一番高台の場所へと向かう。雲も風も無く、星と月が辺りを微かに照らしていた。数個散らばる岩の上に腰を掛け、夜空を見上げる。環境汚染が無いからか、はたまた電気が無いからか、空の星や月がとても眩しく感じる。
「こっちに来て、大分経つな」
無意味に小石を拾い、放り投げる。小石は他の小石に衝突すると弾かれ何処かへと消えた。
そんな時、後ろから気配がする。振り返るとそこにいたのはオサだった。珍しく酔っているのかその顔と特徴的な耳は軽く朱色になり、何時も以上に艶かしい雰囲気を持っている。
「寝れないのォシンドウくん?」
「ああ、まぁな」
「悩み事?」
離そうか悩んだが、俺はオサに話す事にした。
「実は……この国を出ようと思ってる。この国よりも他国のほうが古い遺跡や古い文献を貯蔵している。《七つの大罪》について何か分かるんじゃないかって、このままの状態じゃ駄目だから」
「もしかして一人でイクつもり?」
「……ああ、話そうとも悩んだが、置き手紙だけ残して行く事にしたよ」
「ちゃんと話さなくて良かったの?」
「あいつらは優しいから、話をしたら無理をして俺について来てしまう。俺なんかと居るよりアーシェもリアナも普通に冒険者を続けた方がいい。自分の問題で旅をする。あいつらを巻き込みたくない」
「別に、この村にずーっといてもいいのよ?」
「提案は凄い嬉しい。でも断るよ。もう覚悟は決まってる。オサ、色々ありがとう。あなたには感謝してる」
オサはそれに答えず笑っていたが、何かを思い出したように喋りだした。
「ああ、そうそう。シンドウくんにラブコールが有ったわよォ。相手はお金持ちで家柄が良くて――30代の男性。シンドウくんに夢中なんですって、お話をしたいらしいけど、どうする?」
何時ものようにオサの冗談か本気か分からないが、俺は顔を思いっきり歪める。
「……俺にそっちの気はない」
「あらそう。私や村の女の子がシンドウくんがそういう人だと思って少し心配してたのよォ……いやぁねぇ。冗談よ」
俺が睨むと、今度はおどけたようにオサは笑った。
「徒歩で行くのも大変でしょう。馬と装備一式持って行っていいわよ」
「いくらだ?」
「御代なんていらないわァ。あれだけ鬼人と一緒に戦ってくれたじゃない。寧ろ。それだけなんて詐欺みたいな破格だと思うけど?」
「分かった。ありがとう」
馬小屋に移動した俺達は、馬に、はみ、鐙、鞍を付け、更に大型の道具袋二つを括りつけ、落ちないか引っ張り確かめる。中身や食料など、旅をするのに欠かせない道具だ。
(しっかり固定されている。これなら大丈夫だな)
「次、いつ会えるか分からない。もしかしたらこれで永遠に会わないかもしれない。でもこれだけは言える。あなたと会えて本当に良かった」
「私もシンドウくんと会えて良かったわァ」
大きく頭を下げ、俺は馬に跨り、移動を始めた。一先ず目指すのはリュブリス城塞都市だ。ヘッジホルグ共和国に行くまでに買いたい物もあり、完成したか分からないが、セルガリー工房で注文した鎧もある。
「あーあ、ふられちゃったわァ。こんな時まで疼くなんて無粋な加護ねェ。ふふ、でもシンドウくんも馬鹿ねェ。あの2人相当怒るわよォ。どうなることやら」
朝が開け、祭りの後片付けが始まる鬼人の里の中で、空気が凍り付いている部屋があった。歴戦の戦士であるアランがどう空気を抑えようか考え、ベルンが右往左往し、イスパノは部屋から逃げ出そうとしている。
置手紙が部屋の壁に激突、それと同時にアーシェとリアナは怒りの叫びを上げた。
「ジロウの」
「シンドウさんの」
「「大馬鹿野郎!!」」
「落ち着け、2人とも、シンドウは死んだ訳じゃない、それにシンドウは2人を巻き込みたくなくて」
「巻き込みたくないからって、話もしないで出て行くなんてあほです!!」
「アラン、ジロウが何処に言ったか知ってるの……?」
アーシェがアランを恫喝するように詰め寄り、アランは何も言わずに出て行ったシンドウに呪詛の言葉を放つ。
「い、いや、俺は何も知らない」
「アタシ達に何も言わないなんて――」
「一方的過ぎます。許せません」
「リアナ、私考えてる事があるんだけど」
「アーシェさん奇遇ですね。私も考えていた事があるんです」
「ジロウを」
「シンドウさんを」
「「探して一発」」
「殴るッ!」
「殴りますッ!」
ぴったりと息の合った2人は荷物を纏め始めた。呆れ顔でアランは今後の予定に付いて2人に尋ねる。
「はぁ、リュブリス方面司令部と冒険者ギルドから表彰の話が出ているが、どうする?」
「欠席ッ!」
「欠席します」
「だが、シンドウが何処に向ったか分からないんだろう?」
アランの一言に2人は俯き、うな垂れる。アランの言うとおり、確かに2人にはシンドウの行き先は分からない。
「うぅ……」
「ジロウのアホ……でも何処かに行くにしてもリュブリスに行くはずだから、リュブリスに居るところを捕まえれば――」
言い方は悪いが、この村は辺境にあり、道はリュブリスに通じる1本道だ。そしてどの方向に行くとしてもリュブリスを中継するのが一番早く効率が良い、ジロウもその方法を取るとアーシェは確信していた。
「私と部下が報告の為に一足先にリュブリスに戻りますが、一緒に来ますか?」
部下と共にご近所の修羅場を体験するように聞いていたアルカニア王国の上級中隊長であるバルキアは、一緒に行くかどうか2人に尋ねる。返事は直ぐに返ってきた。
「行きますっ!」
「ありがとう。バルキアさん」
「戦闘の際にはアーシェさんに助けて貰い、戦闘後にはリアナさんに治療して貰いましたから、これくらいの事は」
バルキアはローマルク兵との傷跡が残る右腕を見せながら、2人に言う。
「では早速、行きましょうか、荷物は大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「はい、これで全部です」
自分の荷物を持った二人は、バルキアを押すような勢いで馬が繋いである場所まで移動していった。
暴風が去った後に残されたのは、佇むアラン達だけだ。アランは自分が今まで風属性上級魔法を使って来た相手もこんな気持ちになっていたのだろうか、と考えたが、自分で馬鹿らしくなった。
立ち尽くす男達の中に、何も知らないオサが扉を開けて入ってくる。
「アーシェとリアナは?」
部屋に入り、2人が居ない事に気づいたオサは、部屋に居た者達に尋ねた。問いに対し、アランが疲れ切った顔で答える。
「家出したシンドウを捕まえに行った」
「若いわねェ」
そんなオサの言葉に、半笑いでアランは皮肉るように言う。
「あんたがこの中で一番年下だろうが、何を言ってるんだ」