第二十六話 鬼人の暴風6
「……使うぞ。俺は」
決して大きな言葉では無かったが、それでも俺の言葉に二人は反応した。
「ジロウ、使うってまさか――」
「危険過ぎます。暴走したらシンドウさんが帰れなくなりますよ!?」
「これしかないんだ。このままじゃ俺達は逃げ切れない。2人は先に行ってくれ。俺1人でいい」
追い込まれ、死に掛けて発動するなら自分の意思で、ここで暴食を発動させた方がまだ望みがある。
「時間が無い……頼む。頼むから俺から離れていてくれ」
俺同様に決断をせまられた2人は、苦虫を潰したように顔を歪める。
「アーシェ、リアナ。シンドウの覚悟を無駄にするな」
敵兵を切り刻みながらアランが俺達の前にやって来た。
そのままロングソードを腰の鞘に収めると、アランが2人の手を引き、隊が逃げた方へ進む。
「ありがとう。……頼むぞアラン」
アランに説得され、俺の必死な懇願に、アーシェとリアナは離れていった。
「オサ、アレを使うぞ!! いざと言うときは頼むッ」
「ええ、分かったわァ」
俺から離れた場所でローマルク兵を蹴散らしていたオサに声を掛け。確かに返事を貰った。
「俺から離れろォオ!!」
威嚇するように叫ぶと、これから何が起きるか察した鬼人は勿論、スケルトンまで俺から離れていく。
不自然に俺の周りだけ、味方がいなくなり、敵と俺だけになった。勿論、俺達を逃がすのを許さないローマルク兵は、邪魔な俺を殺し、その後を追おうとする。
「……はぁ」
短く息を吐き、俺はスキルを発動させた。もう二度と発動させたくは無かったスキルだが、俺は確かに自分の意思で発動させた。
「ッゥううウゥウ――!?」
体の内部で血液が濁流のように流れ、全身に寒気が走る。脳内が靄が掛かったように不鮮明だ。けれど全身の感覚は研ぎ澄まされていく。研ぎ澄まされる感覚と強化された肉体に比例して、一瞬でも気を抜くと、何かに意識が持って行かれそうになった。
抵抗を止めるという甘美な誘惑に負けそうになる。長距離走と同じだ。苦しく、足を止められれば、どんなに楽か。だが、一度でも足を止めたら元に戻る事は出来ない。
(ああ、想像以上だ。なんだ、これはッ。クソッ、もうアレは繰り返してたまるか、耐えろ!!)
「ふぅッ――、はぁ、ああァ」
気が狂い、唸る敵兵にでも見えたのだろうか、一人のローマルクの兵士が斬り込んで来た。その目には少しの同情の色が浮かんでいる。
動体視力が強化された賜物か、兵士の動きは良く見えた。迫ろうとする足、小さく鋭く振りかぶった手、しっかりと握られたロングソード。
「っぐふ!!」
頭を左に振りロングソードを避け、予備動作無しに俺はその兵士の鎧に本気で蹴りを入れた。
足には金属を蹴った確かな手応えを感じ、そのまま兵士は衝撃から嘔吐物と空気を撒き散らしながら地面へと叩き付けられた。
「アあ、アァアアア!!!!」
《暴食》に耐える苦しみにより俺は咆哮を上げる。
その光景を見ていた数人の兵士が俺を襲って来た。棒立ちの体勢から軽く屈み、硬い大地を蹴り上げ一気にトップスピードまで加速する。
「来たぞッ!」
先頭の兵士は左手でラウンドシールドを突き出し、右手を引いてロングソードで何時でも突きが出来るように、構えた。
俺は左下段から右上にバスタードソードを叩き込む。ガギャ、という金属の衝突音の後に僅かな抵抗を示しながらも、勢い良くラウンドシールドが持ち上がった。
驚きにより兵士の目は見開くが、バスタードソードの軌道は変わる事はない。兵士の頭部を斜めに両断し、次の兵に目を向ける。
右上を向いたバスタードを手首を返しながら2人目の兵士に斬り付けた。2人目の兵士の対応は悪く俺に対して、攻撃も防御も出来ない。
丁度鎧と兜の間である顎から入ったバスタードソードは抵抗無くそれを両断する。
「このッ」
味方の犠牲を無駄にしないように、胸部目掛けショートスピアで敵兵が突きを放って来た。
ショートスピアの穂先を、身体を横向きにしながら躱すと、柄を引き戻される前に敵の手から奪い取る。
「なっ!?」
一瞬呆気に取られた槍兵だが、ショートソードを引き抜き、俺をなぎ払おうとする
そんな敵兵の行動を無視し、奪い取ったショートスピアの石突きで兵士の喉を突き、悶絶させる。そのまま右手に持ったバスタードソードで兵士を打ち捨てた。
俺に出来る事は、理性を塗りつぶそうとする本能に懸命に耐えながら、敵を打ち倒す事だけだ。何もしていないと崩れそうになる。咆哮を上げ次の相手を探した。
「ァアアアアアア、ニク、ニクニクがぁあああ!!!!! 」
「突き崩せ!!」
十人長であろう兵士の掛け声と共にショートスピアを構えた隊列が俺に迫る。
集団で槍衾を入れて来ようとするより速く強くバスタードソードを振る。俺の上空に切断したショートスピアの穂先が舞った。
「殺せェ!!」
敵兵は直ぐに剣を抜き、対抗して来ようとするが、その行為は俺の行動よりも遅く弱弱しい。
「ぎっぐっ」
「ああ、あぁ……」
数人の兵士を纏めて吹き飛ばし。無事な兵士を流れるような動作で血の海に沈めて行く。
「ニゲロ、ニゲロ、逃げろォ!!!! 来るなら死ぬだけだ。か、ア、あハはハハ!!!」
俺の咆哮で崩れる事を知らなかった敵の足取りが乱れた。
「なんだあれは……」
「落ち着け、手足を潰せ、一撃で殺せなくていい」
後方にいた指揮官が声を張り上げ、俺やオサに対抗する為に指示を飛ばす。
俺と相対していた敵の顔は歪んでいたがそれでも盾を構えながら、隊列で俺を押し潰そうとする。俺はチラりと目線を下に落とすと、そこには俺が殺した兵士が転がっていた。
落ちていた死体を掴み、《異界の投擲術》と《暴食》による補正を受けながら隊列目掛け強引に投げ付ける。70kgはある鉄と肉の塊は、それまで戦友だったであろう兵士を巻き込み、死を振り撒く。
「アアアアアァアアア!!!!」
シールドで戦友を受け止めようとした敵だったが、あまりの速度と質量により、盾を構えていた兵士の腕がへし折れ、直撃した兵士が後方へ吹き飛ぶ。
続け様に死体を投げ付け、完全に隊列が乱れた。
俺は隙が出来た歩兵の中に飛び込み、《上級片手剣B-》と《上級両手剣C》にまで鍛えたスキルを存分にバスタードソードで発揮する。
「アイツを止めろォ!!」
正確に、それでいて最大限の力で振るわれるバスタードソードにより動ける歩兵は直ぐに減って行った。
「ぐっふぅ、ッア」
最後の歩兵の胴部をバスタードソードで貫いた時だった。
「弓隊、撃てぇ!!」
接近戦が危険と判断した指揮官が指示を出し、弓兵が一斉に俺に矢を放つ。
(弓隊かッ)
三十程の矢だが、開けた空間で動作の直後に放たれた矢を全て避けるのは難しい。
バスタードソードで矢を叩きつけながら身体を前後左右に動かし、矢を回避するが、ドスッという鈍い衝撃と共に2本の矢が肩と足に刺さった。興奮状態にあるのか不思議と痛みはない。
だが、確実に《暴食》は俺の理性を蝕む。
「ハァぁ、アアア」
弓兵との距離は30メートル程だ。この状態の俺ならば次の矢がくる前に問題なく懐に潜り込めるだろう。問題は途中にいる歩兵。これにより接近は邪魔される。
スローイングナイフを引き抜き、目の前の歩兵に投げつける。歩兵の中心で爆発したスローイングナイフは隊列の一部に穴を開けた。
「隊列を立て直せェ!!」
左右の無事な兵士が隊列の穴を埋めようとするが、俺はそこに入り込み、バスタードソードで敵兵を薙ぎ払う。
「邪魔ダァアア!!」
傷口を一気に広げた俺は食い止めようとする歩兵を食い破り、隊列を突破した。眼前には弓を構え、射ろうとする弓隊がいた。
(させるかぁあああ!!)
歩兵の時と同様にスローイングナイフを抜いた俺はスローイングナイフを投げ付ける。
投擲されたスローイングナイフが弓隊の中に飛び込み、爆ぜた。スローイングナイフが直撃した兵は即死し、周囲にいた兵も爆風と衝撃により立つ事が出来ない。
「な、何が……」
「うっ、ぐ、爆風!?」
自分の脚と肩に突き刺さった矢を引き抜き、余波によりフラフラと立つ射手の喉下へと突き刺す。
「来たぞッ!」
いち早く攻撃から立ち直った弓兵が抜いたショートソードで斬りかかって来る。最低限の防具しか持たない軽装の弓兵だ。機動性には優れるが、その防御力は脆弱と言える。
バスタードソードが弓兵のショートソードを持つ手を斬り落とすと、そのまま胴部まで切断する。
左右からはショートソードを抜いた弓兵が迫るが、接近戦では先ほど戦闘を行った歩兵よりも遥かに脆い。隊列は直ぐに血溜りに変わった。弓兵を蹂躙しながら次の標的を探す。
後ろからは振り切った歩兵が追い上げてくる。そんな中で俺を倒す為に指示を出していた敵の指揮官と目が合った。
30代ほどの軍人だが、その格好は百人長や中隊長の格好ではない。
(大隊長クラスか、指揮官さえ潰せば――)
それまで斬り合っていた弓兵と歩兵を無視し、俺は一気に駆け出す。その意図に気づいたのであろう、歩兵の一人が叫ぶ。
「イグナール大隊長を狙う気だ!」
迫る俺に護衛が一斉に武器を向けてきた。その中で先頭にいた護衛のハルバード使いが俺に突きを繰り出す。俺はその穂先をバスタードソードで叩くと、ハルバードは横向きになり、斧槍兵もそれに引っ張られて体勢が崩れる。
そんな体勢が崩れた敵兵目掛け、俺は拳を振った。左拳がこめかみにめり込み、そのまま敵兵を後ろに殴り倒す。手から離れ虚空に投げ出されたハルバードを俺は掴み取り、魔力を込めて投げつけた。
投擲には向かないハルバードだが、狂い無く大隊長の下に向う。そんな投擲物を護衛の一人が盾で防いだ。鋭いハルバードが盾にめり込みながらも、溜まっていた魔力が炸裂した。
爆心地にいた兵は引き千切れ、周囲にいた兵士も爆風と衝撃により立っている者の方が少ない。
俺の眼前にはイグナールと呼ばれた大隊長がいた。俺はその首目掛けてバスタードソードを振り下ろす。
大隊長は装飾されたロングソードを引き抜き、俺のバスタードソードの一撃を逸らそうとする。金属の激しい擦れる音の後、競り勝ったバスタードソードがロングソードを押しのけたが、首から軌道がズレて、鎧へと激突する。
高価な鎧なのだろう。斜めに大きく傷が出来たが、断ち切る事が出来なかった。
だが、その衝撃は逃がせなかったようで、数本の肋骨が折れたであろう痛みにより、大隊長の顔が歪んだ。
(防がれた。だが二度目は――ッ)
真横に振ったバスタードソードだが、今度は護衛であろう2人の兵士に防がれる。
「大隊長を後ろに」
「冗談だろ。コイツ」
続け様にバスタードソードを振り下ろそうとするが、追いついた歩兵が俺に殺到し、大隊長を逃がそうとする。
歩兵数人をなぎ払うが多勢に無勢だ。一人の兵士の剣が俺の肩を大きく傷つけた。
「やったぞ。ひぃ――!?」
剣により出来た傷が一瞬で何事も無かったようにふさがる。その様子を目の前で見せ付けられた兵士は声を漏らす。俺は傷を回復させた事で《暴食》が更に暴れだした。
「肉が、肉が、ニクガァアアアアア!!」
肩を傷付けた兵士の首を掴むと、叩きつけるように別の兵士に投げ付け、真後ろから迫る兵士を振り向き様に両断する。
「攻撃が効かない!?」
「何なんだコイツは――ッ」
「一斉に斬りかかれ、崩せぇ!!」
360度、敵兵に囲まれ、急速に怪我が増えていく。
(不味い、これ以上の傷は……)
眼前にいた兵士が俺に恐怖の視線を向ける中、包囲網の一部が魔法により吹き飛んだ。俺はその隙間に敵兵をなぎ払いながら飛び込み、スローイングナイフを地面へと投げ付ける。
心構えが出来ていなかった敵は爆風に耐える事が出来ずに、怯む。
俺はその間に駆け出した。俺の視線の先にはオサがいる。そのまま走り続け、飛び込むようにオサの横に着地する。
「ご苦労様ァ。シンドウくん、引くわよォ」
「はぁ、あアア、ふうぁぐぅう」
無理をし過ぎた所為で頭がガンガンと痛み、《暴食》が目の前のオサを襲えと叫ぶ。既に暴食のスキルを切っているが、止まる気配が無い。
不意に俺はバスタードソードをオサに叩き付けそうになった。それを防ぐ為に俺は繰り返し、バスタードソードを地面に叩きつける。何度も何度も。
「この場の全員が死ぬまで殺し合い続ける? すごく魅力的な提案だけど……村のオサとして、アナタの戦友としてお断りするわ」
オサは俺の目を覗き込むように言う。
「……ふぅ、ふぅふぅうううっぐううゥ」
本能を理性で押さえつけるが、手が、足が、全身が痙攣し、息が荒くなる。
「食べなさい」
オサが差し出したのは携帯食料だ。奪うようにそれを取り、喰らい付く。優に4、5人分はあるであろう食料を喰らうが、それでも押さえ切れない。発作のように《暴食》は暴れ続ける。
自分の道具袋を探し、中にあった水と食料を食べ尽くす。更に道具袋を漁ると、あの鬼人に貰った大トカゲの干物を見つけ、口の中に放り込んだ。
「ふぅ、はぁ――大丈夫だ。このぐらいなら……手間を掛けた。すまない」
「ふふ、別にいいわよォ。……それより逃げましょ?」
俺とオサは本隊を追う為に駆け出す。既に俺達以外の味方は全員が引いていた。
メルキドのような敵の強烈な追撃を想定していた俺だったが、不思議と俺とオサを追う者はいなかった。
敵を素早く発見する為に部隊を二つに分けた事をイグナールは後悔していた。確かに最初は迅速に敵を補足し、別働隊やバトペド連隊が来るまで敵を拘束出来ると思われた。けれどあの2人の敵が現れてから全ては崩れた。暴風のようにこちらの兵を喰いちぎり、そのまま部隊を痛めつけて逃走してしまった。
「負傷者を集めろ」
「追撃が出来る者は!?」
「負傷者だらけだ。クソッ」
「大隊長が負傷を……」
戦闘が行われた森の中では、イグナールの配下である兵士達が駆けずり回り、負傷者を集め、別働隊とバトペド連隊の誘導を行っている。だが、敵が逃走してしばらくの時間が経つ。再び敵を捕捉するのは絶望的だった。頼みの綱のワイバーンも夜では使いものにならない。
「指揮の執れる者は?」
「リュブリス線の戦いであの2人組みの勇者の末裔に指揮官を集中的にやられただろう。もう残っていない」
「ぐっ、っう」
指揮を執ろうとイグナールは立ち上がろうとするが、折れた肋骨が酷く痛み立ち上がる事が出来ない。息をするだけで鈍痛が身体を抜ける。
上官の無理な行動を見ていたエグリルとマティアスは、慌てて止めに入った。
「大隊長、その怪我で追撃は無理です」
鎧の上から斬撃を喰らったにも関わらず、イグナールの肋骨は3本折られていた。
「むざむざ敵を逃がす訳には……」
「大隊長、その怪我で追撃は無理です。追撃は私達が」
マティアスはそう言ったものの、これから日が沈む事から追い付く事は至難の業だと考えていた。エグリルと共にアレの相手をしたが、僅か数回の攻撃を防ぐだけで手一杯だったのは鮮明にマティアスの記憶の中に刻まれている。
あの力と投擲物でも厄介だが、嘘のような瞬間再生能力まで持っている。エグリルを始めとするアレの相手をしていた兵士達は酷い悪夢を見せ続けられているようだった。
「……分かった。負傷者の護衛以外は別働隊に合流し、追跡を続けろ」
「ハッ!」
イグナールの指示を了解した僅かに残った指揮官達は命令に従い準備を始めた。
「ここまでとはな」
戦争とは数の勝負だ。だが、果たしてアレらを倒すには対価、何人の兵士が必要だろうか。無力感に苛まれながら、イグナールは地面の土を握り締めた。