第十九話 契約
大勢の仲間が散り、森を赤く染めた戦いから一日が経った。
昨日までの壮絶な命のやり取りが嘘のように、室内は静かだ。ほとんどの者の怪我も回復魔法が使えるリアナ、バルバナ、メイジャー、そしてメルキドに捕まっていたダリオによって治療されている。
(34人が12人か――)
12人までに減った冒険者と傷付いた装備だけが昨日の戦闘が夢でなかった事を物語っていた。俺は念じ、ステータスを開く。
【名前】シンドウ・ジロウ
【種族】異界の人間
【レベル】35
【職業】魔法剣士
【スキル】異界の投擲術、異界の治癒力、暴食、運命を喰らう者、上級片手剣B-、上級両手剣C、上級火属性魔法C-、中級水属性魔法A、 奇襲、共通言語、生存本能
【属性】火、水
【加護】なし
夜中に何度も確認したが、やはり暴食が追加されていた。
今でも鮮明にその時の感覚を思い出す。全身を凶器で貫かれ、命が失われていった時、全身から込み上げる空腹を遥かに通り越した飢餓感。
誰にも聞こえないように俺は息を漏らす。
「はぁ……」
さっきも名前も知らない冒険者と目が合ったが、その顔はどことなく引き攣っていた。まるで理性では安全と分かっていても本能がそれを拒むように。
本人は無意識かもしれないが、地味に傷付く。それでも。
(そりゃ、そうだよな。自分が食われたかもしれないのに。ましてや異世界から来た得体の知れない人間だ。アーシェとリアナ……)
2人は俺をどう思っているだろうか、自分を殺し、食らおうとした相手を。
(やはり、気分が良いはずないか。嫌悪感があって当然と考える方が普通だろう)
2人の事だ。本当は嫌なのに無理をして付いて来るかもしれない。
(俺はどうしたいんだ? また暴走した時は抑えられるか? ……今考えれば数ヶ月前に森の中でオークとの戦いで感じた飢餓感は、《暴食》によるものだったのかもしれない)
そう考えると、発動条件は肉体が著しく欠損した時だろうか。如何せん《異界の治癒力》と《暴食》の能力の境界がかなり曖昧なので分からない。
(少なくとも肉体的疲労の蓄積で異界の治癒力が発動した時は、空腹にはなるが、飢餓感とまでは言えない。そうなるとやはり重症や瀕死の怪我を負った時に暴食が発動するのか? それとも暴食が異界の治癒力に干渉しているのかもしれない)
スキル同士は干渉し、効果が強まったり弱まったりと変わる。そもそもこれは自動発動するスキルなのか――。
(もしかして任意でも発動出来る能力なんじゃ……アルカニアの勇者の《色欲》場合、能力発動のトリガーが分からないが、話を聞く限り、任意で発動していた可能性が高い)
問題はその反動だ。少なくともアルカニアの勇者は長い戦いの間に能力を使いこなしていたふしがある。そうなると自分から使用した場合は返しが少ないのかもしれない。少なくとも強い意志を持てば耐えられる程度の。
(もう一度あの状態になったら何が起きるか分からない。確かめる為に《暴食》を発動させるのは危険過ぎる。もしも暴走したら俺を倒す為に鬼人にも調査隊にも死人が出るかもしれない。だがどうする。何時までもこのままではいられない)
何分考えても結局、考えが纏まらない。壁に寄りかかり、何分の時間が経っただろうか。
「シンドウさん大丈夫ですか?」
「調子悪いの?」
正面を見ると心配そうな顔でこちらを見上げるアーシェとリアナがいた。
「大丈夫だ。何とも無い。少し考え事をしていた」
(また暴走したら困るか……他人の気持ちを自分だけでうだうだ考えても答えは出ない。聞いた方がいい……のか)
頭を軽く掻き毟る。反対側の手で配られていた果実の欠片を勢い良く咀嚼し、飲み込む。
「あ……」
2人に声を掛けようとした時、話を中断させる形で部屋の入り口から声が響いた。声の方を見ると、鬼人を引き連れたオサがいる。
「大事な話があるのだけれど、集まって貰える?」
2人に投げ掛けようとした言葉を飲み込む。大部屋に散っていた冒険者達は、言葉に従い部屋の中央に集まった。
「何があった? また襲撃者か」
アランがオサに問い掛ける。
「襲撃者という点では合っているわね。前回と違うのは規模だけれど」
「「「……?」」」
オサが何を言っているのか理解出来ない冒険者は、首を傾げる。
「今、リュブリス城塞都市がローマルク帝国の侵攻を受けているわ」
唐突に放たれた言葉は、俺を含む冒険者全員を驚愕させるには、十分過ぎる程の内容だった。
「ローマルクが!?」
「そんな馬鹿な」
「ローマルクって、レネディア大陸最大の軍事国家だよな?」
俺はこの国から出た事は無いが、それでも国の名前や特徴は知っている。
ローマルク帝国は数々の国を併合し、五大国の中でも頭一つ抜き出た戦力を持つ帝国だ。かつて、レネディア大陸最強名高いアルカニアの勇者と戦い続けた国でもある。
「うん、アルカニアは過去何度もリュブリス城塞都市の奪い合いをローマルクとしていたけど、ここ十年は何の衝突も無かったのに――」
アーシェの言葉通り、ここ十年程は小競り合いも無かったはずだ。
「本当よ。今はリュブリス線の第二線を中心にアルカニアとローマルクが衝突してるわ。圧倒的にローマルク側が有利だけど」
オサの言葉に、アランは信じられないと言った様子で呟く。
「この短期間で第一線が抜かれたというのか……早くリュブリスに戻らなくては」
考え込んでいた冒険者の一人がオサに質問を投げ掛けた。
「何故、そんな事が分かるんだ?」
「使える手駒がいるのよォ。そんなに心配なら直接聞いてみたら? 持ってきて」
言葉の意味が分からず、冒険者は顔をしかめる。
そんな冒険者の前に鬼人の男は黒っぽいポリタンク程度の大きさの物を持ってきた。それは複雑にコードと板が絡まり、魔術的要素の集合体と呼ぶに相応しい物だ。
「なんでこんな所に通信用の魔道具があるんですか!?」
リアナがその正体を口にした。
「通信魔道具?」
かつて俺達が迷宮で通信魔道具の部品を入手したが、それだけで数百Gもの値段が付いた。目の前の通信魔道具のランクこそ分からないが、普通の冒険者が一生掛かっても買う権利すら与えられない物だ。
(ここ二日で驚く基準がおかしくなりそうだ)
「アラン、リュブリスの冒険者ギルドと繋げられる?」
「ああ、出来る。……使わせて貰うぞ」
アランはリュブリス支部の通信魔道具とのチャンネルを合わせて、呼び出しを始めた。何度かの呼び出しの後に、唐突に回線は繋がった。
「冒険者ギルドのリュブリス支部。誰ですかこんな時に」
「調査隊のアランだ」
「アランさん!? どうやって通信を……それよりただちに調査を終了してリュブリスに帰還して下さい。ローマルク帝国が侵攻を開始しました。冒険者ギルドのリュブリス支部はアルカニア王国の全面支援を決定。今は一人でも多く手練の冒険者が必要です」
魔道具からはギルド通信手の興奮した声が響く。状況が芳しくないのだろう。後ろからは慌しい人々の声が聞こえてくる。
「調査中に襲われ、調査隊はその戦力の半数以上を失った。襲撃者はローマルク帝国の工作員だ。奴らは一年前から索敵に優れる冒険者を狩っていた。第一次調査隊は工作員により皆殺し、俺達はまんまとリュブリスから釣り出されたんだ」
「まさか、冒険者が狩られていたのは、リュブリスでの観察力に優れる冒険者を減らしたかったからですか――」
「それで、ギルドマスターは今、何を?」
ギルドマスターと言えば、出発前に俺達も会ったレインだろう。
「ギルドマスターはリュブリス防衛の調整をアルカニア王国軍と行っていますが――」
「直接、話がしたい。もしかしたら、増援が得られるかもしれない」
「増援? そんなもの一体どこから……分かりました。少し待って下さい。またこちらから掛けます」
通信が切れたのを確認し、俺はアランに尋ねる。
「アラン、増援ってまさか」
「ああ、オサ達だ。ここまでお膳立てしてくれたんだ。ただの戦闘狂集団って訳じゃないだろう。目的は参戦の報酬か?」
オサは何も言わず、沈黙している。
「いや、違うか……先人の二の舞いにはならない、という事か――それでどうする?」
「条件次第では参戦するわ」
一瞬も判断を迷った様子も無くオサは返事を返した。
「女狐か」
アランの漏らした小さな言葉にオサは反応した。
「嫌ねェ。女鬼よ」
それから五分、魔道具に反応があった。魔道具を操作し、アランは通信を繋ぐ。
「レインだ。話は聞いている。情報不足で調査隊を窮地に送ってしまって済まない」
「もう済んだ事だ。それより本題を――」
急かしたアランに押され、レインは話を始める。
「知っての通り、リュブリス城塞都市に敵が進行中だ。第二線で押さえきれないのは確実。今は少しでも人手が欲しい。それで増援とは何だ? 傭兵団か? 盗賊か?」
「鬼人だ」
アランの放った言葉に少しの間が空いた。予想外の一言に、ギルドマスターも呆気に取られているのかもしれない。
「鬼人だと――? あれは遥か昔に滅んだ一族だが、まさか」
「通信を鬼人と代わろうか? 今俺達の周りには鬼人がわんさかいる」
冗談めいた言い回しでアランは部屋の中を見回す。
「ああ、代わってくれ。……それで参戦の条件は? 領有権? そもそもあそこは未到達地域だろう。それを今更――」
多数の案が話し合われ、否定、推定が繰り返され、それを踏まえてまた新たな案が出されて行く。
時折、リュブリス方面での新情報が部屋に齎されていたが、どれもアルカニア王国側にとって芳しくないものばかりだった。
砦の陥落、部隊の壊滅、後退し続ける戦線。纏められた情報が報告官により紙と肉声で部屋に伝えられていく。
「結論から言えば、ローマルクは通常の行軍速度を超えている。これは錬度の差ではない。この速度は明らかに無理をしている。敵は超短期決戦をするつもりだろう。その為に長期戦になるような装備を一切持っていない」
髭面の男は出席している20人ほどの出席者に語りかける。
「2週間だ。その間だけ持ちこたえれば、数万の増援がリュブリスに着く。敵の補給路を考えたら戦線は一気に平衡状態だ。泥沼になれば超短期決戦の備えしかないローマルク側は不利になる。更に機動性に優れ、精兵揃いの緊急展開群が留守にしている。煩い番犬がいない間に、抜け目の無い他の大国もローマルク帝国に侵攻するだろう。逆にリュブリスが陥落したら他の大国が一気にアルカニアに押し寄せてくるがな」
「そうなると問題は――」
喋り始めた白髪の男に合わせ、それまで黙り込んでいた眼鏡の男も口を開いた。
「はい、問題はローマルクの攻城戦専門の部隊です。梯子、雲梯は勿論、破城槌や投石機による門と城壁の破壊、土属性を扱う魔法使いにより堀は埋められ、地盤を削り城壁の自重で自壊させて来るでしょう。人員と城を傷つける魔法による火力も《魔力の杖》には遥かに及びませんが、それでも強力です」
「攻城戦専門の部隊さえ排除すればリュブリスは持ち堪えられそうだが――前に出てきたこの部隊を討つ為に、我が方の部隊が城塞都市から打って出ても、間違いなく護衛に邪魔されるな。上手く行けば多少の損害を与えられるかもしれないが、部隊は壊滅。最悪の場合は何も出来ずに壊滅。逆に指をくわえて見ていれば、あっと言う間に城が崩されるか」
自らの髭を撫でながら、髭面の男はため息を付いた。
「確か、後方から攻城戦専用の兵器と共に攻城戦専門の部隊がリュブリスへ向かって来ていたな……移動中は叩けそうか?」
「敵は奪い取った第一線の周辺で準備中だ。第二線からその部隊を叩こうにも数万の敵を越えなくてはいけない。第二線の部隊は辛うじて死守している状態だ。打って出る戦力なんて残っておらず、迂回しようにも間に合う部隊は居ない……城壁に取り付こうとする攻城戦専門の部隊を如何に退けるかの方が現実的だろう」
何があろうとも最終目標はリュブリスの死守だ。リュブリスはただの城塞都市では無い。その地方の政治、軍事、生産の中核であり、リュブリス城塞都市の陥落は、その方面の支配権の喪失と等しい。出席者全員はそれを強く理解していた。
だからこそ、ほとんど休み無しで話し合いは続けられている。
暗雲立ち込める会議室に控えめなノックが響く。そして入って来たのは資料と報告を纏めた報告官だ。
「臨時報告です。リュブリス城塞都市で民兵の招集を開始。招集の予定通り行われています」
「七色のユルゲンと白銀騎士団が地崩れが発生していた主道を突破。続いて、襲撃を繰り返していた工作員を共同で撃破しました」
「リュブリス城塞都市内で悪質な流言が流れています。発信者を探していますが、特定には至っていません」
そして報告員は言い辛そうに次の事を言った。
「リュブリスのギルドマスターから直接『鬼人の増援を求むか』という趣旨の通信が……」
「なんだ。それは、この忙しい時に、それよりも兵の装備を……」
意味が分からないと出席者の一人が流そうとしたが、横から入って来た言葉に慌てて口を塞いだ。
「今、鬼人と言ったか?」
急に王に声を掛けられた報告官は返事を返す。
「は、はい。鬼人と言いました」
「鬼人か、どういう状況か分からないが……何度も話すのはわずらわしい。どれ私が直接話を聞こう」
部屋の奥で座っていた王が席を立つ。それを見ていた家臣達は慌てふためく。
「陛下、そんな事を自らする必要はありません!」
「そうです。私が――」
席から離れ、通信室に歩き出した王を家臣の者が慌てて止めようとする。
「決定は私が下すが、策はお前達の方が上手く出せるだろう。結論が出たら呼べ。命令だ」
騒然とする部屋を後にし、足音を響かせながら王は廊下に出た。
通信室一角では、ふざけた光景が広がっていた。
アルカニア王の会話が耳に入らないようにヘッドフォンを使い硬く耳を塞ぎ、またある通信手はわざとらしく尿意を訴え席を立ち、部屋を出ていた。
そして派手な衣装で身を包んだ王が、似合わない通信魔道具を操作している。
外から見たら笑いを誘っているかのような光景だが、通信手達はいたって本気だ。下手に内容を聞いてしまったら何が待っているか分からない。
魔法石で出来た呼び出しのランプが光る中、アルカニア王は通信魔道具の操作を始めた。習った訳ではないが、配下の者が操作するのを散々見てきた。
操作を完了し、王は口を開いた。
「責任者だ」
「初めまして、鬼人族の長です」
少しの空白の後に王は言葉を続ける。
「悪戯かとも思ったが、ここまでする大馬鹿者もいまい」
「責任者と言いましたが、どこまでの?」
「全てだ」
「そうですか、それなら話は早いですねェ」
「鬼人か。古書でしか見た事は無かったが、実在していたとはな。北東部で魔物が急増し、ゴブリンの数だけが減っていると思ったら、そういう訳か」
「きっとゴブリンも身を隠す知恵が回るようになったのではァ」
鬼人の長の言葉にアルカニアの王は軽く笑った。
「はっ、ぬかしおる。それでそちらの戦力は」
「一騎当千とは言いませんが、ローマルク帝国の兵士を5人、10人ほど容易く殺し尽くす者が千以上」
「ふぅん、面倒な腹の探り合いなど無用だ。無理なら無理と申す。要求を言え」
「アルカニア王国の保護、リュブリス北東部の領有権、戦果に応じた報酬」
「いいだろう。それで契約だ」
「随分とあっさりと決めるのですね」
「こんな時に間抜けな腹の探り合いなど出来るか。安心しろ約束は反故にしない。冒険者ギルドを仲介の証人にしても良い。後は私の捺印の入った誓約書でも送ってやる。戦術は苦手だ。後は専門の者に任せる」
「参謀、貴様に一つの部隊を任せる。細かい事は任せるが、相手はあの鬼人だ。騎士が千人いると思い作戦を立てろ」
「ハッ!」
指示を受けた参謀は椅子に座り、鬼人族の長と話を始めた。
会議室に戻る通路で家臣の一人が王に疑問を投げ掛けていた。
「失礼ですが、あのような者達の言葉を信じるのですか! 素性も知れない奴らの言葉です。それに参戦が本当だとしても、その能力があるかどうか――」
「狂犬の一つも扱えないで、アルカニアの王など勤まるか。追い込まれているのはこちらの方だ。使える物は全て使わなくてどうする。あの一帯は未到達地域。土地も税も元から無いものと等しい。報酬も出来高だ。土壇場に優秀な傭兵団が入ったのと変わらないだろう。全てか、一部が嘘なら嘘で後で考える。これ以上は状況が悪くなる事はない」
「しかし、そもそも鬼人など――」
「お前は頭は良いが一部の学問に傾倒し過ぎだ。歴史から我々が学ぶ事は大きい。遥か昔、鬼人族はある国に戦争を仕掛けた。勿論、国を相手に一地方の少数民族が勝てるはずも無く滅んだ。だがな、神出鬼没の鬼人を討伐するのに軍を投入し過ぎた所為で、ローマルク帝国に併合されその国も滅んだ。相手にするには数千の盗賊よりも性質の悪い奴らだ。そいつらが進んでローマルク帝国と戦うと言っている。かつて滅んだ同族とは違う道を奴らは進むつもりだ。大国の後ろ盾が欲しいんだよ。恩が売れる最大のタイミングで自分達を売り込んできた。それだけだろう」
「……過ぎた事を言い申し訳ありません」
全てを納得した訳ではなかったが、家臣は王に頭を下げ謝罪した。
「謝らなくていい。お前のように慎重な者もいなければ、組織は成り立たない。それよりも防衛だ。打てる手は全て打つ。それで、ヘッジホルグとバルガンとの話はどうなっている」
「バルガン、ヘッジホルグ両国はローマルクとの国境線にも兵を集めています。ヘッジホルグは《魔力の杖》を動かす準備を――」
奇襲で幕を開けたリュブリス攻防戦の二日目の朝、戦いは更に加速しようとしていた。
ズルズルと書いていたらまた文章が……
最近は8000文字前後くらいが多いです