第十五話 ハイゴブリンの日常3
風と共に突然現れた女に、その場にいた全ての人間の目線が向けられた。
長い緑色の髪にじゃらりと付いた複数のミスリル製のピアス、特徴的なのはその爬虫類のような鋭い目だ。
「あぁ、ゴブリン、肉、にく、ニク!? アア!?」
シンドウは興味が失ったようにアーシェに背を向けると、女と向かい合う。
「獣人さん、投擲使いさん、今日は魔法剣士さんはいないのねェ。暫く見ない内に随分逞しくなったじゃない」
女は楽しそうに語りかける。その相手の一人の理性が働いているかなど関係の無いように。
「だ、誰……?」
「誰って酷いじゃない。あんな熱い日を忘れたの? いいから離れてなさい。巻き込まれるわよ」
「アーシェ、離れるぞ」
アランがアーシェの腕を引っ張り森の端へと強引に移動させる。
「でもジロウが……」
「シンドウでさえ抑えられなかったのに、あいつらまで相手にするのは今は無理だ」
シンドウの焦点の合っていない目は女の方へ向けられていた。
そして女の後ろからは人影が一人、また一人と増えていく。30人ほどのその集団は装備は手製の槍から弓、大剣と様々だが共通して尋常ではない殺気をシンドウへと放つ。
「ただの狂化じゃない。人の意思を捻じ曲げ汚していく、もっと歪で強力な能力……ふふ、そんなのアレしかないじゃなぁイ」
女は自分の体を抱きながら身震いする。
「オサ」
後方に控えていた男の一人が確認するように女へと尋ねた。
「必要ないわァ。引いていなさい。直にベルンが獲物を持ってくる」
「しかし、アレは……」
取り巻きの男達がそれでも前へと出るが、オサと呼ばれた女はそれを愛おしそうに、それと同時に聞き分けのない子供に言うように言葉を放つ。
「ありがとう。でも退いて、貴方達じゃ無理。……喰われたいの?」
笑顔で語りかけてくるオサを前に男達は後退りする。彼らにとってオサのこの顔は遺跡で見た以来、二度目だ。
「ァア?ッアアアアアアア!!!」
「さぁ、おいで、遊んであげる。アハハハハハ!!」
森に2人の笑い声が響く。人を破滅に導くデュエットが始まった。
シンドウは近くに生えていた太い木をバスタードソードで切り倒すと、そのままバスタードソードを地面に突き刺し、強引に大木を投げつけた。
「土よ、我が壁となれ」
大木は横向きに集団へと向うが、オサによって作られた土壁によって防がれる。そしてそのまま土壁は崩れ落ちると、幾つかの土塊となり形を作られていく。
「土よ。その姿を変え、我が忠実なる僕となれ土人形」
「無詠唱!?」
連続、それも無詠唱で唱えられた魔法を目の当たりにしたアランは声を荒げて驚く。無詠唱魔法は魔法使いの中でも最上級の限られた者しか使えない。
実際、今までのアランの冒険者生活で、無詠唱で魔法を使う者を見た事は10人もいなかった。
大木を使った攻撃が失敗したシンドウは、肉弾戦を仕掛けるためにオサに向けて走る。
オサにより精製された四体のアースゴーレムは、襲撃者を迎撃するために動き出した。その巨体を利用して包囲すると、一斉に攻撃に移る。
三撃、四撃と繰り返される打撃だが、シンドウはすり抜けるようにその拳を避けて擦りもしない。それどころか攻撃していたはずのアースゴーレムが逆にバスタードソードと拳により削られていく。
体の勢いを使いバスタードソードを振ったシンドウの一撃は、アースゴーレムの上半身と腕を一度に斬り落とす。シンドウはそのまま虚空へと投げ出された腕を掴み、投擲した。
「――!?」
放たれた腕は別のアースゴーレムの頭部へと衝突し、その腕と頭が交じり合いながら吹き飛ばす。
「―――」
真後ろにいたアースゴーレムがシンドウの背中側から拳を振るが、シンドウは視線を合わせることなく左腕によってその拳を受け流し、巨体に飛び乗る。
「ァァア、土、つち」
アースゴーレムが体から振り落とす前にシンドウは左腕で、勢い良くその首を引き抜いた。
最後に残ったアースゴーレムがラリアットをするように横向きに腕をなぎ払うが、仲間の残骸にしか当たらない。虚空へと身を投げ出していたシンドウは回転しながらバスタードソードを振り下ろし、その巨体を両断した。
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
崩れ落ちる土の巨体ごとシンドウに巨大な火球が迫る。その残骸に衝突し、爆発したファイアーボールはゴーレムごとシンドウを爆炎で飲み込む。
ゴーレムを中心に巻き起こる粉塵と踊る火だったが、その中から勢い良く何かが飛び出し来た。
それはアースゴーレムの頭部だ。シンドウによって投擲された頭部はオサに迫るが、ロッドによって叩き砕かれる。
「あのタイミングで直撃を回避する身体能力もそうだけど、異常な回復能力……いや、瞬間再生。どこまでやったらアナタは死ぬのかしらァ?」
燃え盛る業火の中で平然と立ち尽くすシンドウを見てオサはぽつりと投げかけた。それに答えるかのように業火の中からシンドウは躍り出る。
「風よ、敵を切り裂け」
勢い良く振られた風の刃がシンドウへと迫るが、バスタードソードで強引に風の刃を捻じ伏せ、オサへと猛進を続ける。
もう少しでバスタードソードの射程距離にオサが入り、シンドウが下段の構えをとった時、森に突風が吹き一気にオサが加速した。
「風よ敵を置去りにしろ」
シンドウの力が発揮される前にバスタードソードとロッドがぶつかり、互いに弾き飛ばされる。オサはそのまま魔力の帯びたロッドを突き出すが、獣のような身のこなしでシンドウはその攻撃を避ける。
不完全な体勢からシンドウはバスタードソードを繰り出し、そのまま連続で斬撃を繰り返していく。
「ニク、ニク、ニクゥウ!!!!」
「はは、いいわよォ。最高じゃない!!」
甲高い金属音が擦れ合う音が森に響き渡る。
薙ぎ倒される木々、砕かれる岩、数分間繰り返される圧倒的な力の攻防。だが、それも段々とシンドウの有利へと傾いて来た。
オサも魔力を込めたロッドでバスタードソードを防ぎながら攻撃に出るが、シンドウの身体能力と剣術を前に綻びが見えてくる。
バスタードソードを避けたオサにシンドウは蹴り放つ。オサは軽いバックステップで下がるが、頭上から叩きつけるようにバスタードソードが迫る。
「純粋な力だけだと分が悪いわねェ」
オサはロッドをバスタードソードに合流させ、ロッドの表面で滑らせるようにバスタードソードの軌道をねじ曲げた。
そうしてバスタードソードを逸らした勢いのままロッドを地面へと叩き付け、魔力によって土埃をシンドウへと放つ。
その攻撃は大したダメージも無く、シンドウの視界を一瞬遮るだけだったが、オサにはそれで十分だった。
「水弾よ敵を薙ぎ払え」
手から放たれた水球はシンドウへの足元へと衝突し、その体勢を崩す。そこにオサはロッドを振り下ろした。
咄嗟にシンドウは左手を突き出し、魔力を帯びたロッドを防ぐが、その一撃で左腕は使い物にならなくなるまで傷つけられる。
だが、今のシンドウにとってそれは大きな問題ではなかった。
傷つけられた瞬間から左腕の再生が始まり、何事も無かったかのようにシンドウはオサへと斬りかかる。
「氷よ、我が壁となれ」
目の前に出来た氷壁をバスタードソードで砕き、破片と共にオサへと飛び掛る。そんな壁を崩されたはずのオサは笑っていた。その目線は濡れたシンドウの足元へと注がれている。
「氷よ、我が壁となれ」
再度、重なるように形成されていく氷壁にシンドウは飛び退く。
氷壁の範囲から逃れたシンドウだったが、ウォーターボールにより濡れた下半身が一瞬にして凍りつく。
「ニク、ニクがぁァ!!」
けれど、この程度の氷であればシンドウは動ける。問題だったのはそれにより動きが僅かに鈍り、避けられたはずの攻撃が避けられなかった事だ。
「氷よ、我が壁となれ」
三度、唱えられた魔法によりシンドウの半身は完全に氷に飲み込まれた。
「ァアアアアアアア!!!!」
それでもシンドウは脱出する為に一撃で氷を砕き、身を捩るが、そこに新たな氷の壁が殺到する。
「氷よ、我が壁となれ」
「氷よ、我が壁となれ」
「氷よ、我が――」
「ふふ、動けなくなっちゃったわねェ。魔力と投擲物が十分にあれば、結果はまた違ったかもしれないけど」
度重なる氷魔法により、氷付けにされたシンドウは身動きが取れずにいた。
オサは頭だけ出たシンドウの頭を額から頬に掛けて撫でる。
唯一自由の利く首だけを動かしシンドウは噛み付こうとするが、歯が届くことは無い。
「ふふ、そんなに私が欲しい? ダメよ。食べさせてあげない」
倒れ込んでいたリアナだが、自身に回復魔法を掛けてシンドウの元へと駆け寄り、アーシェとアランもそれに続く。
「助けてくれてありがとう。でもお願い、ジロウを殺さないで……」
「お願いします。シンドウさんを殺さない下さい」
必死なアーシェとリアナを見たオサは二人に笑い掛けた。
「ふぅん。この人、シンドウ君って言うんだ。大丈夫。殺さないわァ。でも取り敢えず付いて来て貰おうかしら? こんな所にいると魔物に襲われちゃうわよォ?」
「ありがたい申し出だが……」
アランの言葉は最後まで発する事は出来なかった。
「今のアナタ達に選択肢はない。どういう意味か分かるわよね」
「……」
アランとオサはお互いの顔を見合わせる。
そんな二人の後ろで、氷付けにされたシンドウは体に力を込め逃げ出そうと暴れる。
「さて、別にその辺の死体を食べさせてもいいのだけど、本人が同族を喰らうのを嫌がってるし、それが最善の選択とは言えないから……」
「オサ、来ました」
「ふぅん、丁度いいわね」
オサの目線は森の端へと向けられる。アラン達も同じように目を向けるとそこには武装し、何かを背負う一団が居た。
その一団は、シンドウの横に立つオサの元へと駆け付ける。
「何ですか、コレ……」
全員が屈強な体を持つ一団の中で更に頭一つ分デカイ男が前に出て、怪訝な目でシンドウを見る。
「ベルン、不用意に近付くと食い千切られるわよ。早く狩った獲物を投げなさい」
「コレにですか? うぅ、今日の晩飯が……」
「あら、嫌なら別にイイわよ、アナタが喰われたいのなら」
「……スミマセン。何でも無いです」
シンドウの前に置かれたワイルドボアを男達が手早く解体していく。
「ハイ、あーんしてねぇ」
暴れるシンドウの口にオサは切り取られたワイルドボアを押し込む。
口内を肉で一杯にされたシンドウは即座に肉を咀嚼を始め、次々とワイルドボアを平らげて行く。
「オサ、それをどうするんですか?」
それをまじまじと眺めていたベルンは、オサに質問を投げ掛けた。
「ふふ、ペットにするのよォ」
「えっ?」
「そんな、駄目ですッ!!」
絶句するベルンやアーシェ達にオサはクスリと笑掛ける。
「……嫌ねェ。冗談よ」
数頭のワイルドボアを食らいつくし、遂にシンドウは動かなくなった。
凍漬けからのお持ち帰り。
第四章は長くなりそうです。