第十三話 暴食
暗転する世界の中でどこか懐かしく、それでいて楽しげな声が響いた気がした。
厄介な投擲使いであり、マジックユーザーであるシンドウを仕留めた三人は、勢いよく体に刺さった獲物を抜く。
斧から手に伝わる感覚、そして飛び出す臓器や血から確実に仕留めただろう。と三人は考えた。
(次に倒すべきは相手は獣人だ)
既に獣化した獣人は味方を薙ぎ払いながら暴れ続けている。斧を持った男は魔物使いに合図を送り、駆け出そうとした。
「ひっ、ぐっ、ぎぃ――」
ブチッ……ぐちゃ、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ、ぐち、ぐちゃぐちゃ、ゴリッグチャグチャグ――。
突然聞こえた咀嚼音に男は振り返る。大方、獣使いのホーングリズリーが敵の一人に噛み付いたのだろう、と思っていた。だが、目の前の光景に男は絶句することしか出来ない。
魔物使いは体を縦に切断されて在り得ない断面を披露し、魔物使いのホーングリズリーの喉元が食いちぎられ横たわっている。
しかもそれを実行しているのはさっきまで臓物をぶちまけ、死が確実に迫っていたシンドウだ。体は自身の血と返り血で真っ赤に染まり、傷跡は嘘のように消え失せている。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイッ!!)
男は仲間の仇という程熱血でもなく、仲間が殺されて黙っている程冷血でもない。それでも瞬時に動くことが出来たのは、本能が全力で危険だと叫んでいたからだ。
それは実証された。男の体が引きちぎられるという行為を持って。
「じろう……?」
アーシェの問いにシンドウは焦点の合わない目で見る。そして笑った。
「アあ、腹ヘっタ。肉? にく? ニク? ニクニクニクニクニク。ハラヘッタ食べル。タベル。全部食べればいい。嫌だ。不味い。イヤだ。食べろ。嫌だ。食ベロ。タベロ!! ニク!! ニク!! ニク!! あは、アッはハハハハハハh」
圧倒的な狂気を含んだ笑い声により数十人による殺し合いが一瞬、止まる。
「シンドウさん生きてた……でも獣化? いや狂化、ですがこれは余りにも」
リアナの呟きにアーシェも同じ事を考えた。アーシェは村で獣化を、戦場で狂化を見たことがあったが、あまりにも狂気の質が違い過ぎる。
辛うじて人間の言葉と分かる声でシンドウは吠え続ける。
本能に恐怖をすり込まれる咆吼を前に、周りに居た構成員はようやく動き出す事が出来た。
「は、早く撃てよ」
誰が言ったかは分からない。だがマジックユーザーであるエリサと射手は直ちに弓と魔法を放った。
矢は真後ろから放たれたにも関わらず、上体を逸らし避けられた。だが、エリサの放ったファイアーボールはシンドウの足元で爆発を起こした。
「やった!!」
魔法が足元で爆ぜた事により、シンドウは炎に呑まれる。今まで燃やしてきた人間同様に燃えるシンドウを見たエリサは安堵し喜んだ。
だが、その炎の中を見た瞬間、その安堵は吹き飛んだ。
常人ならば泣き叫びながら燃え尽きて行く炎の中でシンドウは笑っていた。そして口を動かし、何か言う。
それを不幸にも読み取ってしまったエリサは恐怖に支配され、絶叫する。
「ひぃ、いや、いや!!」
「あは、アハハハh」
シンドウは炎を振り切るような速度でエリサへと迫る。
「下がれ」
そんなエリサとシンドウの間に前衛職の構成員が割り込み、そのままシンドウへ挑んだ。三人の共通意識は食われる前に殺せ。ただ、それだけだった。
重戦士がシンドウの頭部を粉砕する為に重い盾を構えながらメイスを持ち飛び掛かる。まだシンドウは動かない。
「喰らえ」
このままいける、そんな事を考えていた重戦士の目は、シンドウの手に握られた物を見付けた。
それは引き千切られた鎧。今までの追撃中に仲間に起きた事、それが意味する事に重戦士は気付いたが、振りかぶるシンドウを止めることは出来ない。
「やめ――」
投擲物と化した鎧の一部は重戦士の頭を吹き飛ばし、重戦士の頭蓋骨と脳漿が後続の盗賊へと襲いかかる。
「っう、何!?」
女性特有の長い髪が風で揺らぐ。飛び散った破片で視界が遮られた盗賊がこの世で感じた最後の感覚は、風圧だった。
視界が赤で埋め尽くされる。目の前で自分よりも強かった2人が瞬殺された。だが、既に止まるに止まれない剣士は絶望しながらも生きる為、ただそれだけの為にシンドウへと斬り込む。
「ちくしょうッ!!」
ロングソードとバスターソードが交差し、腕ごとロングソードはあらぬ方向に吹き飛ぶ。それでもタックルする形でシンドウにクリンチをしようとするが、前蹴りにより地面へと蹴り飛ばされる。
「げっはァ」
剣士が立とうとするより、バスタードソードが迫る方が早かった。そのままバスタードソードで逆袈裟斬りにされた剣士は背骨を除いた全てを切断され、生き絶える。
「あぁ……」
既に自分に迫るシンドウを防ぐ人間はいない。それを自覚してしまったエリサの精神はおかしくなりそうだった。
「いやだ、嫌だ。来ないで!!」
少しでも距離を取るために腰が抜けた身体で逃げようとするが、シンドウとの距離が離れないどころか急速に距離が詰まって行く。
エリサはロッドを振り回し、抵抗するが何の意味もない。今まで追い詰めた人間が立って逃げないのが不思議だったが、エリサは今やっと理解する。
「ひっ、来ないで、来ないで、来るな!! いやあぁああ」
エリサの絶叫が途切れた事により、森にいる全員が何が起きたのかを理解した。
「こっちに来るぞ!?」
「冗談じゃねぇぞ。あんなのと戦えるか」
「おい、どうするんだよ」
構成員の間に恐怖が伝染していく。既に調査隊との戦闘が疎かになる程だった。そんな恐怖の連鎖を止めたのはジグワルドだ。
「狼狽えるな!! こいつは俺が殺す。バルト、ハボック、エルナー、エリンダやるぞ。残りは調査隊を殺せ」
ジグワルドの一喝で落ち着きを取り戻した構成員は調査隊との戦闘を再開する。
ジグワルドはシンドウを睨む。ユニークスキルに魔法と剣技を組み合わせた戦闘スタイルは脅威だったが、今はその比ではなかった。
戦場にいるだけで士気を下げ、敗北を齎す存在。
「魔人が……」
生成したアイスランスを放ち、それが合図となってジグワルド達はシンドウに向けて走り出す。
シンドウはアイスランスを軽々と回避すると冒険者としての経験か、本能としての勘か、それに答えて駆け出す。手にした死体を投げ付けながら――。
投擲物と化したエリサの死体がジグワルド達目掛け飛来する。
いくら女の体と言えど、装備を含めれば50kgを優に越す。それがオーク以上の力と最上級投擲スキルで投げられた。当たれば怪我どころでは済まないのは誰の目に見ても明らかだ。
「避けろ!!」
ジグワルドの叫びで射線上から他の構成員達は回避するが、不幸にもエルナーのラウンドシールドにエリサのローブが引っかかった。
エルナーは咄嗟にラウンドシールドを捨てたがそれでも既に遅く、音を立てながら腕があり得ない方向に向き、音を立て折れた。
「いてぇええ!!」
それでもエルナーは歩みを止めない。この相手は一刻も早く殺さなければ危険だからだ。怪我は何時でも治せるが、こいつだけは直ぐに殺さなければいけないからだ。
両者の距離が急速に縮まっていく。出だしの一撃はバルトによる突きだった。《上級両手槍》のスキルで補正されながら放たれた突きは、並の冒険者ならば一撃必殺になるものだろう。
そんな必殺突きをバスタードソードにより弾かれた。
ただシンドウがバスタードソードを振る。それだけの行為にバルトの手は痺れ、ハルバードが軋んで悲鳴を上げた。
それでもバルトはそのままハルバードの鉤爪の部分バスタードソードに絡みつかせると、そのまま引く。
「オラァ!!」
全身の力を込め、バルトは武器を絡め取るつもりであったが、あまりの膂力の差に逆に武器を持っていかれそうになる。
「ハハ、ニク、二くっウゥウウウ!!!!!」
このままだと逆に武器が取られかねない。そんな危機的状況だがバルトは焦らない。
バルトの背後から地を這う様な低さで飛び込んだハボックは、ロングソードをシンドウの首めがけ斬り付ける。
このタイミングなら体は逃げ場所は無い。ハボックは経験からそう導き出したが、ロングソードは虚空を斬った。
「っ!?」
シンドウはまるで糸の崩れた人形のように地面へと崩れたのだ。誰が敵の目の前で完全に脱力が出来るか、そんな奴はハボックもバルトも見た事がない。
シンドウはそのまま地面へとへばりつくと、四つん這いのまま後ろに飛んだ。
「チッ」
バルトが追撃にハルバードを入れるが僅かに届かない。
ハボックは再度踏み込みロングソードで突きを入れるが、シンドウのバスタードソードによってロングソードを大きく弾かれる。
ハボックは武装オーガの討伐クエストをしている最中に、魔物が洗練された剣技を使ったらどうなるか、そんな事を考えた事がある。
その答えが最悪の形で目の前にあった。
バスタードソードが迫り、付けていた鎧の一部を抉られるが、どうにかハボックは回避する。
「ぬ、ぐぅ」
このままでは攻守ともに圧倒的劣勢で勝ち目など無い。だが、時間は稼げたとハボックは笑う。
シンドウの正面には突きを放とうとするバルト、背後には氷剣とサーベルを持つジグワルド、そして左右には斧と短槍を持つエルナーとエリンダ。
二、三つの攻撃は避けられても四方向同時に放たれた攻撃は避ける事は出来ない。ハボックはそう確信した。
5人の思惑通り、確かに攻撃は当たった。だがそれはシンドウが自分からエリンダの剣に当たりに行ったからだ。
「な!?」
エリンダの剣は勢いよくシンドウの左胸と左肩を傷付けるが、裂傷は一瞬で塞がり、そのまま左手がエリンダの首を掴む。
「がっ、ひぃぎ」
位置が遠いバルトとジグワルドの攻撃はシンドウを掠めるが届かず、エリンダの隣にいたエルナーが2人よりも僅かに遅れ、斧を振る。
それに対し、シンドウは片手でエリンダをエルナーに振ってきた。
「斬れ!!」
エリンダと目が合いエリンダごとシンドウを斬るのを躊躇ってしまったエルナーは、ジグワルドの指示を無視して斧での攻撃を止め、バックステップをする。
「馬鹿野郎ッ」
ジグワルドの悲痛な叫び声が響くが既に遅かった。
エルナーのバックステップに合わせて踏み込んだシンドウは、エリンダをエルナー目掛けて振り下ろす。
とても人間同士がぶつかったとは思えない鈍い音の後、エリンダは首を握り折られ、エルナーは全身を叩きつけられて生き絶えた。
シンドウはそのままジグワルドに死体を横向きになぎ払うように振り回す。ジグワルドは氷剣とサーベルで死体を両断し、シンドウの喉元へと氷剣を突きつけた。
血肉に紛れての一撃だったが首の動きだけでそれをかわされるが、突きの状態からシンドウの首の方へ氷剣を振る。
その攻撃も手ごたえは無く、紙一重で避けられた。明らかに剣の動きを見られている。とジグワルドは心の中で罵声を放つ。
ハボックがジグワルドの動きに合わせて飛び込むが、血肉に紛れて行動をしていたのはジグワルドだけではなかった。エリンダの装備の一部を引きちぎっていたシンドウは斬られて血肉が舞う中で、その破片をハボックへと投げ付ける。
魔力が僅かに込められただけの鉄片だが、《異界の投擲術》それもオーガすら超える筋力で投げ付けられたそれは、殺傷能力を十分すぎるほど有していた。
飛び込んだ状態でハボックに出来ることは少なかった。
胸部目掛け放たれたそれを体を捻り、肩で受ける。破片によりロングソードを持つハボックの腕は半ば千切れかかった。
「ふぅ、アア!!!!」
ロングソードは落としながらも遠のく意識を叫び声で呼び止め、シンドウへとぶつかる。ハボックは自分に出来るだけの事をしたが、呆気無くシンドウの左腕で首をへし折られた。
ハボックが作った最大の隙にバルトはハルバードをシンドウに投げ付けてロングソードを引き抜き、ジグワルドと共に斬りかかる。ハルバードはシンドウの左腕を傷つけるが、気にもしない様子でバスタードソードを初めて両手で持ち、全力で2人に斬り掛かった。
今まで見たシンドウの剣速、剣圧を凌駕する全力の一撃。とてもだがバルトが正面から受け止められる物では無い。
圧倒的な力で、最も適した場所に放たれた斬撃。
片手で剣の腹を支え、斬撃を流そうとしたバルトだが、その力の奔流を逸らす事が出来ず片手を飛ばされ、胴を大きく逆袈裟斬りにされ、地面へと討ち捨てられる。
「な、んだ。こォ、れ、くそ、がッ……」
バルトにより剣圧、剣速は弱まったが、それでも驚異的な力でバスタードソードがジグワルドに迫る。
ジグワルドは氷結の二つ名を持つAランクの冒険者だ。その氷結の二つ名に相応しい速度で氷を精製していく。鉄にも匹敵する最大硬度で作られた氷の腕甲を迫るバスタードソードへと向ける。
生成した分厚い氷がほとんど削り取られながらも、シンドウの攻撃を斜め上に逃がす。最も信頼出来る部下2人を犠牲にし、ジグワルドはシンドウへとサーベルを振り下ろした。
「御仕舞いだ」
振り下ろされたサーベルは肩元へと突き刺さる。そのまま首を跳ねる為に力を込める――。
だが、切れなかった。
「何!?」
その瞬間、ジグワルドは思い出した。本隊が逃げる中、腹に致命傷を受けながらも一人向かって来た冒険者が居たこと。その冒険者を斬った際にサーベルが僅かにではあるが刃こぼれした事を。
「あの瀕死野郎――」
慌てて、左手で氷剣を生成し、首を跳ねようとするが遅かった。シンドウは上段からバスタードソードを振り下ろしている。
ジグワルドは引き抜いたサーベルと氷剣でガードするが簡単に突き破られ、刃が迫る。そして訪れたのは焼け付くような痛み。
「ぬぅぁ、あァアアアア!!」
眼前にはシンドウの足が迫る。
「ア゛ァぐ――ッ!!」
蹴りにより数メートル吹き飛ばされたジグワルドは草むらに叩き付けられ、ピクリとも動かない。
「あは、アハハハハハハハ」
シンドウの笑い声が森に響く。それは誰が勝ち誰が負けたのかを表していた。
「ジグワルドが負けた?」
「そんな馬鹿な事が」
騒ぎ立てている襲撃者にシンドウは目を向けた。
「ひっ、こっちに来るぞ」
「お前が声を上げるからだ」
入念な待ち伏せと大人数で押しつぶし、蹂躙し奪い尽くすはずだった自分達が追い詰められている。その事実がメルキドの組合員を酷く狼狽させる。
既に有力なメンバーが全員殺され、頼れるジグワルドもハボックも負けた。指揮を執れるようなメンバーはもう残っていない。総崩れするのは自然な事だった。
「駄目だ。逃げろ。逃げろォー!!」
「なんでこんな事になった。狩るはずの俺達が、何でだ」
「落ち着け。逃げるな。まだ人数差が……クソッ、来るならきやがれ!!」
絶叫と悲鳴が響く中、騒乱はまだ終わらない。
【名前】シンドウ・ジロウ
【種族】異界の人間
【レベル】34
【職業】魔法剣士
【スキル】異界の投擲術、異界の治癒力、暴食、運命を喰らう者、上級片手剣B-、上級両手剣C、上級火属性魔法C-、中級水属性魔法A、 奇襲、共通言語、生存本能
【属性】火、水
【加護】なし
第二章、その他の複線回収。
回収に時間掛かりすぎですね。この章で回収作業進みます。
やっぱり、戦闘描写は書いていて楽しいし、書くのが早いです。
にっししさんが文章データを送って下さったので、第十二話、死に行く者 再投稿出来ました。にっししさん本当にありがとうございます。