第十一話 逃走
巨大蜜蜂の巣を粉砕してから一時間、俺達は森の中をひたすら疾走し続けていた。僅かにではあるが襲撃者と調査隊との距離を稼いだ。
あとは本隊に合流して逃走するだけだ。幸いアランは風属性の加護があり足が速く、俺もそれに付いていけるだけの鍛え方をしている。このまま走れば本隊には追いつけるだろう。
足跡も残っているし、逃げる方向も聞いている。俺だけなら初見の道で迷ってしまうかもしれないが、熟練の冒険者であるアランが、足跡を的確に辿っていた。
「はぁ、はぁ、思ったより敵の圧力が弱いな」
「もっと酷いものだと思ったが、はぁ、少し止まろう」
不慣れな場所で初めての殿に、それも全力で逃げていたので、流石に俺も疲れた。《異界の治癒力》が発動するまで走り続けるのは、食べる物をあまり携帯していないので出来れば避けたい。それに普通の冒険者と比べてタフなアランと言えど、俺のペースにずーっと合わせるのは酷だろう。
俺達は木にもたれ掛かる形で座り込む。大の大人が肩を寄せ合い、激しい息遣いで座りあっていて、端から見たら気色悪いに違いない。
「なぁシンドウ、水あるか?」
「ふぅ、持ってる」
道具袋から取り出した水筒をアランへと手渡す。アランは水筒の蓋を開けて一口、二口と水を飲むと俺に返してきた。受け取った俺も水筒を傾けて水を飲む。
焼け付いた喉を通って胃に入る水は疲れを癒してくれる。ふと、腰に付けているホルスターを触っていて気付いた。
「はぁ、最悪だ。スローイングナイフを1本落とした」
何度も確かめるが、ホルスターに収まっていたはずのスローイングナイフの1本がなかった。転がるように逃げた時か、走っているときか分からないが、ナイフを落としたのは確実だろう。
「あれだけ派手に暴れたからな。落とすのも仕方ない」
普段ならば装備を落とすなんてミスは決してしない。
(……焦ってんのか)
手の平で額から流れる汗を拭う。装備を触りながら1つ1つ確認していく。残るのはスローイングナイフ3本、棒手裏剣2本、小鉄球1回分だけだ。
スローイングナイフを1本落としたのも不味かったが、森の途中で遭遇した特大の巨大蜘蛛に投げ斧と投げナイフを1本ずつ使ったのも痛手だ。
虫だけあって、半身を吹き飛ばされても襲い掛かってくる生命力はただでさえ厄介なのに、大型化しているのだ。本当に嫌になる。
「スローイングナイフ持っていないよな?」
「悪いが、持ち歩いていない」
「そうか」
装備を確認し終えた俺はバスタードソードを鞘から引き抜く。丈夫なダマスカス鋼なので目立った刃こぼれはないが、血糊がべったりと付いていた。
道具袋から布を取り出し、血をふき取っていく。魔物の血や死体が溶けて蒸発する迷宮と違って、血糊が付きそのまま手入れ無しでは切れ味が落ちる。アランもロングソードから血を拭き取っていた。
今も後ろからは敵が俺達を目指して迫りつつある中で、休憩しながら剣の手入れをするというのは、なかなか精神的に来るものがある。
「「「ォオオオオ……」」」
「なんだ!?」
突然、森の先から怒号が聞こえた。咄嗟に身構えるが距離から言っても俺達に向けられたものではなかった。
明らかに戦闘音だ。それも調査隊のいる方向からの――
「調査隊が襲われている。不味い」
「アイツら、まだ戦力を残していたのか……」
5、60人はいたであろう襲撃者だが、まだ戦力を残していたとなると、絶望的な状況。だが、まだ諦めるわけにはいかない。
「いや、そんなまどろっこしい事をするなら最初から全戦力を投入して、一気に勝負を仕掛けてくるはずだ。敵はここの地理をよく理解している。部隊を分離して迂回していたのかもしれない」
確かに兵力の集中は訓練場の座学でも習ったが、基本中の基本である。ましてや奇襲が成功した時に全戦力を挙げて来ない方が可笑しい。
確かに、思えば5、60人の敵としては迫る圧力が弱かった。逆に言えば分離させていたからこそ、犠牲を出しながらも殿である俺達が保っていたのかもしれない。
「どうする、突破か?」
「本隊と合流して強行突破するしかない。このままじゃ挟撃される。急ぐぞシンドウ」
布と水筒を道具袋に押し込み、バスタードソードを鞘に収め、怒声のする方へ全力で足を進め始める。
(敵はどのくらいだ。クソッ、調査隊は、アーシェとリアナは無事か)
焦燥に駆られながら調査隊の元へ向かう。
戦闘音の中心地へ着くと、調査隊と20人程の敵が交戦していた。人数差もあり調査隊の方が劣勢だ。辺りを見回していると、男の高笑いが聞こえてくる。そこ映る光景に俺の目は見開いた。
アーシェが3人の敵に囲まれ、そばに居るリアナもハルバード使いによって傷だらけにされている。
(こいつら――ッ!!)
警告も容赦もいらない。声を上げず木々の隙間から躍り出た俺はそのまま、スローイングナイフと小鉄球の塊を左右の手に持ち、投擲する。
小鉄球が命中した敵は、絶命こそしないものの吹き飛び、体勢が崩れる。小鉄球と目の前の爆発で何が起きたか理解したアーシェは即座に行動に移った。
ツーハンドソードを突き出し、倒れた敵をツーハンドソードの重さと踏み込む勢いで突き殺すと、起き上がろうとする敵の胸部を横に真っ二つにする。
続いて3人目に斬り込む。3人目の敵は小鉄球が直撃しなかったのもあるが、ツーハンドソードの一撃目を上手く避けた。
二撃目をブロードソードで反らし、後ろへ後退していく。
リアナの敵へと投げたスローイングナイフはぎりぎり回避された。
「無事か!?」
「大丈夫だけど、リアナが」
敵がスローイングナイフを避ける時間で後退する事が出来たにも関わらず、リアナは斬りかかろうとするのを止めていない。男との間に入り、引き抜いていたバスタードソードを振るう。
男は冷静にリアナから俺にハルバードの矛先を変え、突きを放ってきた。
先端が重いはずのハルバードだが、かなり速い。迫るハルバードの先端を両手で持ったバスタードソードの力技で捻じ伏せ、横向きに吹き飛ばす。
男は即座にハルバードを引き戻し、後退する。迂闊に踏み込めば串刺しだろう。俺はバックステップをしながらバスタードソードを片手に持ち替え、リアナを掴む。
「リアナ!! 逃げるぞ!!」
尚も男に斬りかかろうとするリアナに飛びつき抑える。リアナの武器ではこの男を相手するのはキツイ。
「なんだそいつの仲間か、はは、今日は敵討ちが多い日だな。くせぇ獣人に仲間を見殺しにしたクソ女。愉快で堪らねぇ」
不愉快な声で男は俺に笑いかける。
「落ち着け!!」
「アイツが私の仲間を殺したんです。殺す、殺してやる」
普段温厚なリアナが殺意をむき出しで吠えているだけでも驚きだが、目の前の男がリアナの仇というのにさらに驚かされる。
「あの同業者狩りか……?」
「お前も知っているのか、ああ、そうだ。俺は同業者狩りのバルトだ。お前の仲間は血反吐を吐きながら悔しそうに死んでいったぞ。はは、なんでお前だけ生きてるのかなー? ゲひゃひゃひゃひゃ」
「アイツは、アイツだけは!!」
興奮状態のリアナを片手だけで抑えきれない。血走ったリアナの顔を平手で叩く。
「今行けば死ぬことになるぞ!? 死んだら仲間の死は本当に無駄になる。それでも死ぬか? この世界は理不尽な事ばかりだが、今は耐えてくれ。リアナ!!」
激情に身を任せるのは簡単だし、それで解決する事もあるだろう。だが今感情に任せて動く事が本当に最良の結果になるのか――
後ろからは敵の本隊が迫りつつある。一刻も早く逃げなければ隊は全滅。皆殺しにされる。
「……分かりました。ごめんなさい」
「なんだ。来ないのか? しかし、お前のパーティーは仲間一人も助けられない奴が多いな」
俺の顔を見てバルトは話を続ける。
「ああ、そうだ。完全に思い出した。そっちの獣人は元奴隷だろ? 知ってるぜ。知り合いの奴隷商人が良い商品が手に入ったと喜んでいたよ。その獣人はな、死にかけの仲間を助ける為に、自分から奴隷の首輪を付けたんだよ。あんな傷助かるはずないのにな。馬鹿だよな。笑えるよな。しかし、お前、傷物でも好む趣味でもあるのか? 安心しろ獣クセぇから手は出してねぇとよ。良かったな!!」
「……」
アーシェの顔を指差し、バルトは楽しそうに笑っている。アーシェの肩がびくりと震える。
ここまで純粋に殺意を持たせてくる人間は初めてだ。
ホルスターからスローイングナイフを取り出し投げつけたい衝動に狩られるが、理性でどうにか抑え付ける。
「いいぞ。かかって来いよ!!!!」
バルトの挑発を遮る形でアランの声が響く。どうやら敵を蹴散らし、退路を作ったようだ。
「シンドウ、逃げるぞ!!」
「リアナ、アーシェ、行こう」
俺たちが逃げ出した事でバルトは更に大声で喚く。
「逃げるか、敵討ちもせずに? はは、テメェラの仲間は血反吐吐いて死んでいったぞ。愉快な顔を晒してなぁ。魔物使いのホーングリズリーを使った時なんか傑作だった。お前らにも見せてやりたかったよ。なぁおい、待てよ!!もっとお喋りしようぜ。それとも何か、新しい仲間を捕まえたから古いのはいらないってか?」
調査隊全体が再び逃走する中、一人の冒険者がバルトのハルバードに絡め取られた。手足を大きく傷付けられる。
バルトは足と手を傷つけられ地面に倒れ動けない冒険者を繰り返しハルバードで何度も突く。何度も何度も――
「ひっ、ぐぃ、ぁあア」
「どうした仲間が死ぬのに何もしないのか? ほら、どうした? ただの肉片になっちまうぞ」
バルトは叫び声を上げながら挑発を続ける。人を不愉快にさせる気持ちの悪い声だ。リアナは噛み切りそうな程唇に力を入れて走り続けている。
「つまんねぇ奴らだな。ほら、逃げろ。逃げろ。死が追いかけていくぞ!!!!」
バルトの笑い声を背に調査隊はひたすら逃走を続ける。
「おい、バルト、いい加減にしろ。挑発も必要だが、あれじゃ逆に徹底的に抵抗される!!」
ハボックはハイになっているバルトに詰め寄る。腕は確かだが、ハボックはバルトのこの癖にはウンザリだった。
「アァ?……悪かったよ。だが、敵は逃げられねぇ。もう詰みだろ」
多少元に戻ったのか、言い訳するようにハボックに向けて呟く。確かにバルトの言う通り、この先は行き止まりだった。
ハボックは事前に探索した事を思い出す。この先には大きい沼が広がっており、透明度が低く泥濘が多いあの沼を渡るのは不可能だ。ましてや無防備な状態の中、泳いで渡るのは氷結のジグワルドを前にしては自殺行為と言える。
それでも徹底的に、それがハボックの主義であった。それも今回の相手はAランクのマジックユーザーを中核とした熟練の冒険者達だ。ましてやあの厄介なユニークスキル持ちまでいる。
乱用しないところを見ると、あの七色のユルゲンのように多用は出来ないようだが、それでもハボックにとっては十分過ぎるほど脅威だった。
「駄目だ。敵はまだ戦える。あいつらは強い。仕事が終わるまでしっかりしてくれ。仕事が終わってから趣味を存分にすればいい」
「ああ、わかったよ」
「沼があるとは言え、もしこのまま逃げられたら洒落じゃ済まない。さっさと逃げ道を塞ぐぞ」
メルキドのサブリーダーとしてハボックは構成員に指示を出す。
さらりとアーシェの過去を暴露。
そしてどこまで描写を過激にしていいのか、分からない今日この頃。